竜王陛下2
もう頭がぐちゃぐちゃだ。
上手く考えられなくて。支離滅裂な思考回路しか動かせない。
「もうし、もうしわけ……ううう……」
竜王に謝らないと、という焦りと、クリスに会いたい、という想い。
そして、竜種への根本的な恐怖の念が、エリナを苦しめてやまない。
エリナは頭を両手で押さえてうずくまった。
その時だった。
ふわり、と、あたたかくてたくましいものが、エリナの細い体を抱きしめる。
やさしく抱かれた体には、目の前のぬくもりから伝わってくる鼓動が響いて。
とくん、とくん、とくん、とくん。
そうやって、胸の音を体伝いに響かせて、エリナをやさしく抱いた腕が、エリナのぱさついた赤毛を撫でて、そうやって、目の前の男は、エリナを安心させるように声をつづけた。
「大丈夫、大丈夫です、エリー」
――大丈夫だよ、エリー。僕守ってあげるからね。
いつか、エリナがクリスに告げた言葉がリフレインする。
目からぶわ、と涙があふれて、エリナはクーの腕の中でわんわんと声を上げて泣いた。
「何よ。何よ、あなたなんか、私の大事な子でも何でもないのに」
「うん、ごめんなさい、エリー」
「どうしてやさしくするの、どうしてあの子と同じことを言うの」
「どうしてでしょう。でも、あなたにこう言いたいと思ったんです」
「どうせ私なんて代替品なのよ。ほんとの番が現れたら、どっかに捨てられちゃうんだわ」
腕の力が強くなる。ク―の声が低くなった。
「エリーは代替品なんかじゃない」
「番だからでしょ、番っていう縛りがなければ、私なんてなんの価値も」
「エリー!」
クーの、どこか焦燥感を感じるような声。と、同時に、唇に触れるやわらかな感触。
「ん、ふ……」
驚いて鼻から息を吐きだす。でも、そのあとうまく吸えない。
エリナは目をぱちぱちと瞬いて、次いでぎゅっと目をつむった。
キスされている、と気づいたのは、くちづけを受けてすぐだった。
生ぬるい、けれど不快ではない感触が、エリナの唇に触れている。
好いた相手以外からの口づけは不愉快でしかない、いつどこの作家が言ったのだっけ。
嘘っぱちじゃない、と思って、エリナは顔を思い切りしかめた。
不快ではない。好きじゃないのに、クーなんてけして愛していないのに、このキスを受け入れてしまう自分が嫌だった。
「は、は……」
「エリー」
クーが、熱っぽくエリナを呼ぶ。
けれどすぐにその熱は引いて、まるで迷子の子供みたいな顔をして、クーはエリナの肩に頬を寄せ、ささやくように言った。
「言わないで。エリーには価値がある。僕なんかの番じゃなくたって、あなたには価値がある。あなたは僕にとって、本当にかけがえのない、素晴らしいひとなんです」
その声に嘘はなく。その声があんまりに悲しい響きを持っていたものだから、エリナは、エリナは……。
とん、とクーの胸を押す。
力が入っていない人形のように、エリナを解放したクー。
エリナは目に浮かべた涙をこすりながら、広い部屋の端、遠くに見えるドアを指さした。
「出て行って。クー。……今は、ひとりにして」
「……わかりました」
クーは静かにそう言って目を伏せた。
クーのほうが身分が上なのに、エリーの言うことがそんなにも大切みたいな態度をとる。
番とは、そんなに強いつながりなのだろうか。そんなにも、最強の種族である竜種を従えるものなのだろうか。
エリナは、もし自分が見つからなければ、第二のエリスティナが生まれたのだろうかと思って震えた。
真の番が見つかるまでの代替品。人間貴族の人身御供。
そんなものに、誰かを貶めてしまっていたのだろうか。
わからなくなって、エリナは顔を覆った。今はなにも考えたくない。
エリナはふかふかのシーツに寝ころんだ。着ていたものは変わらず、エリナが気絶したあの時のまま。
「勝手に、着替えさせたり、しなかったのよね……」
番なら、すぐに己の伴侶を着飾りたいものではないだろうか。エリナは、無遠慮に剥かれてドレスなどで飾り立てられていない自分を見て、ため息をついた。
間違いのない気遣いを感じて、エリナは、自分が本当に大切にされているのだと知った。
「すこし、眠ろう……」
絹のシーツが少しほこりっぽい。エリナのワンピースのせいだ。
でも、今はそんなことを気にしないで、とにかく眠りたかった。