クリスの追想3
その言葉を最後に、かくん、とエリスティナの体から力が抜ける。
力なく垂れさがった腕が、白く、冷たくなって、ああ――ああ――。
遠くから、耳鳴りのような悲鳴が聞こえてくる。
うるさい、うるさい、うるさい。今、それどころじゃないんだ。
エリーが息をしないんだ。エリーが動かないんだ。
エリーが、エリーが……。
「ふん、劣等個体のほうが残ったか。……しかも狂ったように悲鳴まで。生き汚い」
ばさり、と。ふいに、羽音とともに姿を現したのは今代の竜王、リーハだった。
きいきいと耳障りな悲鳴が消える。
ああ、そうか、叫んでいたのは自分だったのか、なんて、嫌に冷静な頭で考える。
「お前が――エリーを――」
頭の中で、ぴしり、ぴしりと音がする。
何かが割れるような、ちぎれるような音。
背がぱきぱきとひび割れて、中からガラスのような翼が姿を現した。
「なんだ、劣等個体でも竜の形をとれるのか。……いや、これは、まさか」
「たかだか――竜王風情が、ふざけた真似をしてくれるなよ」
「お前――いや、あなた様は……」
瞬間、世界の膜が一枚、剥がれ落ちた。
否、そう感じただけだったのかもしれない。クリスの思考が冴える。クリスの額に、透き通った角が現れる。
それは、劣等個体としての戒めを解き放ち、今、クリスが竜王として覚醒した証だった。
「…………」
クリスが手を前へ突き出すと、その場に黒炎が現れる。それは蛇のようにうごめき、リーハの体へと巻き付いて、逃げようとするリーハを拘束し、その体を燃やした。
焼けただれ、落ちてゆく皮膚。肉の焦げる臭いがして、クリスは吐きそうになってえずいた。
しかし、リーハは腐っても竜王だ。まだ衰えぬ、代替わりには早すぎる、力を持つ竜王。
クリスの覚醒がこんなにも早まらなければ、まだ全盛期と言えたはずの竜王、リーハ。
「あ、が……ァ……!」
リーハの体は、燃えた端から再生されてゆく。
炎の蛇の戒めのせいで逃げることもできず、無抵抗に燃やされるそばから治り、また燃やされる苦しみとはいかほどのものだろうか。
……いいや、エリーのほうが、もっと苦しかった。もっとつらかった。もっとかなしくて、救いがなかった。
彼女の人生をこんなに暗いものにしたのはこの男だ。ただ死にゆくなど許せるはずもない。
再生するぎりぎりの炎をまとわせ、永遠に苦しめると決めて、目を細める。
クリスは咆哮した。
それは、怒りの声だった。同時に、どうしようもない、嘆きの声でもあった。
エリスティナを殺された怒り、エリスティナを守れなかった自分への怒り。
そうして、もう少し早く、竜王へと覚醒していれば、エリスティナを救えたのにという嘆き――……。
「ぎぃ、ああああああ!」
森に黒炎が燃え移る。苦しみにのたうち回るリーハを冷徹なまなざしで睥睨して、クリスは燃えてゆく森を見つめた。
爆炎にも似た炎が、クリスとエリスティナの暮らした森を焦土へと変えてゆく。
炎を消すこともできた。しなかったのは、それをどうでもいいことだと思ったからだ。
エリスティナを抱いたまま、クリスは泣いて赤くなった目をこすった。
――あなたがいないから、世界に何も感じられない。
ふいに、こつん、とクリスの靴に何かが触れた。
黒くすすけたそれは、よくよく見れば、エリスティナが最後に作ってくれたシチューのニンジンだった。
躊躇もなくそれを口に含む。
苦いはずのそれからは味がしなかった。けれど、それすらどうでもよくて。
クリスは地面に転がったシチューだったものを探して、夢中で頬張った。
がりがりと咀嚼し、無理やりに飲み下す。
「おいしい、おいしいよ……エリー」
やっぱり、エリーのシチューは、世界で一番、おいしい。
燃える森が焦土になるのを横目にしながら、クリスはそう言って、物言わぬエリスティナに笑いかけた。
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