【第六問】文化祭、何が起こるかわからない。(Part 4)
◇ ◆ ◆ ◇
ボクの容態は急変したみたいだった。
午前中には筑波を探求する為に、飲食も摂らずに全速力で走り、精神的疲労及び闘争によって、既にボクの身体は悲鳴を上げていたのである。故に、倒れてしまった。
「…………」
ここは、何処だろうか……? 何で、寝てたんだろう……?
目を開くと、何故か目の前に、さっきまで横で歩いていたはずの筑波さんがいた。
「あ、気付いた……?」
「ん? あれ? えっと――――」
周囲を軽く見渡す――どうやら見たことがある景色だった。多分、ここは街でも人気スポットであるところのロータリーである。いつも通学及び下校中の際に横切っているから、そうで間違いなさそうだ。
で、でも、何で、ここに? ボクは行灯行列中に、倒れて…………?
「だ、大丈夫……?」
筑波さんがとても不安そうに聞いてくる。ただし、ボクの視界がはっきりしない所為か、彼女の顔がどうなっているのかよく分からなかった。
「――ん? ぅ、うん」
ボクは死にかけた声で細々と応答する。
「脱水症状なんだよね、これって……? 変な、病気じゃ、ない、よね……?」
「へ、変な、病気?」
変な病気って何だろうか?
まあ実際、そんな病にかかっていないだろうことは、青菜に塩を振ったように弱っている今のボクでも分かる。それになにより、脱水症状時の症状が如実に出ている。先ず体温が著しく上昇し続けている。それに加えて、身体が何かを欲している。
でも、これがもしも変な病気だとしたら――――何なのだろうか?
それ自体が本当ならば、命題ならば、真ならば――心の病――ではなかろうか? 心の病、恋じゃあなかろうか?
人は恋をすると、その想い人を前にすると体温が上がる、何らかの欲が出る、などなどの症状があるということを、ボクは既に知っている――あいつの件で学んでいる。
しかしながら、ボクがそんな奇病にかかるはずがない。ちゃんとかからないような身体になっている――とっくの昔に抗体が産生されている。
こんなことを考えていること自体、どうしようもなく『心の病』にかかっているって、第三者から言及されそうなものだけれど……
って、こんなこと、一々考えている場合じゃない。
「ねぇ、本当に、だ、大丈夫……?」
まるであの時の妹のように、筑波さんは声をかけてくる。
あの時――つまり、ボクが自殺に失敗した時であり、そして妹を好きになった時――
「……………………」
無視するのは聊か失敬に値するけれど、しかし今のボクにはそんなのを気にしている場合ではない。事態は刻一刻を争うので、礼儀を念頭に置いている場合じゃないのだ。
はぁあ、本当に困った。
体中は酷い倦怠感で包まれ、身動きも碌に取れず、ただこの場で寝転んでいることしかできないボク……
男なのに、なんてみっともない姿態を晒しているのだろうか……って、あれ?
外で寝ているのに、何故だか頭が痛くないぞ? 何か柔らかい物の上に――?
「あ、ああごめんなさい。その辺に何もなかったから、私の膝枕で我慢して!」
「!?」
何と、膝枕だったのか!? これは非常に驚いた。
でも、まあとりあえず、水をくれ、水を――水水水水水水水水水水!
水だ水だ水だ水だ水だ! 今はとにかく潤いが欲しい! 潤い潤い潤い潤い潤い!
何でもいいからくれ、水分を! 潤いを! 神よ、愚か者に水を恵んでください!
目を閉じながら祈る。真剣に乞う。まるで雨乞いをするかのように。
少量でもいいから湿潤を我に与えてくれと、瞼の下で願う――――
すると忽然として、何か水のような湿ったものが口元に垂れ落ちるのに、ボクは瞬時に気付く。
「…………っ!」
そしてそれが非常に心地よく、多分久しぶりに水分というものに触れたからであろうが、初めて口にしたようなものでもあった――――
雨水なのか……? いや、それにしては随分と暖かすぎるぞ?
単にペットボトルなのか……? いや、それにしては何処か柔らかすぎるぞ?
それともジュースか何か……? いや、それにしては味が軽薄すぎる気がするぞ?
じゃあこれは一体何なんだよ……? 調子が悪いから極力大脳を働かせたくはないのだけれど。初めての何かだということは判断できるけれど、果たしてこれは何だろう?
泥水とか、汚水とか、下水とか……?
と、ボクは思っていたので、恐る恐る、けれど自然に、目を開ける――それの正体を突きとめるべく。
「…………ぅっ!?」
なんと驚くべき光景に、ボクはそのまま大声を発しそうかと思ったが、しかし望みどおりにはいかず、なぜならそれは体力がなかったからである――という落ちではなく、普通に口を塞がれていたからである。
しかも、ボクの口が開くのを阻止している物体は、
筑波さんの口――――より詳しく言えば、唇とか舌である。
どうしようもないくらいに、ボクの言葉を発声する為の口がそれによって支配され、冒されているのだから、無理もなかろう……
そうかそうか、なるほど――
だからボクは先程、温かみや柔らかさ、そして味加減に違和感を覚えたという訳か。だから味わったことのない味がしていたのか。異様さを感じ取ったという訳か――
これが、他人の、人間の舌というものなのか……。他の何にも似つかない、似ていない、独自の味をした、濃厚さ、温もり。
「……………………」
「……………………」
両者とも沈黙――
開口できないという事実があるのだから、そのような超常現象――沈黙現象が起こってしまうのは当然ではあるけれど、しかしこの際――
「……………………」
「……………………」
絡み合う、相互の口――離さないし、離れない、離れることができないボクと筑波。
とても濃厚で、しかし案外と淡白で、暑苦しく、息ができない、この演出……!
ただでさえ病に侵されているのに、何でこんなシチュに泥酔しているんだ……!
どうしてこんなにも突然、関係性が変化し、こんな行為に及んでいるんだ……!
というか、いつまで続くんだよこの状況! もう無理なんだけど! もう体力的にも理性的にも極限に達しているんだよ! 元々女子が嫌いなボクなんだよ?
ここから突破するにはどうすればいいんだろうか? どうするのが正しいんだ?
「…………ぷはぁっ!」
と思ったと同時に、やっと筑波は口を離してくれた――唾液が『ねっとり』と、ボクと彼女の間を繋いでいるかのように糸を引いている。よくよく気付いたことで、今現在のボクは筑波によって押し倒されている画が広がっており、また、筑波さんの体温は非常に高いと感ぜられた――
『もういっそのことこのまま告白とかしちゃえばいいのに』的な雰囲気もバリバリ漂っているのだけれど、しかしもう一つだけ重要というか、重大な問題が、ここにはあった。
それは、筑波の顔が座標的にボクと漸近している為に、文字通り目の前にある為に、それにも関わらず筑波さんの表情をどうしても窺うことができないのだ。
ボク自身としては今とても体調的に苦しいので、頭が全然回転していないのが原因でそうなっているのかもしれないけれど、ただ角度的に――または色的に――見ることができないだけかもしれないけれど。
覗き見ることができない。
「…………どう、潤った……?」
「……………………ぅ、ぅん?」
眼前の乙女からのいきなりの問いに、ボクは意識を朦朧とさせながら、首をこくりと小さく頷かせる――――って、潤ってなんか、ないよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
こんなんで口渇が治まる訳がないだろうが! 全然全然水足りねーだろうが! 少ないし、もっと多量の水分をくれよ! 別段、異性の『ねっとり』唾液を欲しているとかじゃあないんだけどね!
はあ…………
「…………」
ちゃんとした飲料水じゃないと、駄目に決まっているだろうに……
全くもって口は潤ってはいない。でも、何かが若干潤った気がした。
自分の胸に秘めている何かが、しっかりと水分補給されているように感じる上、何かが満たされている感も否めないのは、紛れもない事実で、偽りではなく――正しい解。
どうしてだろう、いつもは女子が嫌いだって大見得を張って宣言しているのに、今回ばかりはちょっとだけ嫌悪感が薄らぎ、仕舞いには女が普通の物に見えてきた。
だからボクは、筑波さんを叱責することができなかった。
「…………」
むしろ、感謝すべきだったのかもしれない――本当は相手だってこんなことにはなりたくなかっただろうに、本当はボクに接吻など交わしたくなかっただろうに……
本当は最後まで行灯行列をねり歩いて、それで今日という日が無事に終わるはずだったのに――そんな計画が、未来が、あったはずなのに――
筑波さんの顔が未だに結構近くに位置しているので、彼女の短い髪の毛がチクチク顔面に当たってくすぐったいし、それに加えて、今しばらく吐息の特殊な匂いや唾液の味が、ほんのり残っている。
あれ、これって飲んでも大丈夫なの? 吐き出せばいいのか?
◇ ◆ ◆ ◇
そんなこんなの大問題にボクは何一つ策を講じることができず――
気付けば「ここは、何処だ……?」という台詞を再び口にしていた。
身体に気だるさもないし、それに見覚えのある景色だな、ここは……
「…………ん?」
いや、ここは毎日必ず目にしている光景じゃあないだろうか……? はっきりと見える白い天井、身体に覆いかぶさっている白い布団、家具の少ない部屋――ボクの部屋だ。
つまり、ここはボクの白いベッドの上か……? 知らない間に搬送されたのか?
現か夢か、果たしてそれを確認する術が本当にすぐ間近にあったので、すぐさま隣にいた乙女の胸――C及びDカップの胸の起伏を触ってみることにした。
「――揉み揉み」
「あぁん、きゃぁっ! あ、やっと起きた! 心配してたんだよ? お兄ちゃん」
と、ボクの妹は心細げな風で言った。
「ていうか大体、現実か否かを検証する為だけに、実の妹の若干大きく膨らんでいるものを揉みもみするとか、意味分かんないしぃぃぃぃぃ!」
大声でそう言い終わると同時に、妹はボクの右頬を左手で激しく一発。
ばちんっ! と叩いてきた。かなり強めに、精一杯の『ばちんっ』だった。こんなに酷い暴力を人生で初めて食らった。
いや、これは多分暴力ではなく、体罰でもなく、咎めなのだろうが……
普通ならば、普通の女子ならば、異性に胸をタッチされれば怒るだろうからな。
「痛ってぇ、いきなり何すんだよ」
「いきなり何すんだよはこっちの台詞でしょ! 私は今現在、絶賛読書中だというのに、大事で滅茶苦茶濃厚すぎるシーンなのに、お兄ちゃんが何の前触れもなく、私のえっちな部分に無許可でタッチなんかしちゃうからでしょ! お陰様で快感を感じるところだったじゃない! 読者に恥を晒すところだったじゃない!」
「そこまで言われる筋合いはないぞっ! そんな破廉恥な胸に触ったくらいで」
筋合いなんか、ここに存在するのだろうか……? いや、存在しないだろう。そもそも『破廉恥な胸に触ったくらいで』って言っている時点で重罪じゃないか。
ボクは最低なお兄ちゃんだよ。もう既に、実兄失格――人間失格だよ……
「お兄ちゃん早く謝罪してよね、今すぐに! 私の大事な部分に触れておいて何も言わないとか本当にあり得ないんだけど! お兄ちゃんの童貞奪うよ?」
「分かった分かった。ごめんごめん。久しぶりに触ったけど、ちょっとは大きくな――」
「感想を聞いてるんじゃないんだよっ! 馬鹿野郎っ!」
妹は何の躊躇いもなく、ボクが臥せているベッドをばふばふ叩く。
埃が舞ってしまうので止めて欲しいし、何せ大事なベッドが破壊されては非常に困る。
「あんまり強く叩くなよ! 壊れたらどうするんだよ! お前と一緒に毎晩毎晩えっちなことして就寝しなくちゃいけないだろうが!」
「ねえ、何で私と寝ること前提でことが進んでるの? 一緒にしないでよ、勝手に」
「はあ? お前なんかいっつもボクと寝たい寝たい言ってるくせに、何を今更!」
「いいや、私はお兄ちゃんと一夜を共にするとかじゃなくって、お兄ちゃんのアレを奪いたいだけなんだよ! 特別寝たいわけじゃないんだから、勘違いしないでよね!」
「…………っ!」
おいおい、まさかボクの童貞を奪う為だけに、以前は一緒に寝ようと誘っていたのか!
「お兄ちゃん、それに声がやけにうるさい! もっと静かにしてよね!」
「そういうお前も、静寂を求めているなら、逸早くとっととここから出て行け」
「あっそう、せっかくお兄ちゃんの看病してあげてたのにそんな態度はないんじゃない? お兄ちゃんなんか大嫌いだっ! 嫌いよ嫌いよ嫌いよ嫌いよ嫌いよ嫌いよ大っ嫌いよ!」
近所迷惑レベルの大きな声で言い張る妹はふて腐れた感じで、ドアを思いっ切り閉め、そしてボクの部屋には沈黙空間が広がる。
「……………………」
なんだか、妙に複雑な気分になった。




