《剣聖》の弟子になろうとしたのに《拳聖》なんて聞いてないんですけど!
『ヴァルサーフの森』に、一人の少女がいた。
少女の名はアリサ・ルーベル。今年で十五歳になったばかりの駆け出し冒険者であるが、剣士としては優れた才を持っていた。
ルーベル家は地方の領主でもあり、その娘であるアリサは騎士になるものと思われていたが……彼女は冒険者になるために独り立ちを決行したのである。
その理由は一つ――この森に、大陸でも有名な《剣聖》がやってきているという噂を聞いたからだ。
その名を知らない者は誰一人いないだろう。剣術において、彼の右に出る者はおらず、何者にも負けることのない最強の剣士だとして知られている。
そんな人に、弟子入りすることができるかもしれない絶好の機会なのだ。
(認めてもらえるか分からない……けれど)
認めてもらうために、アリサは剣を持ってやってきた。
深い森の中を進んでいき、本当に出会えるかも分からない中――一週間かけて、アリサはようやく『その男』に出会った。
崖の上で、腕を組んで座り込み、地平を眺める男。筋骨隆々な身体つきをしていて、剣士というよりは武道家のような――
「ああ、俺は確かに《拳聖》と呼ばれてるぜ。拳の方だけどな!」
本当に武道家だった。探していた剣聖ではなく、『拳』の方の拳聖だった。
思わず呆然として、男のことを見つめてしまう。
剣聖違い――そんなことがあるのかと思ったが、確かにアリサも噂を耳にしただけで、誰も本物の《剣聖》にあったという話は聞いていない。
ただ、アリサ自身は《拳聖》の方の話は聞いたこともなかった。
「すみません……勘違いで押し掛けてしまって……」
「いや、別に構わんさ。あんたは見たところ、『剣士』ってところか。それに、中々腕が立ちそうだ」
「! 分かるんですか……?」
「向かい合えば、ある程度はな。それに、ここまで来られる時点でそれなりに実力があることは分かるさ。一応、魔物も多いところだしな」
男の言うことは正しい――ただ、アリサは凶悪な魔物については極力避けるようにして移動をしてきた。それができるのも、彼女が自身の実力について理解しているからだ。
だが、目の前にいる男の実力だけは読めなかった。
そもそも、武器を持たずして強いのだろうか、と。
「せっかくここまで来たんだ。少しくらいなら稽古を付けてやろうか?」
「……有難いお話ではあるんですが、あなたは武器をお持ちにならないのでは?」
「ん、武器ならあるだろ。ほれ」
男はそう言って、拳を前に突き出す。――自分の肉体こそが武器と、そう言いたいのだろう。
だが、アリサにとって、それは信じられないものだ。
いくら肉体を鍛えようとも、限界はある。
拳で殴れる相手は決まっているだろうし、剣で戦える相手だって全てではないのだ。
さらに幅を狭めることになるような『拳』での戦いは、アリサにとってはむしろ危険な行為にしか思えない。
「……丸腰の相手に斬りかかることは、私にはできません」
「! 丸腰、か。だが、それは俺のことを舐めてるってことだよな?」
「別に、舐めているというわけでは……」
「心配するなよ、怪我はさせねえから」
「!」
逆に、アリサは男から挑発を受けた。
安い挑発に乗る必要などないが――アリサも剣士として、丸腰の相手に馬鹿にされるわけにはいかない。
小さく息を吐くと、アリサは腰に下げた剣を抜き去った。
「……分かりました。では、一太刀だけ」
「そうこなくっちゃな」
いくら鍛えている肉体と言っても、生身で剣を受けることはできないだろう。
身体は大きいが、アリサの攻撃を避けるだけの敏捷性を持ち合わせているということだろうか。――なら、先手必勝でより早く一撃を与えるだけだ。
脇腹をかすめるように一撃を打って、終わらせる。そう決めて、アリサは地面を蹴った。
穿つような一撃――それは、男の脇腹に届くことはなく、
「……へ?」
突然、目の前に現れた男の拳によって、いとも簡単にアリサの剣は砕かれてしまった。
男の拳が斬れるどころではなく、アリサの剣が折れるでもなく――文字通り『粉砕』されてしまったのだ。
その状況に、唖然とした表情を浮かべて、ただ無くなってしまった刀身を見つめるアリサ。
そんな彼女に、男は笑みを浮かべて言い放つ。
「見たか。『拳は剣よりも強し』――極めた肉体は、何者にも負けることはないんだぜ」
「き、極めたって……だって、剣を砕く、なんて。そもそも、どうして皮膚も斬れないんですか……!?」
「斬れないように当てただけだ。後はまあ、鍛錬の成果だな」
「……っ」
どんな鍛錬を積めばそんなことになるのだろう――男は見る限りでは、まだ年齢的には若いように見える。
だが、アリサの知らない、想像を絶する鍛錬を続けてきたのだろう。――舐めていたのはアリサの方だと、たった一度の立ち合いで分からされてしまった。
「……私の、負けですね。すみませんでした。生意気なことを言って」
「構わんさ。俺の方こそ、あんたの剣を折って悪かったな」
「いえ、いいんです。私が未熟だから――いえ、それも言い訳ですね。あなたが強いから、私の剣は折られたんです。必然としか、言いようがありません。……どんなことをしたら、そんなに強くなれるんですか?」
それは、アリサの純粋な好奇心だった。
だが、それを聞いた途端、男はアリサとの距離を詰め、肩を掴んで笑顔を浮かべる。
「お、もしかしてあんた……《拳闘》に興味あるか?」
「え、えっと、はい。どうしてそんなに強いのか、興味はあります」
「おー! いいぜ、それなら決まりだな。今日から俺の弟子になれ。そうしたら、俺の強さの秘密を教えてやるからよ」
「……え――ええええ!? で、弟子ですか!? いえ、私はただ……」
「強さの秘密を知りたいんだろ? 丁度、俺も『師匠』から弟子は取るように言われててよ……何でも、これは『一子相伝』らしいからな。誰にでも教えられるわけじゃねえんだ。だが、俺の目から見て、あんたはそもそも『戦士』としての素質がある。あんたなら、俺と同じくらい――いや、それ以上に強くなる可能性もあるだろうぜ」
「わ、私が……?」
「おう。剣にこだわりがあるって言うのなら、仕方ないけどな」
――剣の道は、アリサにとって一番強くなれる道だったから、選んだものだった。
剣を教えてくれる人達が、アリサなら立派な剣士になれると言ってくれたから、その道を進んでいたにすぎない。――他に『強くなれる可能性』を示唆されたのは、初めてのことだった。
「わ、私でも……拳で剣を砕けるように、なりますか?」
「なるさ。鍛錬を積めばな!」
男のはっきりと言い放った。その言葉を聞いて決意を固める――には少し足りなかったが、男が続ける。
「ま、合わなかったらやめたらいいさ。お試し期間っていうのはどうだ?」
「え、そんな軽くていいんですか……?」
「おう! 何事も無理はいけねえぜ」
「……そ、それなら、お試しということで」
「よっしゃ、よろしくな。そうだ、俺の名前は――」
こうして、アリサは《剣聖》……ではなく、《拳聖》を名乗る男の弟子となった。
数か月後には、アリサ自身が拳で剣を砕けるようになるとは、この時の彼女は予想していないことだったし、何だったら砕いた時も驚くレベルだったことは言うまでもないことかもしれない。
いずれは部位鍛錬を行い、あらゆる敵を拳で砕くヒロインちゃんが誕生するかもしれない。
ちなみに主人公は男の方のつもりでした。