自らを省みる日
「久しぶりね、ギルバート」
「スピカか」
魔女、スピカ。
幼少期より、年に一度はこの国を訪れていたが、直接会うのは数年ぶりだ。
「またうちの国の料理を食べに来たのか」
「それもあるけど…。今回はイカれちゃってる王弟に喝を入れに来てあげたのよ」
ふふん、と鼻を鳴らし、胸を張る。
「イカれちゃってる…か」
「そうでしょう?聞いたわよ、ディオンから」
それと、マリアから。
「こんな大きくなってから、今更思春期こじらせてるって聞いたから、大人の女性として助言しに来てあげたってわけ」
「そうだな…。君なら、教えてくれるかもしれない」
「あら?珍しく殊勝な態度ね?てっきりいつもみたいに私の知識に興味ない、みたいな態度をされるかと思ったわ」
「興味ない、か…」
興味がなかったわけではない。
昔は、彼女に与えられる知識を夢中で吸収した。
けれど、いつしか気づいてしまったのだ。
魔女は博識だし、私の知らないことを教えてくれる。
だが、それだけだ。
魔女の知識は、古から伝わるものが中心だった。
そんな昔のことは、本を読めばわかる。
かつての自分は、そう、奢っていたのだ。
「最近、自分がいかに奢っていたかがわかってな…。変わりたい、そう思っているんだ」
「ふーん?」
スピカは珍しいものを見るように目を瞬かせると、問うた。
あなたはなんのために変わりたいのギルバート、と。
唐突な問いに、戸惑いながら言葉を紡ぐ。
「それは…アンネマリーのために…」
「あら、押し付けがましいわね、あなた。アンネマリーにとってみたら、余計なお世話以外の何物でもないわよ」
そんな私に対し、スピカは呆れきった表情を隠しもしない。
「変わりたいのはあなたでしょ。それとも、アンネマリーがあなたに『変わって!変わってくれたら私、あなたと一緒にいるわ!』とでも言ったというの?」
「いや…」
そうであったらどれだけよかったことか。
だが、実際は、どんなに変わっても、彼女はもう側にいることはない。
「アンネマリーのために変わりたい。そう思っているなら、アンネマリーが変わらなくていいと言ったら、変わるのをやめるの?」
「…」
アンネマリーが変わらなくていいと言ったら。
それでも、自分は変わりたいと願うだろう。
今までの自分を許せないから。
「もしあなたが本当に変わりたいのなら、なぜ変わりたいのか、どう変わりたいのか、一度考えてみることをおすすめするわ」
スピカに言われ、黙って頷く。
そんな私を見て、なぜか彼女はため息をついた。
「あなたほんと変なところで素直よねえ…」
ディオンが心配になるのもわかるわ、と。
「ウェスティン公、お久しぶりです」
スピカからの課題について考えつつ、王宮の廊下を歩いていると、声をかけられた。
声をかけてくれたのは、騎士団長。
彼と会うのも、あの舞踏会の直前、自宅の警備を頼んで以来のことだ。
「団長…申し訳なかった」
彼は、私の功績を讃えてくれたのに。
功績だったはずのその草は、同時に悪魔の草だった。
「それはもしや、モローネ草のことをおっしゃっているのですか?」
「ああ…」
目を丸くして問いかけてくる彼を直視できず、私はうつむきがちに答える。
だが、そんな私の謝罪を彼は明るく笑いとばした。
「いやいや、良薬に二面性があるのは、よくあることです。モローネも、使い方さえ間違えなければ良薬には違いない」
今も、たくさんの騎士の命を救っていますよ。
そう言われて、思わず顔をあげた。
彼ならば、知っているかもしれない。
こんな、罪深い私にも、その功績を認めて温かい言葉をかけてくれる彼ならば。
「…団長は、どうして今の仕事を選んだんだ…?」
「む?なかなか難しい質問ですな」
私の場合、家の問題も絡んできますから、一言では表せません、と。
「そうか…」
「それにしても、どうして急にそのようなことを?」
「わからなくなったんだ」
自分が、なんのために変わりたいか。
自分が、どう変わりたいか。
「なるほど」
騎士団長はしばし考え込むと、顔をあげる。
「答えになるかはわかりませんが、新団員に必ずいうようにしていることがあります」
敵を倒すこと、自らを鍛えることを目的にするのではなく、自らを鍛えて敵を倒したその先を目的にしろと。
「暴力は経過であって、目的ではありませんからな」
目的のないものは、強くはなれないし、結果も残せません。
どうして変わりたいか、どう変わりたいか考えても答えが見つからないのならば、変わって何をしたいか、考えてみるのはいかがでしょうか?
「こんなもので、お答えになりますか?」
「ああ」
この苦い経験によって、変わった私はなにをしたいのか。
答えが見つからないのなら、別の視点から考えてみればよいのだ。
「ありがとう」
そう、心の底から思えた。
***
マリー・ベーレント様
春の足音が聞こえてきた今日この頃、いかがお過ごしだろうか。
我が邸の庭も、緑が目立ち始めている。
春の訪れの共に、珍しい客人がやってきた。
魔女、スピカだ。
彼女のことを覚えているか?
…いや、愚問だな。むしろ私よりも君の方が親しかったはずだ。
彼女はそろそろうちの国のオムレツが食べたくなって、はるばるダール帝国からやって来たらしい。
なんでも、ダール帝国特産の野菜をうちの国のオムレツに入れると間違いなく美味しいと思いつき、いてもたってもいられなくなったらしい。
本当にその野菜を持ってきたのだから、彼女の情熱には恐れ入るよ。
ベーレント邸も、君の好きな花が芽吹き始めている頃だろうか。
冬の終わりが、君の心を慰めてくれることを祈る。
ギルバート・ウェスティン
***
ギルバート・ウェスティン様
春の時候のご挨拶、ありがとうございます。
あなたからのお手紙をいただいたすぐあと、スピカが我が邸も訪ねてくださいました。
ダール帝国のお野菜を手に。
みたこともないような色鮮やかなお野菜でとてもびっくりしましたわ。
公爵様は直接ご覧になりましたか?
南の国は、あのように色鮮やかな植物がたくさんあるのだそうです。
最近できたお友達も、直前までダール帝国にて商いをされていたそうで、スピカと二人でダール帝国についていろいろなお話をしてくださいました。
鮮やかな品々がたくさんあって、羨ましく思ってしまうけれど、逆にダール帝国の方にとっては、我が国の淡い色合いの織物が大人気なんですって。
向こうの鮮やかな織物と合わせると、とっても素敵な色合いにあるのだそうです。
それぞれの国には、それぞれの強みがあって、合わせるともっと素敵なものができあがるのですね。
私は、何も知らなかったのだなあと気付かされました。
マリー・ベーレント
***
「スピカ、街に出てみようと思う」
団長とのやりとりで、新しい視点を得たものの、実際のところ「何をしたいか」それすらも見出せない。
だが、今の自分でわからないのならば、今までやったことのないことをしてみようと思った。
街に出ようと思ったことはなかった。
街に出ずとも、人々の暮らしぶりは文官の報告書を読んでいれば十分にわかるだろうと考えていたから。
けれど、自分が知っていたのは文字の上だけで。
それを書いた人間の主観しか知らなかった。
知った気になっているだけだった。
それならば、直接見ることで何か違うものが得られるかもしれない。
マリーが、ダール帝国の色鮮やかな植物を見て、かの国に思いを馳せたように。
「あんたほんと急ねー王弟がほいほい街に出ていいわけないでしょ」
スピカはやはり呆れた表情をする。
だが。
「まあ、しょうがないからついて行ってあげるわ」
私が一緒なら、迷子にもならないでしょ。
そう、にやりと笑った。
それを聞いて、私はスピカに会わなくなったもう一つの理由を思い出した。
彼女は、非合理的なのだ。
私には理解できない、自分の利にならない行動を軽々とやってのける。
けれど、今ようやく彼女は非合理的なだけではないのだと気付いた。
彼女は、優しかったのだ。
こんな愚かな王弟を見捨てずに見守り続けるほどに。
***
マリー・ベーレント様
本日、とうとうガーベラの花が咲いた。
温室ではずっと咲いていたはずなのに、青空の下に見るガーベラはまた違って見えて不思議に思えたよ。
先日の君の手紙を見て、私も国が見てみたくなった。
ダール帝国も気になるが、それよりもまず、我が国を。
スピカと話していると、自分の国のはずなのに、違う国の話をしているようだ。自分の知らないことーそのものの音や、臭いや、迫力や、そんな文字では表せないことを彼女はたくさん知っていた。
自分の国のことなのに、なんだか恥ずかしかったよ。
どこで何が採れるのか知っていても、そこで採れたその特産物が、どんな味わいなのか、考えたこともなかった。
自分の食卓に出ている料理が、どこのどの食材で作られたもので、どんな名前の料理なのか、気にしたこともなかった。
…彼女と話していると、食べ物の話ばかりになってしまうのが玉に瑕だが。
とにかく、自分の目で何かを見てみたくなった。
まずは、私が貢献すべき、この国のことを。
きっかけをくれたのは君だ。ありがとう。
ギルバート・ウェスティン
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ギルバート・ウェスティン様
我が邸にも、ガーベラが咲き始めました。
温室のガーベラは、寂しい季節に健気に咲いて心を慰めてくれますが、春のガーベラはその生き生きとした元気さを私にも分けてくれるように感じられます。
公爵様も街に出てみることを検討されているご様子ですので、私からも一つ告白させていただきます。
実は、私も最近街に出ているのです。
しかも、貴族御用達のお店に行くのではなく、街を歩き回っているのです。
貴族令嬢としてはあるまじきことと驚かれるでしょう。
公爵様と同じように、ダール帝国の話を聞いた後、我が国の市場はどのように活気をみせているのだろうと気になっていました。
そんなとき、友人が共に市場を見に行こうと誘ってくれたのです。
初めての市場は、とても素敵なものでした。
高価なものもそうでないものも、食べ物も衣類も嗜好品も、様々なものが雑多に並んでいて、活気に満ち溢れていました。
そしてもう一つ、嬉しいことがありました。
友人は、次回ダール帝国に持っていく品物の下見も兼ねていたのですが、その際に、私の貴族令嬢としての知識が役に立ったのです。
まさか、市場でそんなことが役立つとは思わず、私が学んできたことは無駄ではなかったのだと、本当に嬉しかったのです。
そして、彼がそんな私の助言を、素晴らしい、助かったありがとうと言ってくれたことが、たまらなく嬉しかった。
自分のやったことが、たとえささやかであっても、誰かの役に立つ。
それはこんなに素晴らしいことなのですね。
貴族としては褒められた趣味ではありませんが、いずれは修道院に行く身として、父も大目に見てくれているようです。
何事も、始めることに遅すぎることはないのですね。
マリー・ベーレント
***