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ミルクのシチュー2

「ふふ、あはは!もう、大丈夫よ。シチューは逃げたりしないから」

「あ、ええと、あなたは……」


 ごまかすように、女性の名前を聞く。彼女はまた、楽しげに笑って言った。


「私はエリナ。あなたは竜種?身なりがいいから、竜種の貴族かしら。だめよ?竜種だからって、竜種の生命力に胡坐をかいて食わず嫌いしてちゃ」

「僕は……ええと、その」

「大丈夫よ。名前は聞かないわ。こんなところで行き倒れてるなんてたいてい訳アリですものね」


 名を聞かれて口ごもったクリスの言葉を掬うように、エリナと名乗った女性が続ける。

 クリスと名乗れなかったのは、どうしてか、自分でもわからなかった。


 もしかすると、番だから好意を持ってしまった自分を、自分で恥じたからかもしれない。

 こうやって、素性の知れない相手にも手を差し伸べてしまうエリナ。生まれなおしてもその在り方は同じで、そう思ったから、クリスは自分の太ももをつねって無理矢理に笑顔を浮かべた。


 エリナを好きだと思ってしまう。

 エリスティナを愛しているのに、今もそれは変わらないのに、目の前の自分の番に対する愛情が膨らんでいく。

 リーハのようにならないと決めたのに、番だからエリナに恋をしてしまう。

 そんなのは嫌だった。


 ――エリナのことを思うなら。

 そう、エリナの幸せを願うなら、今すぐにここから立ち去って、関わらぬように生きなければいけない。番という呪いに、エリナを巻き込めない。


 ――僕は、僕から、あなたを逃がしてあげなくてはいけない。


「……ありがとうございます」

「でも、あなたを呼ぶとき困るわね。……ううん、そうね、あなたのこと、クーって呼ぶわ」

「クー?」

「昔の知り合いの名前からとったの。あなたと目が良く似てるから、クー。いいでしょう?どうせご飯を食べて帰るまでだし」


 エリナはそう言ってクリスを誘った。

 食事を終えるまで、という言い訳を用意されて、クリスは愚かなことに、そこにいることを選んでしまった。


「クー、そろそろできるわ。シチューをよそうから、そこの棚にある、そう、そのお皿をとってくれる?ありがとう」

「このくらい、手伝いのうちにはいりませんよ」


 エリナの手伝いをする時間は、幸せだった。あたたかく、懐かしいあの日のやり直しをしているようだった。


「ええと、エリナさん。このコップはどこに置けば?」

「ミルクを入れるわ。今日は安く譲ってもらったの。かして」

「ミルク」

「牛の乳よ。クー、あなた、もしかして知らないの?」


 呆れたようなエリナの言葉に、クリスは口ごもった。

 ミルクは、エリスティナが「手に入れられなくてごめんね」と言っていた飲み物だ。

 白い液体で、シチューに使う。それは知っている。


「いえ……その、実は、飲んだことはたぶん、あるのですが、それがミルクだと認識して飲んだことはないといいますか」


 おそらく、城で饗されたことはある。

 けれど、それをミルクだと思って飲んだことはなかったし、ミルクの味も感じなかっただろうから、実質、ミルクを知らないも同然だった。


「食に興味がなさすぎるわ……。私のシチューで同じことしたら怒るわよ」


 エリナが腰に手をあて、脅かすように言う。

 クリスは子供のような仕草に思わず笑顔を浮かべてしまった。


「肝に銘じます。エリナさん」

「よしよし、いい子」


 わしゃわしゃ、と、エリナがクリスの髪をかきまぜる。

 頭は竜種の弱点だ。

 首の後ろに、逆鱗、という鱗がある。特にこれはクリスの場合、竜王の証なので、触れられれば怒り狂うようなものなのだが――。


 エリナには、そういうものを感じなかった。

 むしろ、やわらかな手が髪をなでるのが心地よくて、もっとしてほしいと思ってしまう。


 けれどエリナは申し訳なさそうな顔をして、上目でクリスを見上げて来た。


「エリナさん……?」

「……?怒ってない、の?」

「何を?」

「撫でられることなんて、もうずいぶんありませんでした。嬉しいです」

「そ、そう……?」


 事実だった。クリスを最後に撫でたのは、エリスティナだったから。

 胸がどきどきとうるさい。

 エリナを愛してしまうのは時間の問題だった。

 それなのに、クリスの理性はまったく仕事をせず、この場にいることを選んでしまう。


 だって、エリナが幸せそうに笑うから。

 その笑顔を、もっと長く、見ていたかった。



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