大賢者の回顧録 ~魔王との決戦~
私は長い間ずっと、一人だった。
そう。あの運命の戦いの日も。
──夕暮れ時。
草木も絶え果てた無骨な岩山で、魔法使いである私は、残虐なる魔王と戦っていた。
奴は我が王国を滅ぼそうと、魔物らを率いてやってきたのだ。
私は青緑のローブを羽織り、翡翠の玉の付いた長い杖と、白銀の長剣を腰に差している。味方は居ない。奴を食い止めるため、ただ一人でここへ来た。
負けるわけにはいかない。必ずここで決着をつける。
部下の魔物は上級魔法で一掃した。残るは魔王一体のみ。
魔王フォボスは、長く湾曲に伸びた角を、頭から二本生やしている。やぎの頭蓋骨に似た顔と赤々と光る目からは、狂った感情以外、読み取れない。奴は裾の裂けた漆黒の外套を羽織っており、首には赤紫の数珠をぶら下げていた。背丈は二メートルほどだが、纏っている圧倒的な邪気は、常人なら目にしただけで卒倒するほどであろう。
魔王は闇魔法を使い、私を殺そうとした。
私はそれに対抗し、光魔法で応戦した。何度か上級魔法の撃ち合いとなる。
「絶望の雨!」
「祝福の光 !!」
二人の間で、黒と白の巨大な力が、激しく衝突し相殺される。
そこにあったはずの岩たちは、跡形もなく消し飛び、固い地面も深くえぐれていた。
「くくく。やるではないか。だが儂を倒すには力不足であるぞ」
魔王は低く濁った笑い声を漏らす。背筋にぞわりと悪寒が走った。
戦ってみて分かったが、魔力の量も魔法の威力も、あちらが上のようだ。
たくさんあった魔力量は半分になった。私は奴から離れ、杖を放り投げる。
「どうした?もう諦めたのか?」
「魔王よ!私と剣で勝負だ!」
少しでも奴に直接的なダメージを与えたい。
そんな打算から長剣を抜いた。
魔王は呪文を唱え、空中に出来た黒い穴から武器を引っ張り出した。紫の妖気を纏った大剣である。長さがある分、あちらが有利かもしれない。
「いいだろう。少し遊んでやる」
集中し、無言で威嚇し合う。
ごくりと唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。
「さて、どこから切り落としてやろうか」
そう言って魔王が剣を大きく一振りする。
放たれた斬撃を、半身を翻して避けたが、なびいた栗色の髪は枯れ葉のようにはらはらと地面へ落ちた。
何て威力だ……!
ぞっとして彼を睨む。
鼓動が激しく打ち、呼吸が浅くなった。
岩を飛び越え、一気に魔王との距離を詰める。夕焼けを背に、高速でぶつかり合う、二つの剣。
耳が痛くなるような金属音がして、私は後方へ弾き飛ばされた。
運良く体勢は崩していない。だがあまりの衝撃に剣の柄をもつ手がしびれていた。
「ああ。その程度では、儂にかすり傷すら負わせられぬぞ」
憐れむように言われた。どこまでも余裕な態度が憎らしい。
何度も何度も。
仕掛けては弾かれるの繰り返しだ。
「くっ!これでは埒があかない!」
体力もすり減る一方だ。
せめてもっと近付ければ、攻撃を当てられる。
私は奴に弾かれぬよう、持てる力全てを込めて剣を振った。
奴は初めてそれを受け止める。
甲高い音を鳴らし、せめぎ合う刃。
私は歯を食い縛り、魔王の剣を思い切り弾き返した。
後ろに一歩退く魔王。
その刹那に正面から一太刀食らわせようとした。
しかし刃は届かなかった。
仕掛けるまでのわずかな間に、奴の剣の切っ先が私の左腕を掠めたからだ。
鮮血が花のように開いて散り、切られた部分がかっと熱くなる。
奴から放たれるもう一太刀。
この胸に浴びる前に身体を反らす。
地面を勢いよく転がって魔王から距離を取った。
危ない。
あと数秒遅れたら、串刺しにされていた。
「剣はもう終わりか、魔法使い?ならもっと苦しみ儂を楽しませろ」
彼はまたしても魔法を使ってくる。
土魔法だ。ごろごろした無数の岩が、雹のように私の頭上に降り注いでくる。
だめだ!避けきれない!
そう悟った私は、結界と身体強化の魔法を使った。
そして頭をかばい衝撃に備えた。
だが魔法を使っているのにも関わらず、岩は私の身体と内臓を容赦なく押し潰した。
「うあぁあああああああああああ!」
激痛にうめき声を上げる。剣を落とし、口から大量の血を吐き出した。
どくどくと地面に流れ広がる赤。体温が急速に失われていく。
右腕の骨に加え、両足の骨も折れていた。
左腕はかろうじて無事だったが、痛みが酷くもう剣は持ち上げられない。
どうにか岩の中から這い出て、気休めに治癒魔法を使うが、損傷が酷すぎて役に立たなかった。
寒い。震えが止まらない。
視界が、脳内が、ぼんやりしてくる。
「さあ。そろそろ終わりにしようではないか。儂は忙しいのだ。これから王国の人間を殺しに行かねばならぬのでな」
近付く靴音。
真上から落ちてくる、愉悦に満ちた、声。
……この者は、数々の命を奪ってなお、まだ足りないのか。
どれだけ人々を苦しめれば気が済むのか。
私の脳裏にこれまで体験してきた光景が映し出される。
──焼き払われる豊かな森。
鼻につく血の匂いと悲鳴。
むごたらしく殺された人たち。
子を失い泣き叫ぶ母親──。
腹の底から、怒りを感じた。
踏みにじられていい命など、あるわけがない。
幸せを奪う権利など、誰にもないはずだ……っ!!
霞みかけていた意識が、急に鮮明になる。
「最強の魔王たる儂に歯向かったこと、苦しみながら後悔するがいい!」
大剣が私を突き刺そうと、大きく振り上げられる。
奴が勝利を確信したその一瞬。
わずかに生まれた隙を、私は見逃さなかった。
「聖なる剣っ!!!」
私は残った魔力をほぼ使い切り、青白い大剣を作り出した。
まばゆい光を発したそれは、魔王の腹を目に見えぬ速さで突き抜け、風穴を空けた。
奴の大剣は強風に飛ばされ、はるか遠くに落ち、大地に刺さった。
「なん、だと……!?」
魔王は自分の腹に空いた穴を見つめ、よろめいた後、地面に膝をついた。
倒したのか?
そう思ったが、奴は口から紫の液体を流し、ずりずりと私の側に這ってきて、この顎の下に手をかけた。
理解不能な言葉と共に、黒く尖った爪が肌に食い込む。
「ぐ、あ……!」
襲いくる焼けつくような痛み。苦しい。血が頭に上る。
私は自分に残されたわずかな魔力をかき集め、左手で奴の頬骨に魔法を放った。
顔の大部分を吹っ飛ばされ、後ずさる魔王。もはや残るのは赤い左目と穴の空いた肢体のみとなった。
「くくく…………あははははははははははははは!!!」
口がないのに、笑い声が生じている。
まだ、生きている、のか?
絶望と同時に、訪れる死を覚悟した。
だが、魔王はこちらを見て立ち尽くしたまま、動かなくなった。黒いもやのようなものが、彼の手足から徐々に発生し始める。
どうやら勝負は私の勝ちのようだ。
「覚えておくがいい、魔法使いよ。貴様は必ず闇を知る」
恨みのこもったしゃがれ声が、鼓膜を叩く。
魔王の身体が形を無くし、黒い霧へと姿を変えていった。
「その命尽きるまで、地獄の苦しみを味わうがいい」
禍々しい高笑いを残して、奴はとうとう砂埃と化した。
やっと、終わったのだ。
ふ、と気を抜いた瞬間。
私はぎりぎりのところで保っていた意識を、あっけなく手放してしまったのだった。
──あれから三年の月日が流れた。
瀕死の状態だった私は手当てされ、一命を取り留めた。
魔王という支配者を失った魔物たちは、その勢力を弱め、私は【大賢者】や【たった一人で魔王を倒した英雄】などと周知され、今に至る。
実際はぼろぼろの死にかけで、おおよそ格好のいい姿ではなかったのだが、世間の偶像は膨らむばかりだ。
でもそんなもの、私には重要ではない。
重要なのは、たった一つの事実のみだ。
「ユーティスさーん!早く行きましょう!」
ある王国の高台にて。
私を呼ぶ元気な女性の声に、自然と胸が温かくなり、口角が上がった。
ローブをはためかせ、杖を手に彼女の元へ駆けていく。
そう。
【私はもう、一人ではない】。
偽りあるこの世の中でたった一つ、その事実こそが。
私には、大切なのだから。
【作者より】
苦手とするアクション主体で、一本書かせてもらいました。なかなかに難しく、これでいいのか!?と自問自答しながら取り組みました(笑)
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※メンタル豆腐なので、辛辣なのはご勘弁ください。また荒らし行為と見なした場合は、削除させていただきます。あらかじめご了承ください。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました!(о´∀`о)