美作鎮守将軍国司-5
「やれやれ」
と、牛塵介は刃の触れた着物を確かめた。
「老い先の短い牛塵介を殺そうとなんてな」
遠くで鎮兵が騒いでいる。
国府の奥へ牛塵介は進む。
虫や風の音が無くなった。
「むっ……」
騒がしい蛙や虫らの声が消えた。
誰かが入ることを想定していない暗闇。
一切の明かりが絶たれた闇の通路たち。
本能的な恐怖を感じさせる無が広がる。
顎門を開いた洞窟のような道を進んだ。
牛塵介は……猫のごとく目を丸くした。
間取りを調べる。
すると、妙だ。
通路がぐるり。
ある空間を避けている。
封印された部屋がある。
戸はどこへも通じていない。
通路の空間が何十も重なる。
ぐるりと、回ってしまう。
「やはり、国司はここで蠱毒を」
通路の壁、天井近くの角。
微かに開かずの間から破れている。
大きな穴ではない。
精々が、百足や鼠程度が通る穴だ。
牛塵介は袖で鼻を覆う。
微かに、強い腐臭が漏れた。
開かずの間の中からだった。
──蠱毒とは。
呪禁師などが多用した儀式だ。
蠱毒厭魅、毒のある様々な生物を、互いに喰らい合わせて、もっとも強力な毒をもつ呪いを作りあげる、というのが蠱毒である。
仕組みは、単純だ。
喰らい一部となる。
穴から出てきたものを考えた。
普通の生き物ではないはずだ。
「近年の強過ぎる水の気質は、こいつか?」
廊下の角で、巻貝が粘液を引きながら這う。
一匹や二匹ではなく何十という塊ひしめく。
貝を尻高くにあげて揺らし、ゆっくり動く。
牛塵介は懐から小瓶と箸を出し、採取した。
──背後。
光が揺らぐ。
軋む、音も。
何かがいた。
摺り足で音を消している。
かすかな気配と風の動き。
這いずるように近づいた。
「牛塵介様?」
と、声は大葉介であった。
深い通路の先、かすかな光からかすかな声。
ギシギシと大きく床を踏みながら。
ガチャガチャと鞘をぶつけながら。
歩く、歩くが足をそれ以上踏み込まない。
「大葉介様! 奇遇ですねぇ」
牛塵介は、闇から逃げるように早足。
追われているものから逃げるように。
「……牛塵介。あまり、うろついていると物盗りだと思われるぞ。手癖が悪いのは放免の遠い原因か?」
「ケチな『盗人だったわけではない』ですよ、大葉介様。少し、迷子になっていたのです。どんどん深みに沈んで困っていました」
「不気味なところを踏みながらよく言う」
大葉介は、牛塵介の背中の先を見ていた。
明かりを取り込まない夜の壁がそびえる。
夜を生きる物も呑みこむ暗黒が満ちていた。
「不気味なものはいつだって、こちらに手を伸ばして招いているもんだ」
大葉介は落ち着かない。
腰の太刀を触っていた。
抜こうとする雰囲気ではない。
それならば抜き身を肩に当てている。
「先程、お前は立ち聞きをしていただろう」
と、あわや刺されていた件を大葉介は言う。
「バレていましたか」
と、牛塵介は正直に明かした。
「斬らないのかい」
「恩人を斬れるか」
と、大葉介は鼻で笑った。
自分の頭をこつこつ叩く。
「だがまあ、良いおこないではない。あの二人はおさえる。これで──」
大葉介は悪戯ぽく笑う。
けわしい顔がやわらぐ。
「──帳消しとしよう。夜のうちに逃げろ」
だが、すぐに思い悩む顔に戻った。
「感謝する。大葉介」
うむ、と、大葉介は何か出す。
「屯食にしてもらった握り飯だ」
竹皮に包まれた飯だった。
粥とは違う固い飯。
飯の粒が立っている。
微かに、削った鮑の乾物の匂い。
「おぉ! ありがたい!」
牛塵介は腹を減らしていた。
受け取った握り飯を、食う。
薄暗闇からはさっさと退散。
中庭へ足を投げて座った。
月がかげりつつある。
土が湿り気を帯びた。
雨が降りそうだった。
「お前は、まるで童だ」
大きな子供と想ったか。
苦笑し大葉介は呆れた。
あるいは飯を頬張る姿を見てか。
呆れていたが大葉介は隣へ座る。
腰に差していた大太刀は抜いた。
廊下の上へと無造作に置かれた。
「半分、食べるか?」
「あまり気安くしてくれるなよ」
と、言いながらも、大葉介。
握り飯を受け取ってくれた。
「食べるのは初めてだな」
はむ──小さな口で挟む。




