【第八問】人間は是非を問わずに生きるモノ。(Part 2)
◇ ◆ ◆ ◇
「あーんっ!」
「あ、あーん」
ぱくっと一口、お口の中に広がる甘さに堪能すると、
「美味しいっ!」
筑波さんは食レポに至らないお決まりの感想を口にした。
詳しく説明しておくと、ボクが礼井野に『あーん』されたのでも、ボクが筑波さんに『あーん』されたのでもなく、礼井野が筑波さんに『あーん』したのである。決してボクはその中に混じってはいない。
「お手本はこんな感じです! 何にもいやらしいことはないんですわよ、実輝っち?」
「まあ本当に嫌らしいことは何もないんだけど……、これを男の口に運ぶのはちょっと躊躇せざるを得ない、かな?」
「何を今更言っているのですか!? この店に来た時点で、もう既にこれをやる運命なのですわよ? このまま返品することも、クーリングオフすることも、当然のことのようにできませんですわよ、実輝!」
親友同士のやり取りに、しかしボクは何も口出ししない。
流石にこの場で口を挟んでしまえば、何を言われるか分かったもんじゃないし、それに加えて筑波さんの目の前で極力恥をかきたくはない。
恥をかくのは、あの時でもう終わりなのだ――
そして、筑波さんと礼井野伊代店員は続ける。
「わ、分かったよぉ……、もう諦めるから……、これやるから……」
「やっと理解していただけましたね! では早速、実践してみましょう!」
「えっ!? ちょっとそれはいきなりすぎる! もうちょっとだけ猶予を頂戴!」
「何を言ってるのですか、実輝! あなたの名前の『実』は実践の『実』ですわよね?」
「親はそんな理由で名付けた訳じゃないよ……、まあ、いいか――一回くらい……」
筑波さんはやっとのことで礼井野の頼みに骨を折ってくれようとした。
って、ん? おかしくないか? ちょっと、ボクの意見反映されてなくないか!?
おいおい、少しはボクにも耳を傾けてくれよ! ガン無視じゃないか、ガン無視!
「それでは私はこの辺で。後はお任せしましたですわよ、お二人とも――実輝と剣山貴仁さんっ!」
そう言いながら、『STAFF ROOM』と書かれた場所に行ってしまう礼井野店員。
もうこの姿はきっと見れないと思ったボクは、一応その容姿を目に焼き付けておく。
「ていうか、スプーンをもう一つ持ってきてくれないのかよ。サービス誠心のないメイド喫茶だな……」
「うふふふ、まあいいじゃない。もうこのまま一緒に食べよっ……、恥ずかしいけど」
このカップルじみた環境に慣れが生じたのか、筑波の顔から赤みが薄らぐ。
てか、本当に食べるの……、『あーん』しながら?
どっちが餌を与える方で、どっちが餌を与えられるの、これ……?
流石に男が『あーん』するような場所じゃないし、かと言って女に『あーん』させるのも聊か間違えているような気がするんですけど。
「……どっちが、その――――『あーん』するの?」
「もうどっちでもいいんじゃない? だって私たち、もうキスも――って、何でもない! ごめんなさい、変なこと言っちゃってっ!」
筑波は凄く慌しく謝罪をし、再び赤面してしまった。
「別にいいよ。もう、終わったこと――なんだし。今を楽しも」
「ぅ、うん、そうだね。そうだよね! じゃあ私が『あーん』しよっかな?」
「ええぇぇぇっ!? いや、それは! その、何と言うか……、その」
おいおい急展開すぎるだろ! キスの時並に異常事態になるだろ!
どぎまぎするボクを、しかし筑波さんは気にせず、そのまま右手でスプーンを取り、早速食べかけのパフェを少しすくった。
「ね、ねぇ……、本当にやるの? 何か、そのパフェから糸が引いているような気がするんだけど、ひょっとして気の所為なのかな?」
「気の所為じゃないよ。これはそういういやらしい液体とかじゃなくって、普通に甘いシロップだよ?」
「本当に本当に本当に……? 正直怖いし食べる気にならないんだけれど……」
「じゃあほら、食べてみてよ。本当に甘い、ただのシロップだよ。白く見えるのはアイスが溶けてるからだよ」
ああ、もうこれは――食べるしかない! やむを得ない決断だけど……。
「はい、あーんっ」
「……ぁ、あーん」
まさかこんなことになるなんて……、最高なのか最悪なのか、それすらも分かんないよ。滅茶苦茶恥ずかしいし、それ以上に目の前の女の子がすっごく笑顔で、ちょっと照れるんだけど……
「どう? 甘い?」
「ああ、確かに、甘い」
いや、結構甘すぎる。昨日食したそれとは比較にならないほど濃密で、濃厚で、とろとろで、美味しい。
もしかして、これは筑波に食べさせられているのが影響して、相乗効果が生まれているだけなのだろうか?
「じゃあ私も一口っ!」
「え!? そのまま食べたら駄目だよ! ボクの使ったスプーンだよ? そんなのを口にしたら病気になるよ!」
ちょっと大袈裟だけど――と、ボクは付け加える。
「いいのいいの、私は平気だから。ぱくっ、美味しい!」
何も厭わずそのまま筑波さんは美味しそうに食べる。
如何如何、スプーンからちょっと糸が引いてるんだけど、これって本当にシロップなんだよね? それにしては異常に…………
◇ ◆ ◆ ◇
休憩がてらに、ボクたちは廊下に出た。
長い時間、あんな女子だらけのメイド喫茶に長居していたら、今度こそ本当にボクは死んでしまいかねなかったし……
「はぁ、美味しかったー」
「結局ボクは一口だけだったけれど……」
そのまま筑波さんは全部食してしまい、果たしてボクはほとんど食べることはできなかったけれど、でももう既に満腹だった。
十分に満たされきっていた。
にしても、今日の筑波さんも積極的な態度である――が、しかしこれは積極性が増したというよりも、ただ単純に文化祭という産物を楽しんでいるだけかもしれないが。
まあ、そんなことはどうでもいいか。
と、色々思案していると、隣を歩いている筑波さんはボクに問いかける。
「ねえ、あのさ……」
「? 何か言った?」
「い、今から外いかない?」
「そ、外? はて、何をしに?」
確かに実際問題、ここは大混雑している廊下だ。故に、人ごみに酔いつぶれてしまいそうだったのは事実である。でも、外も似たような場所だと、ボクは思う。こんな学校祭なのだから、外に出ようが出まいが、結果として何も状況は打破できないと……
「いいから、外に行こうよ、暑いし」
「……ま、まあ筑波さんがそうしたいのであれば……」
しょうがない、じゃあ外に出て涼むとするか……
そして、昨日の晩に何があったのかだけは、一応聞いておこうか。
だってこれは、ボクの青春の闇であり――光でもあるかもしれないから。
◇ ◆ ◆ ◇
いつか見たこの裏庭にやって来た。
文化祭だというのに、相変わらずここはいつもと変わらず、予想外にも閑静とした雰囲気だけが広がっている。
ボクは追憶する――
礼井野がボクを呼び出し、
そして、ボクの妹の存在を知っている人を初めて知り、
その後、紆余曲折あって礼井野がボクのもう一人の妹であることが判明した。
可愛い妹たちの姿を、想像してしまう。
「まあ気分転換にはちょうどよかったかも」
「そうだね。ちょっと頭使いすぎて、脳が溶けちゃいそうだったもんね」
そよ風がそっと吹きぬける。
「ふぅー、涼しい」
「ほんと、涼しい」
「いよいよ夏が到来したって感じだな――冬とは大違いだ」
ボクは追憶する――
冬、ボクはあの安城蓮に恋をした。
冬はボクにとってラブコメの季節であり、そして自殺の季節でもあり、
そして、ボクの季節である。
そう、思い出さざるを得なくなる、そんな夏の雰囲気が、今ここに立ち込める。
あの綺麗な女子を、
あのマフラー姿、雪女とも称すべき美貌を、
少し思い返してしまう。
こうして先程から回想に耽ってしまうあたり、やはりボクは人間だ――
今こうして、昔を軽く振り返っているのが、本当に馬鹿馬鹿しいが――
それにまるで、ライトノベルの主人公みたいじゃないか。
「……でも、冬よりはマシだ――それで、ちょっといい?」
「そうだね。で、でさ――昨日のボクが倒れた後のことなんだけど」
「ああ、それね。実はあの後――」
ロータリーの(枯れた)桜の木の下で、ボクが筑波さんの膝枕の上で寝ていた時のこと、ちょうどキスが終わって1分後に、彼ら――礼井野伊代、喜入宵、そして『美しい男』こと串本斗がボクを自宅へと輸送したらしい。最初はあいつが助けてくれたことを、何かの間違いだと思ったボクだったが、しかしそれは過去的事実だったらしい。
「あいつが、か……。色々思うところがあるけど……」
今度会ったら、一応感謝の意を伝えよう――それが人間として正しい行いだろうし。
すると、筑波さんは再び何かを言いかける――何やら神妙な顔つきで。
「で、さっきの話なんだけど、続きなんだけど」
「さっきの話? ボクが倒れた話がどうか――」
「キスの話」
「…………えっ!?」
それはさっきなかったことにしただろ!?
結構な度合いで彼女を信頼していたから、何だか驚愕せざるを得なかった。
裏切られた気分にさえ、なってしまった。
相手が女子だから、余計にそう考えてしまっているのだろうが。
「……あ、あのさ、その話は――」
「お詫びしようかなって――責任を取ろうかなって、そういう話」
「責任? 別に責任なんかないよ。悪いのは全部ボクだし、ボクが勝手に巻き込んでしまっただけで、むしろ何も責任を取るのはボクなんじゃないか?」
「そうじゃないっ!」
筑波さんはボクの言葉を遮って、強い口調で言い放った。
どうしたんだいきなり? 何か障るようなこと、言ったか?
本当、だから女子は――――
「だから、そうじゃない!」
「……そ、そうじゃないって、何がそうじゃないの?」
「…………」
一向に筑波さんはボクの方に顔を向けてくれることはなく、
「私の――――」
「私の恋愛方程式の解は――――剣山貴仁君、あなただよ。あの時から」
「それが私の出した――導いた、最終的な結論。答えが正しいかどうかは関係なく、普通にこの感情は正しいと、そう思う」
「…………っ! そ、そんな訳が……!」
そ、そんな……、信じられない……
「それは嘘だ。そんなはずがない。だって筑波さんは串本のことがまだ好きなんだろ?」
そう、ボクを好きだなんて、そんな都合のいい話が、あっていい訳がない。
そんなラブコメ展開は、ボクに許されたことではない。
ボクにとってラブコメは――虚数解そのものなんだ。
主人公として落第的で、決して小説にはならないくらい――馬鹿げた毎日で、真面目な毎日で、えっちな妹とかと一緒に暮らす、そんな平穏なボク――――
なのに……、なのに……、どうして!
ボクの恋愛方程式は解なしだというのに!
あったとしても、それは偽りで、つまり虚数解なのだから――
そして、ボクに方程式の解は、もうないのに!
「解がない訳……ないじゃない」
「え?」
筑波は続けて言う。
「問題があるのに――方程式があるのに、答えがない訳、ないじゃない。だったら何の為に問題があるっていうの? 存在しているというの? そんな理屈、おかしいでしょ? 問題がるのに、その答えを証明する手立てはないなんて、そんな世界じゃないよ、ここは」
だって私たちは、生きている人間なんだから。
筑波さんはボクに振り向いて、
「剣山君の恋愛方程式は、『安城蓮』という解が適合していなかっただけで、それだけで自分の方程式の解がないだなんて、そんなのただの決め付けだよ! 方程式って、解が一つとは限らないじゃない! 一次方程式とか、二次方程式とか……、色々あるじゃない! なのに、なのに、どうしてそうやって決め付けるの! どうして自分に嘘を吐いてるの?」
「…………ぇっ」
「どうして、剣山君は自分に嘘を吐いてるの? この世界という方程式から、故意に逸脱しようと、虚数解であると決め付けるの? だってあなたは今、こうして私の目に映っているじゃない――実像として存在している、つまり実数解じゃないの? たとえこの眼鏡を掛けていようとなかろうと、剣山君の顔ははっきり見えているんだよ?」
「女子が――いや、女子が嫌いだなんて、それも本当は嘘でしょ?」
「実像から逃げる為の――真実から避ける為の――嘘なんでしょ?」
「自分が自分に嘘を吐いて――未だに自分を殺そうとしているんでしょ!」
ボクは言葉を完全に失った。
本当だった――その通りだった。ボクはきっと、好きになることを――人間に恋することを――嘘を吐くことで、なかったことに、ないことにしようとしている。
でも、ボクは二度と恋しないと、そういう約束を契っている。
それだけは破りたくはない。その約束という解の範囲だけは、守りたい。
だから――ボクは、
「ごめん。ボクは好きにはなれない。筑波さんが女子である以上、無理だ」
丁重に、しかし残酷な断りの言葉を吐いた。
「もう一度言うけど、私は剣山君のことが一番好き――だって剣山君が、私そのものの方程式における、ちゃんとした正しい解なんだから」
「でも――」
と、ボクは否定する。
「それは間違ってるよ、絶対。だってボクに惚れるはずもないし、好きになってもらう資格すらない――こんなボクに恋することは、絶対正しくないし、間違ってる。誤答だ」
「じゃあ私と付き合って、証明すればいい! 成否を確かめればいい!」
「自分で解いた方程式を、私が証明してあげる! それで、正しいか正しくないか、本当か嘘か確認すれば――答えを合わせればいいじゃない! 死ぬまで正解を見つければ!」
「そして、私の失った家族の代わり――いや、本物の家族になってほしいの! 私は!」
「でもごめん。そういう訳にはいかない。そもそもボクという存在が嘘の解な――」
「けれど、嘘でも立派な解じゃない! だから虚数解だって、存在し得るでしょ?」
だから、これ以上、自分を、傷つけないで!
私が絶対に、『剣山貴仁』という実数解を、証明するから――!
と、筑波さんは泣き叫んだ。
ボクはこの光景を、忘れようとしても、しかし過去は水に流せず、忘れることができなかった。ただ、心に残り続けた――余韻が消滅することはなかった。
まるで、解き終わった問題の答えが、間違っていたような、未知なる衝動が、
ボクを恐ろしい程、どん底へ突き落としてくれた。
「…………」
ボクは多分、筑波実輝さんの言う通り、間違っていた――嘘を吐いていた。
恋が怖くて、女が怖くて、自分が嫌いだった。
そこでボクは、自分の方程式に虚数解を丁稚あげることで、剣山貴仁の存在を曖昧に定義して、つまり嘘によって、自殺することによって、嫌い続けた――怖がり続けた。
だが、それは正しくはなかった――正しい解ではなかった――正解ではなかった。
それを、筑波実輝という女子は、証明してくれた――答えあわせをしてくれた。
嘘から出た誠とは、まさにこのことを言うのだろうか?
だから、もう嘘を吐くのは止めよう。嘘を方便してはならないのだ――
本当は、剣山貴仁という自分は、どうしようもなく女子が好きなのだ。
文字通り、女の子と書いて――『好』なのだから、好きでないはずはない。
「本当にもう一回だけ言う――私は理由があって剣山君を好きになったんじゃなくって、生きている上で、つまりは計算して、結果的にその方程式の解があなたになっただけ――だから、だから……!」
だから――ボクは嘘を吐いていたことを謝った。
目と目を合わせて、三次元に向き合って――
涙しつつ、女子に向き合って謝罪した――そして、感謝した。
「ごめんなさい、筑波さん」
かくして、ボクという人間の――感情の自殺が、半年経ってやっと成功した。




