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零点とアブノーマリティ  作者: つらたん
1/7

序章 - Preface of Abnormalities 1

初めまして


一話だけ長くしました。区切り区切り、自分のペースで読んでくださいね

1


 しばらく陽に当たり続けると、少し暑い。暑いと感じる頃には柔らかい風が吹き込み、これがなんともいい按配だ。ああ、春こそ人間が過ごすべき季節ではないか。どうか世界がこのまま動くのをやめますように。

 そんな事を考えつつ。

 或る学校の後方窓側の席に、今にもウトウト居眠りを始めようとしている、ごく普通の女子生徒の姿があった。

 ——その一つ後ろ。ここに、普通じゃない男子生徒がいた。

 春風に揺れるのは白い髪。断じてお洒落でやっているわけではないその髪色には、家庭でのストレスが……だの、危ない人との関わりが……だのがまことしやかに囁かれ、今やいろんな尾ひれが付いている。要するに、敬遠されている。

 彼はいま、本人曰く『無意味で形式主義』な授業に片肘ついて、これまたウトウトやっているところだ。

 でも彼は、麗らかな春の平穏をよくなんて思っていない。

 このまま世界が止まったら、なんてつまらないのか。そう思うことにしている。

「で、あるからして、人間それぞれ備わった特殊能力——これは学術的には《SC》とも呼ばれますね。Second Capacity の略であります。二つ目の才能という意味の由来は、必ず一人一つであること、そしてこの能力は他の技能に対してあくまで二次的な位置付けである、の二点で……えー、これらの能力は個性の一環として認められるべきであり……」

 長々と続けられるの授業科目は『能力倫理』。個人がこの異能を使って人を傷つけないように、また自分が傷つかないように教育の段階で是正するのだ。この社会に生きていれば、小さい頃から教育として度々行われる。高校生とまでなれば耳にタコが出来るほど聞かされている説法じみた文言と道徳的アプローチ。こうした理由で、教室にはそもそも真面目に授業を受けている者が多くない。

 それは先生も然り。教育機関も徹底的には行わない。というのも、この仰々しくも《SC》と呼称される特殊能力は、社会にとってなんら弊害にならない。わかりやすい例でいうと『指先がちょっと光る』だとか、『掌からそよ風を発生させる』だとか。

 能力の幅は広く、それこそ才能のように多岐にわたる。しかし、局所的になんとなく便利だったり、悪用するにしてもちょっとしたいたずら程度が関の山の代物だ。犯罪を犯すなら何かしらの道具を使う方がよっぽど賢い。ゆえに、能力の徹底管理などする方が無駄で、人々も自分の能力を公言しない。わざわざ言いふらしたり、しなかったりする風潮の中を生きている。


 もっとも、先程うたた寝をし始めた彼は《SC》がそんなチャチなものばかりではないことを知っているのだが。


「チャイムはまだ鳴っていないですが、授業はここまでです……。担任の先生から、今日は特に連絡もないのでホームルームは省略してこのまま解散してくださいとのことです。あとそれから……」

「お、やったー!」

「おい、帰りカラオケ行こうぜ」

「他に行く人〜?」

「私も行くー」

 がやがやと賑やかになる教室に、この男は含まれていない。彼はいつも好奇心を満たす何かを待ち望んでいる酔狂な奴だが、そのために好き好んで群れるタイプでもない。

 時に外見は口よりものを言うのだ。警戒されたまま群れもしなければ、当然クラスの輪には入れない。

 むくりと立ち上がり、カバンを肩にかけた。身長は185cm、筋肉質。机で縮こまっていた体と立ち姿の差に、隣の席の男子が少し驚いた。

「あ、君も一緒にどう?」

 彼に声をかけたのはクラスの中心に位置する男子だ。明るい茶髪と物腰穏やかな性格は、多くのクラスメイトを惹きつける。いわゆるスクールカーストで言うと何段階も違うだろう。彼を誘ったのはカーストトップの素養だろうか?ともあれ、その誘いに周りが驚いたのは間違いなかった。

 顔はそのまま、目だけでジロリと誘い主を見る。

「悪いな、今日は帰る」

 今日『も』であった。一瞬静かになったガヤは、ホッとして賑わいを取り戻す。

「そっか、また明日」

 人当たり良くニコッと笑うその男に、後ろ姿で手を挙げ応えながら教室を後にする。

「あいつなんか和也見る目付き悪くな〜い?」

「あはは、まあまあ。それよりさ……」

 クラスの喧騒から離れて、廊下に出る。

「ねえねえ、 あの先輩だよ」

「ほんとだ」

 彼はよく下級生にコソコソと囁かれる。ギラギラしているヤツだと捉えられるのか、低学年にはちょっとばかし人気だ。

 三階の教室からちょっと遠回りして昇降口まで、暇な時はいつもきょろきょろと色んなものを物色する。慌ただしい職員室、下駄箱と昇降口、野球部の垂れ幕。新学期が始まって少し経つ頃にもなれば、桜の木を飾る花はもう残り僅か。

 

 平穏。今日も滞りなく進められる日常は、彼の表情を変える事はなかった。

 駅に近づくにつれて街が活気付いていく。今はまだ明るいが、あと二時間もすれば少し薄暗くなる。それにつれてポツポツと灯り始める街灯や店の灯りの雰囲気が、彼は嫌いではなかった。

 でも面白くはない。この街は平凡だ。かつて向こうの神社でバケモノに襲われたなんて話も、蓋を開ければ野生のイタチが一匹街の方に降りてきただけだったし、そこの工事現場ではなにやら遺跡の発掘をしているなどと噂が立ったが、結局マンションが建っただけだった。

 彼はただ歩を進めるだけだった。

「なあなあ、あんまし長くはならないからさあ」

「俺ら行きつけの店があるんだってぇよ」

「いやっ、どいてってば!」

 張り上げられた声が、後ろに引っ張るように彼の足を止めた。

 声の主は一つ隣のストリート、同じ校のブレザーを着た女子生徒だ。二人組の男が進行を阻んでいる。

 男たちの態度はやや強引で、今まさに彼女の腕を掴んだところ。周りに止める人間はいないのだろうか、繋ぎの横道越しではそれも分からない。どうやら行くしかなさそうだ。

「そんなに拒否られたら俺ら傷ついちゃうんだけどなあ?」

「俺の目光るんだぜ〜。ほら、ほら」

「うるせえ!いま俺が話しかけてんだろうが!オメーのダセエ能力はいいんだよ!」

「おい、お前ら何やってんだ?」

 そいつの腕を掴み、少しだけ凄んでみせる。

 男達の首は水平に振り返り、そのまま上を向く。大きな図体が覆い被さるかのように、自分たちに影を落としていた。

「……チッ、冗談だって。行こうぜ」

 小柄な二人組にはそれで十分で、ポケットに手を突っ込み駅の方へ消えていった。

 くだらない、と、その少女に話かけもぜずにカバンをかけ直す。危難は去ったとばかりにそのまま帰ろうとすると、当然少女の方から声がかかった。

「ありがとう、助かったよ」

 お礼を言う為だろうか、無理に笑みを作っているのが一目でわかった。

 この街の治安はそんなに悪くないはずなのに、昼間からチンピラに絡まれるとは運が悪い。

「ああ、気を付けろよ」

 彼女は少し悲しい顔に戻ったが、すぐににぃっと笑って

「うん。でも私一人でもなんとかできたんだからね!」

 冗談めかしてそう言った。



 グラスの中で、氷がカラン と涼しげな音を立てる。

 喫茶店は洒落た商店街風のストリートに面していて、それでいて静かな環境が整えられている。あれから数分後、二人の姿は、行き交う人々を見下ろす窓側カウンター席にあった。最初は断ったのだが、どうしてもお礼をさせて欲しいということで、一杯ご馳走になることになったのだ。

「名前を教えてよ」

 彼女が訊く。いざ近くで見ると、整った眉目が男に目をつけられるのも納得できてしまうくらいには端整。ゆったりとしたミディアムヘアからはちょっと甘い香りがした。

「俺は玠だ」

「へえ、けいね。苗字は?」

「かなどめ。京都の京と書いてかなどめ」

「あ、じゃあケイケイだね!イニシャルも!」

 にへらと笑う。人懐っこい印象だ。

「アンタは?そのブレザーはウチのだ。でも君を見たことがない」

「九重優。転校生!昨日から桜戸の2年C組なの」

 名郷とは、玠の学校の名だ。

「隣のクラスじゃねえか。転校生が来たなんて聞いてねえな。そういや、帰りの前に担任がなんか言ってたような……」

「それでも普通どこかで聞かない?」

「奇跡的に耳に入らなかったのかもな」

「ふふ、さっぱりだね」

 会話の中、玠は彼女の手元に視線を落とした。彼が会話に付き合っているのは、会話が弾むからではなく、グラスに添えられた彼女の指先が今もまだ僅かに震えているからだった。新しい環境でのあのアクシデントはうら若い女性には堪えたのだろう。活発で小生意気な印象の優の言葉使いは、それを察せさせないがための強がりなのかもしれない。

(……仕方ない)

 ため息とともに、何かを決意する。

「なあ、ちょっといいか?」

「なに?」

 優が振り向くと目が合う。そう仕向けたのか。

「これも何かの縁だ。今度良かったら案内とかするからさ、元気出せ」

 ゆっくりと言い聞かせる。ここはいい街だから大丈夫だ、とつづけた。

 実にぎこちなく、しかもぶっきらぼうな玠らしくない言葉だった。

「……うん。ありがと」

「ああ」

「ケイの言葉って、なんだか少し……安心するね」

 彼女は照れつつそう応えたのだった。




「また明日、同じ時間にねー!」

 玠が手を挙げ返したのを確認すると、彼女は駅へと駆けて行った。なんとなく、懐いた仔犬のようで微笑ましい。

(少し遅くなったか……)

 入店前に白藍色だった空はすっかり黒くなり、人工の灯りが駅前に満ちる。あのあとしばらく学校やこの辺りのことを喋ったのだ。ただでさえ怖い目にあったばかりだというのに、女性を長く引き止めるのは良くなかったかもしれない。

 反省して踵を返す。

 返して、辟易した。やっと一難去ったと思えば、また揉め事か。

「くそー!ムシャクシャすんなアイツよお!」

「お前の言い方も良くねえぞ」

「マジ!?そんなことねーだろ!なあ!?」

「あんた達ちょっと声大きいって」

 数メートル先に、街中で口論をしている集まりがあった。全く素知らぬ人間ならともかく、それらは自分のクラスメイトなのだ。どうにも見なかったことにはしづらい。授業後、玠を誘った茶髪の男子が仲裁に入っている。ケンカだろうか?

 彼が諌めているなら大ごとにはならないだろう。玠はしばしその様子を眺めたが、結局何かするでもなく帰り道に戻った。


 それと、明日のため『ホールド』することにしよう。そう決めた。



2



 帰り道、青木和也は困っていた。

 彼はクラスの中心人物で茶髪が爽やかな、玠を誘ったあの男子である。

 コトの発端は数時間前、行ったカラオケで起きた。



「一番でけえ部屋だ!」

「言うこと聞いとけよ、バイト君〜。こっちゃあナンパ失敗してイライラしてんだからよぉ?」

「か、かしこまりました!では1番の部屋で…」

 チリンとドアが鳴って和也たち八人が入店してくる。

「和也、俺受付してくるな!」

「うん、ありがとう」

「あ、和也!貸してくれた本返すね」

「もう読んだんだ。面白かったでしょ」

「うん、私この作者すっごく気に入ったよ!」

「それは良かったよ。また別のをもってくるね」

「和也ぁ、昨日の話なんだけどあたしさぁ…」

「うん、どうしたの?」

 彼は伊達にクラスの中心人物をやってはいない。クラスで何か話題が起きれば必ず話が彼に加わってくる。皆が和也を頼りにしてくる。ただし彼はそれに対して答え相槌を打つだけ。特別面白いことを言うわけでもなく、しかして彼のもとには和也、和也と人が集まってくる。楽して肯定感を得られるそんな状況を、和也はとても気に入っていた。

「おいおい、まじかよー!和也っちちょっと来てちょ!」

「ん、どうかした?」

「いやそれがよー、俺ら全員が入れる部屋が埋まっちゃってるみたいでよー」

「申し訳ありません!二組にわかれて別々の部屋のご利用なら可能なのですが……」

「予約していったじゃないか!」

「大変申し訳ありません!こちらの手違いで、次開くのは三時間後になってしまって……」

「和也どうする?」

「俺ぁもう歌う気マンマンだぜー!二組でいいから入ろうぜ和也ぁ」

「そうだね。皆んながそれでいいなら……」

「あたしはそれでいいよ」

「ボクも大丈夫」

 流れるように全員の合意が済む。

「それでしたら8番と12番のお部屋になります。」

 結局、それぞれ男女二人ずつの部屋に別れて入ることになった。

 そうして一時間ほどが経った頃だろうか。

「おれちょっと、ションベン行ってくるわ!」

「俊、言い方!」

「あはは」

(くそ、ちょっと部屋が離れてるな)

「和也どうしたの?」

「ううん?なんでもないよ」

 ニコッと笑ってみせる……が、実際和也は少し焦っていた。

 彼の人気にはタネがある。当たり障りのない相槌だけでこれほど人は集まることは無いだろう。《SC》でそう仕向けているのだ。

 と言っても、人の心を自在に操る訳ではない。《SC》はそんなに大層なものではないのだ。彼が出来るのは、少しばかり「安心」させてあげるだけだった。指先がちょっと光るように、掌からそよ風が出るように、少し心を和らげる。そんな不安定なものが、彼の能力だった。しかし微弱こその安心感を、皆本心としての好意と錯覚した。「彼と一緒にいると気分がいい」と認識した。

 単なる人気者程度の弱い力だ。大きなことがあれば裏切りもするし、喧嘩だって起きる。それでも和也は小さな頃から、作り上げたこの小さな城を気持ちよく思っていた。加えて、彼は端正な顔立ちを持つ。クラスでこの関係を築くのは簡単だったのだ。

「おいおい!いまトイレから帰った時覗いたんだけど、ちょっとなんかあっちの部屋で喧嘩?っつーかなんかもめてるみたいなんだけど!」

 くそ、運が悪い!という言葉を飲み込んで、和也は部屋を飛び出した。それを先頭に他のみんなも続く。

 12番の扉を期待と物怖じの混じった手で開けると、中からは想像以上の怒号が飛びかっていた。

「この前だってボクをバカにしてただろ!」

「ああ?してねーよ、お前黙れ」

「っはは……ウチらちょっと笑っただけじゃんねー……」

 そう、和也が築けるのは小さな城なのだ。所詮《SC》——カラオケの部屋が離れた程度で簡単に効果を失うほどだ。

 度々こんなことがあった。この能力が滞った直後にストレスがかかるような事があると、それを過剰に感じてしまう人がいるのだ。今回のトリガーは、或る男子が自尊心を傷つけられたことにあるみたいだ。

「おい、ちょっと待てって」

「いや、僕が行く」

 率先して前に出るには理由がある。

 こんな時は簡単だ。また能力を使えばいい。

 和也はその男子の前に出て、高まった熱を冷やすように、優しく諭した。

「どうしたの菊池君。一個ずつ整理し……」

「うるさい!偉そうにスカしやがって、お前だって同じだ!クソッ」

 正に火に油。床のバッグをひっ摑んだと思ったら、乱暴に和也を押しのけて部屋から走り出てしまった。

「あっ!……行っちゃった。和也、追いかける?」

「……いや、やめておこう。まず何があったか教えてくれるかな」



 そういう訳で、帰り道。青木和也は困っていた。

「くそー!ムシャクシャすんなアイツよお!」

「お前の言い方も良くねえぞ」

「マジ!?そんなことねーだろ!なあ?」

「あんた達ちょっと声大きいって」

 事が大きくなった。まるで小さな城にヒビが入ったような感覚だ。まさか一人の発露でこんな状態になるとは。みんなも少し気が立って、まるで揉め事の様相になっている。

 もしクラスメイトにでも見られたら気分が悪い。

「明日気まずいなあ……。どうしよ和也。今から菊池呼んで話し合いする?」

 案の定話が振られた。人が寄ってくるのはいいが、こんな時はうんざりする。

 和也は少し思案したが、

「いいや、大丈夫だよ。きっと上手く行く」

 棚上げすることにした。人望を得て人気を得たわけではない。こんな時どうすればいいか、自信があるはずもなく、とにかくこの場は能力でもなんでも使って気持ちよく収めたい。そんな内心であった。

 それぞれの目を見て、諭すように語りかける。最も心を許す友人といるかのような、柔らかな感情が皆の心に満ちた。

「うん……そうだよね」

「とりまダイジョブっしょ」

「まあアイツいつも一緒にいる訳じゃないし」

 良かった、上手くいきそうだ。ホッと胸をなでおろす。

 気が付けばもう駅の前だった。今日はもう帰るとしよう。

「何ともないって。気を取り直そう、みんな。取り敢えずまた明日」

「確かに、そこまで考え込むことじゃねえかもな。よっしゃ、じゃあな〜和也」

「またね和也」

「和也おつかれー」

 結局その日は解散になったのだった。



3



 翌日、京玠はやっぱり居眠りをしていた。

 彼曰く、授業中の睡眠こそが気持ちよいという。成績は上の下。進学校でもない中高一貫校で、彼の成績は特別気にするでも無いのか、教員は基本ノータッチだった。もっとも、デカイ図体と不良の髪色にビビってるだけではないかと言われればそこまでだが。


『キーンコーン カーンコーン』


「終わった終わった」

「帰るとすんベー」

「ホームルームが残ってますよー」

「もう転校生と話したー?」


 教室は昨日と同じ喧騒。違いがあるとすれば、転校生の話題が意識的に耳に入ってくるくらいであろうか。

 あと、変わった点はもう一つあった。

「な、なあ菊池。昨日お前の分俺が払ったんだけど、返してくんねえか?」

「……」

 クラスメイトの二人が教室の後ろで睨み合いを繰り広げている。

 険悪なムードに、気付いた者から浮き足立つ。

「お前らなんかに金払いたくない」

 教室から出て行こうとする菊池の肩を、相対する男子生徒ががしりと掴んだ。

「おい待てよ!それは違うだろ!」

「ま、まあまあ。俊も菊池くんも冷静に、ね?」

 冷や汗をかきながら和也が二人の間に割って入っていった。何故ならクラスの視線は自然と和也に向いていて、「どうにかしてくれ和也」という空気に、いよいよ本人が耐えられなくなったのだ。

「菊池くん、昨日の分は俊が立て替えてくれたみたいだからさ。値段通り、余分には取ってないよ」

「……」

 皆が見守る中、この会話は教室中に聞こえている。内容から言って和也の説明は説得的だ。悪いことをしているとも思えない。

 黙ったまま菊池はカバンに手を突っ込んで、千円札を机に叩きつけた。そして逃げるように教室を飛び出していく。これでは、クラスメイトの前で負けを認めたていだ。ただでさえ自尊心の強い菊池の顔は、無理もなく真っ赤だった。

「あら、どうしたの?席つきなさい」

 ホームルームに来た担任の先生が凍った場を破り、皆各々の席に戻った。

 玠とはいうと、終始片肘付いたままであった。



「でね、今日は和也くんって人ととも友達になったんだ。……どうかした?」

 放課後、昨日約束した通り優と一緒に下校する。他クラスの友達も出来たようだ。なのに自分なんかと帰り道を共にしてもいいのだろうか。

「そういや和也と言えば……」

 ホームルーム前に起きた事を言おうとして、やめる。入学して間もない優にケンカの話をするのは野暮なことだと思った。今回が特殊なケース

なだけで、うちの学校は普段平和。嫌な印象を与えるのは昨日の事だけで十分だ。

「いや、何でもない」

「ふふ、へんなの」

「学校に慣れてきたみたいで安心しただけだ」

「うん、これもケイのお陰だよ」

「どうしてだ?俺はなにもしてねえ」

「だって昨日ケイに助けてもらえなかったら、きっと今ごろ疑心暗鬼な感じ」

「……そうか」

「あと、あれがなかったら君と話すのは随分先になってたかなー。おっきいし、話しかけるの勇気がいるかも。中身はとっても良い人なのにね」

「チッ、知り合いによく言われんだよ。俺の図体は威圧的だって」

「そうだ、もっと笑えばいいんだよ!ほら、こうやってさ」

 優は指でほっぺたをつまんで、にぃっと笑った。

「勘弁してくれ」

 玠からも自然に笑みが溢れる。玠は彼女が何事もなく笑えていて安心した。その気遣いこそが無用だったと思わせるほど、彼女は明るかった。

「というか、ありがと。付き合ってもらっちゃって」

「気にするな」

「また何かあったらガンガン助けて貰っちゃうから」

「この辺じゃこの前みたいなことは滅多に起こらん。だから心配ねえ」

「本当にそうかしら」

「……どういう意味だ?」

「その時は私を助けに来てね。じゃあ、また明日!」

 気付けばもう駅前。優は昨日と同じように、大きく手を振って走り去った。玠は優の言葉に違和感を覚えながらも、その背が見えなくなるまで見送ったのだった。



◇ ◇



「今日はこれから職員会議があるわ。廊下でうるさくしたら命はないと思いなさい」

「なんだそれ」

「女性の口から出たとは思えない」

「うるさいわね。さっさと解散なさい、部活無い人はすぐ帰るように!ハイさようなら!」

「「さようならー」」

 翌日。放課後を迎えたクラスはバラバラに散っていく。部活に赴く者、寄り道の誘いをする者、イヤホンでその身を閉ざす者。当たり障りのない談笑が飛び交う中、やはり和也達にだけは険呑な雰囲気が漂っていた。

「なあ和也、行くの?」

「うん。とりあえず行ってみよう」

「私なんか気まずいなあ」

「つっても、どっかで話しつけなきゃだし」

 和也含むカラオケの時の七人には一通の手紙が当てられていた。教室移動から帰ってきた和也の机の中に入っていたそれの内容は単純明解。お前ら全員放課後屋上に来い、それと送り主の菊池の名前だけが書かれていた。

「誰か菊池と喋った?」

「誰も喋ってねーだろ。昼くらいからアイツいねーし」

「とにかく行こう。早く仲直りしなきゃね。なんとかなるよ」

 和也はニコリと笑ってみせる。合わせて能力を発動。それだけで全員の意思は固まった。

 校舎は四階建て。階を一つ上り、屋上はその上にあたる。金属のドアを開け、高めの段差を跨ぐと、ろくに緑化もされていない灰色のタイル上に降り立つ。特にできることもないので、自然と街を見下ろすために外側で留まる。

 屋上は高めの鉄柵で覆われていて、危険もないだろうということで常時解放されている。普段は昼休みなど生徒で賑わう。しかし、職員会議がある日の屋上は誰一人としておらず、白藍の空だけが目立つ殺風景さが和也の不安を誘った。

「和也、菊池居ないみたいだけど……」

「みたいだね」

 すると、球状のドアノブが回り、キィと軋音がして屋上のドアが開く。

 一同が息を飲んだ。

「あれー?和也くんだ、何してるの?」

 ヒョッコリと首をのぞかせて、現れたのは転校生——九重優だった。まだ見たことない屋上を見に来た様子で、偶然知っている人も発見して和也たちに合流した。

「あー、転校生の子じゃーん。でへへ、はじめまして〜」

「ちょっと俊キモいんですけど」

「九重さんじゃないか、君こそなんで屋上に?」

「えっとねー……」


 ガチャリ


 施錠の音。

「……おい」

 威圧感が篭った声の主は、扉の前。いつの間にか、鍵を握りしめて立っていた。

 どうやら転校生と親睦を深める時間は終わりみたいだ。

「わ、わざわざ鍵しめるこたないんじゃねえか?つか、それ許可取ったん?」

「お前ら、後悔させてやる……」

 話を聞くつもりなど毛頭ない様子。

 そして菊池は、扉を背にポケットから——ナイフを取り出した。

 それを見た全員の背筋がサーッと冷たくなる。血の気の引く音が聞こえてくるようだった。

「お、おい。落ち着けって」

 一人が上ずった声をかけるが、まるで聞いていない。

「昨日聞いたぞ……!お前らやっぱり、口裏合わせて僕を馬鹿にしていやがったんだってな……。下に見やがって、クソッ」

「お、おい。俺たちそんなことしてねえって!誰が言ったんだよそんなこと」

「和也だ!散々挑発しやがって、目にもの見せてやる!舐めやがって……!」

「えっ、和也⁉︎」

 全員の視線が和也に向く。ただし、今回は疑惑の目だ。

「なっ、僕……!?」

 一同が驚愕する。だが一番驚いているのは和也自身だった。

 何かの間違いだ。微塵も心当たりが無い。動揺を誘っているのか?でも明らかに何かが有って激昂している……!

 陰った目付きでゆっくり近づいてくる菊池。

「ねえ冗談だよね!?」

「やべえって、それはやべえって!」

 本気か?流血沙汰はマズい!和也は《SC》を発動。

「待って菊池君、何かの間違いだ」

 とにかくこの場の全員を落ち着かせようとした、その時だった。

 ドサリと音がした。なにかが倒れるような、そんな音だ。

「え……」

 ゆっくりと隣を見る。なんと、隣にいた男子が地面に転がっていた。

「き、きゃあぁぁぁああっ!!!」

 一瞬の間をおいて、ようやく何が起こったのかを理解する。それを皮切りに、女子から上がる悲鳴。その場で縮こまり、或いは柵の下の校庭向かって助けを求める。菊池とはまだ10mは離れている……一体なにをされたんだ!和也の脳内はもう完全にパニック状態だった。

「助けて!助けてーーー!!!」

 屋上から響く悲鳴は、校庭にいる部活動中の生徒を始め、辛うじて校舎にいる人達にも聞こえた。

「なんか、いま叫び声聞こえなかった?」

「お、おい屋上で誰か叫んでんぞ!」

「先輩、アレなんスかね」

「バッカお前先生呼んで来い!いま助けてって言ってたろ!」

 たちまち学校は騒然となり、程なくして何者かに屋上の扉が激しく叩かれる。しかし、扉は両サイドから鍵で締めるタイプのもので、その鍵は菊池が持っている。今頃教員室は蜂の巣をつついたような騒ぎだろう。

 先日のカラオケの時点で菊池の激情にはどこか危うさがあるような気がしていた。他に比べて付き合いは決して多い方ではなかったけれど、この数年付き合ってきた記憶を巡らして、疑問に思う。こんなことをする奴だっただろうか?

 違和感は女子がもう一人膝から崩れる音にかき消された。最初の一人が倒れた時点で菊池は近づくのをやめていたが、だからといって状況は何一つとして好転していない。

「お、おい!なにしたんだよお前!」

「え、え?……ああ、ボクの能力さ。ハハ、ざまあみろ!」

「能力——《SC》だって!?」

 和也は驚愕した。《SC》程度でこんなことが出来るなんて聞いたことがない。

「女子は全員下がって!」

「無駄さ!さっきだって、僕は直接触ってもいなーい!」

 不可解な現象に、みな迂闊に動けない。

「ど、どうする和也!?」

「みんな大丈夫だ!とにかく助けが来るまで……!」

 こんな時も、仮初めのリーダーは《SC》に頼ること以外の術を知らない。この場がなんとかして収まるように祈るだけだ。こうなったら玉砕覚悟で突っ込むか……。

「う、うえぇ……気持ち悪……」

 ドサリと、また一人地に伏せる。

「い、い、今気持ち悪いって言ってたよな!?まさか毒⁉︎じゃ、じゃあこれ……倒れたみんな、死んでんじゃないよな⁈」

「どうだろうねえ!」

 気付けばもう和也の他には優と俊という男子しか残っていなかった。他は全員意識が無く、倒れてしまっている。

「な、なあ菊池……落ち着いて話そう、な?昨日お前が帰った後、和也はお前になんて言ったんだ……?」

「ぼ、僕は何も言ってない!」

「しらばっくれるなよ。お前らは裏でボクを馬鹿にして遊んでるって、散々煽って……クソッ!!あのことも、あのときだって裏で嘲笑ってたんだろ!!」

 事実として、結局その日も和也は問題を棚上げして一直線に帰宅した。しかし菊池の怒り方は尋常じゃない。今更弁解しても通じないのは明らかだった。何か隙になるような……活路を作らなくては。

「じゃ、じゃあ彼女は!転校生の彼女は関係ないだろ!?彼女だけは返してやってくれないか?」

「ダメだ。こいつもお前と仲良くしてるの、知ってるぞ」

 優はゾッとした。まさかこんなことになるだなんて。正にそんな感情に顔を歪めているように見えた。

「全部お前達のせいだ。全部お前のせいなんだよ……!」

「あ、あああ……!」

 また、目を付けられてしまった。優は自分の運命を取り巻く悪意に愕然とした。

 そして今、刃物という、目に見える恐怖が迫ってくる。

「いくぞ和也!」

「う、うおお!」

 いつの間に示し合わせたのか、いよいよ覚悟を決めた和也と俊が決死の覚悟で駆ける。菊池は決して体育会系のガタイじゃない。武器を持っているとはいえ、男二人がかりでかかればどうになるのではないか。

 そんな優の期待はあっけなく散る。突如、二人同時に、不自然な転倒を起こした。

「痛っつ……な、なんだこれ……!」

 不思議なことに、二人の足が屋上にピタリと貼り付いて動かない。転倒の勢いで足首に激しい痛みが走ったが、それどころではない。地面に付いた手が、服が、足同様に離れない。

 何か薬品でも塗ってあったのか。いや、ここは入ってきた時に既にで通った筈だ。ならば……

「うう、菊池……お前もしかして」

「気付いたか。そう、僕の能力は二つ!それでお前らは這いつくばってるんだよ。俺を見下してたお前らがだ、わかるか?ハハハッ!」

「ありえない!《SC》は一人一つのはずだ!そもそもこんなに強力なもの聞いたことがない!」

 正直言って前代未聞だ。この屋上で今、ありえないことが起こっている。

「ハハ、うるさいなあ」

 和也たちが下。自分は上。そんな構図に、菊池は恍惚とした表情を浮かべた。

「まずは君からね」

 満を持してターゲットにされたのは、現状一番行動が制限されていない人間——優だった。

 和也は地面にくっついたまま抵抗もできず、ゆらりと菊池が近づいていく。ナイフが迫ってくる!

「た、助けて!…………ケイ!!」


 その時、下の野次馬達がザワッと湧いた。

「オイ誰だアレ!」

「なにやってんだきみーー!早く降りなさーーい!!」

 遠目からでも分かる白い髪。

 一体どうやって来たのか、

「ショボいハッタリかましてんじゃねえ。零点だ」

 柵の上に、京玠は立っていた。

「ケ、ケイ!」

 状況を一瞥し、何かに納得したかと思えば、明確に、優に向かってこう返した。

「初めましてだな」

「え……?」

 頑丈な柵が揺れる。

 流石の図体。ドスンと音を立てて、玠が屋上に降り立った。


 



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