【第五問】青春は闇がなくては語れない。(Part 2)
◆ ◆ ◆ ◆
「予想だにしなかった、突然の紛失――家族の喪失に、私は最初、何も受け入れられなかった。
「これが嘘の世界、虚構の悪夢だったらいいな、なんて思ってたけど、でも現実は全然違った――何もかもが違いすぎた。
「事態も収拾に向かっていった時に、私のこの町への転校が決まったの。何せ自分の学校付近では新居どころか売り地すらなかった。
「だから、新たな生活がその後やってきて、きっと今よりも楽しい生活が、人生が、物語がきっと待ってくれてるんだろうなって、そんな風に思ってた。
「でも、現実は大きく異なっていた。
「ここに来て漸く地獄――生き地獄から開放される、そんな甘い考えを持っていたけど、実像の夢――現実世界じゃちっとも違った。
『いじめ』
「登校初日から皆にからかわれ、特に男子たちから暴力さえもふるわれたくらい、悲惨だったし、凄惨だった。あ、いや大丈夫、そういう性的ないじめじゃないからね。
「それで、毎日の学校生活が憂鬱だった――当たり前だけどね。
「私の机上には毎朝毎朝、『死ね』だとか『消えろ』だとか『失せろ』だとか『きもい』だとか『うざい』だとか『来んな』だとか『臭い』だとか――そんな事実無根で戯言のような言葉が書かれてあった。私を汚物か何かのように扱われた。
「最早漫画やアニメの域を超越していた。同じ――平等であるはずの、違いのないはずの人間と人間が、人間と非人間であるかのように。
「机や上靴への落書き、身分のゴミ扱い、物理的暴力、言語的暴力、精神的暴力、散々な時には唾を――涎を私に吐きつけたりする男子生徒、塵や埃を私の口内へと突っ込む女子生徒、下校中私に小石を投げつける同級生……、その他諸々、そんな酷い嫌がらせを受けていた。いや、これはもう既に、嫌がらせというよりも、差別の域だね。
「落ちぶれ者の肩書きを背負わされ、私をゴミ箱か何かのように取り扱い、間接的ではなく直接的な暴力を受けて、唾の吐きだまりのように第三者から私自身は隔絶され、掃除でかき集められたゴミを塵取りで私の口へと放り込まれ、帰宅途中でも彼らの本当の意志を投げかけられ――そんな生活に私はうんざりしていた。
「いや、うんざりではなくがっかりしていた。理想郷を思い描いていたあの頃の自分が非常に恥らしく思えた。
「馬鹿馬鹿しいとさえ、思った。
「逆にそれ以外思うことができなかった。
「馬鹿
「馬鹿馬鹿
「馬鹿馬鹿馬鹿
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿
「って、何度もその言葉だけが私の頭を占領していた。文字通り、こんな私は余所から見れば馬鹿だろうけど。
「本当に、こんな私が憎らしくて、殺したかった。
「馬鹿は死ねば治るって聞いたことがあったし……じゃあ私を殺そうか? 楽しそう。
「当然死にたかった。
「死にたくて
「死にたくて死にたくて
「死にたくて死にたくて死にたくて
「しょうがなかった。私は生命に嫌悪感だけを示し続けた。
「生きることを憎悪した。
「本気で自分という人間を殺そうかとも思ったのは当然だったけど、何であの時、私も一緒に――死ななかったんだろって。何であの時、私なんかが――生き残っちゃったんだろって。何であの時、しっかりと――死んでおかなかったんだろっていう思いが一番強かった。
「けれど最終的には、自分を殺すことができなかった。殺そうとする途中で怯えて……
「自分という生物が恐ろしかったと同時に、人を消す能力や度胸が私にはなかった。
「家族がいない暮らしそのものが汚物だと思ったし、文字通り学校では汚物扱いされて。
「でもそんな時に。
「そんな時、私に――汚物まみれの私に声をかけてくれたのが――伊代だった。
「たとえ私が落書きされていようとも。たとえ私がゴミ扱いされていようとも。
「たとえ私が暴力を他人から受けていようとも。
「たとえ私が唾棄されていようとも。
「たとえ私が埃を食わされていようとも。
「たとえ私が血だらけになっていようとも。
「たとえ私が穢れていようとも――たとえ私が汚れていようとも。
「礼井野伊代だけは違った。
「それでも彼女は私に一声かけた――何も臆することなく。
「その天使からの第一声は『大丈夫……?』だった。
「そう、敬語でも尊敬語でもなく謙譲語でもなく丁寧語でもなく、タメ口で――対等な立ち居地で喋りかけてきてくれた。
「何日間か一緒にいる内に、彼女は一篇風変わりな喋り方になった(戻ってしまった)けれど、何かと日本語表現がおかしかったけれど、それでも私は嬉しかった。
「それからというものの、クラスで最も人気者で、人望厚い、女神の如き存在である彼女のおかげで、苛めはなくなった。虐めはなくなった。
「お陰様で、なくなった。
「何だか『お陰様』という片言隻語で感謝の意を表すには物凄く物足りないのだけれど、でも私は本当に彼女に対して感謝以上に敬意の念を持った。
「そして、それ以来、彼女とは親友となった。大が付く程、親友になった。
「でも実際問題――教室内または学年内での有名人と、教室内または学年内での落ちこぼれ人とがフレンドリーな関係になっただけでは、重要なプロブレムは解決されるはずもななかった。
「だから私は必死に、本気に、熱心に、躍起になって努力した。
「生きる為の努力をした。
「誰にも敗北しないような、強力な人間に成り上がってやろうと、そう決心した。礼井野伊代の協力を絶対に無駄にしないよう、頑張らないといけないと、心の内で、正義を信じて切磋琢磨した。
「その結果、私はこうなった――こうなることができた。
「性格そのものは昔から何も変わらないし、根暗で、真面目で、女子らしい女子じゃないけど、それでもそれが自分なりの自分だと思って――死なないように生きようと決めた。
「私は何をするでも静かに足掻き、静かに這い登り、噛みついた。
「そして、どうして自分だけが生き残ったのか、それを紐解く為に、今を、未来を生きる決心を、自分なりにした。
◇ ◆ ◆ ◇
ぽろり、と謎の水滴がボクの頬を伝っていた。
「え、ええぇぇぇぇっ!? ど、どどどどどうして泣いてるのっ!? わ、私何かした!?」
「ぇっ! こ、これは、そ、その……!」
筑波さんに言及されるまで、それが涙という物質であることに気付かなかった。
それも、女子という憎き生物の目の前で泣いている。ただし、嗚咽混じりではない。
ボクはその物語に――筑波実輝さんの壮絶な、まるで小説やアニメに出てくるような感動的人生譚に、ただ同情して、そして反射的に泣いてしまったのだろう。いや、筑波さんの話に、ボクと似て非なるものを、汲み取ってしまったからだろう。
「……そ、そんなに感動した、の?」
「…………」
しかし、何と返答するべきなのだろうか……?
これまでの人生という計算過程において、ボクは生まれてこの方、清廉潔白な女子から感動エピソードや泣ける物語というのを、人から直截聞くという機会はなかったし、それ故に先ずどんな言葉を相手にかけるべきなのかどうか分からなかった。
そんなのは、二次元にだけあるものだとばかり、思っていた。
感想を言うべきか? いや、そこまでの語彙はボクにはない。
感謝を述べるべきか? いや、こんな場面で感謝されても、きっと相手が困るだけだ。
ああ、本当に困ったなぁ…………
「…………」
「剣山君はどうなの?」
「……は、はい? 何が」
「そういう話、ないの?」
「どういう話? ――って、ああ、そうゆうことね。でも、何で?」
ああ、壮大な人生譚ってことか――
ボクとしてはあの終焉の日の出来事をできるだけ開示したくはないんだけれど。
「だって、私が話したんだから、次のターンは剣山君だよ?」
「何だよそれ、完全にカードゲームじゃねーかよ。ドローしなきゃダメなのかよ」
「もう時間もないから、とりあえず聞かせてよ、君だけの、物語」
筑波さんはにっこりと八重歯を見せて、ボクに優しく微笑んだ。
この時の彼女もまた、いつもとは違って異常に積極的だった――
正直そんな態度をボクに取ってほしくはなかったが……
「いいよ。クオリティは保障しないけど――小説のような物語を、」
ボクはあの日のことを――彼女のことを復習する為に――
過去を物語る決心を――過去を受け入れる決心を、心の中で静かにした。




