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エリナのシチュー1

 ■■■


 エリナが鍋からよそったシチューが卓上に並べられる。手伝いたいと思ったけれど、カトラリーの場所を知らないクリスに手伝えることはそう多くはなかった。

 サラダとパンがそっと添えられる。


 クリスの視線は目の前のシチューにくぎ付けになっていて、だからエリナが座るための椅子に自分が座っていることに、考えが一瞬及ばなかった。

 エリナが木箱の上に座っているのを見て、クリスは立ち上がる。


「僕がそちらに」

「クーじゃ箱が壊れちゃうわ。重そうだもの。それにあなた、一応お客様ですもからね」

「ですが……」

「ほら、冷めちゃうから。席について」

「……はい」


 確かに、体格のいいクリスが座ってしまえばその箱は壊れてしまうだろう。第一、往々にして竜種は重い生き物だ。

 しぶしぶ頷けば、エリナは満足げに微笑む。


 今度、絶対椅子を贈ろう。

 気付けばそんなことを思っている自分がいて、クリスは苦笑した。

 もう少し、もう少しだけ、この場所にいたい。


 食前の、感謝の祈りをささげる。両の手を組むエリナの姿はどこか神聖的にすら見える。

 エリナが目を閉じているのをいいことに、クリスはじいっとエリナの顔を見つめた。


 魂が同じだから、面影も似ているのかもしれない。

 やがて短い祈りの言葉が終わり、エリナが木匙を持つのに合わせてクリスもシチューを掬った。


 口に含んだシチューは、塩気と甘みがあって、それをミルクでまろやかにまとめていて、いつかエリスティナに食べさせてもらったのとよく似た、けれど確かに、少しだけ豊かな味がした。


 それは、調味料も何もかも乏しいあの森の暮らしの貧しさを表しているのかもしれない。

 けれど――ああ――ああ――!


 クリスは、シチューをもうひと匙掬った。

 口に含んで、噛んで、飲み込んで、もう一口。


 間違いはなかった。

 このシチューは、あの頃たべたシチューと、材料が違う、だから味が違うのは当然で、けれど、そうではなかった。

 このシチューは、エリスティナの作ってくれたそれと、まったく同じ味をしていた。


 矛盾だろうか、いいや、そうではない。

 心を砕いて作られた料理というだけではない。これは、クリスに食べさせるために作られたものだった。

 番が、ではなく、エリナが、正体のわからぬ「クー」のために作ったシチュー。


 エリスティナが作ったシチューと、同じ心で作られたシチュー。

 それは、目の前が、開くような感覚だった。

 暗かった視界が明るくなって、胃の腑が満たされて、舌がぬくもりを取り戻す。


 目から、なにかあたたかなものがぽつりぽつりと木皿に落ちる。

 泣いているのだ、と気づいた。涙なんて、とうに枯れたと思っていたのに。


「く、クー!?」


 エリナが驚いたような声を上げて立ち上がる。

 ごしごしと、まるで子供返りしたような仕草で涙をぬぐう。エリナ、エリスティナ、エリナ……。二人の、愛しいと思った人間が脳内をくるくると回る。


 ああ、そうだ。

 認めざるを得なかった。

 クリスは、今、エリナに恋をした。エリスティナの生まれ変わりで、番で、そんなことを取っ払ったとして、クリスは、ただ微笑みかけられただけで、ただシチューを食べさせられたというだけで……ただ、生きているというだけで、目の前の彼女に恋をした。


 これが呪いだとして、番というだけでは説明のつかない心があった。


「どうしたの?味付け、苦手だった?」

「ちが、違います」


 エリナが心配そうに、クリスに手を差し伸べる。その手をとって、クリスは泣いた。


「おいしい、おいしいです……」

「そ、そう……」

「大切なひとが作ってくれたシチューと、同じ味がします」

「ええ?そんな、たいしたものじゃあ、ないと思う、のだけれど」

「おいしい、おいしいです、とても」

「それは、よかった、わ?……でも、本当に、普通の味付けしかしていないのよ」

「僕にとっては、特別な味なんです……」


 そう、クリスにとっては、特別な味だった。

 味を感じないクリスが、数十年ぶりに感じ取った味は、心の味だ。

 たとえ、エリナが仕方なくクリスのために作ったのだとしても、そこに込められた労りはたしかに存在した。



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