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鐘の音と怪しい人物2

 エリナは――エリスティナは、タンポポが好きだった。

 丈夫で、雨にも風にも負けない、強い花。根が強く、どこででも生きられる花。

 エリスティナはかつてタンポポのようになりたくて、けれどそれを、誰にも言ったことはなかった。


 貴族でタンポポが好きというものはいないからだ。

 生命力が強すぎて、ほかの花壇までを侵食してしまう花を、貴族はたいてい、雑草と忌み嫌った。それは人間貴族でも、竜種の貴族でも同じはずだった。


 それなのに、今、ここには一面のタンポポが咲いている。

 ここを世話した庭師が自発的にタンポポを植えるはずがない。では誰が……?


 からん、からん。

 音がする。

 徐々に近づいてくる音は、やがて黄色く小さな花に戸惑うエリナの背後で止まった。


「タンポポは、今代の竜王が、好きな花」


 突然背後から聞こえた声に、エリナははじかれたように振り返った。

 男とも、女ともつかぬしわがれた声。目深にフードを被った何者かは、しわだらけの指先をタンポポの花壇に向けて、エリナにそちらを見るように促した。


 いつの間にそこにいたのだろう。

 ここは、竜王の番の領域だ。王宮のこの場所には、召使いたちや兵士は入れるものの、少なくない防衛魔法がかけられている。

 第一、どんな道を通ったとしても、誰かの目につくはずだ。


 ここは王宮の奥、城のあらゆる入り口からは遠い。

 このような怪しい風体の人間が、やすやすと入れるとは到底思えなかった。


 身構えるエリナに、フードの人間はからからと笑って見せた。


「思い出の花だからと――わざわざ、このような雑草を育てさせる、酔狂で、愚かな竜王、その番であるお前もまた、馬鹿な女だ」

「な、に……?」


 フードを被ったその人間は、杖をとん、と地面に突き立てる。

 杖に括りつけられた鐘がまた、からん、と音を立てた。


「……っ」


 鐘の音が響くたび、エリナの視界がぶれる。

 わずかに遠ざかって、膜の掛かったような意識の中、嗄れ声のフードは、遠くから響く、幽鬼のような声で話した。


「不貞の王妃、エリスティナ。あの女も、愚かな女だった」

「――……」

「雛を拾い、そのあげくに死んだ。己を投げ捨てることが美徳だと言わんばかりの、腹立たしい女……民草からどれほどあざけわらわれているかも知らず逝った、馬鹿な女」

「そんな、こと、思ってなかった……」


 エリナは、煙る意識の中、必死でそう返した。

 それが、エリナの生まれ変わりがエリスティナであると、白状したも同義であることには、曇った思考力のせいで気付けなかった。


 エリナの胸がずきずきと痛む。

 かつて貫かれた場所が、あの頃を思い出す。


 フードの人間がせせら笑って言った。


「あの女は代替品だった。その生まれ変わりであるお前も、所詮は代替品にすぎない。ただ番というだけで連れてこられたのだから……。あの竜王が愛しているのは、今も昔も、ただひとり。あの王をかつていつくしんだ人間のみ」

「クーの、育ての、親……」

「そう、かの竜王に愛された女。そして、お前はその代替品」


 くらりと、視界が回る。

 頬が冷たい。濡れているのだと気づいて、エリナはそれを指先で拭った。


「わた、し、代替品……」

「そうだ。お前は、結局誰かの代わりの、穴埋めにしかなれぬ」


 わかっている。そんなのとっくにわかっていた。

 エリスティナはどこまで言っても「カヤの代替品」にしか過ぎなかった。

 からん、からん、と鐘の音がする。

 エリナが#物心ついたころから__・__#聞いてきた鐘の音が。


 いつだって言い聞かされてきた。

 エリナは誰かの代わり、エリナはそう言う風にしか生きられない。

 かくん、とその場に膝をついたエリナの頤をくい、と持ち上げ、フードの人間はけらけらと、まるでとても面白いものを見るかのように笑う。


「あの雛竜にとっても、お前は親の代わりでしかない」

「知ってるわ……」

「親代わりにも関わらず、お前はあの雛竜を死なせた。お前が守れず死んだからだ」

「く……りす……」


 目の前に浮かぶのは、エリスティナを呼んで泣きじゃくるクリスの顔。

 死んだ、そう、そうだ、クリスは死んだ。

 エリスティナの愛しい、かわいい、いつくしむべきクリスは、エリスティナのせいで死んだ。


 そう、この鐘がいつも教えてくれる。

 エリナが、己の罪を忘れるたびに、何度でも思い起こさせる。

 エリスティナの愛は、あの日に死んだ。エリスティナのせいで。

 エリスティナが――死なせてしまった。

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