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クリスの追想1

 ■■■


 卵から生まれたとき、ぼやけた視界で最初に目にしたのは、空の色のように冴えた青い瞳。

 やわらかな胸に抱かれて、ぽろぽろと降ってくるあたたかい涙の粒を受けながら、クリスはこの世に産声を上げた。


「産まれてきてくれてありがとう……」


 クリスが生まれて初めて聞いたのは、そんな己への感謝の言葉だった。

 何もしていない、ただの赤子。劣等個体に生まれついた小さな命。

 劣等個体――そうだ。クリスは最初からすべてを知っていた。


 己がいつか竜王になる存在であること。そして、その力が周囲に影響を及ぼさぬよう、劣等種として生まれついたこと。

 そして――産みの親に疎まれ、捨てられ、エリスティナが拾ってくれなければ、ろうそくの灯のように消えゆく命だったことを、知っていた。


 竜王とは、この世で最強の竜種のことだと思われているかもしれない。

 事実そうだ。

 しかし、歴代の中でごくまれに生まれる、特に力の強いものは、少しだけ従来の意味から外れる。


 真の竜王。劣等個体として生まれなければならないほどに強大な力を持ち、その指先を動かすだけで世界を滅ぼす力を持つ竜王をそう呼ぶ。

 彼らは、劣等個体に生まれついても高い知能を持っていた。


 いいや、持っているのではない、もともと、世の理すべてを理解して生まれてくる――神と呼ばれる存在に近しい竜王が、真の竜王だ。

 クリスの先代も、その前も、その前も……すべて凡庸な通常の竜王がブルーム王国を統治していた。


 久方ぶりに世界に生まれ落ちた真の竜王、それこそがクリスだった。

 不帰の森に入れば死ぬ。そういう魔法をかけたかつての竜王の魔法は、真の竜王であるクリスの卵を抱いたエリスティナに敬意を払った。


 この人間を傷付けてはなるまいと感じ取ったのだろう。

 森は、クリスを守ろうと必死なエリスティナのために食料を渡し、害獣から遠ざけるように枝木を動かした。


 不帰の森のくせに、魔法の掛かった森はエリスティナを誘導すらして、いつかの竜王が建てた小屋へと住まわせた。

 すべては、エリスティナが守る真の竜王を育むために。


 思えば、クリスを捨てた両親も、強者のようでひどく弱い、アンバランスな気配をもつクリスに――卵の時分で――恐怖を抱いたのだろう。

 劣等個体でも捨てずに育てるものは皆無ではない。

 それなのに、あのような王宮の端に捨てた両親は、強者の気配に敏感なたちだったのかもしれなかった。


「わあ、おいしそうだね、エリー!」

「ふふ、おかわりはたくさんあるから、たんとお食べなさい、クリス」

「うん!僕、エリーの料理が世界で一番おいしいと思う。大好き!」

「もっとおいしいものは、たくさんあるわよ……?」


 エリスティナはそう言って、不思議そうに、けれど目の奥は嬉しそうに、ほほ笑む。

 エリスティナのそういう笑みが好きだった。忘れたことなど片時もない。

 全能の竜種――真の竜王とはいえ、その時は劣等個体。体は未発達で、内面がどれほど力ある存在でも、意識はどうしたって幼い体に引きずられた。


 クリスの意識は、これがまずしい食べものだと知っていた。

 けれど、それでもたしかに、クリスにとって世界一おいしい食べ物はエリスティナが作ったシチューだった。


 ――なにそれ、ふふ。まるで竜種の番関係みたいね。


 エリスティナがそう言ってはじめて、クリスは己がエリスティナに抱く愛情が、己の伴侶へ抱くべきものだと知った。

 クリスは、エリスティナを母親だと思ったことはなかった。


 それを不思議だと思ったこともない。ただそばにエリスティナがいることが心地よくて、たとえがたいほど幸福で、エリスティナといる今が、何にも代えがたい、宝物のような時間だということが、クリスの中の常識だった。


 クリスの体にある、番を察知するための、魂を嗅ぎ分ける器官はまだ未発達で、だからクリスにはエリスティナが己の運命――己の番だということを知るすべはなかった。


 それなのに、クリスは気付けばエリスティナを愛してしまっていた。

 番だから、ではない。エリスティナしか知らないから、などと言わせる気もない。

 クリスは、ささいなことで喜び、遠くにいると言う他人の苦しみを悼み、自分だっておびえているのにクリスを守ろうと手を伸ばすエリスティナだから愛したのだ。


 卵が先か、鶏が先か。

 その言葉にこたえるのなら、クリスが愛したエリスティナが、たまたま番だった、ということだ。


 クリスは、このことを己の人生の幸いだと思った。

 愛した雌が、自分と結ばれる定めだと知って、喜ばない雄がいるだろうか。

 クリスは、あの時幸せの絶頂にいた。

 そんな風に浮かれていないで、周囲を見張っておけば、あんな悲劇は起きなかったかもしれないのに。



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