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地獄巡礼

作者: ヤマネ

 地獄三丁目に住むサムシさんは、なにかと考えが浅く喧嘩っ早いと、傍若無人で有名だ。


 今日みたいに、空が煌々と灼熱の鳳仙花のように紅く燃えていると、つい気分が乗ってしまって、隣家のテベロおじさんと趣味嗜好の違いについて語っては、殴り合いの喧嘩に発展するのであった。


「いやあテベロじいさんよ、やっぱり野天風呂には冬が良い。あの白く透き通るような雪が、紅い空を背景に舞い散るのを見ながら、酒の一杯でもやると、そらあまりの心地よさに洞上まで這い上るかのような気持ちさ」

「いやあサムシさん、野天風呂というのはだね、夏の夜にだよ? さあ今日は滝のように汗をかきました、熱した鉄のような日も沈んだことだし、後は体を洗ってスッキリするだけだという状態で、街を高くから一望して、篝火(かがりび)のちらちら静かに燃えているようなのを、日の疲れを感じながらぽわっとした気持ちで楽しむのが良いんですよ。あなたはなんにもわかっていない」


 なぜ二人が野天風呂なんぞのことで言い争っているのかというと、それは当然、今二人が一緒に、第二の山にある野天風呂につかりながら、夕暮れ時、赤黄の朧火に包まれていく街を眺めているからであった。


 サムシさんは紅く紅く(きら)めく宝石のような地獄の空が、いたくお気に入りであり、こうして湯につかりながら空を眺められる野天風呂なんかは、それはもう大好きなのである。

 一方テベロおじさんは地獄の街並みが好きであり、特に夜景については大のお気に入りであり、空の吸い込まれそうなほどの黒の下、篝火の夜道を照らしている様子や、その中を数多の人や化け物が行き通ってるのを見るのが好きなのだ。

 地獄の街並みを一望できるここ、第二の山の野天風呂は住人から人気であり、そんなこんなで夕暮れ時、偶然二人、鉢合わせたわけだ。


「いやいや、しんしんと輝く宝石のような雪景色を想像してくれよ、なんて美しいのだろうかと思うだろう? 生きとし生けるものはだねえ、美しい自然を見ると不思議と心も落ち着いて、もの懐かしさを感じるものなのさ」

「まあ、気持ちはわかりますがねえ。でも、この街の夜景は綺麗ですよ、ええ。私はそれが好きでねえ、もう何十年も見ていますが、やっぱり飽きませんよ。あなたもそのうち私の気持ちがわかるでしょう、まだ若いということですなあ」

「まーたそれか、じいさんは人のことを若い若いとすぐ馬鹿にしたがるな。年寄りが偉いのは地上でだけだぞ、おい」

「なんだい、やるかあ? 次は負けんぞう?」


 口喧嘩は終わって、次の段階へ移行中のようだ。

 周りの客は、またこいつらかと迷惑そうな目を二人に向け、次第に屋内へと上がっていく。殴り合いが始まる頃には、外にはもう二人しか残っていなかった。





「はあ、はあ、じいさんのくせに元気なことだな。もういい、俺は帰る。せいぜい次の夏まで、半年間、待ち続けることだな。雪の降り始めはすぐそこさ。俺の方が幸せ者ということだな、ハッ」

 サムシさんはそう言うと、ざばあっと立ち上がり、頭から湯気を立ち昇らせながら去っていった。テベロおじさんはその背中を見ながら、

「頭が空っぽのくせに、風情を楽しむ心だけはいっちょ前なんだな、ふん」と鼻を鳴らすのであった



 風呂屋から出て、帰りの道。もう日も落ちて暗い中、サムシさんの持つ行灯(あんどん)だけがぼうっと石畳の上で光る。冬のこんな時間帯に、わざわざ山道を歩くような物好きは少ない。

 街と風呂屋を繋ぐこの一本道も、夏ならジージーとキリギリスの鳴き声や、帰る客の話し声でうるさいのだが、今は風で枝葉の(こす)れる音がするだけだ。既に師走(しわす)も中ごろに差し掛かっている……もっとも、地獄の住人に忙しいものは少ないが。

「あーあ、せっかくの風呂あがりなのに、じいさんのせいで気分が悪い。怒ると疲れるし、腹が減る。なにか食べて、さっさと寝るか」

 石ころを蹴飛ばしながらそうつぶやくと、サムシさんは走り出した。





 山の中とは打って変わって、街は喧騒に包まれていた。夜仕事の者にとっては一日の始まり、昼仕事の者にとっては寝るには少し早い時間だ。闇夜のキャンパスを背にして、篝火や行灯の橙光が揺れ動いている。

 和服をぴっちり着こんだ人間や鬼や一つ目の妖怪なんかが、大声を上げながら客寄せを行っている中を、サムシさんは周りを見回しながら大股で歩いていた。

 サムシさんを知っている者の、彼を見かけたときの反応は実に様々だ。すぐに顔を逸らして知らぬふりを決め込む者もいれば、陽気な挨拶をしてくる者もいて、仲間内でなにやらゲラゲラと笑いだす者もいる。


「やあ、サムシじゃないか。今日はいつにも増して不満げな顔だなあ。また女に平手打ちでもされたのかい? それともまた財布を盗まれたとかかい?」

 背後からかけられた軽薄な声に振り向くと、青肌のひょろ長い鬼が立っていた。サムシさんが返答しようとすると、それを手の平で制す。

「いや待て、今当ててやろう。……温泉帰りだな、よし、分かったぞ。第二の山の野天風呂で早く雪でも降らねえかなあと思っていたら、テベロじいさんと鉢合わせて、またいつものごとく喧嘩になったんだろう。ハハッ! その顔は正解だろう、そうだろう。ああとても愉快だ。お前は問題ばかり起こして、実に、毎日が楽しそうだなあ!」青鬼はサムシさんの肩に腕を乗せると、楽しそうにカラカラ笑う。

「お前は確か、一角鬼のコンポゥだったか。おめでたい奴だな、何が楽しいんだか。俺は喧嘩を楽しんでいるわけじゃないぞ、本当に、ムカついているんだ!」

 それを聞くと、コンポゥは首をポリポリと掻き、そしてサムシさんを薄目で眺めて楽しそうにニヤニヤすると、おもむろにズボンから銀銭を取り出した。

「まあまあ、地獄は毎日がお祭りだ、無礼講のな。殴り合いの喧嘩は、魂の生きている証さ。これでうまい飯でも食って、明日からもまた、この街を賑やかにしてくれや。俺はお前を気に入っているんだぜ、こんなところまできて、まだ世間の目だとか、うまい人付き合いだとか、処世術だとかに傾倒する馬鹿には、分かんないだろうけどな!」

 コンポゥのヘラヘラした笑いを一瞥すると、サッと銀銭を受け取り、

「……ま、くれるんならもらっとくよ。ありがとな」サムシさんはそう言って、すぐ傍の、客入りの悪い居酒屋へと消えていった。





 品書きと睨み合いながら、サムシさんは首を捻っていた。この店には初めてきたが、どうやら珍しい食べ物を提供する店らしい。

「なあ大将、この『渡良瀬蟹』ってのはどういう蟹なんだ? 聞いたことがないぞ」

「へえ、渡瀬蟹とは文字通り、渡良瀬でとれる蟹でございやす」

「はあ、渡良瀬とはなんだ」

「渡良瀬とは、第五の山のふもとを流れる川の名前でございやす。綺麗な川だそうでしてね、見たことはございやせんが……でもまあ、その蟹は身が引き締まって旨いですし、多分良いところですよ」

「ふうん……この『閻魔スペシャル』とはなんだ、閻魔様のお勧めか?」

「ああ、それはですね……」


 今日は客が少なくて暇な大将と、そんな風に問答を繰り返していると、ふと隅の方で飲み食いしていた一団の話し声が聞こえてきた。


「もうこの時期だし、雪がもうそろ降りそうですかあね。雪って綺麗ですが、わたしゃ寒くてあんま好きじゃないですね。はやく夏が来ないかな」

「そうだなあ。寒いと調子が狂いがちだしな。それに夏は、汗をかいて、そのあと第二の山の野天風呂でさっぱりするのが最高に気持ちが良くてな。まあ、あそこは冬でも良いところだけどな」

「それは同感だが、雪の降る日はやめた方が良い。雪見風呂なんて、下半身はあったかいのに、上半身はやたら寒くて、全然良い物じゃないぞ。試すと後悔するからお勧めせんよ、ハハハ!」

 なんということだろう、サムシさんにとっては随分とタイムリーな話題が上がっているではないか。

 サムシさんはその会話を聞いた瞬間、テベロおじさんとの喧嘩風景が頭の中にぼうっと浮かび上がり、あの時感じた阿修羅のごとき激情を思い出して、こめかみの血管なんかがパチパチ音をたてているような気もするのであった。

 唐突に席から立ち上がり、隅に向かうと怒鳴りだす。

「おい! お前たちもか! あの透き通るような、ダイヤのような宝石が空から舞い散ることの良さが、お前たちもわからんのか! なんてことだ!」

 一団は、突然男が自分達に向けて叫びだしたもんだから、面食らって数瞬黙り込んでしまったが、その中の一人が男の正体に気づくと、指をさして叫び返した。

「あ、お前は三丁目に住むサムシだな! 相変わらず頭のおかしいやつだな。なんでそんなどうでもいいことで怒り始めるんだ! めんどくせえ野郎だな!」

 彼の言い分は至極まっとうで常識的だったが、サムシさんにとっては『どうでもいいこと』ではなかったので、火に油を注ぐ結果となってしまった。

「ああ!? どうでもいいとはなんだ、お前。おい、先に喧嘩吹っ掛けたのはお前だからな!」

 このままだとが店がめちゃくちゃになりそうなので、見かねた大将が後ろからサムシさんを羽交い締めにすると、無理やり店の外に連れ出して、放り出してしまった。そのまま仁王立ちしてぴしゃりと言う。

「お前が、あの有名なサムシだったか! 喧嘩ならよそでやってくれ! 今後一切、お前は出入り禁止だ!」

 店の出入り口をバン! と閉めると怒りながら行ってしまったようだ。


「くそ、どいつもこいつも、なぜ雪を嫌うんだ。風情のない奴ばっかりだな、馬鹿どもが。ケッ」

 怒り疲れ、飯を食う気も失せてしまったので、サムシさんはもう家に帰って寝ることにした。

 トボトボと歩く帰り道、彼を知る者達は、その姿を見かけると、行きと同じように、避ける者もいれば、挨拶する者もいれば、ケラケラ笑いだす者もいる。サムシさんは疲れていたので、その全員を無視するなり、適当に返事をするなりしてやり過ごし、気がついたら家の前に立っていた。

 ギイイと引き戸を開け、中に入るとすぐに寝床へ向かって、そのままバッタリ眠りだす。怒った日は疲れがたまっているので、すぐに眠ってしまうのだ。サムシさんはほとんど毎日怒るので、ほとんど毎日そうだった。





 夜中にふと目が覚めて、(かわや)にでも行こうかと立ち上がると、窓を通して、外の景色にくぎ付けになった。

 風の吹きすさぶ砂漠のように、サラサラと白い半透明の砂粒が空を舞っているのだった。

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