総集編Ⅲ【第五問】【第六問】
総集編 第Ⅲ弾
【第五問】【第六問】収録
【第五問】青春は闇がなくては語れない。
6月30日木曜日――連立高校文化祭まで残り24時間。
いや、今は午前9時前後だから、より正確に言えば残り時間は約12時間か。
通常ならばどのクラスも教室展示がどうにか制限時間内に完成できるように躍起になるだろうが、しかしボクたち2年D組はその必要は全くと言っていい程ない。
なぜなら、2年D組の企画『お化け屋敷&風俗店』は昨日の昼をもって99%できあがったからだ。つまり、今日一日は基本的に暇ということになる――はずだったが……
「……………………」
黙々と真剣これ極まれといった風に、総仕上げに身を窶している最中だ――真っ暗闇の中にある道具(文面では道具の詳細は書けないので、読者自身の頭で想像して頂きたい。本当に官能小説ものになってしまうので……)が少しあり、やはりそれを見るとこれは文化祭の出し物としてはかなり危ない部類だと思いつつも作業している。
それも、とある女子と一緒に、女子と二人っきりで。
「……………………」
その相手も物静かに作業を遂行している――まあ、元々筑波さんの性格自体がそうなので当然と言えば当然なのかもしれないのだが。
「――あ、あのー、筑波さん」
真っ暗闇且つ無言空間の中、ボクは少し小さな声で彼女、筑波実輝さんを呼んだ。
「ひゃっ!? ど、どうしたの、つ、剣山君? 何処か間違ってる部分とか、かな?」
「え……、そこまで驚く? 何かボクがお化け扱いされてない?」
「え!? い、いや! そんなことじゃないの!」
過剰に挙動を乱している筑波さん全身で否定の意を猛アピールする。
筑波さんにとって『そんなことじゃないの』って、一体どんなことじゃないのだろう?
まあ、気にしたところで意味はない――女子共の心情を一々気にかける程、ボクの心は寛容ではない――ただし、妹だけは例外とする。
「あ、あの、取り乱してるところ申し訳ないんだけど、どうしてボクを起用したの? 別に他の人でも良かったんじゃ?」
別にボクの方から筑波さんと一緒に作業したいと、名乗り出たのでは当然ない。
筑波さんは朝のSHRで、展示部門の残り1%要素を完成させるのに、自分以外の人物を一人雇おうとしたところ、どんな風の吹き回しなのか、ボクにその役職依頼が来た。つまり、ボクは不本意ながらも――超々々々不本意ながらも、女子という生物と二人きりという、この世で最も残酷な状況下、仕事に打ち込んでいるということになる。
筑波さんの親友礼井野伊代や学年一秀才の喜入宵、美男子と常日頃話している串本斗でもなく、何故かボクを指名した彼女なのである。
だからボクは、筑波さんの判断に深い疑問を抱くのも決して無理はなかろう。
「……ご、ごご、ごめんなさい」
筑波さんは数秒後に小さな声で答えてくれた。
おどおどした謝罪の言葉に、変な緊張感が含まれていたような気がしたのだが、もしかしてボクといることによって、彼女は正体不明の恐怖を感じているのか? いや、流石にその物言いは『被害妄想強すぎ死ね雑魚』と言及されてしまうか。
では、どうしてそんな慌しい態度なのだろう? はぁ、ダメだ、考えても埒が明かないな、全く――これだから女子は面倒くさい。
「も、もしかして、め、迷惑だった、かな……?」
筑波さんは短い髪を揺らしながら、小首を傾げてボクに聞いてくる。
「い、いや、別に迷惑じゃないけど、その、本音を言うと、ボクって女が苦手というか」
「えぇっ!? そ、そうだったの!? っと……」
今度はかなり驚いた感じで目を丸くする筑波さん――表情の変化が忙しい人だ。
というか、何でそこまで驚愕されなければならないんだろう? まあ確かに、大人しい性分の筑波さんには一度もボクの心情――女子嫌いの真実――を教えたことはないが。
すると、筑波さんはボクの心の疑問に応答するようにぼそっと言う。
「だ、だって、剣山君っていつも女子といて、話してるじゃない?」
「いや、そんなことない――って、それに、自分から進んで話してる訳じゃないし」
突如突きつけられた現実というやつに、柔らかな言い方で全否定する。
と同時に、そんな感想を抱いている第三者が存在することにちょっと驚いた。
そんな目で見られていたのかよ、ボク。哀しい限りだ…………
「喜入宵に関しては、色々と縁がああるし、勉強面で色々と絡んでくるから。礼井野伊代に関しては、喜入宵に同調してボクをいじめてくるし、そして重要な一件もあるし」
つまりは俗に言う『女子といる』『女子と話す』とは微妙に、しかし明確に異なっているということだ――端的に表現すれば『女子という異性といる』『女子という異性と話す』ではなく、『女子という人間といる』『女子という人間と話す』ということになる。
それに、ボクにとってラブコメ展開は起こりえないのだ。決してあってはならない――特にボクにはあってはならない。そういうことを、ボクは既に、勉強している。
「ていうか、他の人たちって何処に行ったの? まだ10時前なのに」
周囲には筑波さんしかいないというのは既に分かりきった現実、しかし他の人員(特に同じ担当に当たっている人)は今現在何をしているのだろうか……?
「串本君はさっき彼女さんと歩いてたよ」
と、突然彼女は『串本』という名を先に出した。親友の名前ではなく、男の名前を。
「あ、そういえばあいつ、一回もここの手伝いしてないんじゃなのか? いっつもいない感じがするけど」
「え? そうかな? つい最近は熱心にやってくれてたんだよ? 確か月曜日に。予定よりも大幅に完成に近づけたのは、串本君が率先して仕事をしてたからだしね」
そんなことを言う筑波さんの顔は、何処か口惜しい感じで、けれど嬉しそうな印象もあった。いや、非常に複雑な、曖昧模糊とした雰囲気も含まれていたから、それ故にそう見えてしまっただけなのかもしれないのは気の所為だろか?
「そうなんだ――月曜日はちゃんと働いてたんだ、あいつ……。まるでボクが見ていない時だけ――いや、ボクの影に潜むように、こっそりとやってるんだな……」
影に潜んで、こっそりと――彼はボクを避けるように、忌避するように、行動しているような、そんな感じが何故かした。
「月曜日って、そういえば……」
言いかけて、ボクはその話を彼女にするのを止めた――単純に躊躇した。
筑波さんは礼井野という暴力美少女の親友で、つまり後々それを知ればあの女は間違いなくボクに性的な怒りの鉄槌を食らわすだろうし……それを恐れたからだ。
それからボクたちの間には会話がなくなった。
「…………」
「…………」
几帳面な性分の筑波さんに負けないように、ボクも仕事を一心不乱にする。
それで、約10分後のこと。
「あのさ、やっぱり思ったんだけど、これって別にボクと二人でやらなくてもいいんじゃないか? ほら、礼井野とかとやればいいんじゃ?」
率直に思ったことを率直に聞く――さっきも同じ質問をしたけど。
残りの1%くらいの仕事ならば、たとえボクでなくてもできるはずなのだ。
でも、どうして筑波さんはボクを――選んだのだろう?
「え、ええっ!? え、ええっと、えと、えっと、ぇっ!?」
「え? ええ?」
何だその慌てた表情と仕草は!? そこまで焦燥感に駆られるようなことは言ってない気がするけど!? 何、ラブコメ漫画のように隠喩的意味でも感じ取ったのか? 別に恋愛絡みの発言してないけど!
すると、筑波さんはかけている眼鏡に頻りに触れ、
「……剣山君、あの、ちょっと一つだけいい……かな?」
と、忽然、筑波さんは顔を下に向けて聞いてきた。
「? 別にいいけど、何かあった? もしかして装飾部品が壊れたとか?」
「いいや、そういうのじゃなくって……その――――」
不自然に俯いて答える筑波さん、眼鏡に触れる回数がやたらに多い。
「――昨日は、楽しかった」
「へ……? あ、それね……」
何だ何だ、ラブコメ展開到来かと一瞬思っちゃったじゃないか。危ない危ない、そんなことされたら、きっとアナフィラキシーショックでホントに死んじゃうよ…………
けど、どうして今になってそんな話題が来るんだろうか、と再び疑問が浮かぶ。
何だか筑波さんといると、話すと、疑問がどんどん増えていく――まるで高難易度の問題を解いている内に謎が謎を呼ぶという感じだ。
「それで、ボクの質問には――」
「ごめんなさい。私、本当は昨日、いらない存在だったでしょ?」
「え? えーっと……、いらない……んじゃなかったと思う。あの馬鹿思春期妹も喜んでたし」
喜んでいたというのは当然嘘だということは言うまであるまい。
――てか、あんな女子にお兄ちゃんを譲るもんか。
悪意を含んだあの口調を、自然と思い出してしまう。
それを聞いて安堵の表情を浮かべた筑波さんは、
「剣山君の妹さんって、そんなに思春期で馬鹿だったかな? 昨日はちゃんと礼儀正しく挨拶もしてたし、それに前遊んだときにだって、ちゃんとしたこと――将来の夢とか、現代における小説についての評論だとか、してたじゃない? それって凄く天才じみてると思うよ? なのに自分の妹を馬鹿呼ばわりするだなんて、可哀想だよ」
「えっ!? ええ!?」
普通に怒られたんですけど
まあ、言っていることは最もだし、一理ある、か……?
ま、いいか。そんなこと、気にしている場合ではない。
「え、なんかごめんなさい――……ち、ちなみに筑波さんは姉妹とかっているの?」
「えーっと……」
ここに来て何故か言葉を濁らせる筑波は、俯いて答えてくれた。
「今は、もう……。でも大丈夫。私は別に大丈夫」
「あ、あら、そう。な、なんか悪いこと、聞いちゃったよ、ボク……」
これ、タブーネタだよな? 相手が女子だというのに、何か自然と同情しちゃったし。
筑波さんは『大丈夫』とか言っていたけど、それも多分嘘だよね?
本当は心の底の奥深くでは、悲しんでいるに違いないだろうに……
「――――…………」
「――――…………」
ボクと筑波は互いに視線を落とし、やがて不可思議な沈黙が到来した。
当然、ラブコメディーのそれではない。
「私は今は普通にこうしてここにいるけど、実は――ある年に火事で…………」
どんどんと自身の暗闇事情を明かす筑波さん――より一層暗い雰囲気になっちゃった。ただでさえこの教室はお化けが出てしまいそうな程真っ暗だというのに。
「…………」
「そう、その時に、ね。大切な家族が――……それで私だけが……」
筑波さんはしかし悲哀な表情を一切浮かべなかった。
きっと――我慢しているんだろう。
「聞きたい? この先の、物語?」
「…………えっと」
聞きたくないと言えば嘘になるし、でも聞いたら聞いたで……
「まあ点検しながら回想チックに語るから、それでいいよ、ね?」
「……ぅん」
ボクはいまいちな返答をする以外に、何もできなかった。
そして、筑波さんのいつもとは一味違った性格に――積極性に――少々間誤付いた。
◆ ◆ ◆ ◆
「予想だにしなかった、突然の紛失――家族の喪失に、私は最初、何も受け入れられなかった。
「これが嘘の世界、虚構の悪夢だったらいいな、なんて思ってたけど、でも現実は全然違った――何もかもが違いすぎた。
「事態も収拾に向かっていった時に、私のこの町への転校が決まったの。何せ自分の学校付近では新居どころか売り地すらなかった。
「だから、新たな生活がその後やってきて、きっと今よりも楽しい生活が、人生が、物語がきっと待ってくれてるんだろうなって、そんな風に思ってた。
「でも、現実は大きく異なっていた。
「ここに来て漸く地獄――生き地獄から開放される、そんな甘い考えを持っていたけど、実像の夢――現実世界じゃちっとも違った。
『いじめ』
「登校初日から皆にからかわれ、特に男子たちから暴力さえもふるわれたくらい、悲惨だったし、凄惨だった。あ、いや大丈夫、そういう性的ないじめじゃないからね。
「それで、毎日の学校生活が憂鬱だった――当たり前だけどね。
「私の机上には毎朝毎朝、『死ね』だとか『消えろ』だとか『失せろ』だとか『きもい』だとか『うざい』だとか『来んな』だとか『臭い』だとか――そんな事実無根で戯言のような言葉が書かれてあった。私を汚物か何かのように扱われた。
「最早漫画やアニメの域を超越していた。同じ――平等であるはずの、違いのないはずの人間と人間が、人間と非人間であるかのように。
「机や上靴への落書き、身分のゴミ扱い、物理的暴力、言語的暴力、精神的暴力、散々な時には唾を――涎を私に吐きつけたりする男子生徒、塵や埃を私の口内へと突っ込む女子生徒、下校中私に小石を投げつける同級生……、その他諸々、そんな酷い嫌がらせを受けていた。いや、これはもう既に、嫌がらせというよりも、差別の域だね。
「落ちぶれ者の肩書きを背負わされ、私をゴミ箱か何かのように取り扱い、間接的ではなく直接的な暴力を受けて、唾の吐きだまりのように第三者から私自身は隔絶され、掃除でかき集められたゴミを塵取りで私の口へと放り込まれ、帰宅途中でも彼らの本当の意志を投げかけられ――そんな生活に私はうんざりしていた。
「いや、うんざりではなくがっかりしていた。理想郷を思い描いていたあの頃の自分が非常に恥らしく思えた。
「馬鹿馬鹿しいとさえ、思った。
「逆にそれ以外思うことができなかった。
「馬鹿
「馬鹿馬鹿
「馬鹿馬鹿馬鹿
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿
「って、何度もその言葉だけが私の頭を占領していた。文字通り、こんな私は余所から見れば馬鹿だろうけど。
「本当に、こんな私が憎らしくて、殺したかった。
「馬鹿は死ねば治るって聞いたことがあったし……じゃあ私を殺そうか? 楽しそう。
「当然死にたかった。
「死にたくて
「死にたくて死にたくて
「死にたくて死にたくて死にたくて
「しょうがなかった。私は生命に嫌悪感だけを示し続けた。
「生きることを憎悪した。
「本気で自分という人間を殺そうかとも思ったのは当然だったけど、何であの時、私も一緒に――死ななかったんだろって。何であの時、私なんかが――生き残っちゃったんだろって。何であの時、しっかりと――死んでおかなかったんだろっていう思いが一番強かった。
「けれど最終的には、自分を殺すことができなかった。殺そうとする途中で怯えて……
「自分という生物が恐ろしかったと同時に、人を消す能力や度胸が私にはなかった。
「家族がいない暮らしそのものが汚物だと思ったし、文字通り学校では汚物扱いされて。
「でもそんな時に。
「そんな時、私に――汚物まみれの私に声をかけてくれたのが――伊代だった。
「たとえ私が落書きされていようとも。たとえ私がゴミ扱いされていようとも。
「たとえ私が暴力を他人から受けていようとも。
「たとえ私が唾棄されていようとも。
「たとえ私が埃を食わされていようとも。
「たとえ私が血だらけになっていようとも。
「たとえ私が穢れていようとも――たとえ私が汚れていようとも。
「礼井野伊代だけは違った。
「それでも彼女は私に一声かけた――何も臆することなく。
「その天使からの第一声は『大丈夫……?』だった。
「そう、敬語でも尊敬語でもなく謙譲語でもなく丁寧語でもなく、タメ口で――対等な立ち居地で喋りかけてきてくれた。
「何日間か一緒にいる内に、彼女は一篇風変わりな喋り方になった(戻ってしまった)けれど、何かと日本語表現がおかしかったけれど、それでも私は嬉しかった。
「それからというものの、クラスで最も人気者で、人望厚い、女神の如き存在である彼女のおかげで、苛めはなくなった。虐めはなくなった。
「お陰様で、なくなった。
「何だか『お陰様』という片言隻語で感謝の意を表すには物凄く物足りないのだけれど、でも私は本当に彼女に対して感謝以上に敬意の念を持った。
「そして、それ以来、彼女とは親友となった。大が付く程、親友になった。
「でも実際問題――教室内または学年内での有名人と、教室内または学年内での落ちこぼれ人とがフレンドリーな関係になっただけでは、重要なプロブレムは解決されるはずもななかった。
「だから私は必死に、本気に、熱心に、躍起になって努力した。
「生きる為の努力をした。
「誰にも敗北しないような、強力な人間に成り上がってやろうと、そう決心した。礼井野伊代の協力を絶対に無駄にしないよう、頑張らないといけないと、心の内で、正義を信じて切磋琢磨した。
「その結果、私はこうなった――こうなることができた。
「性格そのものは昔から何も変わらないし、根暗で、真面目で、女子らしい女子じゃないけど、それでもそれが自分なりの自分だと思って――死なないように生きようと決めた。
「私は何をするでも静かに足掻き、静かに這い登り、噛みついた。
「そして、どうして自分だけが生き残ったのか、それを紐解く為に、今を、未来を生きる決心を、自分なりにした。
◇ ◆ ◆ ◇
ぽろり、と謎の水滴がボクの頬を伝っていた。
「え、ええぇぇぇぇっ!? ど、どどどどどうして泣いてるのっ!? わ、私何かした!?」
「ぇっ! こ、これは、そ、その……!」
筑波さんに言及されるまで、それが涙という物質であることに気付かなかった。
それも、女子という憎き生物の目の前で泣いている。ただし、嗚咽混じりではない。
ボクはその物語に――筑波実輝さんの壮絶な、まるで小説やアニメに出てくるような感動的人生譚に、ただ同情して、そして反射的に泣いてしまったのだろう。いや、筑波さんの話に、ボクと似て非なるものを、汲み取ってしまったからだろう。
「……そ、そんなに感動した、の?」
「…………」
しかし、何と返答するべきなのだろうか……?
これまでの人生という計算過程において、ボクは生まれてこの方、清廉潔白な女子から感動エピソードや泣ける物語というのを、人から直截聞くという機会はなかったし、それ故に先ずどんな言葉を相手にかけるべきなのかどうか分からなかった。
そんなのは、二次元にだけあるものだとばかり、思っていた。
感想を言うべきか? いや、そこまでの語彙はボクにはない。
感謝を述べるべきか? いや、こんな場面で感謝されても、きっと相手が困るだけだ。
ああ、本当に困ったなぁ…………
「…………」
「剣山君はどうなの?」
「……は、はい? 何が」
「そういう話、ないの?」
「どういう話? ――って、ああ、そうゆうことね。でも、何で?」
ああ、壮大な人生譚ってことか――
ボクとしてはあの終焉の日の出来事をできるだけ開示したくはないんだけれど。
「だって、私が話したんだから、次のターンは剣山君だよ?」
「何だよそれ、完全にカードゲームじゃねーかよ。ドローしなきゃダメなのかよ」
「もう時間もないから、とりあえず聞かせてよ、君だけの、物語」
筑波さんはにっこりと八重歯を見せて、ボクに優しく微笑んだ。
この時の彼女もまた、いつもとは違って異常に積極的だった――
正直そんな態度をボクに取ってほしくはなかったが……
「いいよ。クオリティは保障しないけど――小説のような物語を、」
ボクはあの日のことを――彼女のことを復習する為に――
過去を物語る決心を――過去を受け入れる決心を、心の中で静かにした。
◇ ◇ ◇ ◇
過去回想――約一年前のこと。
「初めまして、貴仁君!」
「は、初めまして……。あ、あのー、どちらさんですか……?」
「え? 忘れちゃったの? ほらほら、昨日部室で会ったじゃない」
「ぇ、っと――」
「私の名前は安城蓮。覚えてるでしょ? 漢字は『安い』『城』に『蓮の花』って書くの。蓮は草冠に『連れる』って自己紹介したじゃない。まだダメ? 新聞部の」
「あっ――――」
ぴかぴかの一年生のボクは、新聞部という至極地味な部活に入部した。
昔からパソコン関連が大好きで、それに加えて日本語という一文学が得意だったからである(だったら図書部に入ればいいのにと思われるが、しかし我が校においてそれがなかった)。
「思い出してくれたかな? 私のこと」
安城蓮――あ、思い出した。昨日新聞部にいた人だ。その時は全然挨拶とかもしていなかったし、だから今ぱっと誰なのか分からなかったのだろう。
安城蓮――第一印象はおしとやか、というか、帰国子女みたいな感じの明るい女の子。その輝かしい銀髪に、誰をも魅了するような眼光、大きく膨らんだ胸、けれど少し黒い肌――普通の男子高校生ならば誰もが魅了されてしまうような、そんな完璧な容姿。
こんな美少女――美しい女子を、人生で初めて見た――そう思った。現実世界で、三次元で二次元のような人物が存在するとは。
「その調子だと今思い出してくれたみたいな感じだね。それで、ちょっと聞きたいんだけど、喜入さん見なかった? 貴仁君」
今更だけど、いきなり女子から『貴仁君』呼ばわりされてしまうと、何だか変な気持ちになってしまう! ――って、キイレさん……? 誰だろう、それ?
「だーかーらー、喜入宵さんだよ? あの天才少女で、同じく新聞部の」
「? ?????????」
クエスチョンマークが大量に並ぶ――――キイレ、ヨイ……さん? 天才少女で、同じ新聞部に所属している?
「あれ? 確か貴仁君と同じクラスだった気がするんだけど」
「そ、そうなんですか……?」
ボクは初対面の人と話すように、謙った面持ちで返す。
「え? 知らないの? というか、普通に敬語じゃなくていいよ――私たち、同じ一年生だよ?」
「ぇ、えっと、じゃあ――そ、そうなの?」
「何々、もしかして貴仁君って女子苦手なの?」
「いいいいいいいえ! 断じてそんなことは!」
女子は滅茶苦茶大好きだ。特に可愛いくて、積極的で、可憐で、美しい人なんかは、萌えるし! あ、でも妹は無理かな……、ちっとも可愛くないし、やっぱり妹だけは嫌だ。
「えっと、それで、誰だっけ……?」
「喜入宵さん、だよ? あの子はクールビューティーって感で、周りよりも影の薄い子だから、知らないのも無理ないかもしれないけど」
「へ、へー。そ、そうなんだ……」
しまった、美少女が目の前にいるというだけで、こんなにもコミュニケーション障碍に陥ってしまうとは!? どうしよう、嫌われちゃう!
「あれ? 緊張してるの? どうしたの、急に固くなっちゃって。ああ、何かごめんね」
「…………っ!」
ヤバイ、そんなに強張った表情してるの、ボク!? それに何で今謝られたんだよ!? え、何、自分があまりにも美少女すぎるから、それでボクが脂汗だらだら垂らす程緊張しているって思ってるの!?
「ぃ、ぃぁ、べ、別に……!」
「あらそう、じゃあ良かった」
と、安城蓮はまるで男を落とすかのような――誘惑するような笑みを浮かべた。
まずい! これは極めてまずい! まずすぎる! こんなことされて落ちない男子高校生なんていないよ! ああ、何だか安城蓮を見ているだけで、心が――――
え、もしかして、これって……
「好き……?」
「え? 今貴仁君、何か言った?」
「え!? ええぇぇぇぇぇっ!? 何も言ってない!」
ヤバイ、考えてることがつい出てしまった! でも完全に安城さん聞いてなかったよね、今の反応から鑑みるに! よし、良かった良かった。一件落着だ!
「それで、喜入さん見てないかな? 渡しておきたい資料があるし、それに貴仁君もこれから新聞部として一緒に活動するんだから、今紹介してあげたいんだけど、どう?」
「ど、どう? え、いや、ボクは――自分は、別に……」
言葉がすらすらと発せられない! 脳が上手く回転しない! どうしよう!?
これからずっと同じ部活動に所属する仲間だっていうのに、もう現時点でこんなに対応ができないとか……、これからどう生きていけばいいのやら。
その後――
「紹介するね、貴仁君! この方が喜入宵さん」
「初めまして。1年D組、出席番号32番の喜入宵と申します。得意科目は男――じゃなくって、数学。苦手科目は特にありません。どうぞこれからもよろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします……」
結局クラスに彼女、喜入宵という人物はいた。そして、安城さんは彼女を引き出しそのまま部室へ行かずに廊下で初対面の挨拶を交わすことになった。
それにしても、今の喜入さんの挨拶、結構独特的で真面目そうで、(第一印象としては)絡みにくそうな女子だなあ……、初の自己紹介で勉強について触れるとは、なかなかだ。
「何か用でもあるのかしら? 私のプロポーションを見たりして」
喜入さんは挨拶の時と何ら変わらず、非常にシニカルに言う。
「……は、はい? いえ、別に見てませんけれど」
「あらあら、ごめんなさい。私の思い違いだったわ」
「……は、はい」
ヤバイ、変な意味で、悪い意味で返答に窮してしまう……
こんな格好いい男子みたいな女子も、人生の中では本当に初めてであった。
◇ ◇ ◇ ◇
しかしその後、喜入宵とボクは金輪際話さない関係になっていた。学校の生徒玄関でも、教室でも、部室でも、ラインでも――ただ通りすがりのただの『女子』と、彼女は初対面の翌日から化していた。試しに、こちら側から「おはようございます、喜入さん」と挨拶はしてみるものの、あちらからも「おはようございます、剣山貴仁」と返され、そしてそれ以上にかけ合う言葉など皆無だった。世間話をすることも、新聞部の話をすることも、勉強の話をすることも、一切ない。
それに対して、彼女――安城蓮という美少女は一味違った――いやいや、一味ではなく二味も三味も違った。廊下で会ってはあっちから声をかけ(クラスが違うので教室で会うことはない)、部活に出向いた際にも逸早くボクに話しかけてくるし、それに何より、安城蓮の話は面白かった――そういう面白いでなく、自然な面白さだ。
「貴仁君は今日元気?」「貴仁君は勉強できるの?」「貴仁君はどんな新聞レイアウトが好き?」「貴仁君はどんなタイプの女子が好み?」「貴仁君は休日何をしてるの?」「貴仁君は料理するの?」「貴仁君はどうして新聞部に入ったの?」「貴仁君はどんな食べ物が好きなの?」「貴仁君はえっちな女の子とか好きなの?」「貴仁君はえっちが好きなの?」「貴仁君は好きな人いるの?」「貴仁君はどんな特殊性癖を?」「貴仁君は――――」
時が経つに連れて、段々と仲のいい友達となり、次第に思春期じみた会話も混ざってくる。そうして、どんどんと、だんだんと、時間は止まることなく――
◇ ◇ ◇ ◇
季節は真冬に。景色は春や夏の時とは一変し、一面に白銀の世界が広がっている今日。
12月24日、クリスマスイブの日――
ボクは街中に出かける為に、自宅付近のバス停でバスが来るのを待っていた。
どうしてそこへ出向くか、それは明日のクリスマス当日に妹に渡すプレゼントと、好きな人に向けて贈り物を買う為である(そのギフトの相手というのは後々開示しよう)。
勿論、普通のそれではなく、告白の為のそれだ。
「…………って、あれ?」
ボクは不意に、不自然に、横に立っている女子を、反射的に一瞥してしまった。しかし結論から述べると、その奇妙的とも言える行動は正しかったと言ってもいいのかもしれない――決して間違っていなかったと言ってもいいのかもしれない。
「あれ? 貴仁君じゃない? こんなに寒いのにどうして外出してるの?」
「…………! ぃ、いや、それはその……、ちょっと……」
喜入宵――――ではなく、想い人である安城蓮だった。
「ちょっと? 何がちょっとなの?」
首を傾げ、ブラウンのマフラーを揺らしながら、安城蓮は聞いてくる。
ブラウンコートに色を合わせたマフラー、左手には黒い片手鞄を提げ、そして何とも言えない程に――冬らしい服装が似合いすぎるくらい似合っていた。
「……………………」
ボクはすっかり見蕩れてしまった。ずっと凝視してしまった。まるで、真に美しい絵画に出逢って、そしてそれを長時間眺めているかのような、そんな未知の境遇に、ボクは立っていた。
「どうしたの? ――あ、この服装、どうかな?」
「え、ええ!? え、あ、その、似合ってる、お?」
「似合ってるお? 何々、お世辞とかいらないから、正直な感想言って頂戴。それとも言葉では言い表せない程に似合ってるって言いたいの?」
「!」
意地悪な感じで見抜かれていたようだ。
まあ、流石に自身の容姿をまじまじ観察されてしまったら、そう思ってしまわざるを得ないだろうし、ボクの心中など第三者に簡単にバレてしまうかもだが……
「あ、ほらほら、バス着たよ! 貴仁君もこのバスに乗るの?」
「うん、街中に出かけたいからね」
どうして街に行くかについては、しかしボクは述べなかった。
「安城は何をしに中心街に行くの?」
「それは、ヒ・ミ・ツ。今度教えてあげるから」
「は、はぁ…………」
そう言うと、安城は先頭にバスに、軽やかなステップで乗り込む。勿論、それに続いてボクも乗車する。
「…………」
周りには誰もいない。ここに存在するのはボクと、安城蓮と、運転手さんだけだ。
がしかし、
「はぁ、はぁ……、間に合った……」
荒い吐息とともにそう言う人物が、勢いよくバスに乗ってきた。
「お、蓮。すまない、遅れた」
「え、別に大丈夫だけど……、って、まあいいから」
安城は何故か困ったような顔をして、言葉を濁らせるように彼に答える。
彼――それは、ボクもよく知る彼。
「あれ、貴仁じゃないか。どうしたんだよ、こんなところで」
「そういうお前はクラスのムードメーカー兼美男子系男子、串本じゃないか」
そう、同じクラスの大親友こと、串本斗だった。
「って、串本、お前って安城と知り合いなの?」
「ああ、まあ、うん。生まれた時から幼馴染だし」
彼は平淡に質問に答えてくれた。
しかし、その返答には、得たいの知れない何かが潜んでいる、そんな気がした。
普通にぞっとしたし、普通に鳥肌が立った。
バスに揺られながら、目的地に向かうボクたち。しかも、ボクを含めて全員、どの席も空いてるのにも関わらず、手摺に掴まって立ち乗車している。
配置はこうだ――バスの前側にボク、右隣に安城、そしてその右隣に美男子の串本という、非常に奇妙な位置関係だった。もしもこの世界がラブコメ小説だったならば、間違いなくボクらは三角関係という、二次元に多く存在する人間関係に支配されていたに違いないだろう。
まあ、決してそんなことはあり得ないだろうし、心配する必要はないだろうが。
そして、ここに広がるのは謎の沈黙――否、気まずい沈黙だった。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
誰も、何も、一言も喋らない。ボクと昵懇の仲である串本さえも話しかけてくれない。
そんな中、ボクは安城に救済(?)の目を遣った――のだが、事件発生!
「…………!」
安城蓮の大きく膨らんだ胸が手摺にぐいっと押されていた。
「あぁぁん、気持ちいぃ! やばいよこれ、このアイテム」
「……はい? え、えええええっと、き、気持ちい…………? えっと、これは……? その、ええ、まさか」
胸が、おっぱいが押されて、気持ちいいってことなの? とは言えないよ!
でも、この体勢を見る限り、それくらいしか考えられない。でも、そういうタイプの人間じゃないはずだろ、安城は。もしかしたら、これはただの考えすぎなのか……?
妄想が激しいだけなのか……?欲情しているだけなのか……?
「あ、あの……」
「いや、これよ、パソコン作業ばっかやってると、手が硬直してくるからさあ」
と、言いながら彼女がボクの目の前に差し出してきたのは――
ただのマッサージ用品だった。
「貴仁君、どうしたの? 顔赤いけど、もしかして風邪?」
「え、ええ、いや、大丈夫だよ! 気にしないで……、熱があるってのは事実だけど」
病的な熱じゃなくて、脳的な熱だけれどね。
「おいおい、貴仁、熱があるんだったら帰ったほうがいいんじゃないのか?」
「いいや、大丈夫。そういう熱じゃないから!」
「え? どんな熱なんだよ」
「えっと、いや、それは……」
それから、何分か後にショッピングモールに到着し、各々買いたい物を購入し、そして帰りのバスも皆で――無言で――乗車し、そのまま何事もなく、無事帰宅した。
翌日、12月25日、クリスマス当日。
今日は連立高校で生徒会主催のクリスマス会があり、それを取材する為に新聞部の一員として学校にボクたちは来ていた(通常登校の為、制服を着用している)。
「いやあ、随分と人だかりができてるね。これ本当に取材できるのかな?」
「た、確かにそうだね……、これ百人以上いると思う」
その会が行われる場所というのも、かなり狭い生徒ホールであって、人口密度が著しく高い上に、司会者の声は愚か、隣にいる新聞部員の安城の声すら聞こえづらかった。
「ねえ、一旦部室に戻る? 人が引いてからまたここに訪れることにした方が絶対公立いいし、私たちがこんな場所にいても、ただただ邪魔になるだろうし」
「あ、うん。そう、だね」
安城蓮の相応しいであろう判断に、しかしボクは完全に肯定できなかった。
なぜなら、次に部室に戻る時に――安城に告白すると、心で決めていたのだから。
それで、新聞部の部室に着いたと同時に、
「ごめん、安城。ちょっとだけ、話がある」
我ながらできの良い声かけと態度であった――挙動不審な部分は一切なかったし、告白する手前の呼び出し方法としては、かなり平凡で、しかし適切ではあったから。
「で、話って、何? 重要な話? それとも新聞部の話?」
「どっちも。その、じゃあ先ずは――新聞部の話なんだけど」
「何かな?」
首を傾げ、冷静な態度でいる安城はいつもと何ら変わらない『安城』だった。
「その、あいつ――喜入宵っていう女子なんだけど、何でボクのこと無視してるか知ってる?」
「え? シカトされてるの? 貴仁君が」
春に初めて出逢った頃から、喜入宵という曲者とは何もかも話していないし、それどころか同じ新聞部員の中では最も疎遠な人――最も、敬遠されているというよりも、忌避されているような、そんな印象があるのだ。
でも、その理由が分からない。
「安城って女子だし、それに一年生の中でもかなり有名だし、テキパキ仕事できるし、新聞のレイアウトも読者の心を捉えるのに適したものだし、それに何より可愛いし――っ!」
「ありがとう、褒めてくれて」
ボクの不適切な発言に、彼女は何故か謝礼の言葉をし、そして綺麗に、美しく、満面の笑みを浮かべだした。本当に見るからに、美しくて、超絶凛々しかった。
えっ!? 何でそんな反応してるの!? こっちは女子に対して直截変なこと言っちゃって、結構焦ってたし、汗ダラダラだし……!
ああもういいや、このまま流れで――
「付き合ってください」
◇ ◇ ◇ ◇
眼前の美少女はそのまま深くお辞儀をした――と同時に、安城の匂いを感じ取った。
「…………」
ああ、もしかして、これって、ごめんなさいって言いたいから、わざと顔を見られないように、わざとボクの顔を見ないように、そうする為に――
「よろしくお願いします」
「……え?」
思わずボクは拍子抜けした声を漏らす。
「これからも、よろしく――で、いいよね?」
今度こそ、安城蓮はボクに向き合って――現実に向き合って――にっこり言った。
「…………!? ぅ、うん!」
これって成功だよね? 間違いなくOKを貰えたってことだよね?
結構ダメ元で告っちゃったけど、何か上手くいったぞぉぉぉぉぉ!
ヤバイ、これからは『女子』としてだけでなく、『彼女』として、安城のことを見なければならないと思うと、もう胸がはち切れそうになる!
「どうしちゃったの、貴仁君? 何でそんなに顔赤くしてるの? そんなに向き合うのが恥ずかしいの?」
「い、いや! そんなことじゃなくって!」
今ボクは、人生で最高潮に高揚しているんだ。落ち着けといわれる方が無理かもしれない。これからクリスマス会の取材の続きをするのに、こんなままじゃいられないけど、でも――
人生で一回くらいは、別にいいだろう。
「じゃあ、そうと決まれば行くよ!」
「うん!」
ボクは元気溌剌、返事を返した――勿論、喜びの面と、そして引き締めの面を含めて。
「あら、何かしら、安城蓮さん。私に用があるとは、珍しいわね」
「え? そうかな。まあ今回は私じゃなくて、隣の貴仁君が用があるんだって」
「ふーん。そんな男に興味はないわ。私の彼氏は『勉強』だもの」
「……流石は学年一位の学力保持者――って言いたいところだけど、でも本当に貴仁君が困ってるから」
行った先はクリスマス会の本会場――ではなく、新聞部の部室だった。
そこで何やら、喜入宵と安城蓮はボクの横で話していた――否、話をつけいていた。
「え? あ、あのー、安城。これってどうゆうこと、なの……?」
いまいち――いや、かなり状況が読めないんですけど……
「え? 何言ってるの、貴仁君。今ここで早く伝えなよ、喜入さんに」
「伝えるって、何を……?」
「決まってるじゃない――っていうか、さっきまで私に相談してたじゃない」
安城は何処か人の悪い笑みを浮かべてボクに助言する。
「? ごめん、安城。何を言ってるのか分からないんだけど――」
「それともやっぱここじゃ話しづらいかな? じゃあ廊下に行ってきなよ――二人で」
「廊下……?」
それはさっきまでボクたちカップルがカップルになる為にいた場所。
そこで漸く念願の目標を達成できた。昨日買ったプレゼントは結局渡さず仕舞いだった――後々物で釣ったと勘違いされそうだったから。
「私はここで全然構わないんだけれど、剣山貴仁。もしも恋愛的な意味での告白の申し出だったならば、残念だけど無理だわ。生憎私はリア充だから」
「それは現実世界の彼氏じゃないだろ! 勉強の話だろ!」
何故かボクは喜入宵という、恐ろしい女子にツッコミをいれてしまった――まるで身体が反射的に反応するかのように。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙という空間が部室に漂う(一応、他にも紹介していない先輩方もここにいる)。
「……な、何、今のは」
少し嫌そうなニュアンスを含ませて、喜入は苦情の言葉を口にした。
「貴仁君、良かったじゃない。少しは進展したんじゃない? まあ、少しはお役に立ててよかったよ、こっちも。でも、何で私なんかに『付き合って』って言ったの?」
「え? それは――――」
何かがおかしい。
ボクは変な違和感を抱かざるを得なかった。
ボクたちカップルは一度話を整理することを目的として、再び廊下に出た。
「私は、その――てっきり、貴仁君が喜入さんの話を持ち出してくるから、それで故意の相談をされて、それであなたたち二人の仲介人になろうと、そう思ってたけど」
「…………」
「だから、普通に『付き合って』っていうのは、単に『協力』的な意味合いで、私は『よろしくお願いします』って言ったんだけど」
「…………」
「それに、私自身、貴仁君が喜入さんのこと、好きなんじゃないかって」
「…………」
現実というやつに、ボクは固唾を呑んで、そして黙って『彼女』の話を聞く。
「ご、ごめんね。私、貴仁君の事、よく分かってなかったみたい――解っていなかったみたい。私も実は貴仁君のことは好きだし、本当はあの『付き合って』を依頼的ないみじゃなくって、恋愛的な意味にしても、勿論OKを出してあげたいけど――」
「――けど?」
ボクは希望の眼差しと共に、『彼女』の言葉を遮る。
「ごめん。私、他に好きな人、いるんだ」
「へ? もしかして『勉強』とか言わないよね?」
「うん、そんな喜入さんみたいな格好いい女子の真似なんか、する訳ないじゃない」
つまり、現実の世界に――三次元の世界に、ボク以外に好きな人がいるってことになり得るじゃないか? 勉強が彼氏ではないのならば、文脈上の解釈はそうなるはずだ。
じゃあ――――
「でも、私に適しているのは――貴仁君じゃなかったみたい」
「へ?」
安城は平淡な口調のまま続ける。
「私の恋愛における方程式の解は厳密に言えば二つある。だけど、実数解という範囲に対象を絞って、正しい範囲に照らし合わせた場合、あっちだけが正しくなる――そんな気がするの、自然と」
「…………」
何を言っているのか、よく分からない――全く解らない。
「ごめんなさい」
そう言いながら、再び深くお辞儀をした――そして、そのままの姿勢で、
「あなたとは――剣山貴仁君とは男子として付き合えない」
「ごめんなさい」
◆ ◆ ◆ ◆
え、何、ボクって付き合ってるんじゃなかったの? リア充じゃなかったの? カップルじゃなかったの? 恋人同士じゃなかったの? ごめん、意味分かんないんだけど。あんなに深いお辞儀をして、それでよろしくお願いしますって言って、それって完全にボクの告白を受け入れている意味でのそれだよね? 絶対そうだよ? 逆にそんな訳がないよね? 普通。馬鹿じゃないの。馬鹿じゃないの? 馬鹿じゃないの! 馬鹿じゃないの!?
あんな二人っきりの場所で、二人っきりになって、勢いで付き合ってくださいって言われたら、普通はそういう意味での付き合ってくださいになるはずだよね、普通。
え、何々、それとも本当にボクが喜入のことが恋愛的な意味で好きで、それで恋愛相談を請け負う形で、よろしくお願いしますとでも言ったというのか? そんなのありえないだろう。いくら二次元でもあり得ない。三次元でなんて、持っての他だ、普通。
ああああああ、もうこのまま死ねないかな。何か突然家に隕石が落ちてきて、痛みを感じる隙もなく死ねないかな。いや、このままボクが殺人者に豹変して、人類諸共殺して良いかな。世界を、三次元を、赤く黒く染めたい。普通に全員死ねばいい、ボクも同時に死ねればいい。何か二次元とかで登場する幻の聖剣とかないかな。それで人をぶった斬りたいな。どんだけ血で染まるんだろうか。うわあ、全然想像できないな。じゃあ実践してみるか? ははははは、楽しそうだな、それ。皆の死ぬ姿、自分の死ぬ姿、見てみたいわ。いやあそれにしても突然死できないかな、ボク。今すぐ心筋梗塞になって死なないかな。
はぁあ、おかしいだろ、何もかも。普通だったらあり得ない展開だろ、これ。どうして好きな人が二人もいるんだよ。どうしてその二人の中からボクじゃない男を取るんだよ。好きなんだったら別にボクでいいだろう。普通。ああそう言えばプレゼント渡さなくて本当によかったなあ。ああ、もうあれ処分しないとな、燃やしまくって燃やしまくって。
どうしてそんな酷な体験をしなきゃならないんだよ全くどうしてボクだけがどうしてボクだけがどうしてボクだけが不幸を被らなきゃならないんだよおかしい理不尽すぎる。
rpf号はwぷおfgはp上bgh派追うwfぐあうぇfぷおあbhwgfぷあうぇrgぷおはfぱうおえfはおいうぇr@あうぃjrf@あおwhfr@うおあwhうぇおあぴうえふぁ位f栄えふぃおやbファイ終えbふぃオアwいぇふぃうあwんsふぃ栄え畏怖青ウィウf倍オウェbふぃオアbふぃウ案ウェふぃなオウェbフィアウェbフィアウェんdふぃ魚亜ウェbふぉ位亜ⅴbウェふぃぷ名ウィd場尾ウィ絵bふぉいあうぇbんdフォア井wべふぉ位亜bウェふぃなウィpf日AUえっフィアウwねふぃおbぺf外bfぴうあgふぃねrfgんしえるfが言うbfgp氏宇部rf偽ウpsべいるfg橋pるbf偽ウfg倍画rふぃsbf理bfひゅう場wせふぃばを家gyファイ上ヒアウェgr9ウgrアふぉ派いうへおぷはいpんjうぇrfgぱうrうぇgh@うぇんぽえlvrjなせいるhfshbdきvfbzjbきえbdふぃうあいえrybfがうぇいbfがいbfげい死
本当に世界って面白い。馬鹿みたいで面白い。
死ねって思う。心の底から死ねって思う――
死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい死ねばいい
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す――――…………
そもそも、生きるって何だろう。三次元って何だろう。世界って何だろう。人って何だろう。男って何だろう。女って何だろう。生きるって何だろう。死ぬって何だろう。
ゼロって何だろう。
それじゃあさようなら、現実という三次元世界。
「さようなら、女子共」
ボクは遺書を記して、12月27日自殺した――最も、クリスマス当日に自殺しなかったというのも、それは単に思い留まったというか、戸惑った為であって、それに二日間不眠症に陥ってしまった所為もあったのか、ボクは普通に自殺未遂を犯した。
そう。だけど、結局失敗したのだった…………
気付いて目を覚ますと病院にいた(まるでドラマの一シーンのような感じだった)。
周囲を見渡そうと思ったが、しかし、
「……あれ」
か細い声でボクは声という人間の行う動作をした。
完全に首を何かで固定されていて、全然動けない――のだが、
「お、お兄ちゃんっ!」「剣山貴仁っ!」
という、三次元で聞き覚えのある三次元らしい音声が耳に入った。
これは、妹の恩と、そして――――一切言葉を交わしたことがないに等しいであろう、彼女、喜入宵が横にいた。
「…………ぇっ?」
妹は泣いている――嗚咽混じりでしゃくりあげている。
それに対して、喜入は冷めた風にボクを見守っていた。
「ど、どうして、お前が、ここに……?」
今にも消えてしまいそうなくらい小さな声で、重症患者よろしくゆっくりと聞く。
「まあそれは後ででいいでしょう、剣山貴仁。こんな状況で言うのもあれだけど、悪いけどあれ、読ませてもらったわ。もしかしたら私が原因で自分を殺めたんじゃないかって、ちょっと不安だったから」
少なくとも、喜入に原因は一ミリたりともなかった。それだけは覚えている。
でも――――
「そ、それに、妹、まで……」
「決まってるじゃない! 心配したんだよ!」
思いっきり殴りかかってきそうな勢いで妹は発言する。
「お、お母さん、は……?」
しかし、保護者であるお母さんの姿はここにはなかった。
「…………」
「…………」
そして、ボクの素朴な疑問に、眼前の女子二人は答えようともしてくれなかった。
「お、お母さん?」
「あなたのことなんか知らないわ――剣山貴仁。そんな名前の人は、私はもう知らない」
「い、いや、でも――」
「どうして人を殺したの、あなたは。私はそんな風に育てた覚えはないけど」
「……そ、それは」
「殺すくらいだったら――死ねばいいじゃない――終わればいいじゃない」
「…………」
「どうして……、どうして? 何で、あの人と――お父さんと同じことしたの? あんたはあの人を見て、何も学ばなかったの? 何も勉強してこなかったというの? どうして私の周りの人は次々と消えていくのかしら。ひょっとして、私って死神なの? 次女はもういないし、配偶者は自殺するし、それに――長男も殺人未遂を犯すし。本当に不幸だわ。不幸すぎてこっちが死んじゃいそう。いや、もう私はあんたの母親としては死んでいるわ――完全に死にきっている。もうこの三次元にはいない。さようなら偽物の子、虚数解」
こうして、ボクは母親に嫌われ、そして今に至る――
また、この時から頻りに妹とばかり関わるようになり、喜入もまた同じくそうだ。
でも、それを決して後悔していない自分も、いる――存在している。
だって、今も尚、三次元として生きているのだから。
◇ ◆ ◆ ◇
「――それは大変……というか、お気の毒、だったね、剣山君……」
恋と死の物語を聞き終えた筑波さんは何故か小さく同感した――まるで痛みの第一理解者であるかのように。
それに次いで、彼女はボクの物語を聞いている最中、不快な表情を一切浮かべず率直に聞いてくれたので、個人としてはなんだか――モヤモヤではなく、スッキリした感じが、心の奥底にあった気がする。
「それにしても、安城さん、か……」
「……え? も、もしかして奴と知り合いなの? そうとも知らずにうっかり全部物語っちゃったんだけど……、」
もしも彼女と何らかの関連性があるというのならば、ボクは逸早く口止めしておかなければならないだろう。
まあ、語ってしまった自分も自分だから、とやかくは言えない……
「大丈夫、私、結構口堅いから、他の人には言わないよ?」
「本当に? いや、筑波さんを信頼していないって訳じゃないけど、そういう文言を口にする人って、結構口軽い場合が多いと思うんだけど。それに、今日の筑波さん、何かがおかしい気がするんだけど、気の所為か……?」
「そ、そう? い、いつもどおりじゃない?」
今日に限って、何だかボクに積極的であるというのは事実だ。この女子は普段、普通の女子とは違って女子女子してないし、女子らしい仕草とか、漫画とかで出てくるいやらしい行動とか、そういうのが一切ない――女子じゃない女子みたいな感じなのだ。
ま、まさか、この子、ボクのことが……! 的な展開には絶対ならないのは分かるが。
そう、ボクにラブコメは起こらない――起こったとしたら、それは絶対間違っている。
方程式の解として、間違っていて、虚数解でさえある。
「それで、そ奴――口にしたくないけど、安城蓮がどうかしたの?」
「その人は、私の元恋敵だったの」
筑波さんは、にこりと八重歯を見せてボクに微笑んだ。
そして、何処かぎこちなく――自嘲気味だったのを、ボクは不意に勘付いた。
【第六問】文化祭、何が起こるかわからない。
7月1日金曜日のこと。
とうとう待ちに待った連立高校文化祭が幕を開けた今日。
本日文化祭初日の開催メニューは、ステージ発表、各部門展示物披露会、そしてメインイベントの行灯行列という感じである。全終了時刻は午後七時くらいだろう。
学校全体を通して、何処か浮ついた空気が蔓延していて、広大な体育館内にいる生徒だけでなく、学校の教職員たちも勿論のこと、一年に一度しかない祭りに熱狂している。
勿論、ボクはこんな行事に楽しみを覚えているはずがなかった。
教室展示――自分の教室を彩ったりして来客人をもてなす部門。
ステージ発表――一クラスずつステージ上で発表を行い観客たちを楽しませる部門。
行灯行列――各クラスで行灯を一基ずつ作成し、夜に町中を練り歩く部門。
その他諸々――部活動主催展示部門、茶道体験会、PTAショップ、etc……
互いに協力し合い、協調し合い、時に衝突し合い、笑ったり泣いたりして作り上げる。
文化祭こそが青春生活において最も『喜怒哀楽』を味合うことの出来る行事だろう。
人と人とが支えあい、時には崩れ、そうして『学祭青春』という期間限定品をとことん堪能する。例えば、念願の恋心が成就したり、逆に失恋したり――それもまた文化祭における『青春』の一時。そして、リア充の割合が最も高くなる時期。
だからこそ、ボクは文化祭という行事が極めて嫌いだ――女子と同様に嫌いだ。
異性と異性とがくっつきやすいこの時期こそ、あの一件を想起させるさせるのだから。
遺憾ながら(?)、ボクという狂った人間は、恋というものを、もう知らない。
正しく言えば、二度と知ってはならない――
「第四十五回連立高校文化祭、始めぇぇぇぇぇっ!」
早速開祭式での女生徒会長の言葉を皮切りに、漸くステージ発表が開始した。
ボクはこの際、体育館の後方に座っており、それ故にステージ上での演技に興じている人々の姿が米粒程度にしか見えず、『人がゴミのようだ!』状態で逆に楽しく思えた。
そして、隣には体調不良からの復活を遂げた喜入宵がいるから、つまらない訳ではない。
「――って、何でお前が隣にいるんだよ。ボクは一人でいたいんだけど……」
個人的に、こういう大盛り上がりするような行事はどんな時であろうと静かに、孤独でいたいものなんだけれど……、所謂ぼっち志願者なんだけど。
いや、これもまた精神的ないじめなのか……容態が回復してから早々、もうボクをいじめるというのか。
「いちゃダメなのかしら。久しぶりに再開したと思ったら、そんなに冷たい態度を取られてちょっとショックだわ。こっちが精神的にいじめられているわ。え~んえんえん」
「いや、擬音語で泣いても無駄だから。それが許されるのは二次元だけだから」
まして、こんな『可愛いキャラ』じゃない女子がそういうのを使ってしまうと、ちっとも心が奪われない。妹とか礼井野がやった方がまだ効果はありそうだ。
「それにしても久しぶりだな、喜入。一体何で休んでたんだ?」
「礼井野伊代から聞いていない? ちゃんと伝えてって言ったのに……。えっと、まあ、その、風邪よ。私は馬鹿じゃないんだから、簡単に風邪を引けるのよ?」
「意味不明だよ。というか、お前と礼井野の関係がいまいち分かんないんだけど……」
まあ、女子同士ないし百合の関係なんか本当はどうでもいいが、でもちょっとだけ気になる。それは多分、礼井野のことを自然と気にしてしまうのが原因なのだろうか?
「安心なさい、私たちはどういう関係ではないわよ。近親相姦なんて、持っての外よ」
「近親相姦!? あいつとえっちなこを!?」
「ちょ、ちょっと、声が大きいわよっ!」
喜入は顔を真っ赤にして、滅多に見せないような恥じらいを見せる。
確かに、周囲からの痛い視線は感じられたのだけれど、でもこれを期に、喜入がボクのそばから離れてくれるのならば、それでいいと思う。
がしかし、喜入には全く離れる気がないようで、そのまま流れで話が継続した。
「まあいいわ。それで、どうだったの? 私がいない間、何か進展とかあったの?」
「進展? ああ、展示のこと? それだったら、予定よりも大幅に進んだから、結構暇だったよ。放課後とかは残業なかったし、ブラックならぬホワイト企業だったよ」
一応、あえて喜入にはあのことは伏せておいた。女子三人と一緒に、両親不在の自宅で遊んでいたことを知られてしまえば、後々どんなお仕置きを食らうことになるのか、不安だったからだ。
「あらそう。ちなみに、串本斗は一回か来たのかしら?」
「あ、ああ。いや、一度も来てないよ、あいつは……、串本斗は……」
串本斗は――
ボクはその名を反復させた。
◇ ◆ ◆ ◇
「元恋敵って……? それってどういうこと、なの……?」
話は昨日の文化祭準備時に遡る(一応解説しておくが、教室で二人、ボクとリーダーの筑波さんで雑談を交わしていた。まあ、その時に話していた内容は今更省みるつもりはないけど、大体各々の辛い過去を話していた)。
「そう、元恋敵」
筑波さんは言って頷く。
ボクの青春生活に終止符を打った安城蓮が筑波さんの恋敵? 恋敵ということは、つまり安城の恋のライバルは筑波であって、尚且つ筑波の恋のライバルは安城だということ?
でも、それはおかしいはずだ。あり得ない想像だ。だって、あの女と筑波さんには、一切の共通項がないのだから――
「だから私は串本斗君が好きだったの――人として、異性として、男として」
「! ってことは、まさか……」
そう、そのまさかだ――共通項はあるじゃあないか。
安城蓮という女と同様に、筑波実輝さんも――串本斗が好きなのだ。
ただし、その恋愛的事象が過去完了形なのか、現在進行形なのかは、筑波さん話しぶりから判断することは不可能だ。
まあ、恐らくは過去の話であって、今も尚好きであるという可能性は少ないだろう。
「ということは、俗に言う恋の宿敵ってやつ? 安城という女子が」
「『女子』って……。ま、まあ以前まではね。だから私はいまこうしているの」
負け惜しみ――負け犬の遠吠え――のように、そう呟いた。
「今こうしているって――」
「だから私は単なる敗北者ってこと。告白もせずに振られ、裏切られたという感じ」
悲哀を含蓄した言葉にボクは少し戸惑う。
そして、何故か泣きそうになってしまう。
「それに、彼女は現在進行形で串本君とお付き合いしているんだよ――串本君と」
「――――…………!?」
一瞬で呆気にとられてしまった。あまりの事実に、真相に、石化してしまった。
あのクリスマスの日、安城という自殺の元凶者の好きな人が――もう一つの実数解が串本斗だったなんて――――まさか、結構身近に位置する串本という女子らしい男子が――ボク自身の恋敵だったとは。好敵手もいいところである――
「なるほど……、漸くあの一連の件について、全て繋がったような気がする」
「あぁあ、何だかんだ負けちゃったっていう感じだよ……」
「それにしても、筑波さんって以外に『青春』してるんだね、意外……」
「青春って言っても、全く青い春なんか来てないけどね。大事な試合で負けてるし」
要約すると、筑波さんは安城蓮に串本斗を奪い競い合うという、恋の試合に敗北したということになる。つまり、安城は正真正銘の元恋敵であり、その試合の勝利者ということになろう。
奇しくも、筑波さんは串本の彼女にはなれなかった。
確かにそれを聞けば、そして安城との関連を聞けば、全ての脈絡が繋がる。
「負け、か」
「負け、ね」
まるで過ぎた青春生活を惜別するかのように、ボクたちは負けを認めた――
それから、たった今失恋したような雰囲気で満ち溢れていたボクと筑波は、作業も全て終えていたが故に、一階に新しく設置されたばかりの最新自動販売機に出向き、それから大好きなブラックコーヒーを二人で買うことにした。無論、ブラック、甘味0%――
苦々しく、黒々しい感情を抱きながら――何も言わずひたすらそれを飲んでいた。
他の部門たちの様子を羨望視しながら――何処か異相的な風の目つきをしながら。
失恋ラブコメのように――あるいは、青い春ならぬ黒い春という感傷に浸っていた。
◇ ◆ ◆ ◇
時間軸は今現在に戻る。
「あのさ、関係ないこと、一ついいか? 前から気になってたんだけど――」
「私のスリーサイズについてなら、教えてあげないこともないけど。まあ、セ■レの体躯に関して知識を刷り込んでおくというのは結構いい心がけだと思うわよ」
「何でえっちすること前提なんだよ。それにボクたち、セ■レじゃないから。多分一生かけてでもならないと思うぞ、そういう関係に」
「まあそう言うのも無理ないかもしれないわ。だって、あなたは女子が嫌いだものね」
喜入は落ち込んでいる時の口調で嘆息する。
そもそも、どうしてそこまで落胆されなければならないんだ? 喜入ってボクのこと恋愛的な意味で好きなの……? それは悪い冗談だな。
「まああなたの女嫌いは承知しているわ。そりゃあの時、あんなことがあったのだから、しょうがないわよね」
「どうしてお前が――勉強の好敵手である喜入が、ボクの青春事情に同情してるんだよ。まあ、あの時一緒に過ごした仲だからなんだろうけど、でもそこまで同調する必要はないんじゃないのか? だってこれは――ボクだけの問題なんだから」
「何を言ってるのよ、剣山貴仁。それはあなただけの問題じゃないじゃない。少なくとも私と剣山貴仁の妹さんも深く関与しているでしょ」
確かにそう言われてみれば、そうなのかもしれない。ボクは嘗て人を殺めた。その後、親とは疎遠になり、妹からは真剣に叱咤され等々……、あまり思い出したくないことが山程あるが――それも、全ては勉強不足の所為だと、実の母親から指摘を受けた。
それからだろうか――つまり、昨年の12月27日以降のこと、ボクは女子という存在を絶対的に忌み嫌い始めた。まるで女子が汚物にしか見えなくなり、存在そのものが闇にしか見えなくなり、実数に見えなり、虚数という偽りのそれにしか見えなくなった。
でも、この世で二人だけ、例外がいた――ボクの隣で看病してくれていた妹の恩。そして、病室でボクと一緒にいてくれた女子とは言えない女子――喜入宵。
妹に関しては、その事件が起こってからは仲良くなった。元々、ボクは妹を一切可愛いだとか、女子らしいとか思ったことはなかったけれど、しかしそれからは好きになった。喜入宵の場合、正式にいつ頃から仲睦まじくなったかは覚えていないけれど、多分学力という武器で互いに互いを傷付け合おうとし始めた頃以降であるのは確かだ。
「……何か、ごめん、喜入。あの時救ってもらった人に、これはボクだけの問題だって言い張って、それで自分だけ問題を独占しようとするなんて、何かおかしな話というか、筋違いというか、そういうのが確かにあるかもだし……」
「あら、今日は威勢がないじゃない、剣山貴仁。いや、諦めが早いだけなのかしら? まあいいわ。そうね、問題は独り占めしちゃダメよ? 問題というのは、勉強した人が必死に計算して解くものなのだから」
「本当に倫理的な意見だな……」
やはり、学校を休んでいた間も『勉強』を勉強していたのだろうか。流石は喜入宵、学年一位だけの力量はある。勿論、ボクよりもずっとずっと、偉人で、異人だ。
いよいよ文化祭ムードによって、ボクの周囲は拍手喝采の嵐と化し、ついには隣の友人の声さえも聞こえづらくなってきた。
「それで剣山貴仁、さっきあなたは何を聞こうとしていたのかしら。もしも本当におっぱいの大きさとか体重とか、そういう類の質問だったら、今から空き教室にでも行って話したいんだけど。密室空間で二人になりたいんだけど」
「こんな状況で空き教室に行こうとしたら、間違いなく他の皆に噂されるだろ! 『あの二人、今頃誰もいない場所でいちゃいちゃラブラブしてるはず』って感じで!」
「え、嬉しくないの? あなたのことだから、喜び勇むと思っていたのだけど」
「そんな訳がないだろ。からかうのもいい加減にしろ! って、そう言えばなんだけど、喜入って今日の行灯行列はどうする予定なの?」
「私は恋人と行くわよ。だからあなたとは歩けないわ。残念残念」
「へー……ん? え、ええぇぇぇぇぇっ!? こ、ここここ恋人ぉぉぉぉぉっ!?」
普段学校では根暗な性格を完全に醸し出して生きている喜入に、彼氏がいたの!?
「お、おい、誰なんだよ、その人!」
「あなたの身近にいるわよ? 気付かないのかしら。まあ倦怠期だからね」
「み、身近ってことは、同じクラス? そして文化祭準備期間で一緒に活動していた人ってこと? え、もしかして……」
ボクは一つの可能性に辿り着いた。
――ちなみに、串本斗は一回か来たのかしら?
――倦怠期だからね。
喜入の言を脳内で整理して、推理した結果、
「串本斗」
それがボクの計算過程から導き出した答え。
だがしかし、
「あなた、本当に殺されたいの? 大事な棒、ちょん切るわよ」
「何でそこまで怒るの? 倦怠期だからか?」
「これ以上黙ってくれるかしら。串本斗は絶対に違うわ。これ以上問い詰めると、本当に殺すわよ?」
と、喜入は真っ向から反論し、物凄い勢いで怒り狂い燃えて盛っていた。
殺す――――
「なあ、喜入。今から空き教室に行かない?」
「いいわよ。私も今ちょうど誘おうと思っていたから、じゃあ私についてらっしゃい」
そう言いながら、喜入はボクの左腕を掴んで、空き教室へと連行し始めた。
◇ ◆ ◆ ◇
原則として、勝手に文化祭から一時離脱するのは認められていなかったが、ボクたちは抜き足差し足忍び足で、どうにか空き教室という異次元世界に到着した。
机と椅子が少々乱雑に配置されていて、前来た時とその趣は一切変わっていなかった。
いや、ただ一つだけ、違うものがあった――それは、今ここにある色気や雰囲気だ。
「いやぁんっ! そ、そこは、らめぇっ!」
「おいおいどうしたんだよ、いつもの大人びた感じがないぞ」
「そ、そんなこと、言われ、ても……」
「ほらほら、今度はこっちだ!」
「あぁんっ! もっと、もっと強く! 激しく!」
「――――って、変なこと言うなぁぁぁぁぁぁ!」
ああ、勘違いしないでほしい――別にボクと喜入はお互いにえっちな行為に及んでいる訳じゃない。ただ、喜入が人気のない所に行くついでとして、今夜行われる予定の行灯行列時の和装に着替えよう、という裁断であって、それでボクは助手として喜入宵の着付けに協力している最中なのだ。
繰り返して忠告しておくが、えっちはしていない。えっちはしていない。
「それで、次は何をするんだよ。いくら妹が土日に着物を着ているからと言って、着物の着付けだとかは本当につゆも知らないんだけど。てか、一人でそれくらいやれよ、天才」
「別にいいじゃない。これはサービスなのよ? この前、引っ切りなしに、ここであなたを殺したんだから、そのお返し」
「お返しにしては足りねーよ! ――あ」
大分前のことだからすっかり忘却していたのだけれど、喜入はボクを一回だけ殺そうとしたのだった。今更ではあるが、そんな世界一危ない奴と、どうしてボクは行動を共にしているのだろうか……? 第一にその理由――ボクをわざと殺そうとした要因――を問い質しておいた方が良さそうだ。
だから、ボクは歯に衣着せず聞く。
「あのさ――どうしてあの時、あんなことをしたんだ? どうしてボクを殺めようと」
「驚かないで聞いて頂戴。実は言うとね、あなたは――」
「あの状態だと、あのまま殺人を犯していたのかもしれなかったからよ」
「? あのまま? 殺人を犯していた……かも?」
「そう、あのまま人を殺したのかもしれなかった。あくまで可能性でしかなかったけど」
この時喜入の言の意図が、ボクには全然理解できなかった。
「その日、何があったかしってるかしら、剣山貴仁は」
「いいや、何も知らないけど――」
「あの日は……」
あなたの正しい恋敵であるところの、串本斗の誕生日なのよ。
と、喜入はいつも通りの平淡な風で言った。
でも、その日に、ボクという人間が誰を殺すのか?
「その日、あなたが仮死状態になっていた頃、つまり生き返るために躍起になっていた頃、彼女は2年D組のクラスに現れた。そう、彼女――安城蓮よ」
「!?」
信じられない過去的事実に、ボクは息を呑むしかなかった。
ということは、喜入が言う、ボクの殺そうとした相手とは――――
「そうよ、その通り。あなたがあのまま礼井野伊代と教室で話していたら、遭遇していたのかもしれない。それを未然に防ごうとして、そして串本斗があの女の彼氏であることを、あなたにバレてしまわないように、工作しようとした――」
それが正しい答えよ――と、彼女は文末に付け加えた。
正しい、答え――
「で、でも! それだったら仮死状態にするまで、ボクに悪事を働かなくても――」
「そして、もう一つだけ、理由があるわ」
「も、もう一つ?」
「あなたは自殺を犯してから、どうも人間らしくない人間になっていた。だからそこで、私はこう考えたの――一度だけ真理を――方程式を見てきた方がいいんじゃないかって。それに言ったでしょ、『周囲を欺く』――つまり、人間方程式を偽っているのでは、と」
「!?」
またもボクは言葉を発せられなかった。
まさか、こいつ……、あの『生と死の狭間』、ゼロ次元世界を知っているのだろうか?
まあ、それは本当にただの夢――悪夢の世界なんだろうけど。でも、脳内の世界なんだからゼロ次元という世界を他の誰かが知っていてもおかしくはない――それを認識しているかどうかは別の話として――
「で、あの、かなりいいシーンで、色々聞きたいことが山々あるのは分かるけど、もうそろそろ体育館に戻らない? 話は明日の展示周回の時に、文字通り腰を落ち着けて」
「その表現だと、ボクたち今まで腰を一所懸命に動かしてえっちしてたみたいな風じゃねーかよぉぉぉぉぉ!」
「そんなに大きな声を出さないでよ。万が一、億が一、誰かが聞いてたらどうす――」
「あ、あのー……」
と、本当にタイミングよく――否、超絶タイミング悪く、破廉恥(?)と化した教室に、誰かが入り、そして怪訝そうに声を掛けられた。
「え! 何で筑波さんがここに!?」
そう、筑波実輝さんだった。この世の終わりというか、闇を見てしまったという風の目線を筑波さんはボクたちに対して向け、そのまま威勢よく、
「ご、ごごごごごごごごごごごごごめんなさいっっっっっ!?」
と、大声を発して、そのまま疾風の如く、踵を返してしまった。
「お、おい! そうすんだよ! 絶対誤解されてるだろ! 喜入、どう責任を取ってくれるんだ?」
ボクは喜入の肩を激しく揺さぶり(結果的に浴衣が崩れた)、とことん責めた。
「な、何よ、責任転嫁するつもり? これくらいの問題は自分だけで解決してよ。この世には、自分だけに直面する問題も少なくないんだから!」
喜入はいやらしい感じに緩んだ浴衣の帯をきっちり締めなおして言う。
先程よりもかなりきつめに結んだのであろう、普段と比べて胸が異様に膨らんでいる。いっつもは制服の上からしか胸部の起伏を見たことがなかったし、だからだろうか、結構大きく誇張されているように思える。
「あら、私が帯を締めてから、剣山貴仁の顔が異常に火照っているように見えるのだけれど、ひょっとして気の所為なのかしら? まあ、女子が和装姿になると、おっぱいがどうしても普段より膨らんで見えるから、それ故に見入っちゃうのは仕方がないわよね」
「そんな訳ないだろ。ボクは女子に興味ないし、おっぱいなんかはどうでもいいんだよ」
「おっぱいとは女の財産なのよ? 貧乳の人――筑波実輝とかは違うだろうけど」
「しれっと固有名詞を用いて貧乳キャラクターを批判するなよ!」
それは決してボクの同情心からではなく、単に人として、人間として考慮したから言ったまでだ。筑波さんの胸が本当にミニだからと言って擁護する為に言ったのではない。
「ついでに、言い忘れていたことがあったわ」
「何? どうせまた下世話ネタだろ?」
「あなたもきっと察しがついているとは思うのだけれど、私は例の次元に関しては何も知らない――つまり、剣山貴仁が体験したであろう夢の内容については周知していない」
「え?」
こいつ、急に何を言っているんだ?
まさか、ボクの誤解を勝手に正そうとしているのか?
さっきは一瞬だけ、『こいつは生と死の狭間を知っている』のだと本当に思ったけど。
ボクの疑問に一切応じず、そのまま流れで話を継続する喜入――勿論、無表情で。
「だから私があなたの計算結果を訂正してあげる。あの世界はあなたの夢の世界だと思っているのでしょうけれど、それは違うわ。あれは夢じゃないのよ。あれは――」
「多重人格障害――解離性同一性症候群の結果なのよ」
「要するに、あなたは偽のあなたという幽霊を作り出して、そしていざ死んだ時に、それを見ることによって、その人格者の命を、本来のあなたに寄与する形で、結果としてあなたは現世に生きているということになるの――まあ、無理に信用してもらう必要はない。それに私は気付いだけで、だからわざと残酷な手段として、あの時殺すことを選んだ。さっきは『あなたの殺人を未然に防止する為』なんて私は言ったけど、でもそれは建前ね」
「…………?」
依然としてクエスチョンマークが消えない。
「もっと言ってしまえば、そんなくだらない理由を背景に、私は欺瞞状態にあったあなたを――彼を、ぶっ殺すことで、正しい『剣山貴仁』を取り戻そうとしたのよ」
「…………」
最早何を返答していいのか、何が正しいのかすら分からなかった。
「私の話はここまでよ。それよりもあなたは今筑波実輝を探しに行かなくていいの?」
◇ ◆ ◆ ◇
ボクは廊下を疾走する。
ちょうど体育館でのステージ発表が終わり、大量の見知らぬ生徒で混雑しているが、それに一々構わず、人ごみを幾度も掻き分け掻き分け、筑波さんを探す為に、全力で走る。
格好いいようにとは言えないけれど、『廊下を走るな!』なんていう標識も無視して、ひたすら走る――誤解状態の筑波さんを見つける為に。
と、そんな時だった――――
ばんっ! と、思いっきり誰かの肉体的な柔らかい部分に衝突した。
「……ぁっ!」「きゃぃぁっ!」
その場で勢いよく後ろに転倒したのはボクとその相手だけで、幸いここはまだ人口密度が低かったので、そのままドミノ事故になるということはなかったが――しかし、
「…………」
「…………」
その相手というのがまずかった。非常にまずかった。気まずかった。気まずさを通り越して、最早『無』の状態にさえなった。
化粧でもしているかのように綺麗で美しい顔立ち、誰をも魅了するような凛々しい長い銀髪の女子、そして例の女の横にはボーイフレンドと思わしき男子。
しかし、かけ合う言葉も、謝罪の言葉も、ここでは一切交わされなかった。
いや、ボクたちは相互に、かけようともしなかった。
なぜなら、その被害者というのが世界で一番、世界で二度と、世界で一生会いたくもない人物だったからである。
安城蓮。
「…………」
「…………」
異常な沈黙が続く――しかしそんな中、
「お、おい。大丈夫か、蓮」
そんな心配の言葉をかける彼――『彼氏』が現れた。
串本斗。
「…………」
「…………」
「…………」
彼はしかし、ボクに心配の声すらかけてくれはしなかった――否、当然と言うべきか。
そして、「う、うん。大丈夫だから。ごめんね、ダーリン」と、言って、彼氏はその後転倒してしまった彼女を起き上がらせる。
「さ、さあ行きましょっ、学年で一番美しい私のダーリン」
「ああ、そうだな、この世で一番可愛い俺のハニー」
ボクは誰の手も借りずに自力で起立し、ズボンに付着した埃をぱっぱと払う。
そんなやり取りに、カップル然としたコミュニケーションに、しかしボクは、
ボクは何も思わない。ボクは何も思いたくない。ボクは何も思うことはできない。
死ねとも、思わない。
「いてててっ……」
勢いよく固い床に後ろから転んだので、尻が痛い――が、それ以上に痛かったのは心だった。肉体的な痛みよりも、精神的な痛みの方が、数千倍勝っている。喜入のいじめよりも痛かった。はあ、全く、学祭は本当に何が起こるか分からない……
その後、無心でボクは走り続けた。色々な場所を捜し求め、一時間が経とうとした時、
「あ、あれ? 剣山さん? どうしてあなたがこちらにおいでなのですか?」
とある女子に出会った。
「れ、礼井野!」
礼井野とは先日色々あった仲だけれど、しかし今はそんなのは考慮していられない!
まあ、いずれは例の妹問題の大きな伏線を回収しなければならない日が来るのだろうが。
「あ、あの、どうしたのですか、こんな所で。ここから先は男子立ち入り禁止区域ですよ? この高校に所属している沢山の可愛い女子が可愛い和装に着替えているのですから」
「それは今さっき十分見たからいらない! それより――」
ボクは礼井野に思い切って本題に入ろうと啖呵を切った。
「なるほどですわっ。実輝っちをお探しなのですね。先程こちらにいらしていたはずなので、もしかしたら今頃女らしい服装に着替えているのでは?」
「そ、そうなのか? まあでもさっき会った時は普通に制服だった気がするし」
さっきというのは言うまでもなく、例の教室でばったり危ないシーンを目撃された時のことである(流石にその事実を礼井野に伝えるわけにはいかないが)。
「何なのですか、剣山さん。ま、まさか、この部屋を覗く為に私を利用しようと!?」
礼井野は汚物を見るかのような眼光をボクに向けて嫌々しく言う。
「そんな考えじゃないし! だから、ボクはさっき十分に可愛い女の子の浴衣姿を見たから、もう見なくてもいいんだよ――って、そうでもなくって!?」
「まさか、もう既にこの部屋に入ったというのですか? 既に犯行に及んでいたというのですか? 大変ですわっ! 今から警察をお呼び致しますので、少々お待ち下さいませ」
「ボクがそんな犯罪を犯す訳がないだろ!」
そういう自分は、人生でたった一度だけ、覗くよりも重大な罪を犯しているから、実を言うと説得性には大分欠けてしまうのだけれど、しかしボクの殺人事件に関してはこの礼井野は知らないからな。
現実に、厳密に言えば、確かにこの礼井野はボクの妹なのだろうが、でもその証拠がない限り――的確な、明確な、正確な現実情報がない限り、あの事件を語る気にはならない(筑波さんは例外対象だ)。
まあ、いずれは開示しなければならない時が来てしまうかもだが……
って、今はそんなこと考えている場合じゃないんだ!
「それで、もしも着替えてるんなら、あとどれくらいで終わるんだ?」
「人にもよりますが、あの子は着付けをあまり知らないようですし」
「え? というかそういうお前はまだ着替えないのか? もしかして、お前も着方が分かんないからこうやって外で誰かを捕まえようと?」
「勝手に推理しないで下さい! いくらなんでもそれは傷付きますわよ? そうですわね、それでは誰もいない教室に今から行って性的に乱暴してあげましょうか? 一緒にえっちなことをして、実輝っちが来るまで隙を潰しましょうか?」
「変なこと言うなよ! ほらほら周りにも沢山人がいるのに、注目されてるだろうが!」
周囲からの視線が異常に痛い。大体、ボクは女子が嫌いなのに、何でそんなラブコメでよくある痛々しい視線を送るんだよ! ふざけるんじゃない! ボクの気持ちも知らないくせに! 今すぐ他の男子と立場を変わってあげたいくらいだ!
と、そんな矢先のことだった――――
「つ、つつ、つつつつつつつ剣山君っっっっっ!?」
驚愕これ極まりといった風で、隣の教室から出てきた筑波さんが声を上げた。
「やっと見つけた! って――――」
しかし、当の彼女、筑波さんはというと…………
「じょ、上半身がっ!」「――あ、きぃぁっ!」「ちょ、ちょっと!?」
ボクたち三人は同時に、それぞれ意味の異なる悲鳴を上げた。
「浴衣の帯がぁっっっっっ!?」
筑波さんの上半身が文字通り赤裸々になっていたのだった。
やはり、他人に自分の綺麗な素肌を晒したくなかったのか、それとも自分の胸部の起伏が他の女子よりも小さいのを気にかけたからなのか、まあとにかく筑波さんは逸早く両腕で胸をぎゅっと抱いた。
「ぼ、ボクは、その――――見てないからっ! 絶対にっ!」
とは言うものの、でも実際は生のそれを目視してしまったのは事実だった。だからと言って、別に赤面したり、照れたりしてはいないが、風紀というか常識を考慮して、ボクはそう言いながら目を逸らしておく。
「い、いいや、私は大丈夫だからっ! そ、その、剣山君だったら大丈夫だから――って、今私何て!? あれ……? あ、あの、その……、何でもないからぁぁぁぁぁ!」
「実輝っち、何もそこまで否定することはないのでは? 確か、このクズ童貞野郎の代表中の代表である剣山貴仁は『女子なんか嫌いだ』とか思っていらっしゃるはずですわよ? この男は何せ異性に見える者に強く嫌悪感を示しているのですから、ね」
「し、知ってるけど、剣山君が女子のことを嫌いだっていうのは知ってるけど!」
筑波さんは小さく言う。
「もういいわよ、こっち向いてくださいませ、剣山さん」
「あ、ああ、うん。何かごめんなさい、筑波さん……。ちょっとだけ、見ちゃった」
一先ずボクは謝罪した――さっきあいつと衝突した時とは違って、ちゃんと謝った。
「べ、別に大丈夫だよ? こっちこそ、ごめん。ちゃんと帯を締めたつもりだったんだけど。全然緩かったみたい。やっぱり小さいからすぐ解けちゃうのかな? なんちゃって」
何故か筑波さんは実にあっさりとした表情で返事をしてくれた。
普通であれば、もっと複雑というか、憤りを含んだ感じで良いと、ボクは思う。そこが彼女なりの人間的優しさ(?)みたいなものだと思えば、そこまで不快感を覚えることはあまりないのだけれどな。
「というか、実輝っちもそんなことしてないで、さっさと締め直しちゃいましょうよ? こんなところでこんな可愛い女子が二次元ラブコメみたいなことしてたら、腐った男子共がハエのように寄ってたかって来ますわよ?」
いつもは悟られる側の礼井野が大親友の筑波さんに優しく注意を促した。
「あ、ああ、うん! そ、そうだねっ! じゃあ今すぐ結んでよ、伊代」
「分かりましたですわ! 二度と緩まないようにきつく締め上げますわね? それに、胸が少しでも大きく見えるように――」
「!? ちょ、ちょっと! 男の子の面前で何てこと言うの!」
「良いではありませんですか? これからおめかしをするのですから」
その後、例の女子二人は教室に入り、そしてお直しをするのだった。
◇ ◆ ◆ ◇
礼井野と筑波さんの着替えが完全に完了して、そしてその後のこと、
「剣山貴仁さん! 準備できましたですわよ! じゃじゃ~~んっ!」
そんなリズミカルな口調で礼井野が教室から登場した。
色彩豊かな浴衣姿、且つ元々おっぱいが大きかった為か、帯を締めることによってより一層巨大に見えた胸――それらによって、JKとしてはかなり色気の濃い変身だった。
それに加え、上裸事件の発端者――筑波さんはさっきよりも帯をきつく締めたが故に、「こ、これ、苦しいよぉ」と苦言を漏らし、さらに文字通り苦しそうな顔をしている。
しかしながら、ボク自身はというと、そのまま制服のままである。まあ、先程の空き教室で、喜入と同時に着替えを済ませておこうと考えていたのだけれど、
「そ、それで本題なんだけど――筑波さん、さっきはどうしてボクの所に来たの」
そう、喜入と共に下劣な会話を交わしている途中のこと、彼女はボクを尋ねてきたのだ。
だから、ボクはその理由をどうしても聞きたかったし、それに誤解を解きたかったのだ。
「ああ、さっきのこと? そ、それは……」
後ろめたさを感じさせるような表情でもって、筑波さんは若干俯いた。
「何でもないならボクから一つ、いいかな?」
「ど、どうしたの? つ、剣山君……」
「あの、あれは違うんだ! 喜入がボクのことを了承なく勝手に空き教室に連れただけなんだ! だから、本当にえっちなことしてないから!」
筑波さんは依然として下を向いた状態だったが、しかしボクはこのまま言い訳というなの弁解を全力で継続する。
「あいつとボクの関係、知ってるでしょ? 昔は同じ部活動で、それで例の事件にも濃密に絡んでいて……、だからあいつだけは違うんだ! 友達以上でも恋人未満でもない、ちょっと特殊な関係で、それに勉強面に関してはあいつとボクは相互にライバル関係だ! だから信じて! お願いします!」
ボクは力の限り、全力で深々と礼をする。
「ふふふふ」
何故か知らぬが、筑波さんは笑っていた――これが嘲笑なのか、それとも本当に面白かっただけなのか……? しかし分からなかった。
一方、筑波さんと共におめかしを終わらせていた礼井野はというと、顔を青ざめており、本気でボクのことを引いているみたいだった。
「どうしたの、剣山君。別にそんなのは気にしてないよ? 大丈夫、私はあの時ちょっとだけ勘違いをしていただけなの。剣山君って確か女子のことが――いいや、女子のことが嫌いだって、なのにどうして喜入さんとは一緒にいるんだろう、喜入さんと戯れてるんだろう、って思っただけなの」
「? それって、どういうことなの?」
「でも逃げいてる途中で思い出したの――剣山君にとって喜入さんは特別な人だって」
「…………」
特別な人――?
その言葉を耳にして、ボクは身体を動かせなくなった――身体が固まってしまった。
今更気付いたことではあるが、実際問題、喜入は確かにボクにとっては特別である。
内面上・外面上問わず、喜入宵のことを何処か特別扱いしていた気がする――それが『女子』であるのにも関わらず、身内でないのにも関わらず――しかし、それは自殺に絡んでいるからで――――いや、これは違うかもしれない。
よくよく考えると、喜入がどうしてあの日あの時、死にかけのボクを病室で見守っていたのか、大体理由が分かってきたような気がした。本当に今更だけれど……
どうしてそんな積極的な『女子』を、ボクは受け入れているのか…………?
どうして彼女、喜入宵がここまで、ボクという人間に――ボクという『問題』に絡もうと、絡み合おうとするのか……?
甚だ疑問である。
「どうしたの、剣山君……?」
「剣山貴仁さん? 聞いていますか?」
「…………」
無視をしている訳じゃない。ただ単に、ボクは衝撃的な回答に辿り着いたが故に、他からの干渉が今現在無効になっているというだけだ。
時間経過、十分後――
漸く我を取り戻したボクは、彼女たちの呼び声に答えることができた。
「お、おう、ごめん……、ちょっと、いや、かなり考え事を――」
「いくらなんでも長すぎますですわよ? もしかして私たちの着衣の下を想像し照らしたのですか? 肌色が美しくて、アニメのように若干ピンク色に染まっている谷間が、あなたの脳内に見えたのですか? いやらしいですわっ!」
かなり憤りを感じているのか、礼井野はぷんぷん怒った口調で言う。
「それはないから安心して、二人とも。本当にちょっとだけ気付いたこと――いや、色々思い出したことがあって……。まあ、じゃあそろそろ本題に入るか――それでボクに何か用があったんでしょ? 筑波さん」
「あ、あのね。ごめん、それ、なしにしてくれるかな? やっぱり何でもなかったの」
「いや、それは嘘だ」
ボクは筑波さんの虚言を勝手に――否、直感的に断言した。
「本当は何かあったんでしょ? だったら言ってよ、居心地悪いし」
「……わ、分かった。でもね、これは、話したかったことっていうか……、その……」
筑波さんは口ごもって何も言わなかった――いや、言えなかったと表現するのがきっと正しいのだろう。何処か息苦しそうな雰囲気があったから、そう推測できた。
最もそれは、きつく締められた帯の所為だけではなさそうだったからで――
すると、礼井野はそんな大親友をちらっと一瞥するや否や、
「で、では私はこれで! さ、さようならでございますわっ!」
罰が悪くなったような面持ちをして、そのまま三時の方向へと走り去ってしまった。
「え! ちょっと待ってよぉぉぉぉぉ、伊代! はぁあ……」
「あ、あのさ、本当に早く言ってくれない? もうこっちも着替えの時間だし、焦燥感を煽るのは自分でも不謹慎だって分かってるけど、こっちもこっちで都合があるから」
「ああ、ごめんなさい――」
大体、ボクは女子と長時間いるのは極めて苦手だ――あの件を思い出してならないから。
しかし、
「あの、今日一緒に、夜の行灯行列――――回らない?」
と、筑波さんは淀みなく聞いてきたのだ。
それは実に穏やかで、予想だにしていなかった展開で、ラブコメ漫画の世界に来てしまったような感覚を、ボクは覚えずにはいられなかった。
「え? ごめん、冗談、だよね? 大体、ボクっていう人間は女子が――」
「冗談じゃないよ――嘘じゃないよ、本当。それに、剣山君以外誰もいないから」
ということで、ボクは筑波実輝さんと行動を共にすることになった。
特別断る理由もなかったし、正直筑波さんの対応に気圧されてしまったという感も、実のことろは否めなかった。まあ、女子嫌いを口実にその場を回避することはできたのかもしれなかったのだけれど、しかし啖呵を切って言う程の度胸は持ち合わせていなかった。
「…………」
「…………」
そして夕方、午後6時50分現在。
高校周辺の住宅街は夕日によって照り輝き始め、和装に身を包んだ生徒で周囲は埋め尽くされている今。そして、ボクの右隣にいる女子も紫色の花柄の浴衣を身に着けている。
「に、似合ってる、かな……?」
「あ、うん、似合ってると思うよ、多分……」
筑波さんの訝しげな問に、ボクは平淡に答える。
「それにしても、他の女子は皆可愛いなあ、羨ましいよ……」
「そ、そうなのかな――って、いや、筑波さんも十分可愛いと思う、けど……?」
「え、ええ!? そ、そんなこと、な、ないよっ! 絶対、ぜーったいないからぁっ!」
顔を真っ赤に染めて全否定の意を見せている筑波さん。
「何、もしかしてお世辞、なの? 別に無理なんかしなくても――」
「いや、本当に、ちょっと可愛いと思う、けど?」
社交辞令よろしく、ボクは彼女に答える。
全く、どうしてこんなことになったんだろうか……?
どうしてボクなんかが女子と一緒に行動を共にしているんだろうか……?
ボクと筑波さんには――互いにかけ合う言葉もなく、互いに話そうともせず、互いに顔を合わせようともせず、互いに沈黙という最強技を行使し続けている。
言うまでもなく、ボクは女といることによって、実際問題、精神的に不安定となっている。だからこそ、喜入と一緒に雑談をする時のように会釈できないというのも原因の一つかもしれなかった。他に理由があるとすれば、元々性格的に普段からコミュ障(?)みたいな――女子らしくない女子と、あまり談笑したことがないことに関係しているだろう。
それにしても……
「…………」
「…………」
筑波さんはボクを誘った身分であるのにも関わらず、何も言葉を発そうとしない。依然として黙っている――何かを黙秘しているかのように、本当に黙っている。まさか緊張している訳ではなかろうが、一応そういう線もなさそうではなかった。それに加えて、静かで、消極的な行動しかできないから、そのように硬直しているという憶測もできそうだ。
でも、それにしても……!
少しは何か喋ってほしい!
「あのさ、礼井野って何処に行ったの? そもそもあいつと歩けばよかったんじゃ?」
ここは男という身分である自分がエスコートすべきだと思い、話しかけた。
そもそも自分を『男』と称すには少々型外れのような気がするけれど、まあ外見上にしても生物学上にしても、ボクという一人の人間が『男』であるというのは、既に定められたことであり、どうしようもない事実で、どうしようもない問題……
「やっぱり実の妹さんだから、気になってるの?」
聊か突拍子もないような返答を、筑波さんは澄まし顔でした。
「――ま、まあそうと言えばそうかもしれないな、多分。あいつが本当に自分の妹ならばの話だけれどね。それでも、だからと言って気になってる訳じゃないよ」
「? どういうことなの?」
「いや、普通に筑波さんの親友であるところの礼井野が、どうして大切な人を置いて、他の人と一緒に歩いちゃうんだろうって、そう思って」
「何、それくらいのこと、気にしてないよ? 彼女も彼女で色々あるから、ね」
「色々、ね……」
またの急展開により、ボクは再び言葉に行き詰る。
「でも、ありがとう。私のこと、気にかけてくれて。嬉しかった、よ?」
と、言いながら、筑波さんは今度は突然ボクの前方に回り込み、首を傾げて微笑んだ。
こうして見ると、やはり女子に見える――見えてしまう――視認できてしまう。
どうしたのだろう……、本当に積極的すぎて、逆に怖いんですけど……
やっぱり、身体全体に抗体ができているのだろうか、ボクは自然とそう思わざるを得なかった――それこそあの件を介して生まれた、アレルギー反応のようである。いや、アレルギー反応ではなく、より一層強いアナフィラキシーショックのようでもある。
ボクは彼女の能動的とも言える行動に、一瞬たじろいで、
「べ、別に、これくらいのことは……、大したことないよ」
と、言葉を選ぶように返してあげた――いや、よく考えると正しくは選べてないな。
◇ ◆ ◆ ◇
そうこうしている内に、漸く行灯行列が開始した。毎年この学校では各クラス1基のオリジナル行灯を作成して、それを皆で持ち歩いて、地元の田舎町を練り歩くのが伝統となっている。
ちょうど周囲が暗くなり始めているので、色んなクラスの行灯が綺麗に光っているように見えるし、勿論ボクたちの行灯『ねぷた』も同様に異彩を放っている。
ちなみに、今現在のボクと筑波さんはというと、実のところ自分のクラスの行灯を担いではいない――理由は他の男子共が率先して持ち手を奪い合ってしまった為にボクはそれを獲得することができず、結局は予定通りに筑波さんと歩く羽目になった。
歩く羽目になった――そう、そういう事態に陥ってしまった。
どうにか成り行きで筑波さんの横から離れようと試みてはいたのだ。
でも、もうしょうがない。
「そ、それにしても、綺麗だね、私たちの行灯」
「うん、そうだな。以外に出来栄えがいいし、ボクたちの教室展示よりも全然クオリティが高いと思うし、それに何より、他の人たちも楽しんでいるようだし」
「う、うん、そうだね。私も、楽しい――それに、嬉しい」
隣でにっこり微笑んで言う筑波さん。
じゃあボクは楽しいのかどうかと言うと――まあ、ちょっとだけ楽しい。
決して口に出そうとも思わないが。
「で、でも、何でボクなんか選んだの? 他にもいっぱい男いるのに。それに、嬉しくなんかないでしょ、普通。特にボクといれば少なくとも不幸になると思うよ?」
カタッ、という下駄が鳴り響いている中、ボクは聞く。
「不幸になるって……、大丈夫だよ。私は別に不幸だなんて思ってないよ。むしろ幸せ者だと思ってるくらいだよ。前だって一緒に――二人きりのシーン、あったじゃない?」
「……あ、ああ、うん。あった、ね……」
極力その話題には触れないでほしかったというのがボクの本音である。
なぜならば、その出来事はボクにとって黒歴史でさえあるのだから――
あの安城蓮を思い出してしまったこと。自分の自殺を顧みてしまったこと。母親にどうして嫌われているのかを解説してしまったこと。今挙げた三つの案件全てが、どうしようもなくどうしようもなく、どうしようもないくらいに、暗黒すぎる過去的現実だった。
故に、あまり語りたくはなかった――復習したくなかった。
「どうしたの、剣山君。急に顔色が悪くなったけど……、休む?」
「いや、大丈夫だから、気にしないで。ちょっとだけ思い出しただけだから」
「思い出す、ね」
彼女は言って、途中で躊躇うように言葉を止めた。
「思い出すがどうかしたの?」
「あのね、あの時の話――二人きりで文化祭の準備をしつつ話した出来事について――やっぱり人生においてそういう復習するのって大事だよね~って話をしたかっただけ」
「――?」
何を言ってるのだろう? 何を言っているのだろう?
筑波さんの発言が珍しいことに、全く理解できなかった。
「人生を顧みる――省みるって、何だか復習という行為に似通っていると、私は思うんだよね、ちょっと倫理じみているけど」
「はい? それで?」
ボクは疑問形で筑波さんに話の続きを促した。
「復習っていう文字から連想される言葉――それって多分勉強だと、私は思うの。まあ、これは単なる持論だから、聞き流してくれちゃってもいいし、無理に肯定しなくてもいいけど――それで、復習っていうことをするのは主に勉強を生業にしている人ばかりじゃない?」
「――そう、なのかな?」
実際、思慮分別がつかなかった――というか、あまり肯定できそうになかった。
大人でも復習くらいはするだろう、きっと――復讐もするだろう、きっと。
そう思ったからだ――――それは多分、父親の自殺を見てるボクだから思うことかもしれないけど……
父は、昔、自分という人を殺して、そのまま帰らぬ人となった。その理由を後々知ることになったのだけれど……、結果的に述べると、どうやら父親自身が数年前に家庭で何らかの罪を犯してしまい、それで憎き自分を殺す為に――正しく復讐する為に、死んだ。
今更深くは話そうとも思わないし、それにボクはその一件を幼い時に知ったので、あまり理解できていなかった――勉強できていなかったので、詳らかに語ることはできない。
それを悔いる――父親が死んだことを悔いることも、できやしない。
「だから、私が結局言いたいのは、剣山君から聞いた特別な人生譚、極端な恋愛譚、あり得ない自殺譚、後日談。そういうのが、勉強になったってことなの――――ごめんね、分かりづらくて。本当に現代文というか倫理を勉強してるみたいになっちゃって」
「あ、ああ、なるほどなるほど……」
とりあえず、ボクは筑波さんの物言いに理解の意を示した――了解はしていないが。
まあ、人をまとめたり仕事をしたりするのは上手いが、口下手な女子なりの言動というだから許容できるけれど、一応は何となく理解できた。
つまり、換言すると、勉強を本分とする学生にとって、今までの人生を振り返ったり、または他人の人生の道を耳にするということは、すなわち勉強になるということ――ということなのだろう(本当に現代文によくある『50字以内』解答になってしまった)。
それが復習であると、それが勉強であると、そんなことを筑波さんは大人びた気分で、教えたかった――下手なりにも自分の考えを相手に提示することができたのだろう。
「ねえ、これが終わった後、ちょっとだけ……、ちょっとだけ時間ある、かな?」
「……え? っと、あれ? ぁっ」
なんだか急に目眩が…………
ばたん。
◇ ◆ ◆ ◇
ボクの容態は急変したみたいだった。
午前中には筑波を探求する為に、飲食も摂らずに全速力で走り、精神的疲労及び闘争によって、既にボクの身体は悲鳴を上げていたのである。故に、倒れてしまった。
「…………」
ここは、何処だろうか……? 何で、寝てたんだろう……?
目を開くと、何故か目の前に、さっきまで横で歩いていたはずの筑波さんがいた。
「あ、気付いた……?」
「ん? あれ? えっと――――」
周囲を軽く見渡す――どうやら見たことがある景色だった。多分、ここは街でも人気スポットであるところのロータリーである。いつも通学及び下校中の際に横切っているから、そうで間違いなさそうだ。
で、でも、何で、ここに? ボクは行灯行列中に、倒れて…………?
「だ、大丈夫……?」
筑波さんがとても不安そうに聞いてくる。ただし、ボクの視界がはっきりしない所為か、彼女の顔がどうなっているのかよく分からなかった。
「――ん? ぅ、うん」
ボクは死にかけた声で細々と応答する。
「脱水症状なんだよね、これって……? 変な、病気じゃ、ない、よね……?」
「へ、変な、病気?」
変な病気って何だろうか?
まあ実際、そんな病にかかっていないだろうことは、青菜に塩を振ったように弱っている今のボクでも分かる。それになにより、脱水症状時の症状が如実に出ている。先ず体温が著しく上昇し続けている。それに加えて、身体が何かを欲している。
でも、これがもしも変な病気だとしたら――――何なのだろうか?
それ自体が本当ならば、命題ならば、真ならば――心の病――ではなかろうか? 心の病、恋じゃあなかろうか?
人は恋をすると、その想い人を前にすると体温が上がる、何らかの欲が出る、などなどの症状があるということを、ボクは既に知っている――あいつの件で学んでいる。
しかしながら、ボクがそんな奇病にかかるはずがない。ちゃんとかからないような身体になっている――とっくの昔に抗体が産生されている。
こんなことを考えていること自体、どうしようもなく『心の病』にかかっているって、第三者から言及されそうなものだけれど……
って、こんなこと、一々考えている場合じゃない。
「ねぇ、本当に、だ、大丈夫……?」
まるであの時の妹のように、筑波さんは声をかけてくる。
あの時――つまり、ボクが自殺に失敗した時であり、そして妹を好きになった時――
「……………………」
無視するのは聊か失敬に値するけれど、しかし今のボクにはそんなのを気にしている場合ではない。事態は刻一刻を争うので、礼儀を念頭に置いている場合じゃないのだ。
はぁあ、本当に困った。
体中は酷い倦怠感で包まれ、身動きも碌に取れず、ただこの場で寝転んでいることしかできないボク……
男なのに、なんてみっともない姿態を晒しているのだろうか……って、あれ?
外で寝ているのに、何故だか頭が痛くないぞ? 何か柔らかい物の上に――?
「あ、ああごめんなさい。その辺に何もなかったから、私の膝枕で我慢して!」
「!?」
何と、膝枕だったのか!? これは非常に驚いた。
でも、まあとりあえず、水をくれ、水を――水水水水水水水水水水!
水だ水だ水だ水だ水だ! 今はとにかく潤いが欲しい! 潤い潤い潤い潤い潤い!
何でもいいからくれ、水分を! 潤いを! 神よ、愚か者に水を恵んでください!
目を閉じながら祈る。真剣に乞う。まるで雨乞いをするかのように。
少量でもいいから湿潤を我に与えてくれと、瞼の下で願う――――
すると忽然として、何か水のような湿ったものが口元に垂れ落ちるのに、ボクは瞬時に気付く。
「…………っ!」
そしてそれが非常に心地よく、多分久しぶりに水分というものに触れたからであろうが、初めて口にしたようなものでもあった――――
雨水なのか……? いや、それにしては随分と暖かすぎるぞ?
単にペットボトルなのか……? いや、それにしては何処か柔らかすぎるぞ?
それともジュースか何か……? いや、それにしては味が軽薄すぎる気がするぞ?
じゃあこれは一体何なんだよ……? 調子が悪いから極力大脳を働かせたくはないのだけれど。初めての何かだということは判断できるけれど、果たしてこれは何だろう?
泥水とか、汚水とか、下水とか……?
と、ボクは思っていたので、恐る恐る、けれど自然に、目を開ける――それの正体を突きとめるべく。
「…………ぅっ!?」
なんと驚くべき光景に、ボクはそのまま大声を発しそうかと思ったが、しかし望みどおりにはいかず、なぜならそれは体力がなかったからである――という落ちではなく、普通に口を塞がれていたからである。
しかも、ボクの口が開くのを阻止している物体は、
筑波さんの口――――より詳しく言えば、唇とか舌である。
どうしようもないくらいに、ボクの言葉を発声する為の口がそれによって支配され、冒されているのだから、無理もなかろう……
そうかそうか、なるほど――
だからボクは先程、温かみや柔らかさ、そして味加減に違和感を覚えたという訳か。だから味わったことのない味がしていたのか。異様さを感じ取ったという訳か――
これが、他人の、人間の舌というものなのか……。他の何にも似つかない、似ていない、独自の味をした、濃厚さ、温もり。
「……………………」
「……………………」
両者とも沈黙――
開口できないという事実があるのだから、そのような超常現象――沈黙現象が起こってしまうのは当然ではあるけれど、しかしこの際――
「……………………」
「……………………」
絡み合う、相互の口――離さないし、離れない、離れることができないボクと筑波。
とても濃厚で、しかし案外と淡白で、暑苦しく、息ができない、この演出……!
ただでさえ病に侵されているのに、何でこんなシチュに泥酔しているんだ……!
どうしてこんなにも突然、関係性が変化し、こんな行為に及んでいるんだ……!
というか、いつまで続くんだよこの状況! もう無理なんだけど! もう体力的にも理性的にも極限に達しているんだよ! 元々女子が嫌いなボクなんだよ?
ここから突破するにはどうすればいいんだろうか? どうするのが正しいんだ?
「…………ぷはぁっ!」
と思ったと同時に、やっと筑波は口を離してくれた――唾液が『ねっとり』と、ボクと彼女の間を繋いでいるかのように糸を引いている。よくよく気付いたことで、今現在のボクは筑波によって押し倒されている画が広がっており、また、筑波さんの体温は非常に高いと感ぜられた――
『もういっそのことこのまま告白とかしちゃえばいいのに』的な雰囲気もバリバリ漂っているのだけれど、しかしもう一つだけ重要というか、重大な問題が、ここにはあった。
それは、筑波の顔が座標的にボクと漸近している為に、文字通り目の前にある為に、それにも関わらず筑波さんの表情をどうしても窺うことができないのだ。
ボク自身としては今とても体調的に苦しいので、頭が全然回転していないのが原因でそうなっているのかもしれないけれど、ただ角度的に――または色的に――見ることができないだけかもしれないけれど。
覗き見ることができない。
「…………どう、潤った……?」
「……………………ぅ、ぅん?」
眼前の乙女からのいきなりの問いに、ボクは意識を朦朧とさせながら、首をこくりと小さく頷かせる――――って、潤ってなんか、ないよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
こんなんで口渇が治まる訳がないだろうが! 全然全然水足りねーだろうが! 少ないし、もっと多量の水分をくれよ! 別段、異性の『ねっとり』唾液を欲しているとかじゃあないんだけどね!
はあ…………
「…………」
ちゃんとした飲料水じゃないと、駄目に決まっているだろうに……
全くもって口は潤ってはいない。でも、何かが若干潤った気がした。
自分の胸に秘めている何かが、しっかりと水分補給されているように感じる上、何かが満たされている感も否めないのは、紛れもない事実で、偽りではなく――正しい解。
どうしてだろう、いつもは女子が嫌いだって大見得を張って宣言しているのに、今回ばかりはちょっとだけ嫌悪感が薄らぎ、仕舞いには女が普通の物に見えてきた。
だからボクは、筑波さんを叱責することができなかった。
「…………」
むしろ、感謝すべきだったのかもしれない――本当は相手だってこんなことにはなりたくなかっただろうに、本当はボクに接吻など交わしたくなかっただろうに……
本当は最後まで行灯行列をねり歩いて、それで今日という日が無事に終わるはずだったのに――そんな計画が、未来が、あったはずなのに――
筑波さんの顔が未だに結構近くに位置しているので、彼女の短い髪の毛がチクチク顔面に当たってくすぐったいし、それに加えて、今しばらく吐息の特殊な匂いや唾液の味が、ほんのり残っている。
あれ、これって飲んでも大丈夫なの? 吐き出せばいいのか?
◇ ◆ ◆ ◇
そんなこんなの大問題にボクは何一つ策を講じることができず――
気付けば「ここは、何処だ……?」という台詞を再び口にしていた。
身体に気だるさもないし、それに見覚えのある景色だな、ここは……
「…………ん?」
いや、ここは毎日必ず目にしている光景じゃあないだろうか……? はっきりと見える白い天井、身体に覆いかぶさっている白い布団、家具の少ない部屋――ボクの部屋だ。
つまり、ここはボクの白いベッドの上か……? 知らない間に搬送されたのか?
現か夢か、果たしてそれを確認する術が本当にすぐ間近にあったので、すぐさま隣にいた乙女の胸――C及びDカップの胸の起伏を触ってみることにした。
「――揉み揉み」
「あぁん、きゃぁっ! あ、やっと起きた! 心配してたんだよ? お兄ちゃん」
と、ボクの妹は心細げな風で言った。
「ていうか大体、現実か否かを検証する為だけに、実の妹の若干大きく膨らんでいるものを揉みもみするとか、意味分かんないしぃぃぃぃぃ!」
大声でそう言い終わると同時に、妹はボクの右頬を左手で激しく一発。
ばちんっ! と叩いてきた。かなり強めに、精一杯の『ばちんっ』だった。こんなに酷い暴力を人生で初めて食らった。
いや、これは多分暴力ではなく、体罰でもなく、咎めなのだろうが……
普通ならば、普通の女子ならば、異性に胸をタッチされれば怒るだろうからな。
「痛ってぇ、いきなり何すんだよ」
「いきなり何すんだよはこっちの台詞でしょ! 私は今現在、絶賛読書中だというのに、大事で滅茶苦茶濃厚すぎるシーンなのに、お兄ちゃんが何の前触れもなく、私のえっちな部分に無許可でタッチなんかしちゃうからでしょ! お陰様で快感を感じるところだったじゃない! 読者に恥を晒すところだったじゃない!」
「そこまで言われる筋合いはないぞっ! そんな破廉恥な胸に触ったくらいで」
筋合いなんか、ここに存在するのだろうか……? いや、存在しないだろう。そもそも『破廉恥な胸に触ったくらいで』って言っている時点で重罪じゃないか。
ボクは最低なお兄ちゃんだよ。もう既に、実兄失格――人間失格だよ……
「お兄ちゃん早く謝罪してよね、今すぐに! 私の大事な部分に触れておいて何も言わないとか本当にあり得ないんだけど! お兄ちゃんの童貞奪うよ?」
「分かった分かった。ごめんごめん。久しぶりに触ったけど、ちょっとは大きくな――」
「感想を聞いてるんじゃないんだよっ! 馬鹿野郎っ!」
妹は何の躊躇いもなく、ボクが臥せているベッドをばふばふ叩く。
埃が舞ってしまうので止めて欲しいし、何せ大事なベッドが破壊されては非常に困る。
「あんまり強く叩くなよ! 壊れたらどうするんだよ! お前と一緒に毎晩毎晩えっちなことして就寝しなくちゃいけないだろうが!」
「ねえ、何で私と寝ること前提でことが進んでるの? 一緒にしないでよ、勝手に」
「はあ? お前なんかいっつもボクと寝たい寝たい言ってるくせに、何を今更!」
「いいや、私はお兄ちゃんと一夜を共にするとかじゃなくって、お兄ちゃんのアレを奪いたいだけなんだよ! 特別寝たいわけじゃないんだから、勘違いしないでよね!」
「…………っ!」
おいおい、まさかボクの童貞を奪う為だけに、以前は一緒に寝ようと誘っていたのか!
「お兄ちゃん、それに声がやけにうるさい! もっと静かにしてよね!」
「そういうお前も、静寂を求めているなら、逸早くとっととここから出て行け」
「あっそう、せっかくお兄ちゃんの看病してあげてたのにそんな態度はないんじゃない? お兄ちゃんなんか大嫌いだっ! 嫌いよ嫌いよ嫌いよ嫌いよ嫌いよ嫌いよ大っ嫌いよ!」
近所迷惑レベルの大きな声で言い張る妹はふて腐れた感じで、ドアを思いっ切り閉め、そしてボクの部屋には沈黙空間が広がる。
「……………………」
なんだか、妙に複雑な気分になった。
総集編 最終回
【第七問】【第八問】




