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古典派文芸作品集 (純文学とか古典的な大衆文学とか)

あと三年は......

作者: 仁羽 孝彦

通勤・通学の途中にでも読んでください。

 小此木( あかね )のお隣さんにして幼馴染にして女友達の西成( みやび )には十歳年上の兄が居る。名前は大地。幼稚園に通う頃から大地の姿を見上げていたのだけれども、初めて見たときは、身体の大きい中学生だったので怖い印象を持っていた。でも、母と一緒に雅の家に遊びに行くにつれて、時々雅のお母さんと一緒にもてなしてくれる彼に茜は少しずつ興味を持つようになった。


 小学校に上がると雅の家に一人で勝手に遊びに行くようになった。学校の帰りにそのまま雅の家に行くこともあれば、一度家にランドセルを置いてから遊びに行くときもある。雅の家にあるマンガを読んだり、ゲームをしたり、とにかく雅と一緒にいる時間が楽しかった。いつも雅の家で遊んでいると、小学校よりも遅くまで高校の授業を受ける大地が帰ってくる。帰ってきたとき、お兄ちゃんっ子の雅は彼を玄関先でお出迎えに行く。茜はそんな彼女について行って一緒にお帰りなさいというのだ。最初のうちはある種の義務感のようなもので、雅がやっているから真似ているだけだった。けれども、ほぼ毎日のように彼を迎えに行き、彼に挨拶をしていくうちに、自分から挨拶しに行くようになった。それが楽しいと思うようになった。


 茜が小学三年生になったとき、大地は大学生になった。いつも見ていた制服を着なくなって、毎日私服で雅を送り出す彼の姿を横目で見る日々。大地の顔を見るだけで嬉しさがこみあげてくる。それを自覚して、積極的に雅の家に遊びに行くようになった。そして雅と一緒に大地から勉強を教えてもらうようにもなった。勿論そんなのは口実で彼の近くに居たいって思いから頼んだことだ。


 小学四年生のとき。バレンタインデーが近づいたある日、クラスメイトの女の子たちから友チョコづくりのお誘いを受けた。雅を家に呼んで母から手ほどきを受けながら一緒にチョコづくり。ふと、大地にも食べてもらいたいと思い、彼の分も作った。そしてバレンタインデー当日、学校で友達に友チョコを渡し、急いで家に帰ってランドセルを置いて雅の家に出かけた。大地の分のチョコを持って。この時期、大学は冬休みらしい。きっといると思って雅にドアを開けてもらったのだけれど、出かけているらしかった。仕方がないと思って、リビングで大地の帰りを待った。雅のお母さんが雅のために借りてきたアニメのブルーレイを一緒に見て時間を潰していたのだけれども、どこか落ち着かず、楽しめなかった。


「ただいま」


 大地の声が聞こえて、雅と一緒に玄関先へと飛び出す。顔を見たとき嬉しさと一緒にどこか恥ずかしさを感じた。すぐにチョコを渡せばいいのに、恥ずかしくって渡せずじまい。そこへ先に雅が口を開いた。


「お兄ちゃん!茜ちゃんがチョコを作ってきてくれたよ!」


 雅の言葉に釣られるようにおずおずとチョコを差し出す。大地は一瞬驚いたそぶりを見せて、それから笑顔になって「ありがとう」と言って受取った。茜は顔を赤くして、そのまま飛び出して自分の家へと帰った。


 一ヶ月後のホワイトデー。雅と一緒に下校しているとき、雅の家の前でちょうど大地が現れた。


「あ、茜ちゃん。ちょうどよかった」


 何がちょうどよかったのか不思議に思って立ち止まると、彼は鞄から何かを取り出した。


「お礼のマドレーヌ。よかったらお父さんお母さんと一緒に食べてね」


 お返しだった。茜は嬉しくて飛び上がって「ありがとう」と言った。その時雅が大地に尋ねた。


「お兄ちゃん、これからどこに出かけるの?」


 すると大地は「デートだよ」と言った。聞きなれない言葉だった。デートって何だろう?疑問に思って茜は尋ねた。


「これから好きな女の子と遊びに行くんだ。もう行かないと。バイバイ」


 そう言って大地は立ち去った。残された茜はほんの少し心に何か穴が空いたような気がした。好きな女の子と遊びに行くと言って自分に背を向けた彼。その振る舞いだけで、その好きな女の子は自分じゃないと言われた気がした。茜はその事実をじわじわと理解しショックを受けた。彼から好きな女の子は茜だと言ってほしい自分の心に初めて気づいた。茜の初恋はそれを自覚したと同時に終わった。


 それから茜は雅の家には遊びに行かなくなった。雅とは仲が悪くなったわけじゃない。ただ、時々家にいる大地と顔をあわせたくなくなったのだ。失恋相手と普段通りに向き合えるほど、茜の心は強くなかった。まだ小学生なのだから。そして、茜は両親に言われて塾に通うようになった。茜は失恋を忘れるように勉強に打ち込んだ。


 茜は頭のいい子だった。塾での成績は上がっていき、周りの先生から有名な進学校を薦められた。行きたい中学校とかそんなイメージなどまだなかった茜は言われるがままにその学校を第一志望校にした。上位のクラスに入った。クラスでは受験友達ができた。雅は茜と同じ学校を目指さない。彼女は茜の父と雅のお父さんが先生をやっている中学校を目指していた。雅は受験勉強こそすれども、茜に求められているような成績まで取る必要はなかったので、学校以外ではなおのこと距離ができてきた。それでも茜はよかったと思っていた。それだけ大地と距離を取れるのだから。


 そして第一志望校を受験した帰り道、ほっと一息ついたところで家の前で雅と出会った。


「今日受験だったの?」


「そうだよ」


「お疲れ様」


「ありがとう」


 それだけ会話して、家に帰るつもりだった。明日には第二志望校の入試があるから。


「ねえ、茜ちゃん」


 けれども、家に帰ろうとしたところで雅に呼び止められて振り替えざるを得なかった。


「茜ちゃんって、お兄ちゃんのこと好きなの?」


 心がドキリと跳ねた。すぐに返事ができなかった。何とか言葉をひねり出そうとして口に出した言葉が「違うよ」だった。すると雅は納得していないような顔をする。


「そうなの?でも、お兄ちゃんに彼女がいるのを知ったときからうちに遊びに来なくなったよね?」


 もう二年も前の話なのに、そのことを覚えていることに茜は驚いた。そして何も言えなくなった。何も答えなくなった茜を見かねて雅は言葉を続ける。


「お兄ちゃん、彼女と別れたんだって。だから今好きな人は居ないよ?」


 その言葉を聞いて再びドキリと胸が動いた。大地に今彼女が居ない。今度は自分のことを見てくれるだろうか。そんなことを考えていた。


「それとね、お兄ちゃん今年で大学卒業するんだけどね、お父さんたちの学校で先生やることに決まったの!」


 その言葉を聞いたとき、私は慌てて顔をあげた。茜の父が勤めている学校、雅のお父さんも勤めている学校、そして雅がこれから通う予定の学校。そこに大地が勤める。ショックだった。目の前にチャンスがあったのに、するりと零れ落ちてしまった気がした。もし、雅と同じ学校に通いたいって言っていれば、父が勤めている学校に通いたいと言っていれば、四月から同じ学校で顔をあわせることができたのに。茜は、大地が勤める予定の学校に受験すらしていなかった。


 その日、茜は癇癪( かんしゃく )を起し、両親に抗議をした。受験しなおしたい。雅が通っている学校に通いたい。茜の両親は大層困った。雅が通う予定の学校は、二次募集もすでに終わっている。もう受験することはできない。次の受験を待つとすれば高校受験を待つしかない。それにその学校は第一志望校に比べれば偏差値があまり高くない。第一志望校合格は間違いなしとまで言われているのに、そこを蹴ってまで行きたいと言う理由が理解できなかった。


 娘の癇癪に右往左往する父とは対照的に、母は辛抱強く理由を尋ねた。最初こそ雅と同じ学校がいいとしか言わなかったけれども、茜はポロリと言葉を漏らしてしまった。


「四月から大地お兄ちゃんもそこで先生やるんでしょ?」


 茜の両親はそこで察してしまった。それから今度は両親の間で夫婦喧嘩が始まった。第一志望校に通わせるか、高校受験を待つか。夫婦喧嘩は合否発表日まで続いた。


 合否発表の日、茜は部屋に引きこもった。第一志望校には茜の母が見に行った。お昼に母が帰ってきて茜の部屋に入ってきた。手には第一志望校の合格通知が( たずさ )えられていた。


「受かってたよ。でもどっちに通いたい」


 茜ははっきりと言った。大地が勤める方だと。


 その夜も夫婦喧嘩がリビングから聞こえてきた。第一志望校に通わせたい父と、娘の希望を叶えてあげたい母。茜の代わりに間に立った母は、初めて自分の希望を口に出した茜の気持ちを尊重したいと強く推した。口論は日付が変わっても続いた。


 そして翌朝リビングに行くと、悔しそうに顔を( うつむ )かせる父の姿があった。茜の母が勝ったのだ。こうして第一志望校の入学金振り込み期限を無視した。


 茜は、第一志望校を蹴って地元の中学校に通うことになった。その話は小学校でも近所でも話題になった。折角受かったいいところなのになぜとみんなが興味本位で尋ねてきた。茜は口を割らなかった。けれども雅が小学校で、茜の父が勤め先の学校で漏らしたらしい。恋と志望校で恋を取った女の子。そんな評判が彼女に立った。


 中学校ではその噂を聞きつけた同級生たちに冷やかしを受けた。正直嫌な思いもいっぱいした。でも、茜にとって優先すべきは大地が勤める高校に入学すること。勉強に精を出し、部活に精を出し、内申点を上げてとにかく確実に受かることだけを考えた。噂に取り囲まれながら三年間耐えた。そして受験生になった年、ようやく彼の勤める高校に合格した。


 入学式当日、茜は新調した制服を身に( まと )ってリビングに降りた。第一志望校を蹴ったことを悔しがっていたはずの父は、自分の勤める学校に自分の娘が通うことを悪くは思わなくなっていた。娘と同じ高校へ肩を並べて行けるのだ。滅多にできない経験にむしろ嬉しそうにも見えた。( もっと )も、そのきっかけを作ったお隣の家の坊やには思うところがやっぱりあるらしいけれども。


 家を出ると、茜と同じ制服を着た雅が家族を連れて現れた。「これで同級生だね」と嬉しそうに言う雅にほんの少し恥ずかしい気持ちを抱いた。チラリと彼女の後ろを見れば、鍵をかける大地の姿が目に映った。その視線に気づいた雅はわざわざ振り返って大地に声をかける。


「今日から茜ちゃんは教え子になるんだよ?感想は何かないの?」


 大地はどこか困ったような顔を浮かべて「入学おめでとう」とだけ言った。雅はどこか不満そうだったけれども、茜にとって自分に向けてくれたその言葉は十分嬉しかった。これで一緒に居られる。けれども、大きな障害があることを頭の中では理解していた。十歳差で自分は未成年。相手は教師で自分は教え子。周囲から見れば不適切な恋愛とみられるかもしれない。恋人になるなんて踏み込んだことはできない。早くても高校を卒業するまで待つ必要があるのだ。


 でもそれがどうした、と茜は心の中で思っていた。幼稚園児の頃から気になって十年。初恋を自覚して五年。傍に居たいと願って三年。一度失恋したこの恋がやっと芽吹きつつあるのだ。もう三年待つことくらいできる。勿論心配事はある。この三年のうちに大地は新しい恋人を作ってしまうかもしれない。再び失恋を経験してしまうかもしれない。これから通う高校の生徒や教師の中からライバルが現れるかもしれない。だから茜は強く宣言した。


「あと三年はフリーでいてください、大地さん」


 精一杯力強く告げたその言葉に、女性陣はどこか色めき立つように茜の顔をニヤニヤと見ていた。告げられた大地はどこか困ったように苦笑いを浮かべていた。そして茜ではなく茜のお父さんに苦笑と共に弁解するような眼差しを向けた。その様子に茜はどこか( げ )せない思いを抱くのだった。

主人公(♀)が幼馴染(♀)のお兄さん(♂)に恋をして、お兄さんが勤めている学校に通おうとするんだけれど、その学校には幼馴染の他に自分の父親(♂)も先生として勤めていて、父親は娘の恋をちょっと気に食わないと思っているなんて複雑な人間関係のスクールラブストーリーってありそうで案外ないよね。少女漫画だったらあるのかなぁ? 

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― 新着の感想 ―
[一言]  甘酸っぱい、恋の香りがするのです……。少女の恋は、実るのでしょうか……。("想像にお任せします" とあるので、私は実る方で想像しますね!)  後書きが……、後書きのシチュエーションが………
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