王宮からの迎え2
「いや、いや、いや、いや……」
エリナは何度も何度も口にする。
祈った回数だけ番になる可能性が減るのなら、何度だって祈る。
――だけど、運命はいつだってエリナに――エリスティナに対して残酷だった。
かつん、かつん、とアパートの部屋に続く階段をのぼる音がする。
それは間違いなく、エリナの借りる部屋に近づいてきていて。
思わず、ベッドの陰に隠れたエリナは、そこではっと、部屋の鍵を閉め忘れていたことに気づいた。
近づいてくる足音が、部屋のドアの前で止まる。
なにかを告げる声。それは聞きなれたもののようだったけれど、何を言っているのか耳に入らない。
上手く言葉を咀嚼できない。
ほとんど恐慌状態に陥ったエリナは、ベッドのマットレスの端を、爪先が白くなるほど握り締めた。
「あ、あ――」
「エリー?……っ。入りますよ」
ノックの音がする。
エリナからの応えがないことを確認してか、焦ったようにドアノブが回った。
エリナはそれを、世界がゆっくり動くような感覚で見ていた。
「ひ――…」
「……エリー?」
部屋に入って来たはちみつ色の髪をした青年――それは、クーだった。
クーはその緑の、アーモンドの形をした目で部屋を見渡すと、部屋の隅、ベッドの陰に座り込んでいるエリナを見つけて驚いたように目を見開いた。
「エリー?どうしてそんなところに?」
クーは、部屋の、片付いて殺風景な様子に驚かなかった。
まるで、それが当然であるかのような顔をして、エリナのほうへと歩を進めた。
「クー……」
エリナはは、は、と息をする。
吸い込みすぎた息が上手く吐けない。
どうして不思議そうな顔をしないの。どうしてそんな風に私を呼ぶの。
どうして――……。
「はちみつ、色」
あなたの髪と、竜王の色は、同じなの。
「エリー、落ち着いて、息をゆっくり吐いて」
「や、いや、いやよ……近寄らないで……」
もし、竜王の番がエリナだったとして。
普通に暮らしているだけでは、見つからないはずだった。
エリナはただの平民として生きていけるはずだった。
けれど、こんなにも急に。こんなにもあっさりと見つかって、呼び出しがかかってしまうということは……。
エリナは目に涙を浮かべて、クーを見上げた。
息が苦しい。呼吸がままならない。
「ひ――」
「エリー、息をして」
後ずさるエリナに近づくクー。
近づくはちみつ色が、エリナの空色の目にいっぱいに映りこんで、そして。
ふわり、と。
そうとしか思えない柔らかさで、クーの形よい唇が、やさしくエリナのそれに重なった。
「……!?」
とっさに、はじかれたように暴れるエリナの背をかきだいて、クーが口づけを深くする。
無理矢理にふさがれた空気の通り道に、もっと息が苦しくなる。
どんどんと力一杯にクーの固く鍛えられた胸を叩いても、クーの体はびくともしない。
これが初めてのキスだなんて気づかなかった。
それくらいに苦しくて、それくらいに恐ろしかった。誰が――今目の前にいる、クーが。
「ふ、ふう、ふ」
「エリー、鼻から、ゆっくり息をして、大丈夫、大丈夫だから……」
一度唇が解放されたとき、クーはそう言った。
すぐにもう一度ふさがれた唇は、エリーが知るような親愛のキスでも、はしたない情愛のキスでもありはしなかった。
「ふー、ふー」
クーは、エリーを救うためにキスをしていた。
エリナの呼吸が次第に落ち着きを取り戻す。
涙でぐちゃぐちゃになったエリナの背を、赤子をあやすようにぽんぽんと叩いて、クーは目を細める。
なんで。
エリナはぽろぽろと涙をこぼして、クーの腕の中で体から力を抜く。
こんなにも怖いのに、懐かしい匂いがする。
ただそれだけのことで、はちみつ色の、同じ髪色をしたあの子のことを思いだしてしまって。だからきっと、そのせいで力が入らないのだ。
「クリス……」
最後につぶやいた名前は、誰のものだったかしら。
同じ色だからダブって見える面影は、かつて愛した一番大切な子供のもの。
似ているだけ、よく似ているだけなのに。
それでもその色に手を伸ばしてしまったのは、酸欠の脳が夢を見たかったからかもしれなかった。
最後に見たのは、苦しげに自分を見つめる緑色の双眸。
その記憶を終わりにして、エリナの意識は涙とともに暗転した。
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