検非違使、山姥を追う-1
「天誅、つかまつる」
天誅──天に代わり誅する。
語ったのは、若い女武者である。
「お覚悟!」
髪の色は黒、本来ならば戦を色とりどりにする大袖も……鎧も、柄も、そして刃さえも灰混じりの泥を塗り染めていた。
女武者の足が無数の跡を踏む。
重苦しい鎧で全身を着込んでいる。
だが、女武者は飛ぶように滑った。
足の裏は両方とも離れていた。
太刀は寝ていた。
水平に、腰の捻りと体重がのっていた。
突き進む力の限りに、一閃を、薙いだ。
人の身を超えている。
鍛えたからできる無理とは違う。
「一丈弓大鎧と同じか」
老婆は月のない月光の下で目を丸くした。
「だが絡繰の鎧も、人の先にしかいないぞ」
風切り──太刀が押し迫る。
鋼で打たれた刃が、衣も肉も骨も断てる力。
それに、老婆の掌が押し当てられた。
槌のように、垂直に、筋が鉄のように圧縮されて『太刀を叩き折って』みせた!
太刀の半ばが宙を舞う。
老婆は折れた太刀の刃に掌を滑らせ、左右の手の指を絡めた。太刀は固く、老婆の掌と指に、釘を打たれた人形のように留められ……老婆は捻り上げた。
女武者は太刀ごと投げられた。
鎧ごと、女武者の足が浮いた。
背中から落ちた女武者の肺から気が溢れた。
倒されてなお女武者は立ちあがろうとした。
同時に奪われた太刀の代わりを抜こうとも。
だが、老婆が取り上げた、折れた太刀が、女武者の兜鉢をあげさせた。
「わしを……食らうつもりか化け物め!」
びたびたと、飛び散る血が雪をうがつ。
熱の残る血が雪を溶かしながら沈んだ。
折れた太刀の先は老婆の手首を切っていた。
女武者は、数打ちの刀そのものは失ったが、鞘に残る小柄──細工や雑用の刀──を抜いた。
老婆の膝を刃が貫く。
太腿を上から下へ、骨を避けて抜けた。
刃を伝う血が、熱々しく雪へしたたる。
女武者は気力を振り絞り逃げおおせる。
足を失った老婆は追うことはできない。
「あぁ……そうか、こんな気分だったのか」
老婆はもごもごと、白い息を、吐いた。
老婆は、召しいた指を透かした。
月光が魅せるそれは枯れ木の枝。
皺がより骨が見えているかのようだ。
肉はなく、老いぼれと言われる指だ。
「老体で無茶をしたな」
と、木々を揺らしながら巨影があらわれる。枝葉に積もる雪を落とし、鷹のように首を回し、鋭く見渡している。巨人に鎧を縫い合わせたようなそれは、一丈もある人型であり、人間の大鎧のようであり、しかし、大きすぎた。
「足なしが、黙っておれ」
「逃げた武者を追うのか」
血は凍り、赤い氷柱となる。
老婆は流れる血だった物を折る。
「山をくだらせてやってくれ」
老婆は今一度、皺枯れた指を、手を。
痛み、血が凍るほどに熱の無い体を。
老婆は、変わり果ててなお愛おしく撫でてやった。老いた、残りの無い生を、ボロボロであり、価値が無いものをしかし、愛されているべき物へそうするように見ていた。
「死にかたを考えたとは、こういうことか」
老婆のまぶたが落ちかけていた。
傷はまだ閉じてはいない。
血はどこまでも流れていた。
「酷く、眠いものだ」
老婆は、膝を落とした。
折れた太刀、握っていたそれを手離す。