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彼女と別れる日


 マリアは、全てを告げたあと、すぐに私を応接室から追い出した。


「ディオンが頼むから、仕方なくあなたに付き合ってあげたけど」


 もう、一緒の部屋で空気を吸うのも嫌だと。




 マリアの言葉は辛辣で、私に鋭い痛みを残したが、大切なことを伝えてくれようとしたのは、愚かな私でも十二分にわかった。

 私に「義姉」と呼ぶな、といいつつ、この上なく、姉らしいことをしてくれたのだ。


 私が、アンネマリーにしたことは、どういうことだったのか。

 私が、いかに傲慢で自分勝手だったか。


 彼女には、何一つメリットはなかったというのに。








 私は、アンネマリーにマリアを重ねたつもりはなかった。

 だが、いくら私が「重ねたつもりはない」と言い訳しようと、アンネマリーにしてみれば、マリアと同じプレゼントを渡され、マリアと呼ばれていれば、マリアと重ねられていると思って当然だ。


 先ほどマリアは私に「ディオンと重ねているなんて嘘」だと言った。

 だから私は、彼女が言ったことが嘘であり、私に教訓を与えようと、そのようなことを言ったのだとわかった。


 けれど、私はアンネマリーに何も言っていない。

 言い訳もしていない。

 謝罪もしていない。


 すべて受け身で待っていた。


 私よりもずうっと社交に優れている彼女なら、全てを察してくれるだろうと、そんな甘ったれたことを考えていた。


 どんな人間でも、全てを見通すことなんてできないのに。

 できないから、言葉があるのに。


 それを、私は惜しんだのだ。


ーいかなるときも、相手の存在を忘れてはいけない。

 そう、兄に忠告されていたのに。


 それなのに、私は自分しか見えていなかったのだ。






 ならば、私は今の彼女に何ができる。


 謝罪は意味がない。

 私が、自分が楽になりたいだけ。


 私の罪を知らない彼女にとって、なぜだか理由はわからないが、毎日夫が押しかけてきて、理由も告げずに謝罪を繰り返すなど、不可解以外の何物でもないだろう。


 私は、マリーに何ができるのだろう。








 マリアに会った翌日、私は自分の中で結論が出せず、アンネマリーに挨拶だけして帰った。


 二日目は、少し言葉を交わした。長居はしなかった。


 三日目は、一緒にお茶をした。プレゼントはなかった。


 四日目は、一緒に庭を散策した。ありきたりな言葉しか出てこなかった。


 五日目は、初めてアンネマリーの元を訪れなかった。




 そして六日目。


「旦那様。本日はなにかお持ちになりますか?」


 自分の中で、未だに結論は出ていない。

 だが、アンネマリーに会うことができるのはあとわずか。そう思うと、二日も無駄にできなかった。


 持っていくとしたらなんだろう。

 離婚が決まった夫からの宝石やドレスのプレゼントはさすがに重いだろう。


 だとしたら、花か菓子か。


 ガーベラは、アンネマリーが好きだから。花を持って行くときは、必ずそれを持って行った。

 もう、ガーベラの時期としては遅いが、我が邸には温室があるから、そのような心配はいらない。


 だが。


「そうだな…」


 私がガーベラを持って行ったのは、以前のアンネマリーが好きだったと聞いたから。

 自身をマリアだと思っている彼女が好きなのは、バラ。


 それでは、今の彼女が本当に喜んでくれるのはなんだろう。



「少し、温室を見たい」

「お供します」


 婚約していた時期、兄に教えてもらって、渡したのは、単色のバラの花束。

 謝罪のために持って行ったのは、色とりどりのガーベラの花束。


 そうだ。

 マリーには、黄色を基調にした花束を持って行こう。

 ガーベラだけでなく、カーネーションも、アネモネも、スイートピーも。

 アクセントに真っ白なカスミソウ。

 そして、バラも入れて。


 太陽のような、明るい花束を作ろう。

 彼女がそれを見て、少しでも喜んでくれるように。


 本当は、庭師なり、メイドなりに任せた方が絶対に出来がいいのはわかりきっていた。

 けれど、効率が悪くても、出来が良くなくても、彼女にあげるものは、願いを込めるものは自分で選びたい。


 謝罪に意味がないのなら、せめて少しでも喜んでもらいたい。

 婚約が決まってから現在に至るまで、私はそれができなかったから。


 自分が押し付けて喜ぶのではなく、相手が喜んでくれるもの。

 わからなければ探そう。考えよう。求めよう。


 私は、それが得意だったはずだ。








「こんにちは、マリー」

「こんにちは、公爵さま」

「今日は、これを」

「まあ!かわいらしい花束ですわね」


 喜んでくれるだろうか。

 そう、悩みつつ、おずおずと差し出したそれを見て、彼女は、目を輝かせた。

 マリアになった彼女は、以前よりも素直に表情を出すようになった。


 だが、今日の表情は、それでもなお、私が今まで見たことのなかったもの。

 それが胸をぎゅっと締め付けた。


「まあ、今日はガーベラだけではなくて、いろんなお花が入っているのですね」

 私、カーネーションも好きなんです、と教えてくれる。

 

 その笑顔は、アンネマリーのものか、マリアのものかわからなかったけれど。

 今のマリーが笑ってくれたことがたまらなく嬉しかった。

 自分のことを教えてくれる彼女が、たまらなく愛おしかった。






 アンネマリーにたいして、愛はない。

 けれど、情はある。


 そう思っていたのは、確かに自分だ。


 人は、失って初めて大切なことに気付くという。


 以前は、そんな人間など、何て愚かなのだろうと思っていた。

 大切なものは、最初からきちんと把握しておくべきだと。


 マリアと話してからは、人としての成長を忘れた自分には、大切なものなど持つことすらできないと思った。

 こんな私に、本当に大切なものなど見つけられないと。

 愛していたはずのマリアは、私が作り上げた偶像だったから。



 だが、こんな私にも、人の心は残っていたらしい。


 今ようやく、それがわかった。








 七日目。


「ギルバート、アンネマリー、ここにサインを」

「?陛下。恐れながら、私はマリアです」

 アンネマリーと書いてしまったら、書類を偽造したことになってしまいます。


 そう、彼女は無邪気に笑う。


 そんな彼女を見ても、兄は笑みを崩さない。

「そうだね。だが、婚姻のサインをした際、アンネマリーと書いてしまったようなんだ」

 だから、離婚時も、マリアではなく、婚姻時のサイン、アンネマリーと書かないといけないんだよ。


 矛盾だらけの説明だったが、アンネマリーは素直に驚く。

「まあ」


 それでは、私は最初からウェスティン公爵様と、結婚したとはいえなかったのですね。

 ごめんなさい。


 彼女に無邪気に告げられたその言葉は、どうしようもなく、胸を締め付けた。


「アンネマリー」

 申し訳なかった。

 ごめん。


 謝罪に意味がないのはもうすでにわかっていた。

 それでも、私の口は壊れてしまったかのように謝罪を繰り返す。

 

 兄夫婦と、ベーレント伯爵家の面々が無言で見つめるなか、私の謝罪だけが空しく響いていた。







「…陛下、ウェスティン公爵。我々は、そろそろ退室させていただきたいと思うのですが」

 痺れを切らしたベーレント伯爵が、そう告げる。



 ああ、これでアンネマリーにはもう二度と会えない。



「…っ、待ってくれ!もう、会わせろとは言わない。せめて、手紙だけでも…」

 直接会わずとも、文通だけでも、許してはくれないか。

 気づけば、口が勝手に動いていた。


「くどい。もう二度と、会わないと約束したはずだ」

「いいですよ」


 吐き捨てたレイモンドの言葉を遮ったのは、他でもない。


「マリー?」

 アンネマリーその人だった。



「私、そのうち修道院に入る予定ですし、それほど長くは文通できないかと思いますけれど」

 それでも良ければ、と笑う。


 私の犯した罪をしらない彼女にとって、私と文通をすることなど、大した苦ではないのだろう。

 優しい彼女は、必死の形相で頼み込んでくる男を無下に出来なかったに違いない。


 私は、その彼女の優しさに何度漬け込んだことだろう。

 だが、どんなにみっともなくても、情けなくても、彼女がそれを許してくれるのならば、どんな細いつながりでも持っていたい。



「まあ、私の話などつまらないとは思いますけれど」

「そんなことはない!」

 私が本から得られなかったことを教えてくれた彼女の話が、つまらないなんてことはない。

 私に、人間らしい感情があったと教えてくれた彼女の。



「娘が言うのでしたら…私としても、とやかく言うつもりはありませんが」

 それほど、長い間の話でもありませんし。


 伯爵が無表情に、そういった。





 そうして、私とアンネマリーは別れを告げた。

 

 アンネマリーは少し寂しそうにしていたが、涙は流さなかった。


 私も涙は流さなかった。







 その夜、早速彼女に手紙を書いた。


 私的な手紙など、ほとんど書いたことがなかったから、何を書けばいいかわからなかったけれど、それほど遠くないいつか、彼女が修道院に入ってしまうことを思うと、悩む時間が惜しかった。


「マリー」


 内容はどうしようか。


 謝罪の言葉で埋めてしまえば、彼女は戸惑うだろう。


 ならば、私が今日見た、美しい夕焼けの話でもしようか。

 彼女は、美しい景色が好きだと言っていたから。

 あの日の湖のように、刹那の美しさを愛でることができる人だったから。


「あれ…」


 なぜか、便箋が濡れている。


 別のものを用意しなければ、と立ち上がると、服に水滴がついた。



「…っ」


 ああ、自分は泣いていたのか。


 もう彼女に会えない。


 その事実は、ここまで私を苛むのか。







 いつからか。

 なぜなのか。

 それはわからない。



 けれど、私が彼女を失った日。

 初めて自分のなかにも胸が締め付けられるほど人を愛する気持ちがあるのだと知った。







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