美作鎮守将軍国司-4
「美作鎮守将軍国司殿は不在なのだそうだ」
膳が片付けられた後。
樹介は姿勢を崩し、寝ながら言った。
「これが畳か。初めてだ。良い匂いだ」
「樹介……」
と、大葉介は小さな声で嗜めた。
牛塵介へ僅かに目を向けてきた。
「姉様。お尻を触っても?」
「ふふふ。夜這いまで、ね?」
牛塵介は女官を口説いていた。
牛塵介は片付けする女官の尻を追う。
袖を引っ張ったのは大葉介だ。
「座ってなさい」
「お邪魔だろ!」
と、天女のような優雅さ女官らは退室する。
廊下から聞こえる楽しげな声が遠ざかった。
「禁裏が縮小してから、あちこちの官人が女官と呼ばれるし、能力が上がるのは良いのか悪いのやら」
と、大葉介はため息した。
「乱れてる。穢らわしい」
と、介佑郎だ。
「……」
牛塵介は、伸ばしていた鼻を戻した。
誤魔化しか牛塵介はおもむろに立つ。
「小便をすませてくる」
「夜這いするつもりだ」
「大葉介! 違う、本当にもよおした」
大葉介は訝しみながらも手を離す。
戸を開ければ冷たい風が吹き込む。
雲を透かす月がいた。
月光が、庭を照らす。
牛塵介は星を見ながら耳を立てた。
部屋の中には検非違使が三人だけ。
開かれた戸の裏にで研ぎ澄ませる。
しばらくすれば、押し殺した声だ。
「検非違使への山姥討伐の勅令、か」
と、樹介の声だ。
「天も人も守ってはくれんぞ」
「検非違使に化けたのは権力があるからだ」
「人の群れの中に紛れねば生きられんしな」
「しかし……我々の為に奪うことは容認できん。であれば、大葉介はお前らと刃を交える覚悟がある。例え、共に罪を背負っているとしてもだ」
と、大葉介は念押しするように言う。
「介佑郎、大葉介。もちろんだ。日本のどの国でも、日本の民であることは変わらない。どうして無益に傷つけようか」
と、樹介は柔らかな声で話を進めた。
「……婆娑羅。ならば良いのだがな」
と、大葉介は、うたぐる目線で睨んだ。
部屋の中、介佑郎が足音を殺して立つ。
鯉口が切られる音──。
牛塵介は、身をひるがえして避けた。
「介佑郎?」
畳を、素足がめり込む。
「介佑郎!」
鞘が転がる物音より早く。
抱き寄せるよう構えられた大太刀。
薄い木の板同然の戸を──貫いた。
引き抜かれる。
刃に血はない。
先程まで立っていた牛塵介の場所だ。
牛塵介は気を全て殺して溶けていく。
「誰かが盗み聞いていた」
と、介佑郎は乱暴に戸を開け放った。
廊下には誰もいない。
月光が、中庭の先まで照らしている。
大太刀は鞘へとおさまってはいない。
「斬る」
「待て」
止めたのは、大葉介だ。
「短慮が過ぎる!」
「──大葉介!」
と樹介が強く発した。
残る戸が震えていた。
「生きたいか、死にたいかだ」
と、介佑郎は捨てた鞘を拾う。
介佑郎は肺に留めていた風を吐いた。
「……死にたくはない」
と、大葉介は言う。
「ならば、時には心を鬼とする覚悟も考えろ。信じるものを選び、信じられないものへは非情であるべきだろう? でなければ寝首をかかれるのが今の時代なのだ。姉妹なのだ」
と、樹介は正しさで説こうとしていた。
大葉介は答えた。
剣のように鋭く。
「大葉介は性悪で剣を抜かん──」
大葉介の語気が強まる。
「──抜かせもせんぞ」
廊下の先から荒々しい足音。
鎧と刀剣が擦れる、鉄の音。
鎮兵が騒ぎを聞きつけて……来る。




