祝祭と花嫁と、交声曲 下
この地方の結婚式は一般的に三日に渡って行われる。「最良の、最も輝かしき祝祭の三日間」と呼ばれるのがそれだ。花婿と花嫁にとっては、その日までの人生の終焉と、新しい人生の始まりの訪れる特別な祭り。
光と影と混沌の町で行われる死と再生──。
そんな華やかで賑やかで陽気な三日間の幕が開いたのは、英雄凱旋の翌日のことであった。
「わっ……!」
マカレナに借りた白と空色の衣装をまとい、結い上げた髪に白い花を飾ったフリデリケは、窓の外を見て珍しく驚きの声を上げた。
「すごい──」
それ以上は続かなかった。続くべき形容詞は、綺麗でも、楽しいでも、面白いでも、怖いでも、素敵でもない。どれも含まれていて、わざと表現できないようにしているかのように混じり合っているのだ。
眼下に広がるのは、色とりどりの花が飾られた街角と、同じく色彩に溢れた晴れ着を着た人々。盗賊団壊滅の祝いは二日目にもつれ込み、そこに勇者と歌姫の結婚式の第一日目が加わったために、町は建国祭か何かのようににぎやかだった。
混沌の町の祭りは、人を圧倒する極彩色をしている。
強烈な陽光の下に散る鮮やかな色たち……。
肩に止まった青い鳥がフリデリケの頬に甘えるように身を擦り寄せる。同時に、背後で衣擦れの音がした。花嫁衣装につけられた鈴の音も。
「ほんと、明るくてにぎやかで、この町は派手だよねぇ。あらゆるものが太陽に正体を見抜かれて、生々しいまま全部無理矢理さらけだされてでもいるみたい」
先程叔母である宿の女将とフリデリケの手を借りて着終わった華やかな衣装の、長い裾を引いたマカレナが隣に並んだ。風をふくんで花々で飾られた髪が輝く。
「……なにもかもが故郷とは大違い。ほんと、遠くまで来たもんだわ。信じられないくらい」
フリデリケはその横顔の美しさに見とれながら聞いた。
「花婿さんは?」
「正午に始まるから、それまでに来るんじゃないかな」
花婿は式が始まるまで花嫁に会わない、ここじゃそういう決まりなんですって、とマカレナは言う。姿勢を正して外を眺める彼女のまとう大地の恵みを現す緑の衣装には、髪とそろいの金糸の刺繍が蔦のように這っている。
「そう、ですか」
昨夜遅くに一旦宿に来たらしい花婿ドナトとは、結局フリデリケは顔を合わせていなかった。無論会ったところで何かがあるわけでもないのだけれど。
でも、聞きたいことはあったのだ。ただ、ほんの少しでもいいから、彼のことを知りませんか、と。
フリデリケの沈んだ雰囲気に気が付いたのか、マカレナは窓の外から視線を外した。
「リーケちゃん……もしかして、あの人のこと考えてる?」
「え?」
「強くてひどい男のこと」
ドキリ、とフリデリケの胸が震えた。──グラオザーム。彼をひどい人だなどと、フリデリケ自身は一度だって感じたことはなかったが……。少し話を聞いただけのマカレナの感想は違うようだった。
「その顔はやっぱりそうなんだ。会いたいんだね」
もうすぐ花嫁になる娘の瞳に浮かぶのは、同情といたわり。
肩に止まる小鳥のバルもピギョっとはげますような声を出す。
フリデリケはうつむいた。
「お祝いの日なのに、わたし、暗い顔でしょうか……。ごめんなさい、いけませんね。でも、本当にマカレナのことお祝いしているし、嬉しいんです。……あ、嬉しいっていうのもおかしいですよね、私のことではないのに」
「いいのよ、嬉しい。ありがと」
マカレナは花嫁衣装のままぎゅっとフリデリケを抱きしめた。
「あたしリーケちゃんのこと全部知ってるわけじゃないけど、本当に……ちょっとだけなら気持ち、わかるつもりよ」
だから大丈夫、大丈夫よ。
フリデリケはほんの少しまつげを震わせて微笑み、「ありがとうございます」と言った。
──英雄と花嫁の登場に向け、時間は飛ぶように進んでいった。
その間、青い鳥を連れたフリデリケは前掛けをして厨房を手伝い、子守部屋に顔なじみの子供たちの世話ために顔を出し、どちらからも借りた衣装が汚れるかもしれないからと追い出された。そして隣室に泊まる学者に「祝い歌の練習でもしていなさい」と女将の雇った楽士たちに紹介され……、どうしてか花嫁の友人としてマカレナに習った歌の腕前を人々の前で披露するために練習することになってしまった。
「わ、わたしが……?」
驚くフリデリケを少し歌わせた楽士たちは「いいじゃないか」と笑い、花嫁衣装のまま控え室を抜け出して知り合いの楽士たちと話しに来ていた歌姫マカレナも「いいじゃない」と笑った。
「リーケちゃんの声って闇夜のろうそくとか、雪とか嵐の日の暖炉みたいにほっとする、幸せを運んでくれそうな声だもの。歌ってくれると嬉しいな」
「そォだな、なんか嬢ちゃんの声って心に染みるもんなァ」
顔を赤くしたフリデリケの頭を、楽器を抱えた楽士のひとりがぽんぽんとなでる。
「ひとりで宿で留守番してるんだってね。小さいのに偉い子だ」
「あらら、余計に真っ赤になっちゃったじゃないか。小さいって言っても三つ四つじゃないんだからさ。十二、三くらいだろ? え、十六? ごめん」
「ばっか。いやこいつらがすまんね、嬢ちゃん。飴やるよ」
「あ、なあ、そういやマカレナ。雪の日ってこたぁ、あんた雪国になんて行ったことあるのかい。ここいらじゃふらねえもんなあ」
「ん? ええ、昔ちょっとだけ。いろんなとこに行ったもの」
「すごいなあ、おれ雪なんてみたことないよ」
甘い飴、雪の、歌の、とりとめもないような話たち。
フリデリケは音楽を聞くようにそれらの話を楽しんで聞き、歌い、笑った。やがて花嫁は抜け出したことが女将に見つかって叱られ、そして、花婿のもとに送り出される。
「──マカレナ」
「何……怒ってるの?」
「べつに、いいえ。……綺麗ですよ」
どこか影のある、整った容姿の勇者は、周囲の歓声と注がれる視線たちが心底わずらわしいとばかりに顔をしかめ、それでいてこの上なく誇らしげで満足そうに妻となる女性の腰に手を回して抱き寄せた。
「では、主役のおふたりはこちらへ。あなたがたへ神の祝福を──」
神官に招かれ、神の前で誓いの儀式を済ませたふたりは多くの人々に囲まれ、小柄なフリデリケの目には見えなくなってしまう。うっかり人混みにのまれてしまい、周りにいた楽士たちとすら離れ離れ……。
「っ……バル」
肩に止まっているはずの小鳥をかばおうと手をのばすが、鳥はとうに逃れて同色の空へと飛び上がっていた。
青い青い、地上の喧騒など気にも止めぬかのような空……。
どのくらい流されただろうか。ようやくフリデリケが人の川から逃れられたときには、見知らぬ路地でひとりぼっちで途方にくれるしかないように思われた。来た道を戻ることも叶わず、この家々に囲まれた細い路地の果てに何があるかもわからない。
でも、ただ立ち止まって、誰かがさがしに来てくれるのを期待してぼんやりと待っていても、しかたがないから。
遠い王宮でひとりさまよっていたころと違い、今ならきっとマカレナや、共にいた楽士や宿の誰かがいずれさがしに来てくれるということを解ってはいたが、今日の主役である彼女らに迷惑をかけるわけにもいかない。
バルはそのうち見つけてくれるかもしれないけれど……。
あの小鳥が戻ってきてくれたのならば少しは道がわかるだろうかと考えながら、フリデリケは人で埋まる通りに背を向け、どこに繋がるか知れない路地の奥へと向かって歩き出した。
グラオザーム……。
もうずっと、ひとりになると、彼のことばかりを考えてしまう。
あのそっけない声が聞きたくて、炎のような瞳を見たくて、また髪をすいて欲しくて、苦しいような気持ちになる。
そんな望み持つべきではないと、よくわかってはいるのだけれど。
あの時も、せめてひと目なんて、どうして自分はこうもわがままになってしまったのか。彼のそばにいるだけであまりにも幸せなのに、いつもいつも彼がフリデリケ自身も感知していなかったような願いまで叶えてくれるからなのか。
ひどい男だとマカレナは言ったが……違う。
でもたぶん、本当は優しいわけではないと思う。
それでもやはり──やさしいひと。
ああ、なのに、彼はまだ怒っているだろうか。何に……?
最後は堂々巡りになってしまう思考。
いつもよりもとびきり陽気なはずの町はしかし、路地裏に入ると急に音が絶える。自身の髪に飾られた花と同様の馥郁たる花の香や腐り落ちる前の熟しきった果実の香、清々しい風に運ばれた水の匂いがいかにも異国風の空気を作り出してフリデリケを包んでいた。
あの強い陽光こそこの細い迷路の如き道にはかすかにしか入らないが、それでも空気だけでも明らかに異国だと感じられるものなのだと不思議に思う。見知らぬ地……。
匂いをたどるように歩いていたためか、やがてずっと続いていくかと思われた家の壁が途切れ、フリデリケは少し開けた場所に出た。
花に囲まれた小さな噴水と水路といくらかの木々があって、風に揺れる重たげな果実に緑の葉の茂る枝をしならせていた。端まで歩くとすぐ下に川が流れているのもわかる。混淆の町の果て。
町の中心からこんなところまで来てしまったのかと自身にあきれ、川の向こうに広がる森にほうと息を吐いたフリデリケは、ふいに聞き覚えのある鳥の声を聞いて上空を見上げた。
「バル……!」
ようやく再会できた青い小鳥はトンビのように空を旋回して、歓びの声を上げてまっすぐにフリデリケのほうに降りてきた。しかし、彼女の肩には止まらず、空中を滑るようにその後ろへと飛んでゆく。まるで青い矢であるかのように。
フリデリケが慌てて追うように振り向くのと、バルがそのひとの肩に着地するのはほとんど同時だった。魔術師は噴水の横に落ち着き払って不機嫌そうに立っていて、フリデリケの視線を瞳の中で焼き尽くすかのように受け止めた。
「…………っ」
フリデリケは目を見開いた。彼が当然のようにそこにいたからではない。彼がまだ、あるいは「また」怒っているのを感じたためだ。グラオザームはフリデリケが自分を見ている間、微動だにせずにその視線を受け止め、フリデリケが目を逸らしてうつむいてから、ようやく彼女に歩み寄った。
無言で筋張った手がすっと伸ばされ、人混みと風に乱れたフリデリケの髪を直していく。髪に飾られた花が香った。
長すぎる沈黙があった。
鳥も鳴かず、風の音も、水の音すら絶えたようだった。フリデリケの耳に聞こえていたのは、長い指が自分の髪に触れる何よりもかすかな音だけ。そして。
「あなたは私を恨まないと言った」
離れている間ずっと聞きたくてたまらなかった声が降った。いつもと同じ感情の読み取れない単調な声。だが…と声は続け、髪に触れていた指が肩を滑って行く。
「ひとつ、言っていなかったことがある」
手を無造作にすくいとられる。ときどき、ただ無造作に見せているだけなのではないかと錯覚する、普段通りの仕草。でも、特に用もなく手に触れられるのは珍しかった。
「あなたの父の心臓を止めたのは私だ」
フリデリケの手首で、しゃらん…と結婚式の参列者にふさわしいようにとマカレナが貸してくれた腕輪たちが触れ合って鳴った。
「それでも?」
手とともに吊り上げられるように顔を上げた先には炎の双眸があった。痛みはなくとも疑念はある瞳。フリデリケは大きな目できょとんとその瞳を見つめ返し、困ったように、けれどもためらうことなく頷いた。
「それでもです、グラオザーム」
もともとフリデリケの大切なものはひどく少なく、声をかけてもらった記憶すらない父王など、彼女にとっては他人よりも遠い存在でしかなかったから。どうしてそんなことを聞くのかと、不思議にさえ思いながら。
そうか、と答え、そのままフリデリケの手を引いて歩き出した魔術師の声には、どこか苦痛が潜んでいるような気がした。
「……グラオザーム」
「なんだ」
「どうして怒っているのか、聞いても良いですか」
グラオザームは振り返りこそしなかったが、ぴくりとフリデリケの手を掴んでいる指が震えた。
「たいしたことではない」
「でも、私にグラオザームの機嫌を直すことができるのなら、そうしたいのです」
「あなたが私の機嫌を取ることはない」
「でも、気になるのです」
「なぜ」
「あなたのことだから」
彼の足が止まった。見上げても見えるのは耳飾りだけだったが。
ためらうような沈黙。
「……あなたはどんなときも助けを呼ばない」
「え?」
ぼそりと「次は呼べ」と彼が言ったのは気のせいか。目を見開いたフリデリケへとようやく向き直った魔術師は、繋がったままの手を使って彼女を近くに引き寄せた。空いた片手で顎を上向かせてじっとフリデリケの表情を見下ろす。
「あなたに笑うなと言ったのは私か」
不機嫌そうな口調。彼はフリデリケの返事を待たず、ふいと顔をそらしてまた歩き出した。けれど。
「…………すまなかった」
背中越しの謝罪。苛立ちもわだかまりもすでになく。ふふっと笑って「いいえ」と返したフリデリケの顔に一瞬投げられた視線には、どきりとするような、かすかな、微笑に似た気配があった。
*・*・*
結婚式の本番は二日目だった。一日目、夕暮れ近い時間になってグラオザームに連れられて戻ったフリデリケを、歌姫は嬉しげに、英雄はぎょっとしたように迎えた。歌と踊りと音楽と、狂騒の祝祭。それは二日目も何ら変わらず、永遠に祭りの日々が続くかのように錯覚する。
「あれ……?」
披露宴の席について食事を口に運んでいたフリデリケは、ふと顔を上げて、どこかに行ってしまったバルの姿をさがした。ごちそうのテーブルを渡り歩いてごちそうをひょいひょいと口に入れていたバルは、魔鳥らしい異様な口を晒していたが、浮かれ騒ぐ人々は出し物のひとつのように関心を払わない。
「リーケちゃん!」
先程まで中心で踊っていたはずのマカレナがフリデリケを手招いた。
「約束よ、歌ってちょうだい!」
フリデリケは立ち上がった。立ち上がったものの、躊躇して動けない彼女を、つまらなそうに隣りに座っていたグラオザームが見上げた。どうということもないと言うように。
「歌うのか?」
「あ……ええと……あの」
つぶやくように「はい」と答え頷いたフリデリケをどう思ったのか。グラオザームは席を立ってフリデリケを先導するように歩き出した。楽士たちの前を素通りし、先程までの自分と同様酒を呑みながら騒ぎを眺めている花婿のそばに腰を下ろして、彼の持っていた弦楽器を借り受ける。
驚くフリデリケと花婿の前で魔術師は楽器に戯れるように触れ、やがて信じられないほど巧みに弾き出した。もっとも一般的な祝歌で、フリデリケが練習していたもので、音色は彼自身に似て炎のようだった。
優しさも甘さも愛も歓喜もなく、楽しげですらない音なのに、ひとを惹きつけてやまぬような、心を捕らえて離さぬような音色だった。
周囲にいた人々がぎょっとしたようにこちらを見て、ざわめきが広がり、追うように静寂が広がった。
「おい」
花婿がささやくようにフリデリケに呼びかけた。
「歌え」
「でも……」
「いいから歌え。マカレナに頼まれたのだろう?」
フリデリケは花婿を見て、やや離れたところにいたマカレナを見て、気付けば肩に戻ってきていたバルを見て、最後に楽器の上に静かに顔をうつむけて弾き続ける魔術師へと視線を戻し、歌い出した。
弾き手に比べ、ひどく稚拙な歌声だった。
けれども透明で繊細で、人の心に染み込むようなきれいな声だった。震えたのは最初だけ。祝歌は炎の音色に呑まれることなく、むしろ群衆を焼き尽くすような彼の完璧な音をどこか親しみやすいような、明らかな祝祭のためのものへと変えていた。
歌が終わったとき、人々は熱狂的な声を上げた。
あっという間にフリデリケは群衆に囲まれ、花嫁マカレナは彼女に抱きついて礼の言葉を連ね、友人を人々に紹介した。
「最高よリーケちゃん! ……そうね、確かにひどいひとっぽいけれど……いいひとじゃない。たぶんね」
人の群れから静かに抜け出したグラオザームは、同様に抜け出していた花婿ドナトに楽器を手渡した。
「明日、出て行く」
「そうか」
反射的に楽器を受け取ってからドナトは考え込むような表情で口を開く。
「なあ、あんた、あの弾き方は……ああ、その耳飾り。やっぱりか。古き花の国のもんだな。遠き魔術師の国、か」
「………………」
「いや、べつに答えがほしいわけではない。が、見事だった。これは持っていけよ。あの娘に時々聞かせてやるといい」
「……私はお前とは違う」
「それでもだよ」
──……その夜。ドナトに譲られた楽器を足もとに置いたグラオザームとフリデリケは宿の窓から街を見下ろしていた。急ごしらえの舞台では歌姫マカレナがその名に恥じない見事な歌を披露しており、そのそばには影のように花婿の姿があった。
楽士たちやマカレナや群衆にもみくちゃにされたフリデリケは乱れた髪のまま、それでも大きな目を生き生きと輝かせ、窓枠に止まる青い魔鳥を優しくなでていた。
「あ、そういえば……グラオザーム」
「なんだ」
「言いそこねていたことがありました」
怪訝そうな表情をしたグラオザームの瞳に、フレデリケの雪解けに似た微笑みが映る。目を細めた彼へ「たいしたことじゃないんです」と言って、彼女は少し照れたようにその言葉を口にした。
「──おかえりなさい」