Sister’s insurrection 1
一章です
1
玠の視界に青いトレーが差し込まれる。トレーの上には水と、“今日のおススメメニュー”の魚介のパスタのハーフサイズが乗せられていた。付け合わせのサラダは、色とりどりの野菜が皿に詰め込まれているだけでも、見ため的には悪くない。
「おはよう玠さん」
「本当にフツーに学校に来ているんだな」
怪訝な顔をしてみせる。昼休みに、いつものように学食で昼ご飯を食べていると相席に優が座って来たのだった。
事件があったのは昨日だ。つまり優は、あの後普通に帰って、普通に寝て起きて、ごく普通に登校してきたことになる。
「そんな少しじゃ足りねえんじゃねえか?」
「女子ですから」
えへん、と言いたげな顔で答えた。
確かにお淑やかな女子って感じだ。姉の方ならサイズは並……いや大盛りで、サラダなんかも食べなそうだな、なんて考える。
玠の顔が少し綻んだ。
「あの時はお姉ちゃんが失礼な態度でごめんね。怒ってる?」
「いいや」
「なら良かった。私まだ玠さんのことまだ知らないから、怒ってるかもって」
正直相手の目的が分からない。取り立てて入学する意味はあったのだろうか。そして姉は今何をしているんだろう。
「あと、優は俺のこと『さん』づけで呼ぶんだったな」
「うん。お姉ちゃんの方はケイって呼び方が抜けてないみたいだったね。ふふ、変なの」
にへら、と笑う。中身が優ではない時とまるで変わらない。
「しかし、藍のモノマネはうまかったな。本物と話してても、ほぼ違和感がねえ」
「そりゃ姉妹だもん」
食べながらのやり取りでは、どうしても会話が止まってしまう時がある。そうすると二人が目を——この場合耳を背けていた周りの声が聞こえてしまう。昨日の事件のせいでざわざわと騒がしい生徒たち。あれだけ目立ったのだから、学食内にポツンと浮かぶ白い髪は普段より一層目立っていた。しかも相席には優がいる。転校早々事件に巻き込まれた悲劇の女の子と言ったところだろうか。あんな事があったのに平気な顔で翌日登校してくる姿は、みんなの目にどう映っているのだろうか?
訳の分からない事件だっただけに、教員たちの後始末は苦難を要したみたいだった。優や和也を含む“被害者”達はお咎め無し。倒れた何人かは療養のために学校には来ていなかったが、停学処分というわけではない。菊池の席は言わずもがなポッカリと空いていた。最終的な処分は知らされてい。そもそも彼はこんな事件を起こすような人柄ではなかったという指摘も多かったらしい。そしてそれは事実で、菊池は元々温厚でおっとりした性格だったように思える。そういうこともあり、もしかしたら正式な処分を決めあぐねているのかも知れない。
問題となるのは玠だった。事件を不用意に掻き乱し、菊池を刺激したとも言える部分で議論を呼んだ。最終的に、彼が来なかったら明確な実害が出ていたかも知れないし、実際菊池との接触で増えた被害はないという事で、褒められこそされねど無罪放免にはなった。
そこらへんの事情は口外禁止の念を押され、学校内で色んな憶測が飛び回っているという。やはり、年頃の少年少女の噂話にならない方が、それこそ異常かもしれない。
「ちょっと居づらいよね」
「どの口で言うんだよ」
「あ、あはは〜…………ごめんなさい」
「はあ。そろそろ行くぞ」
ハーフサイズのパスタは、先に食べていた玠の食事が終わるタイミングにちょうど良かった。逃げるように食堂を後にする。
二人同時に出た後の食堂でどんな話がされるのか、想像もしたくなかった。
「はーあ、全く嫌になっちゃうわよね、ケイ」
廊下に出た途端に優の口調が変わる——姉のように。
「……今日は本物だろ」
「ああっ、やっぱり分かるんだ!すごいなあ」
直ぐに元に戻った。嘘なのか、冗談なのか分かりづらい。
あと、妹も姉の真似が上手かった。
「そんなことをしに俺のところに来たのか?」
「えへへ、こちらとしてもいい関係を築ければ良いと思ってますから〜!」
「はあ、厄介ごとは起こさないでくれ」
今にして考えると屋上で見せた悲痛の表情も、あれも演技だったのだろうか。それとも、大丈夫だと理解していながらも胸中から滲み出てしまった顔だったのだろうか。そう考えるとこの人懐っこい笑顔も素直に直視していいものか、よく分からなくなってきた。
敵かもしれない相手を目の前にして、警戒こそすれ何故無防備でいられるのか。玠は一昨々日の夜のことを思い出していた。
◇ ◇
「これも何かの縁だ。今度良かったら案内とかするからさ、元気出せ」
優——本当は藍をナンパから救った後,、喫茶店にて。始まりはこの時だった。
実にぎこちなく、玠らしくないこの言葉には理由があった。
(心は痛むが、致し方無いだろう)
《SC》を発動。優の精神的な緊張が解れる。
玠は内心歯噛みした。他人のために使うとはいえアイツの真似事をすることになるとは…。行為そのものというより一、二時間前に和也を見た冷たい目……その行動と矛盾しているような自分に恥ずかしさを覚えたのだ。ついでに臭いセリフを吐くことになったが、これはカモフラージュ——本人はそのつもり——であった。こんな時、玠は女性を安心させるような言葉を知らない。
「……うん、ありがと。ケイの言葉って、なんだか少し……安心するね」
藍の演技でもあるが、これは錯覚では無い。玠が使った能力は、そっくりそのまま和也のそれだからだ。
玠の能力は特定の能力を模倣する。平たく言って『コピー』。藍の宣言は正しかったのだ。
玠は自分の能力のことをずっと隠してきた。目を付けられて困る奴らもいるし、自分の目的達成の為にバレるのはマズイ。こんな場面だとしても露見のリスクを冒すことは無かった。ヤキが回ったというやつだ。
そして1時間後の別れ際。明日また下校する約束をした玠は、再びこの能力を使えるように『ホールド』した。
二度目は事件の真っ只中。屋上に登った時だった。
「おい、だれか垂れ幕登ってんぞ!」
「キャー!アレってあの先輩じゃない!?」
「きみーーーー!早く降りなさーーい!!!」
玠は壁を登っていた。垂れ幕を手繰り寄せ壁を歩くように登るこれは、菊池の能力である。
今朝方、玠はある異変に気付いていた。自分の能力の性質上、菊池の能力が大幅に増強されていたことが直ぐに分かったからだ。今まで見たことがない現象に、昨日の優の意味深なセリフ。朝の時点で何かあると踏んで備えていたのだ。
状況は切迫していると見たので、多少不自然だが表面上“垂れ幕を登っている”ように見せ、その実、壁と足の裏を『粘着』させて登っていた。
そして三度目は言わずと知れる、菊池の動きを止めて、そのまま失神させた時である。
「ケイ、貴方はあたし達に三度も能力の発動を見せてしまったのよ。特に最初のがいけなかった。貴方の能力には不確かな要素がたくさんあったもの。アレが無ければ、あたし達は今頃ようやく仮説を立てた段階に違いないわ。そうでしょう、お馬鹿さん?」
「もう、失礼だよ。玠さんはお姉ちゃんを恩ってしたことなのに」
「あら、お礼は言ったわ。でもあれは演技ね。私の思う優の演技」
「もう〜〜!」
玠は苦虫を噛み潰したような顔をした。どうやらいっぱい食わされたようだ。
その顔を見てご満悦の藍。しかし優にはどうにも納得いかない点があった。
「でもなんで私達の『変身』とか、入れ替わりとかがわかったの?屋上で一目見ただけですぐ分かるものなら、玠さんはお姉ちゃんの成りすましに最初から気が付いてたってことじゃないの?」
「そこまでいう義理はない」
「まあ、そっか。能力のことは隠してた方が有利だもんね」
「それどころではないわ。ケイはもうあたし達の能力がわかってしまっているのよ」
優はようやくコトの重大さに気付いた。お互い能力を隠していたい事情があるのは明白。双方、部分的にとはいえ相手の能力を暴露できる状態……これはそういう話し合いなのだ。
睨み合いの口火を切ったのは玠だった。
「交換条件だ。菊池の能力強化の原因とお前達の目的、これを教えろ」
優はオロオロするばかり。一方藍は冷や汗をかきつつも余裕の表情は崩さない。
「あら?貴方の噂を流した人物の方が重要なんじゃないのかしら」
「それは人物なんだな?」
藍はしまった、という顔をした。何らかの組織ぐるみの情報網や、不特定多数による情報ではない。ヒントを与えてしまった。
「ふん、それなら大体の検討はつく」
「……また今度言うことにするわ」
「そんなもの信じられるか」
「約束よ。というか、優はしばらくこの学校に在籍するもの。逃げたりしない」
「本当だよ」
「……」
「ま、しばらくは大人しくしてるわ。安心なさい」
ここでコトを荒立てるのも得策じゃない。ここで成敗してしまえば、彼女達の見据えている“何か”にたどり着けないかもしれないからだ。自分の情報を流した人物の意図も気になる。玠はいくつか思案した結果、ひとまず了承することにしたのだった。
◇ ◇
お互いの牽制が効いている以上、相手に素性を隠す必要もない。だからと言って細かい事情を教えてやるつもりはないが、もしかしたら、単に知り合う学生同士という意味で、お互い多少おおっぴらに話しているのだ。
といっても、構内で過ごす以上やはり人の目から逃れることはできない。全校生徒へのアナウンスこそないものの、警察が来るほどの大ごとになったからには学内の全員が事件について知っていると考えていいだろう。今だって遠くでこちらを見た下級生が憚るようにコソコソ喋っている。
「藍はどうした」
「お姉ちゃんはいないよ。この学校の生徒じゃないもん」
「ずっと家に?」
「家というか、まあそんな感じ。こっちもやることがあるからね」
「優はこんなことしてていいのか?親は……お金の工面はどうしてるんだ?」
次々から次へと疑問が湧き出してくる。矢継ぎ早の質問に対して優は答えるでもなく怒るでもなく、ただ萎れた花のように黙ってしまった。
玠は言ってしまってから自らのミスに気付く。彼女らは得体の知れないことをやっている姉妹だ。もし親がいなかったら?家計が苦しい中入学していたら……?
「その、すまない」
「いいの。ここに居ることは、必要なことだから」
「優はあんまり乗り気じゃないんだな」
「私にはあそこまでする度胸はないよ。でもお姉ちゃんに引っ張ってもらってるからやるの」
やらなくてはいけない——使命感に、静かに燃える。そんな言い方だった。
「というか……」
「ん?」
「……この前みたいなこと、まだ起こる…………かも」
申し訳なさそうに、か細い声で呟いた。
「大体予想はついている。何のためにやっているか分からない以上、俺はまだ中立でいてやる。でも人が傷つくのはよせ」
「……わかった」
「何のためにこんなことをしているのかはまだ言えないのか?」
「私からは言えないんだ。立案はお姉ちゃんだから、無断で教えるのは……。そもそも、私だって知らないこといっぱいある」
計画の全貌を知るのは藍。独断か、そもそも二人だけでやっているかすら不明だが。
どうにかして接触するしかない。
「藍と会うしかなさそうだな」
「多分だけど、あってくれないと思う」
「それは何故だ」
「私にも、よく分からないよ……!」
優の言葉に僅かに力がこもる。優と藍の間には隔壁——それも感情の、大きな隔たりがあるようだ。
しばらく沈黙が続き、玠は何と声をかければいいものか思案したが、かと言って気の利いた言葉が出てくるわけもなかった。
代わりに口にした台詞は、優にとって酷なものとなった。
「それなら、今やるか?」
「え……?」
途端、優は玠の身体が普段の何倍も大きくなったように感じた。そう錯覚させるほど凄みを増す巨躯。
「いま、……未然に防いでもいいと言ったんだ」
窓から見える木から、一斉に鳥が飛び立ったのはその威圧感からだろうか。
優は今圧力をかけられている。また何か起こすのなら、今ここでお前から処理すると、そう言われているのだ。どう返答すれば正解なのか分からず、体が固まる。
そんな優を救ったのは、後ろからかけられた、第三者の声だった。
「あっ、かなどめ先輩じゃないッスか!」
「あ、あの、私もう行くね!」
気を取られたその隙に、走って行ってしまった。
「あ、ちょっと待……」
「ありゃ、お取り込み中でした?これはすみません」
「全くだ。誰なんだお前は。何で俺のことを知っている?」
怪訝そうな顔で振り返ると、そこにいたのは一人の少女。おそらく下級生の一人だろう。
玠は彼女の体にそって目線を上下させた。優より一回り小柄な身体。クリクリとした目は睫毛が長く、生意気そうに笑う唇からは八重歯がのぞいている。肌は綺麗な白。でもそれ以上に、縮毛矯正されたように綺麗なショートストレートの髪が、真っ白だった。
玠と同じだ。
「やだなあ、そりゃああんだけ大事になったんだから皆んな知ってるッスよ〜」
そうだった。
「屋上に立て籠もった猟奇殺人犯!たった一人乗り込み瞬殺した白髪の高校生!いやあカッコい〜な〜」
舞台の上にいるかのように大袈裟な口調で語る。眼を閉じ、手を広げる。本当に陶酔してやっている訳では無い。
「おい、そんな大層な謳い文句になっているのか」
「もちろんッスよ!屋上登ってったの凄い目立ってましたもん」
「それは学内だけだろうな」
「多分そうッスね。でもウチは中高一貫で生徒も多いッスから、白い髪の高校生の話なんて街中に広まるかと」
頭が痛くなってきた。そのうち外を自由に歩き回ることもできなくなるかもしれない。
玠は黒染めすることを真剣に考え始めた。
「だとしたら、お前の髪の毛も白い。性別は違えど、迷惑がかかったら悪いな」
「ボクは大丈夫ッスよ。こーゆー時はお互い様ッスから」
お互い様?同じ髪色同士、外見由来の苦難を分かち合おうということだろうか。こちらは彼女のことを全く知らなかったが、相手の方は前々からそういう意味で玠を見ていたのかもしれない。それなら、このどこか馴れ馴れしい態度も頷ける。
でもそこに感じたのは親近感ではなく、不気味で近寄り難い印象だった。これは白い髪のせいだろうか?だとしたら、やはり黒染めをする理由が一つ増えた。
「ああそうだ、先輩先輩」
「あ?」
「屋上登ってったの、アレ垂れ幕登った訳じゃ無いでしょ」
「……」
玠は少し面食らった。下らない世間話でもするような雰囲気だったのに、いきなり核心に触れてきたからだ。
でも、それは幾らか想定していたこと。人相最悪の不良に話しかける命知らずも居たもんだ。
「さあな、そういう話なら今度にしてくれ」
「あとぉ、コトを沈めたのもアレは先輩の……」
「しつこい。関係あるのか?お前に」
ギロリ、と猛獣のような眼つきを向ける。その有無を言わせない鋭さに、ピクリとも表情を変えない少女。全く、これっぽっちも尻込みしていない様子で他所様向けの笑顔を保っている。
「いえいえ。別にどうこうしようって話じゃないッスよ」
「だったら何だ」
「やだなあ、単なる推測じゃないッスか〜。先輩はどうやったらあんなカッコ良いい事できちゃうのか気になっちゃいますぅ〜」
「茶化すな。用がそれだけなら帰れ」
「ひゅ〜、クール!じゃあ、そんな先輩にプレゼント」
そう言って、ポケットから白いUSBメモリを取り出した。
「何だこれは?」
「中身はお家に帰ってから見てくださいね。それじゃあ」
最後にニコッとわらって、来た方へ歩いて行ってしまった。
気付けば廊下にはもう人影はなく、玠は一人取り残されたような気分になった。
完全に相手のペースだった。それにしても食えない少女だ。名前も聞けなかったし、なによりこの謎のUSBの中身が気になる。
『キーンコーンカーンコーン』
見計らったようにチャイムが鳴る。
優の情態に後ろ髪引かれながらも、玠は教室に向かった。
姉妹のことといい、謎の少女のことといい、いまいち釈然としないまま午後の授業を過ごすことになった。
結局下校時まで優の姿は見えず終い。授業中アレコレと思案し、これで良かったと結論づけた。玠の読みだと、わざわざ探さなくてもあちらから接触してくるだろう。
今日はこれからやることがある。問い詰めなきゃならない奴がいるのだ。それと、この白いUSBメモリの中身が気になる。これにはウイルスが仕組まれているかもしれない。あの少女はすんなり信用できない雰囲気があった。
やはりあそこに行く必要がある。
——そうして数時間後、玠の姿は或る薄汚い路地裏にあった。
未解決部は、いずれ玠たちが解明してくれましょう。