悪とは……
あらすじにも書いた通りこちらは完全趣味で書いたものです。 その点ご了承ください。 またこちらは「正義の味方の結末……」と対をなす物語です。 先にこちらを呼んでも全然問題はないのでご安心ください。
激しく雨が降り仕切る中、 青年はある依頼をこなしていた。
彼の特徴的な黒髪は雨のせいで酷く濡れていた。
そんな彼の周りには老若男女問わず多くの人間が集まっており、 その人たちは口々に彼にこう言う。
“あの狂った殺人鬼を早く退治してくれ”と……
彼に親との記憶が、 なかった。
彼は、 生まれたころから劣悪な環境の中生活をしていた。
そこで生活はおよそ人間がするものではなく、 彼は喉が渇いたら泥水を啜り、 腹が減ったら町に出て物を盗んで腹を満たしていた。
そんな彼にはもちろん安住の地などなく、 夜がきても寒空の中薄着で眠る他なかった。
そんな彼に転機は唐突に訪れる。
彼に救いの手を差し伸べる者が現れたのだ。
彼に手を差し伸べたのは一組の老夫婦であった。
彼ら夫婦は、 彼に絶え間ない愛を与えた。
彼らには、 子供はいなかった。
だからこそ彼らは、 彼の事をまるで本物の自分の様に可愛がった。
だがそんな彼らに与えられた報酬は、 彼の手酷い“裏切り”であった。
彼は自分に愛情を与えてくれた老夫婦をなんの躊躇いもなく殺害した。
だがその際彼は、 一つだけ思った。
“自分は、 どうしようもないくらい嘘つきで、悪そのものなのだ”と……
彼は老夫婦を殺害した後、 金目の物だけを奪い、 家を燃やし、 その場を後にした。
そこから彼は、 老夫婦と似た者を見つけ、 その家に転がり込んでは、 殺害するなどと言った事を何度も、
何度も、 何度も、 何度も、 何度も、 何度も、 何度も繰り返した。
その中には彼の事を慕っているものも多くいた。
それでも彼は、 迷いなくその者たちを、 その者たちの思いを平気な顔で踏みにじった。
そしていつしか彼は、 “善”の心を持つものを見ただけでわかるようになっていた。
その事に彼は、 疑問を思うどころか納得していた。
“自分は絶対的な悪。 だからこそその宿敵である善がわかるのは当然だ”
そう考えたからである。
そんな彼だが彼の知らぬ間にいつの間にか町の役人のトップにまで上り詰めていた。
ただその過程で彼は一つの“真実”を知った。
町のトップの中には誰一人“善”の心を持つものはいなかったのだ。
そして彼はこう思う。
“この世界は、 自分と同じような人間……すなわち悪の心を持つものによって支配されているのだ”と……
この“真実”を知った彼の心には、 ただただ虚無感だけが押し寄せた。
彼にもその正体がわからなかった。
そして一つの考えを導き出す。
“もしかしたら自分を愛してくれる人間がいればこの虚無感が埋まるのではないか?”と……
そう考えた彼は、 愛は人を変えるという言葉を昔聞いた事を思い出し、 妻を娶ることにした。
幸い若くして町の役人のトップに立った彼を欲しがる女性は、 山のように存在していた。
無論彼女たちが欲しいのは彼自身ではなく、 彼の地位だということは彼も十分理解している。
だがそれでも彼は、 自身の胸にある虚無感を早く埋めたかった。
そんな中彼は、 一人だけ他の女性とは違う者を見つけた。
その女性は自分が今まで利用してきたものと同じ“善”の心を持つものであった。
その事実に彼は、 一つ思う。
“もしかしたら悪そのものである自分すら包み込んでしまうほどの善の心を持つものが傍らにいれば自分の虚無感も埋まるのではないか?”と……
そう結論ずけた彼は、 ひとまず彼女を娶ることにした。
その際大きな家も一つ購入した。
彼と彼女の結婚生活は、 周りの人間から幸せそのものと言っても過言ではないほど順風満帆な物であった。
だがそんな中彼一人だけは違った。
いまだあの虚無感が消えないのである。
彼と彼女の間には娘が誕生した。
このことに周りの人間は、 彼と彼女に祝いの言葉を述べる。
けれど彼の虚無感だけは、 一向に消える気配は見受けられなかった。
そんな折彼の元に町人から一つの依頼が入る。
それは、 町に現れる殺人鬼の殺害依頼であった。
彼はこれに二つ返事で頷いた。
町の住人は、 彼のその言葉に歓喜し、 彼を“正義の味方”と呼ぶものまで現れた。
だが事実は違う。
彼が依頼を受けたのはただ町人からの反発を受けるのが怖かっただけなのだ。
“もし町人から反発を受けたら自分はまた前の悲惨な生活に戻ってしまうのではないか?”
彼は、 前の苦しい生活に戻ることをいつしか恐れていた。
だからこそ彼は、 町人たちからの依頼を受ける他なかったのである。
殺人鬼を見つけることはそれほど難しいことではなかった。
殺人鬼を見つけた町人たちは殺人鬼の事を口々に罵る。
“この人殺し‼ お前なんか早く死んでしまえ‼”と……
そのような言葉激しく飛び交う中彼は、 一人驚いていた。
殺人鬼の容姿が自分と瓜二つなのもある。
だが彼を何より驚かせたのは、 殺人鬼の心が彼が今まで見たきた中では比べることはできないほど綺麗だったのだ。
殺人鬼は、 町人たちから口々に罵られているのにも関わらず、 怒る素振りすら見せなかった。
それどころか殺人鬼は、 笑みさえ浮かべていた。
この笑顔は町人達にとっては、 恐怖の対象に他ならない様子であり、 逃げ出していくものが後を絶たなかった。
彼は、 その殺人鬼の笑顔が町人達を怯えさせるために浮かべたものではないことを瞬時に理解した。
それどころか殺人鬼の笑顔は、 神が人間に対して浮かべる慈しみの表情と変わらないのではないかとさえ感じていた。
その間にも町人たちは次々に逃げ出すことを止めない。
ついにはその場には、 彼と殺人鬼以外いなくなってしまっっていた。
この時彼は、 生まれて初めて迷っていた。
“殺人鬼を本当に殺していいのか?もしかしたら目の前の存在が自分の虚無感を埋めてくれるのではないか?”
そう思うと彼は殺人鬼を殺さず、 自分の悩みを目の前の殺人鬼に告白しようとした。
だがここである考えが彼の頭をよぎる。
“もしここで殺人鬼を殺さなかったら自分はまた前の生活に戻ってしまうのではないか?”
その考えが彼を再び迷わせる。
けれど彼の体は、 いつの間にか殺人鬼の前に立ち、 殺人鬼の頭に銃を突き付けていた。
彼は、 自身の体に“止まれ”と命令するが彼の体はまるで何者かが彼を操っているかの様に彼の体は、 止まらない。
そして彼は、 引き金に指を添え、 殺人鬼にこう尋ねた。
“遺言はあるか? あるなら僕が聞こう”と……
その言葉に殺人鬼は驚いたかのように目を見開く。
だがそれも一瞬の事であり、 それから殺人鬼は、 ただ一言こう呟いた。
“ありがとう”と……
この言葉に彼はついには正常な思考ができなくなってしまう。
森には、 ただ一つの発砲音が空しく鳴り響く……