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宿屋の刺客の、追走曲*上

 ヴァルトが彼に初めて出会ったのは、ほんの幼いころ。口減らしのため親に捨てられた日だった。

 深い深い森の中。


『ここにいろよ、ヴァルト』


 重税、凶作、飢えと貧困……わかっていたから、帰ろうとは思わなかった。だって、ヴァルトがいたら家族はもう生きていけない。山の奥で終わる八年にも満たない人生。それでも家族のためにちょっぴり「それでいいや」と思えるくらいには良い人生だった。

 置き去りにされたそのままの場所で、どのくらいそこで座っていただろう。連れてきた父親が思い直して引き返してきてくれるかもしれない――なんて、たぶんそんな心の奥にあった希望が潰えるまで。


 やがて空に吊るされているような上弦の月が昇って、一緒に吊り上げられるみたいに立ち上がった。いつも通りよりもう少しひどい空腹と喉の渇きでくらくらしたけれど、なんだか自分が生きている気がしたから、水の音を探して彷徨った。

 夜の中、闇色の葉っぱはザワザワとささやきを交わし木の上ではふくろうの目が光り、どこか遠く狼の遠吠えが聞こえていたけれど。

 それでも月が見ていてくれるのがわかったから、彼はそんなに怖いとは思わなかった。


 誰もいない場所、誰も来ない場所。お月さまをひとり占めだな、なんて思って、彼はちょっと笑った。

 なのに。


「この森に――」


 不意に闇が揺らめいて、声が降ってきた。


「何用だ」


 驚いて顔を上げれば、冷たいのに炎みたいな双眸がヴァルトを見下ろしていて。思わず息を呑んだ。

 旅人を騙す悪魔みたいで、でも悪魔にしてはあまりに冷淡――――……声をかけたのなんて気まぐれで、山で子供がひとり死んでもどうとも思わないと如実に語っている目。そのくせ燃え盛る業火のように強くて、一度視線を合わせたら惹きつけられて決してそらせない瞳だった。…………なんて、きれいな。

 ヴァルトが呆然として見とれていると、すぐに興味を無くしたように視線は逸らされ、背を向けられる。真っ青な小鳥がその肩にとまっていた。

 むかし、青い鳥は幸せの鳥だと教えてくれたのは、いったい誰だったろう。もう忘れてしまったけれど。


「あ、待っ……て」


 慌てて追いかけて、追いかけた自分に驚いた。父親の『ここにいろよ』という声が頭の中で響く。

 ここって、どこだっただろう。

 もう分からない。

 闇に溶ける髪をもつ魔物のようなひとは、決して振り返ることなく遠ざかる。いかないで、と思った。なぜかは分からない。でも。


「待って!」


 ヴァルトはその背を追って走り出した。

 よろめきながら、必死に手を伸ばす。



 待って……。おいていかないで……。




 *・*・*




「で、あなた結局何しに来たのよ」


 料理を運んできたギタが料理と一緒にヴァルトのテーブルに居座った。ここアイシェン国は火と乾きの国である。発火しそうな中、ギタのひらひらした青い服はなんとも涼しげで、ヴァルトは少し目を細めた。

 こっちの大陸に来るのも数年ぶり、この国のこの町に来るのも、この宿に泊まるのも数年ぶり。看板娘のギタに会ったのも数年ぶり。ますます綺麗になった。

 それで、ええと、質問は何しに来たかだったか?


「俺、何しに来たんだろ……」


 とりあえずパンに手を伸ばしながらヴァルトは悩んだ。宿屋の一階は食堂になっている。その隅、ヴァルトのいる席からぎりぎり見えるところに、一組の男女がいた。身なりは普通の旅人風だが、ここが貴族の館かと錯覚するほど、綺麗に食事をしている。


 ヴァルトはパンを千切って口に入れた。

 ――――ああ、本当に、何をしに。


 半年近く前、いくつかの国と海を挟んだ向こう、隣の大陸の、とある国で革命があった。


『前金で王国金貨千枚、成功報酬で五千枚払おう。第九王女が逃げた。探し出して殺してくれ』


 革命軍の知り合いが持ってきた依頼を受けたのには、大した理由はない。第九王女の評判なんて、それまで聞いたこともなかったし、面白そうだったから。それだけで。

 逃げた直後に放った追っ手、刺客は誰一人戻って来ないと聞いた。十六歳の王女様。ほんの幼いころの肖像画が一枚あるだけ。誰が逃して守っているのか聞いても、依頼人は口を閉ざした。不明。

 なのに彼らが……というより、彼らの指導者が本当に消したいのは、王女自身ではなく、王女の守護者のほうのようだった。そんなことを、依頼人は言った。


 ヴァルトが本気で探せば、見つからない人間なんてこの世にいない。――――ただ一人を除いて。

 けれど、海まで渡ってようやく見つけた王女の隣にその『ただ一人』がいた。逆に言えば、彼がいたからこそ、見つけた髪色も違う少女を王女だと確信した。


「ねえギタ。あのさ、あの人達どう思う?」


 パンを飲み込みながら聞いたヴァルトの視線をギタが辿る。金髪碧眼の一見王子様のようなヴァルトが憂いを込めて見つめる先、そこには。


「ああ、あの小さなお嬢ちゃん元気になったのね。ずっと体調悪そうだったから、良かったわ」

「この国は気候があわないんだよ、きっと」

「そうよね。一昨日くらいも少し良くなったみたいで町に出てたけど、顔色悪かったし、昨日はまた寝込んでたみたいだし。でも今日は平気そう。あとでお祝いに何か果物でも持っていってあげようかしら」

「うん、いいんじゃないかな。……じゃなくてさ。俺が知りたいのはどっちかっていうとそっちのお嬢さんじゃなくて、黒っぽい髪の」

「黒髪」


 自身も黒髪のギタは妙なところに反応した。眉を上げて、ははぁん、と冷たい視線を寄越してくる。


「あなたの黒髪好き変わってないのね。ふっ、でも残念。あれは男よ」

「うん、さすがに見ればわかるよ」

「あら男もいけるの」

「何の話」


 ヴァルトはナイフで焼き魚を突き刺した。ギタはいつもフォークを出し忘れる。昔から。べつにたいして不満はない。


「あの二人ってどういう関係なの。夫婦?」

「夫婦なワケないじゃない。色男のお兄さんのほうはともかく、お嬢ちゃんのほう、どう見たって十二、三歳でしょう」

「十二、三……」


 視線の先で、スープに落ちそうになっていた長い髪を、男がさりげなく救出した。気付いた王女があどけなく微笑む。確かに、あまり十六には見えないかも。あれでもし男のほうがデレデレ笑っていたら変態認定したいところ。

 しかし、彼は笑うどころか。


「…………すげえ不機嫌そうだけど」

「そうよねえ。本当どういう関係なのかしら」


 亡国の王女と、この世で唯一の魔術師なのは確かだけど……関係は……なんだろう。ヴァルトも首を傾げた。主従、なわけないし。恋人同士でもなさそう。

 でも他でもない()()()が、何の理由もなく誰かを連れて歩くはずがない。決して他人に恭順することない、誇り高いひとだから。たったひとりの魔術師だから。

 それは、つまり人間とは別種の隔絶された存在ということで。孤高ということで。それから――――世界にとっての異物ということだから。


『きみはここにいるべきではない、わかるね? 僕らは…………僕とあの子は、異質な存在でしかいらなれない。けれど、きみは人間なんだ。僕らとは違う』


 きみには全世界がある。お守りだという耳飾りを付けてくれながら、ささやいて。亡き賢者は寂しそうに目を伏せた。そうしてヴァルトは、世界を巡る人間の剣士に預けられたのだ。

 もう、何年も前のこと。


 焼き魚をかじりながら、標的であるはずの二人を観察する。王女より先に食事を食べ終えた魔術師は、自分が救出した長い髪を指に絡め、もてあそんでいた。

 本来なら彼の国王家特有の珍しい、美しい色をしているはずの髪だけど。目立たない色に染められている今は、下ろしたままということもあって、王女の貧弱さを強調し、さらに地味な小娘に見せているだけ。

 ――なにがそんなに()の興味を引くのだろう。

 青白くて童顔のやせっぽっちのもと王女様。すべてが小作りかと思いきや、目ばかりが大きくて。


「……ちょっとヴァルト? 聞いてないわね」


 怒ったような可愛いギタの声に、ヴァルトは口角を上げた。腕を伸ばしてきめ細かい小麦色の頬に触れる。確かに話なんて聞いちゃいなかったけれど、どうせ大したことじゃない。


「ギタ、きみは本当に綺麗だ」

「な何よいきなり」

「たんなる素直な感想」


 みすぼらしい王女様なんかより、数段美しい。


「結婚しないの? 俺よりふたつも歳上なのに」

「…………相手がいたら、してもいいわ」

「ふぅん。この町の男共ってば見る目がないんだ。それともギタ女王のお眼鏡にかなわないだけ?」

「そ、それは」


 上気する顔。ギタが他の客には絶対見せない表情だ。なのにヴァルトには、初対面のときから見せてくれた。フォークを出し忘れるのも、最初のとき会話のきっかけを作ろうとした名残だ。

 ――その意味に気付かないわけではないけれど。

 あまりの分かりやすさに、くす、とつい笑ってしまう。我に返った様子のギタが、勢いよくヴァルトの手を払い除けた。キッとばかりに睨みつけられる。


「はん、宿屋のあばずれなんて、誰も本気で相手しやしないのよ。離してちょうだい」


 からかわれたと思って憤然と去っていく背中に、さらに笑って。ヴァルトもまた席を立った。一切れ残したパンをポケットに入れ、上階に取った部屋に戻る。

 階段からちらりと視線をやれば、王女のところにギタが果物を持っていくところだった。受け取った王女様は、幼い子供みたいに無邪気に微笑む。


「あーあ、ホントにどうしよう…………うわっ」


 ひとりごちて、借りた部屋の扉を開けたら、青い丸いかたまりがヴァルトの額に激突してきた。

 ()()はヴァルトに掴まれて、ばたばたっと羽ばたいて暴れたあと――――ピギョ、と鳴いた。両手で包み込める大きさのそれは、銀のくちばしで今度は猛然と、自分を拘束する手の平を突っつきだす。


「痛っ、ごめん、ひとりで食事に行ったこと怒ってる? 今あげるって、ちょ、痛い、痛いから」

「ピギョ、ピヨギョ!」


 慌てて片手でポケットをさぐってパンを取り出せば、かぱっと口を開けてろくに噛まずに飲み込む。それから、紅玉のつぶらな瞳が「これだけ?」というように、ヴァルトを見上げた。

 頷けば、ちょっと不満そうにしながらも、びっしりと歯の生えた血の色の口を閉じる。可憐な銀のくちばしは飾りだ。鳥の口は胸のところにあった。閉じてしまえば、羽毛に埋もれ、どこにあるかも分からない。

 ――――青い、まんまるの、ふくふくした小鳥。

 魔術師たちのもとを去るときに譲られた、ヴァルトの相棒である。この世にたった一羽きりの魔鳥だ。

 手の平から窓際の机に移して、話しかけた。


「ねえバル、今日も下にあのひとがいるよ」

「ピギュ?」


 バルは首を傾げる。出会ったときは名無しで、そのうちカッコいいのを付けようと思いながら、仮に自分の愛称で呼んでいたらそのまま定着してしまった。


「お前をつくったひと。……どうしよう、俺があのひと殺せるわけないし。でも前金貰っちゃったからな。このまま何もしないと、あっちの大陸での俺の信用ガタ落ち。もし王女様殺したらあのひと怒ると思う?」


 悩み続けてもう数日。依頼を達成しに来たはずなのに、気付けば毎日遠くから二人を観察して終わっている。いったい自分は何をしに来たのか。


「王女様を始末しに来たのにね」

「ピギョ」

「もう身代わりでも立ててみようか」

「ギョ」

「でも証拠になりそうなものもないし」

「ギギョ」

「あのひとに王女の首くださいとは言いにくいし」


 それとも、言ったら意外とあっさりくれたりするのだろうか。バルのことは頼んだら貰えたけれど。

 相棒の悩み相談を聞くのに飽きたらしく、鋭い銀のくちばしで、容赦なく机に穴を掘っていく青い鳥。

 これって、宿屋の主人とかギタにばれたら弁償させられるのかな……。などと考えつつ、ヴァルトが思い出すのは、記憶の向こうの優しい賢者の手。

 森の大樹の下。うたた寝をする子供のヴァルトの頭を、賢者はよく撫でていてくれた。近くには印象的な目をしたその弟子と、真っ青な小鳥も必ずいて。


『人にとって青い鳥は幸せの鳥なんだって』


 どこまでも穏やかな賢者の声と。


『……そして身勝手にも捕らえ、失望する』


 どこまでも素っ気ない弟子(あのひと)の声と。


『ピギョギョ』


 空を自由に飛び回る青い青い(バル)。あのころのヴァルトは、自分のそばで交わされる、そんな会話たちが何より好きだった。あの場所には幸せがあった。

 当時、あのひとは今のヴァルトより歳下だったけれど。今も昔も、どんなに考えても、あのひとの心の内は底なし沼のようにちっとも見えず。

 ただただ遠いだけの存在。

 六年近く前、別れるときに賢者に貰った『お守り』が突如壊れて、ヴァルトはその死を知った。流れてきた情報では、弟子も死んだという話だったけれど。

 眷属であるバルが生きていたから、死んだなんて信じなかった。そして、実際彼は生きていた。

 師の(かたき)であったはずの国の王女を連れて……。


「ピピョギョ!」


 バルに突っつかれて我に返る。あごをしゃくるような仕草につられて窓の向こうを見ると、ちょうど王女様がひとりで外に出たところだった。近くに魔術師の姿はない。

 日除けらしき、薄いフード付きの外套を着た王女様は、少し周囲を伺うようにきょろきょろしたあと、自信なさげに足を踏み出し、歩き出す。


「…………もうホントに俺、どうしよう」


 悩みつつ、ヴァルトは扉に向かった。

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