ぼんやりという事について
なんか、この連載の趣旨である「そんなのは活動報告かツイッターに書け」的な緩さが足らない気がしてきたので、この辺で適当なお話でもしようかと思うのです。題して「ぼんやりすること」について。
みなさんにとっての「ぼんやり」とはいったい、何なのでしょうか。仕事中、スマホをいじる事でしょうか。それとも食事中、明日のお昼は何食べよう、とか考える事でしょうか。
そんな方たちに私は言いたいのですが、何かしながら食べるのって、ちっともぼんやりとは言えないですからね。逆にそれって、忙しくする事だと思うんですよ。なぜなら、何かしながら別の事もこなすなんて、調理時間短縮のために炊飯器に鶏肉を入れて一緒に炊くみたいなもんじゃないですか。そんなのはぼんやりとは言えないと思うんです。←ウザい
そこで、私なりの「ぼんやり」の定義を述べてみたいのです。ちなみに、とくに根拠のない、取るに足らない定義である事を、ことわっておきます。
*ぼんやりとは*
何もしないでぼんやりしている事
これが、ぼんやりであります。発音は「bonn-yarry」。では次に、ぼんやりの実践について、事例を挙げつつ説明しようと思うのです。
長女(当時五歳)「ママー」
私「なに、○○(長女の名前)」
長女「何もすることが無い」
私「ぼんやりしなさい」
長女「ぼんやりって、どうすればいいの?」
私「Bonn-yarry」
長女「?」
私「何もしないで、日に当たってボーっとしていればいいんだよ」
長女「ええー」
いかがでしょうか。ぼんやりを実践する事は、忙しい現代人にとっては容易ではない事が分かるのではないでしょうか。子供ですら、ぼんやりには抵抗があるようですね。(長女だけかもしれないが)
そんなわけで、お話は以上なのですよ。え、中身のない話をしやがって、時間を返せ? そりゃあ、無理な相談なのですよ。時間は戻ってこないですから。たぶん。という事で、みなさんごきげんよう。良い眠りを。