姉と妹 幕間
久しぶりに登場したリリアナと、アンネマリーと時々王妃。
「リリーみて!遠い島国の髪留めらしいのだけれど、こんな華奢な棒一本で髪をすっきりまとめられるのよ」
すごいでしょう、とにこにこ笑って教えてくれる妹は、以前よりも明らかに元気そうだった。
「素敵ね、マリー。また新しいものを教えてもらったの?」
「ええ。ルークは会うたびにいろいろなことを教えてくれるのよ」
アンネマリーの笑顔を見ることができて、とても嬉しいはずなのに、彼女のその言葉は、言い知れぬ不安感を私に与えた。
アンネマリーはおとなしい子だった。
あまり自己主張をせず、令嬢としての礼儀作法の勉強にも熱心な優等生。
そんなアンネマリーが唯一、キラキラとした瞳で強請ったのは、ギルバートの知識だった。
幼き頃は、ギルバートの側にずうっと付いていて、彼の言うことを一言一句漏らさぬよう、じっと聞いていた。
今の彼女は、そんな幼き頃の彼女を彷彿させる。
新しく与えてくれたのは、ギルバートではなく、ルーク。
アンネマリーはもう、貴族との良縁は見込めない。
私も兄も、そしておそらく父も、そのことを惜しくは思っていなかった。
ギルバートの側にいれば、公爵夫人としての地位は約束されるし、華やかで裕福な生活を約束される。
だが、約束されたところで、それを認識する心が死んでしまえば意味がない。
幸いにも、我が伯爵家はこれ以上政略結婚を重ねる必要はない。
アンネマリーには、ただただ幸せになってほしかった。
ルークは裕福な商人の息子だし、優しい。
けれど、かつてのギルバートと全く同じ展開に、不安を隠せなかった。
「マリア、お茶しましょ」
「王妃様。お招きありがとうございます」
おっとり微笑む王妃マリア。
私は、彼女のことが苦手だった。
そしてそのことを、彼女もきっと知っている。
「王妃様。アンネマリーに、何か変わったことをおっしゃいましたか?」
お茶会後、勇気を出して尋ねてみたが、マリアは首をかしげる。
「あら、どうしてそんなことを?」
「先日、二人きりでお茶会をされてから、アンネマリーの様子がどこかおかしいものですから」
アンネマリーは表面上変わりないように見えるが、マリアと二人きりでお茶をするようになってから、目に見えてぼうっとすることが増えた。
それは、アンネマリーを見失う、あの日のようで。
私の不安をかきたてた。
「そう…。もしかして、あのことかしら」
私ね、アンネマリーに、マリアを返して、と、そう言ったのよ。
そう、にっこり笑う王妃に対して、私の表情は凍りついた。
「なんてことを…!あなただって、アンネマリーが今どういう状況かわかっているでしょう!?」
父から言われた、王妃の計画。
今のマリーのモデルになった彼女本人を敢えて会わせて、回復を試みようというもの。
単純にお茶をするだけだと思ったのに、あろうことかこの女は、私のいない隙をみて、「マリアを返して」と言い放ったのだという。
なぜ、私の妹は、こんなにも王家に振り回されなければならないの。
「もちろんわかっているわよ」
だけど、それとこれとは関係ないでしょう、と彼女は首をかしげる。
「あなたたちも、ギルバートもおかしいわ」
かつての彼女が好きなのは、ガーベラ。
今の彼女が好きなのは、私が好きなバラ。
そのどっちが好き?アンネマリー。だなんて。
なぜ、その二つに限らなければならないの?
世の中は、もっと色々な花で満ち溢れているのに。
「彼女に、もっといろんなものを見せてあげてよ」
新しいものが入る余地がないのなら、私が彼女のマリアを引き受けるから。
「マリア…あなた…」
「ようやく私の名前を呼んだわね、リリアナ」
「それで…それで、アンネマリーがもっと壊れてしまったらどうするの?」
「さあ?」
「さあって…!」
「そのときは」
私を切り捨てればいいのよ、と婉然と微笑む。
「アンネマリーはどのみちこのままでは修道院に行くことになる」
己の欲を捨て、自分を追い詰めた人々から離れ、神に祈りを捧げる日々は、確かに彼女に安らぎをもたらすだろう。
あるいは、今ここで新たな彼女をつかめれば。
別の可能性が出てくるかもしれない。
けれど、別の可能性を見出すためには、危険な道を通らなければならない。
リスクを負わなければ、それは得られない。
「…あなただって、妹のことを可愛く思ったことがあったでしょう?」
「そうね」
だから、私はアンネマリーに恨まれても、二度と会えなくても、彼女が安らぎではなく、喜びを見出せる道があるのなら。
その道に、全てを賭ける。
彼女の心を壊した原因に。
彼女の身体を傷つけた要因に。
間違いなく、私も絡んでいるのだから。
王妃は強い眼差しで、私を見つめる。
私には、その視線を受け止めることはできなかった。
「…私には、できないわ」
あの子に、二度と会えない道なんて。
壊してしまうかもしれない道なんて選べない。
「する必要もないわよ」
あなたは、家族だもの。
「あの子の周りは、ギルバートや私たちのような、ひねくれた人間ばかりだったから」
だから、純粋に心配してまっすぐ思う、あなたやレイモンドのような人間は絶対に必要よ。
「だからあなたは、変わらず妹の側にいてあげて」
そう言われて、顔を上げる。
そして彼女の眼差しを、今度こそまっすぐ受け止めた。
「ねえ、リリアナ。ルークが一緒に外の世界を見てみないかと誘ってくれたの」
「まあ…お父様やお兄様には話したの?」
「まだお兄様にだけ…反対されてしまったけれど」
貴族として、家族として外国に行くことが心配なことはもちろんあるだろうが、それ以上に兄も気づいているのだろう。
アンネマリーはまた、ギルバートのときと同じように、自らを茨の道へと突き落とそうとしているのではないかと。
「どうして、ルークと一緒に行きたいの?」
「そうね…ルークと一緒に行きたい、というよりも、自分自身の目で、たくさんの国を見てみたい、と思ったの」
ルークは、きっかけをくれたのだと、そう彼女は言う。
「温室育ちの私でも、役立てることがある、そういってくれた彼だったら、私もお荷物になるだけじゃなくて、何か貢献できるかしらって」
それにアンネマリーには、公爵との離婚で得た慰謝料がある。
「せっかくもらったお金なら、自分のために、有効活用したいじゃない?」
そういっていたずらっぽく笑ったアンネマリーのその表情は、幼き頃を思い出させたが、間違いなく、かつての彼女にはない、力強さがあった。
ああ、私はなにを見ていたのだろう。
妹もまた、変わろうとしているのだ。
それならば、私にできることは。
「お父様、お兄様。お話があります」
「…アンネマリーのことか」
「ええ」
どこまでも、彼女の決断を応援してあげることだ。
姉として。