劣等個体から竜王へ1
「竜王陛下が以前劣等個体でお生まれになったとき、お育てになったのが、いわゆる人間貴族のご令嬢だったのです。今よりおよそ100年前、陛下が生まれたときに虐げられておられたそのご令嬢のような方を、もう二度とつくらないようにそうなさったとか」
「待って」
エリナはダーナの言葉を遮った。
知らないこと、聞きたいことが二つあった。
「劣等個体?陛下は劣等個体だったの?」
「はい」
「どうして?陛下は竜王じゃないの……?」
竜王になるのは、竜の中で最強の存在だ。
ただ強いものが選ばれるのではなく、人徳があるから選ばれるのではない。
最初から竜王になるべくして生まれる、竜種の中でも特別な存在。
それが……劣等個体?
劣等個体、それは、竜王の対極に位置する存在で、生まれたときから不良品のレッテルを張られる、竜種にとって恥ずべき個体。竜種なら当然備えているはずの魔力もなく、腕力でも劣る。そんな存在が竜王になるだなんて聞いたことがない。
けれど、ダーナはエリナの疑問をもっともだと思ったのか、ですよねえ、と微笑んで返した。
「ごくまれに、劣等個体で生まれる竜王がいるのです。歴史上でもほんのわずかですが……。どうして弱く生まれてしまうのかわかりません。もしかしたら、歴史上にわずかに開いた竜王不在の時期は、その劣等個体で生まれた竜王が、弱いまま命を落としたせいと考える学者もいます」
「まれ?」
エリナが目を瞬くと、ダーナは続けた。
「はい、まれです。けれど、弱く生まれた反動なのか、劣等個体で生まれた竜王は、ほかの竜王よりも強く成長することが多いのです。今代の竜王陛下は、歴代のなかでもひときわ魔力量が多く、またその翼も力強く、もしかすると歴史上最強の竜王でないかとおっしゃるかたもいるくらいなのですよ」
竜王を尊敬しているのだろう。しわの寄った目じりが細くなって、嬉しそうにほころぶ。
「そう、そうなのね……」
同じ劣等個体を育てた身として、その貴族令嬢には頭が下がる。
けれど、どうしてそれが人間貴族を廃止することになったのか、いまだに納得はできない。
だって、人間貴族は番を生み出すための家畜だ。
過去のエリスティナはそう教えられて育ったし、実際、人間貴族を廃止しては番を得るために非常に手間をかけることになるだろう。
だいいち、竜種の選民意識を変えることはたやすくない。
反発の声も多かったのではないだろうか。
「人間貴族は、どうして廃止されてしまったのかしら。ダーナ、あなたは今、貴族……なんでしょう?竜種と同じの」
「ええ」
「20年前に竜王陛下が即位してから、廃止されたのよね?前の竜王の番が平民だったから?だから、もう人間貴族はいらないって思ったのかしら」
「いいえ――」
言って、ダーナはどこか悲しそうな、痛ましいものを思い返すような顔をした。
「人間貴族、という呼び名と、実際の待遇に差があったことが問題だったのです。その人間貴族のご令嬢は、さきの竜王様の番様の嫉妬を受けて殺されてしまったのです」
「嫉妬……?」
「はい、大きな声では言えませんが、先王様の番様はとても嫉妬深い性格をしておられました」
「ああ……」
番は魂で決まる。だから、番自身の人格は番の選定に左右されない。
先王の番というとカヤだろう。自分以外にも嫉妬の目を向けていたとは驚きだ。
「それで、先王の番の指示で、そのご令嬢は殺された?」
「はい」
「でも、ただ育ての親というだけで、そこまで……竜種の常識を変えるほど、尽くすものかしら」
「…………そのお方は、竜王陛下にとって、とても、本当にとても、大切な方だったそうです。20年前に即位なさってから、先王陛下とその番を引き離して幽閉するほどに」
「竜種と、番を……?」
その言葉だけで、エリナは今代竜王の怒りがいかほどのものかわかった。
竜種は最強種だ。
けれど、番を得た竜種は、最強であると同時に、ひどくもろい。
竜種は番を得るとその伴侶に逆鱗、と呼ばれる特殊な鱗を飲ませ、相手を不老のものにする。
一度得た番を失えば、離れれば、心を壊してしまうからだ。竜種が何よりも番を優先するのは、ただ番を愛しく思うからではない。
魂で愛した相手を失えば、自分が壊れてしまうからだ。
竜種は、番とともに死ぬ。ロマンティックな言葉のように聞こえるが、実際のところ、番を失った竜種は発狂して自害してしまうか、衰弱してゆるやかに死してしまうのだった。
だから、基本的には番と竜種を引き離すことはタブーに近いし、死刑より重い刑罰として知られている。……それを、課したというのか。