劣等個体から竜王へ2
エリナの作ったシチューをおいしいとほおばっていたクーの表情を思い出す。
あんなにやさしい、あたたかいひとをそのような凶行に走らせ、しかし竜種にのみ都合のいい悪しき風習を断ち切らせた、その人間貴族の令嬢はどんなひとなのだろうか。
それに対し、クーに求められ、番として連れてこられた自分。
強引だったけれど、亡くなった育ての親のぬくもりを感じたと言って泣いたあの涙はけして嘘じゃなかった。
クーの中で、その令嬢の存在が大きいことを知った。だからこそ、ただの番でしかない自分が空虚に感じてしまう。
竜種の番を羨んだことはない。
ただ、竜王の番であったカヤのことを、嫌いではなかった、と言えば嘘になる。
カヤは、そして、エリスティナの姉であったひとたちは、自分が番でしかない、ということに、こんな気持ちを感じはしなかったのだろうか。
「わたし、ひどいことを言ったわ」
クーを責める気持ちはもはやなかった。
ただ、どこかさみしい気持ちになってしまって。エリナはささやくように言葉をこぼした。
ダーナはそんなエリナの体をふいて、真新しいシュミーズを着せつけてくれながら、やわらかな口調で言った。
「大丈夫ですわ。それよりも、竜王陛下はエリナさまを強引に連れてきてしまったことを申し訳なく思うとおっしゃっておりました。若人……100年生きている陛下にこんなことを思うのは違うかもしれませんが、若人とはそうやって地盤を固めていくものなのですよ。私も、夫と出会ったばかりのときは何度も喧嘩をしたものです」
少しずれた物言いに、エリナは苦笑する。
若草色のワンピースは、エリナの赤毛によく似あっている。
落ち着いたら、ドレスを作りましょうねと意気込むダーナ。
「少し、そこの庭を見てきてもいい?大丈夫、迷わないわ。一人になって、考えたいの」
エリナはそう言って、ダーナを下がらせた。
クーのことは嫌いではない。
けれど、番だからと言ってはいそうですか、と受け入れられるほど単純な話でもない。
恋をしたことがないから、どういうものが恋なのかをしらない。
クーに恋がしたい、と初めて思った。
好きになれれば楽だから、ではなく、クーのことを知りたいから。
だって、エリナはまだ、クーの本当の名前も知らない。
――クリス、私、どうやったら、誰かを愛せるのかしら。
かつて心から愛した竜種の子供。クリス。はちみつ色の髪がクーとよく似ていて、目に冴えるようなその色を見るたびに胸が締め付けられるように苦しくなる。
エリナの恋、エリナの愛、エリナの慕情は、そういうものをすべてひっくるめて、あの日に置いてきてしまったのかもしれなかった。
エリナの寝かされていた部屋の窓から見えた庭の花々は、春の、色素の薄い、やさしい色をしてエリナを迎えてくれた。
ここは小さな家のようね、と思った。ここは、城の敷地内に作られた赤い屋根の、庭付きの家。畑があれば、あの森の家とよく似ていると思う。
空を見上げる。突き抜けるような青空は、胸にぽっかりと穴の開いた気持ちを抱えたエリナには、ちょっとだけまぶしかった。