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カヤとの対峙1

 その時だった。

 一陣の、腐った肉のような臭いのする風が吹きすさぶ。なまぬるいそれが瞬きのうちに周囲に立ち込め、庭園の草花を一瞬で枯らしきった。

 からん、からん、からん、からん。がむしゃらに鳴らしたような鐘の音が響く。


 エリナはその音に既視感と、頭がわれるような痛みを感じて地面に膝をついた。

 クリスがかばうように抱きしめてくれなければ、エリナは意識を失っていただろう。

 ついで、遠くから通り抜けるような、しゃがれた声が聞こえた。


「……そんなの、許さないわ!」


 ともすればひび割れた金切り声のようなそれは、目深にフードを被った人影が発したものであるらしかった。

 その人物は、エリナのほうを憎々しげに見たあと、フードに手をかけた。


「不思議そうな顔。ハッピーエンドだなんて思ってたんでしょう?幸せになって終わりだって。そんなわけない。そんなこと、絶対に認めないわ……!」


 そう言って、フードにかけた手をぐい、と引きずり下ろす。


 エリナはひっと息を呑んだ。

 今、エリナが見ている光景が、あまりにも凄惨なものだったからだ。


 フードの下は、かろうじてそれが女であることが理解できた。

 落ちくぼんでどろどろに溶けた目の色は、黒。

 ほとんど残っておらず、幾束かがくっついた膿とともに風にぶらぶらと揺れている黒髪は長い。

 ただれた皮膚はいっそ死者のそれだと言われたほうが納得できるほどに生白かった。


 クリスが目を見開いてそれを見ている。エリナにも理解できてしまった。

 あの痛ましいまでの女の様相が、いつか見た人物のそれとかぶって、だからわかる。

 黒髪黒目の、癇癪もちの女――かつてとはかけ離れた容姿をした、哀れな女。


「カヤ……なの……?」

「あんたなんかが私を呼び捨てにするんじゃないわよ!エリスティナ!」


 幽鬼のような声、しかしそれははっきりとした怒りをもってエリナに届く。

 エリナが何か言う前に、クリスがエリナをかばうように前に立った。


「お前はカヤなのか。亡霊の類ではなく、カヤ本人だと?」

「あんたが――」


 カヤはクリスに向き直った。

 その、洞のような目からどろりとした黒い液体が漏れる。


「あんたが、それを言うの――。私から、リーハを奪った、あんたが!」


 かくん、とカヤの首が折れる。

 こきこき、こきこき、とカヤが首を傾げるに合わせて、カヤの首が戻っていく。

 死体が動いているのだ、とエリナは理解した。

 いいや、生きている。カヤは今、生きている。


 けれど――死ねない死体、とでもいうのだろうか。

 カヤの体は生存を放棄し、カヤはおかしくなった精神だけでその体をつなぎとめているように見えた。


「どうして、どうしてそんな風になったの」


 エリナは震える声で尋ねた。

 カヤの今のありさまは、あまりにも痛々しく、おぞましかった。

 ああ――……。と、カヤは腐臭のする息を吐いて、今度はエリナのほうを向く。


 からん、からん、と、杖に括りつけられた鐘を鳴らす。

 その音が不快で、けれど、エリナの意識を刈り取るまでには至らない。


 胸のうちがあたたかい。ふと見ると、胸に飾られたペンダントの、クリスの逆鱗が発光していた。

 緑色の、クリスの目の色と同じ、あたたかな光。


 それがカヤの鐘の音を防いでいるのだ、と理解した。そうして、思いだす。

 エリナの思い出の、いたるところに、ささやきとともに訪れた、この、鐘の音のことを。


「あの音は、カヤ、あなた、それは――」

「今更ァ?」


 カヤの唇ががぱりと開かれる。

 腐った肉がぼとりと落ちて、煙とともに異臭をまき散らした。


「そう、そうねェ、あんたは知らないわよねェ。何も知らず、のうのうと守られてたんだものねェ」


 カヤは笑う。げらげらと、面白くもないことに、無理矢理拍手をするように。


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