閑話休題
ここ小説家になろうという投稿サイトでは、2018年の八月から活動させて頂いてるんですがね。諸事情によりいったん退会し、新たに書き始めたのが2019年の八月。なんか、八月っていうのにこだわっているわけでは無いんですが、そんな感じですね。
そういえば私は活動初期の頃から、小説に対する評価に独自の基準を設けているのです。それは、応援ポイント八点。これはですね。8という数字の形に理由があって。8を倒すと∞(むげん)じゃないですか。だから、無限に応援するって意味なのです。満点が一番! っていう人もいるだろうけど。
私が満点をつける時はですね。①気持ち悪すぎて叫んだ②怖すぎて叫んだ③笑い過ぎてお腹痛くなった④あほらしすぎて開いた口が塞がらなかった⑤泣いた⑥悶えた……ざっと挙げると、こんな条件に該当する作品には、満点を付けています。
さて、佐々木 龍という作者はどんな奴なのか気になる方はおられますか。
自己紹介をしてみるに、作品を読んでいただくのが一番だと思うのです。しかし、それじゃあありきたりだと思うので、活動に関する指針と言いますか、考えを述べてみようと思うのです。
まず私の経歴というのは、虐げられた人生でありました。今でいう「場面かんもく症」という不安障害があったので、高校一年で演劇部に入るまでは、大勢の人がいる前では言葉を発する事が困難だったのです。なおかつ私が子供の頃は、場面かんもくなどという概念は一般的では無かった。
よく分からない理由から「話さない」子供だと、周囲も自分も、思っていました。なおかつ、慣れた場所や自宅ではよく話すので、「この子は図々しい怠け者の、変わった子だ」というのが、周囲の私に対する評価なのでした。
あとは、子供の頃から「幽霊が見えた」ので、なんといいますか、小さい時からお経をあげさせられたり、そういう事がありました。なおかつ同じ信仰をしている仲間の人から私は、呪われた家系の子供と言われていましたので、なんですかね。ちょと普通と違う思考をしがちであると、自分でも思うときはありますね。「この人はこんな事を言っているけど本心はこうではないか」と、お世辞を喜べない性格になってしまったといいますか。
話がかなり飛躍したんですが、紆余曲折あり、今に至るのです。所属していた宗教団体で借金を抱え、どん底の人生を自覚する中で私は、ある日こう思うに至ったのです。「神はいない」と。それは私にとっての、夜明けでありました。
そんなわけで、醜悪な現実や暗い詩ばかり書く人間がここに誕生したというわけなのです。こんな私はその昔、心の中でも罪を犯さないようにと、かなり偏った生き方をしていた、世間知らずであったのです。
たぶんですが、今その「遅れた」部分を取り戻そうと、暗いものや厳しいものを求めているのだと思います。それはある種の、贖罪でもあるのかもしれません。間違った生き方をした事への。
という事で、私にとっての書く事とは、人生の一部だと言えるのです。他の人には、どう見えていたとしても。