旅立つ友へ
タイトル詐欺です。
皆さんお砂糖は好きですか? 糖分そこまで高くは無いのはお許し下さい。
行っちゃったわ……。
まだ早朝と言ってもいいこの時間、公爵家を旅立って行った馬車を見送って、心の中でぽつりと呟く。
今後は会うことが難しくなるだろう大切な友達を想って堪らない寂しさに襲われていると、ふわりと温かいものに包まれた。一泊遅れてそれが人の腕だと気付く。私にこんなことをしてくる人なんて、1人しかいない。
「……フレディ」
「うん。寂しいね、レベッカ」
そっと名前を呼べば、優しい声が返って来た。敵わないなぁ、と思う。きっと、この人には全部見透かされているのだろう。
それが分かってしまうから、強がりを言う気にもなれない。そっと前に回されたフレディの腕に顔を埋めると、くるりと体の向きを変えられた。
片方の手であやすように私の背中をぽんぽんと優しく叩き、もう片方の手は頭を撫でて来る。子ども扱いされているようで悔しいのに酷く落ち着いて、じわりと涙が滲んだ。フレディの胸に顔を押し付けると、優しげな風貌とは違う逞しい胸板にドキドキしてしまう。
胸いっぱいに息を吸い込めば、嗅ぎ慣れた匂いが肺を満たした。落ち着いた男の人、って感じの匂い。フレディの匂い。私の好きな匂いだ。
「……ごめんなさい」
「何がだい? レベッカに謝られるようなことをされた覚えは私にはないよ?」
胸に顔を埋めたまま小さく謝ると、優しい声で返事が帰ってくる。本当は分かっているくせに、嘘つき。
フレディと同じくらい、私にとってのアナはとても大切で。前世からずっと彼女を見てきたのだ。幸せになって欲しい、と思う。けれど、フレディに何の相談もなくあんな行動に出たことに関しては、詰られても文句は言えないのに。
私の名前にかけて誓いを立てたことを責めないフレディの優しさが、今は酷く胸に痛かった。
暫くの間そうしていると、呆れたような溜め息が耳に届いた。反射的に顔を上げれば、苦笑気味のフレディの顔が目に入る。可愛い。って、そうじゃなくて。
いや、フレディは世界一かっこよくて可愛いけど、今はそういう場合じゃないってだけでね? などと、心の中でもにょもにょと言い訳をしてみる。
フレディではないと言うことは……
「リヴィ?」
この場に残っているもう1人の親友に視線を向けると、リヴィがこほんとわざとらしい咳払いをした。その顔は耳まで赤く染まっている。
「あ、あのだな、そういうのはお前たちが2人きりの時にしてくれないか?」
視線をうろうろとさまよわせながらのリヴィの言葉に目を瞬かせ、首を傾げた。何がいいたいのかしら。
「何のこと?」
「……っ、だからっ、い、い、い、イチャつくなと言ってるんだ!」
顔どころか耳まで赤くしたリヴィがヤケクソ気味に叫んだ言葉に、一瞬で顔が赤くなるのが分かった。イチャついているつもりはなかったのよ……。まさか、そんな風に見えていただなんて。
手で顔を覆いながらもちらりと指の隙間からフレディを見れば、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべている。彼は分かっていたらしい。絶対確信犯だ。
「……フレディの意地悪。酷いわ」
唇を尖らせ、そっと囁きながらぐりぐりと頭を胸板に押し付ける。背中を叩くあやすような動きが再開しても、やめてなんてあげない。
暫くの間そうしていると、やがてフレディがふっと吐息を零した。顔を上げれば、楽しげな笑みを浮かべているフレディの顔が視界いっぱいに映る。
その瞳は甘やかに細められ、愛しいものを見るような目で私を見ている。心臓がまたもやドキリと音を立てた。ようやく落ち着きそうだと思ったのに、顔に昇った熱が、引かない。両手で頬を押さえる私を見てフレディがますます甘い顔をするから、尚更。
「……フレディ」
お返しとばかりに、たったの4文字にありったけの想いを込めて囁くように名前を呼ぶ。フレディは虚をつかれたかのように目を丸くし、それから、蕩けそうな程に甘い笑みを浮かべた。
「うん、レベッカ」
フレディは右手を私の腰に回し、左の手で顎を上向かせてきた。そっと目を閉じると、額、瞼、頬……と順番に優しい口付けが落とされる。最後に唇が重なりそうになった所で……
「あー、ごほん。ごっほん!!」
再びわざとらしい咳払いに遮られた。ここが外だと言うことを思い出し、一瞬で我に返る。恥ずかしい。穴があったら入りたい。ううん、無くても掘ればいいだけじゃない。
土魔法で地面に穴を開け、いざ入ろうとしたところでフレディとリヴィの2人に止められた。
「恥じらってる君も可愛いけど一旦とまろうか、レベッカ」
「そうだぞ、落ち着けレベッカ」
「無理に決まってるじゃない!」
2人の制止を振り切って穴の中に入る。1、2分が経つ頃には大分落ち着いた。
「……ふぅ」
穴の外に出ると、フレディは小さい子を見るような微笑ましげな目をしていた。リヴィは私を見てぶふっと吹き出し、お腹を抱えて大爆笑している。
え、私、そんなに変なことしたかしら? ……したわね、思いっきり。
冷静になってみて思う。私は人様の家の入口で一体何をやっているのか。恥ずかしい。そもそもフレディとリヴィが悪いのよ。
何も悪くないはずの2人に責任転嫁し、話を逸らすことにした。
「そ、そう言えば公爵とアルフレッド様は?」
「公爵閣下は知らないが、公爵令息様は出勤する前にもう一眠りすると言っていたぞ」
「へ〜え?」
自然に返されたリヴィの言葉ににやにやと笑う。からかいの的、見つけたわ。
「リヴィったら、それ、いつの間に聞いたの?」
「そ、それはレベッカたちがイチャついていたからアルフレッド様も言えなかっただけだろう!? ……あ」
叫んだ後で、リヴィはしまったとでも言いたげな顔になる。流石リヴィ、よく分かってるじゃない。
「あーら、リヴィ、さっきまでクーヴレール公爵令息様って読んでなかった? それも噛み噛みで」
「べ、別に良いだろう!? そう言うレベッカだって泣いてたじゃないか! 泣き虫レベッカ!!」
「それとこれとは関係無いでしょう!?」
2人でぎゃーぎゃーと叫び合う。クーヴレール公爵家の敷地は非常に広大なので隣の家に声が届いて迷惑になることはないが、寝ている2人の妨げになったかもしれないということに気が付いたのは冷静になった後だった。
と言うかフレディ、にこにこ見てないで止めて欲しかったわ ……。
「はあ、疲れた……」
全力で叫んだせいで、リヴィも私もぜいぜいと息を切らしている。アナに見られたら怒られそうだ。公爵令嬢として相応しくあれるようにと、アナの仕草は何気ないものも含めて全てが隙無く美しいから。
私も侯爵令嬢として、それ以上にアナの友人として綺麗な所作を心掛けてはいるけれど、アナには遠く及ばない。どうしてもこういった時には前世からの素が出てしまうのよね。
息を荒らげているお互いの姿を見て、一瞬目を見合わせた後私とリヴィは同時に噴き出した。
「ふ、ふふっ……。なーんだ、リヴィもアナがいなくなって寂しかったんじゃない。ケロッとしてるから寂しいのは私だけなのかと思ったわ」
フレディのおかげというのもあるけれど、叫んだことで大分寂しさが紛れた気がする。それはきっとリヴィも同じだろう。
「そんな訳無いだろう? 私は湿っぽいのは嫌いなんだ。と言うか、私よりアナの方があっさりしてなかったか?」
「あら、あれでアナは寂しがっているのよ?」
もう少し話せば名残惜しくなると言ったり、お互いの顔を見て話せるようになっている通信の魔法具を送ってきたりしたのが良い証拠だ。何とも思っていなければ、アナはあんなことはしない。
「……流石幼馴染だな。こういう時、私は2人と一緒に過ごした時間が短いことを痛感するよ」
そう言うリヴィは少し寂しそうだった。まあ、まだ仲良くなってから2年半くらいだものね。
「そんなの、これからの付き合いで知っていけばいいじゃない。初対面でアナに喧嘩を売ったリヴィなら造作もないでしょ?」
あれには本当に驚いた。まさかまさか、アナに喧嘩を売る人が出るなんてねぇ。未だに忘れられないわ。
出会った日のことを思い出して、思わずくすくすと笑ってしまう。リヴィは額に手を当てて項垂れた。
「やめてくれ、黒歴史だ……」
「アナは結構嬉しそうだったわよ? 変な意味ではなくて、アナにとっては正面から正々堂々と喧嘩を売られるのは初体験だったでしょうし。……あ、馬鹿王子はもちろん別枠よ?」
アナが自由に動き回れるようになったのは、確か10歳くらいの時だったかしら。当初のアナは当然のことながら今程立ち回りも上手くは無くて、反感を買うこともあった。暗殺者が結構頻繁に送られてきてたことは知っているけれど、アナに正面から喧嘩を売った人の話は聞いた事がない。
そんなんだったから、あの経験はアナには随分新鮮だったのだと思う。真正面からお前は嫌いだと言われたにも関わらず、アナはどこか嬉しそうで、何より楽しそうだった。
「これから先の生活も、平穏無事に、とは行かないでしょうねぇ」
「アナだしなぁ」
無茶ばかりする親友のこれからを思い、ポツリと呟く。アナには妙な拾い癖があるけれど、まさか、向こうに行ってまで誰か拾ったりしないわよね……? 有り得そうで嫌だわ。
せめて変なものを拾わないよう祈るばかりだ。あの暗殺者姉弟を拾ってきた時など、本当に肝が冷えた。アナには人を見る目があるし、大丈夫だと信じたいものだけれど。
「ま、自力で何とかしそうではあるわよね。約束、ちゃんと守ってくれるかしら」
「約束……?」
「何かあったら頼ってって、約束したのよ」
半ば無理矢理約束させたようなものだけれど、約束は約束よね。それに加えて、今日の誓いもある。アナのせいで、どこまで効果があるかは怪しいところだけれど。
「それはまさか、昨日か?」
「そうよ?」
「クソ、どうして私は昨日行けなかったんだ……。レベッカの裏切り者め……」
仕事で昨日1日中商会に詰めて仕事をしていたリヴィが恨みがましげな顔で詰ってくる。けれどそれはこちらのセリフだ。
「リヴィだって、アナにティーセットと茶葉渡してたじゃない」
「リラックスする時間も必要だろう? それに、貴族令嬢たちに工芸茶を広めて流行らせたのはアナだからな。おかげでうちはほくほくだ」
「リヴィって根っからの商売人よね」
「お褒めに預かり光栄だな」
いや、別に褒めてないけれどね?
「レベッカ、オリヴィア嬢、そろそろ帰らないといい加減邪魔になってしまうよ」
フレディにそう言われ、ふと空を見上げる。アナを見送った時にはまだ登りきっていなかった太陽は、今や完全にその姿を見せていた。
「もうこんな時間か。私は店があるから早めに失礼するよ。またな、レベッカ、フレデリック様」
「ええ、またね」
足早に馬車に乗り込んだリヴィを見送り、フレディを見上げて微笑む。そっと差し出された腕に自らの腕を絡めた。
「そう言えばフレディ、どうして叫んでる私たちを止めてくれなかったの? あそこは止めてくれた方が嬉しかったわ」
フレディを見上げて尋ねると、フレディは苦笑ししながらこう答えた。
「ごめんね、年相応なレベッカを見るのが楽しかったんだよ。僕の前では背伸びしていることが多いだろう?」
それはそうだ。いくら精神年齢は同じくらいといっても、結局は精神は肉体に引きずられてしまう。20も離れているのだから、少しでもフレディに近付きたいのだ。
「背伸びしてる君も可愛いけど、僕は自然なレベッカが1番好きだな」
「……うん。大好きよ、フレディ」
背伸びして、フレディの耳元でそっと囁く。途端に降ってきた口付けを目を閉じて受け止めた。どこまでも優しい感触に酔ってしまいそうだ。
その日は1日中、フレディの家で甘えさせてもらった。