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あなたのそばに居たくない1

■■■


 さらさらと、夜の風がエリナの前髪を撫ぜていく。

 少し肌寒い。そう思ってエリナの瞼がゆるゆると持ち上がった。

 目を開けた向こうには、揺れるカーテンと、ベッドのそばに座り、本を読んでいるクーの姿。


 ――やっぱり、綺麗な顔。


 はちみつ色の髪は、今は夜闇に少し煙って見える。

 小さなランプ一つで本を読むクーの目が、炎のオレンジで明るい緑に光っていて。

 白い肌、精巧に、人形職人の手で配置されたようなパーツは、そのどれもがうつくしい。


 ……引き換え、エリナの髪はニンジンのような赤毛で、顔にはそばかすだって散っている。目立って凡庸な青い目。エリスティナだったころはもう少し綺麗だった気がするけれど、今のエリナは少なくとも、美人だと胸を張って言える自信がなかった。


 ――きっと、番じゃなければ、相手にもされない。だって、クーは最強の竜種だもの。


 エリナは、クーを好きになりそうな心をひとつひとつ否定していった。

 エリナにはなにもない。親の顔も知らないし、お金もない。育ちがいいわけでも、顔立ちがきれいなわけでもない。

 才能なんてないし、人並みに料理の腕があるだけの、ただの町娘。


 ――私が、番じゃなければ、きっと、クーは私を好きだなんて思わないでしょう?


 エリナが瞬きをひとつすると、いつのまにか目にうっすらと張った涙の膜が雫となって頬を滑った。

 目を閉じる。荒れ狂う感情の波をが収まるまで、じっと閉じる。

 ややあって、ようやく開いた瞼の先には、心配そうにエリナを見つめるクーの顔があった。


「……クー?」

「エリー、大丈夫ですか?」


 クーはエリナに尋ねる。エリナはしばし、口を噤んだ。

 クーがエリナの頭にそっと手をくれた。柔らかく撫でられる額に、エリナは目を細める。

 まるで子供みたいだ。

 風邪を引いた子供。孤児院の先生は、いつもやさしかったけれど、風邪を引いた子供には特にやさしかった。


 先生に甘えたくて、わざと風邪をひこうとする男の子もいたっけ。

 そんなことを思いだして――そんなことを、考えて、エリナは静かに口を開いた。


「ずっと、考えてた。……私がここにいる意味はなんだろうって」


 エリナは、なんのためにここに連れてこられたのだろう。

 クーの番として?クーがただエリナをそばに置きたいと思ったから?

 きっと、そのどちらでもない。

 クーにはなにか、エリナをここに――王宮へ、連れてこなければならない理由があったのだろう。


「クーは、きっと自分勝手で私をここに連れてきたわけじゃないんだろうって、思ったの」


 中庭の、一面のタンポポを思い出す。

 素朴な花だ。けして、身分の高い貴人に尊ばれる花ではない。

 それを好むクーが、エリナを傷付けてよしとする、竜種によくある高慢な存在であるはずがなかった。


「でも、その理由も、クーが私を好きな理由もわからない。……番じゃなければ、きっとクーは私に見向きもしないわ」


 けれど、エリナへの純粋な好意があるとも思えなかった。

 番だから好きになった。番だから存在価値がある。そう思ってしまうほどには、エリナはクーの隣に並び立つ自分を想像できなかった。

 自分に自信がなかった。


 そうだ――エリナは、自分が好かれている理由がわからなかった。

 番だから好きになられたのなら悲しすぎる。エリナ自身を見て好きになってほしい。そう思うことがわがままだとちゃんとわかっている。わかっているのだ。


 だって、竜種にとって、番とは絶対の存在だ。

 その理から外れろというのは無理な話で、だからこそ、無理を通すことがどれだけ難しいか理解している。

 エリナは、エリスティナだったから、理解できる。


「もう、いやなの、あなたを好きになりたくない」


 だからこそ、これ以上好きになりたくなかった。

 エリナは、クーを好きだと思う心を押さえつけてきて、それも難しくて、だからぐちゃぐちゃになってしまった心で、クーを見ないように努力してきた。


 それなのに、今みたいに、こうやって、エリナを心配してそばにいられてしまえば、耐えることができない。

 クーを好きになる気持ちを、押し殺せなくなる。


「ここから逃がして、お願い、あなたの傍に居たくないの」


 エリナは泣いた。

 顔をぐしゃぐしゃにして、涙で顔を汚しながら、額に添えられたクーの手を払いのける。

 ここに居たくない。クーの傍にいて、やさしくされてしまえば、そう遠くない未来にクーを愛してしまうだろう。


 そうしたら、エリナは今よりもっと苦しむことになるのだ。

 番なんてむなしいだけだ。かなうなら、人と恋がしたかった――嫌だ、クー以外と恋なんてしたくない――そんなの、気のせいだ。


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