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突きつけられる日


「ギルバート、ベーレント伯爵の要望を受け入れることにしたよ」

「要望…?」

「王として、お前とアンネマリーの離婚を認める」




 ああ、とうとうそのときがきてしまった。







「離婚に先立って、伯爵が公式な謝罪の機会をくれるそうだよ」

 その代わり、もう二度とアンネマリーに会わないでほしいそうだ、と兄は言う。

「公式に、とは…」


 マリーには、何度も謝罪した。

 決して彼女の中のアンネマリーには届かなかったけれど。


「ベーレント伯爵家と私、そしてお前とアンネマリーが一度に会う機会を作る。そこでお前がアンネマリーに謝罪する」

 マリーではなく、アンネマリーに対して公式に謝罪し、そのまま離婚する。

 

「…っ、だが、それでは本当にアンネマリーに謝ったことには…」

「もうよしなさい、ギルバート。伯爵は譲歩してくれたんだ。これ以上、お前の要望ばかりは聞けないよ」

 兄は、わがままをいう子どもをなだめるように、そういった。


 困ったような兄の顔をみて、はっとする。

 今の私は、自分の思い通りにならなくて駄々をこねているただの子どもだ。


 アンネマリーを傷つけ、周りを傷つけ、兄を失望させた。


「ベーレント伯爵も私もなかなかに忙しいからね。会合は1週間後、王宮で行われることになった」


 本当は、伯爵はすぐにでもその機会を設けたかったのだろうが、すぐに予定を合わせることは難しかったのだろう。


「アンネマリーを、王宮に連れてくるのですか」

「彼女は自身をマリアだと思い込んで入るが、令嬢としての振る舞いは忘れていないし、あの事件が起こった大広間にさえ近づかなければ影響はないだろうと医者も言っている」

 ずっと自宅に軟禁しておくわけにもいかないし、いい気分転換になるのじゃないかな、と。


 私が、アンネマリーに会えるのは、あと1週間。


「わかりました…」

 伯爵の好意に、甘えます。



 私には、そう答える道しかなかった。








 公式に謝罪したら、アンネマリーだけではない。もう、マリーにすら会えなくなる。

 私が犯した罪も知らず、毎日無邪気に笑っていた彼女に。


 けれど、公式に謝罪をしたら、私の後悔は少しは癒されるだろうか。


 いや。


 癒されたとして、本当にそれでいいのだろうか。









「久しぶりね、ギルバート」


「…義姉上」


 自分の中で結論が出ないまま、兄上の部屋を出ると、遭遇したのは王妃マリア。

 王室主催の舞踏会以来、会っていなかったためか、なんとなく気まずい。


 だが。


「ねえ、少し話せない?」


 気まずい私に反して、彼女はそうにこやかに誘い、私は王妃の応接室へ通された。









 言葉を発するきっかけを失い、メイドが入れる琥珀色の茶をじっと見つめていると、先にマリアが口を開いた。


「久しぶりね…あの日以来かしら?」

「ええ…」

「アンネマリーは元気?」

「アンネマリーは…」


 いなくなった。

 今笑っているのはマリーだ。


 なんといっていいかわからず、言葉を濁す。

 そんな私の様子をみて、マリアはころころと笑った。


「ごめんなさいね。事情はディオンから聞いているわ」


 なるほど確かに彼女もまた、関係者といえる。兄が話したのも納得だ。

 だが、彼女のその笑みはなんだろうか。

 彼女に一切関係がないこととはいえ、アンネマリーが消えたと聞いて、なぜそんなに艶やかに笑うことができるのだろう。



「義姉上」


 なにが、おもしろいのですか、と。

 思考はまとまらなかったが、そんな幼子のような問いかけが口をついて出そうになった。





 しかし。



「あら」


 そう、呼びかけたところで、マリアが目を瞬かせた。


「義姉上なんて、呼ばないでちょうだい?」


「え?」


「私、ディオンと結婚したけれど、あなたみたいな気持ちの悪い弟をもったつもりはないわ」








 一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 思考が停止している私を置き去りにして、マリアの口は軽快に動く。


「だってそうでしょう?ベーレント伯爵から、ディオンが私に贈ってくれたものの猿真似をしていたって報告を受けたけれど…ディオンが私のために一生懸命考えたものを、そのまま使うなんて…私たちの思い出まで汚さないでくれない?」


 マリアは、そこで一口、紅茶を飲む。


「ディオンも聞いたとき、驚いていたわよ?まさか、色も種類もそのままに贈るなんて思わないじゃない」


 あなた、研究熱心なくせに、そういうときは、短絡的なのね。


「もしかして、あなた私のことが好きだったの?」

「っ」

「私に贈りたかったのに、王妃になってしまった私には贈れないから、アンネマリーに代わりに贈ったの?」

「違う!」


 そんなことは考えていない。

 マリアを好きだったのは本当のことだし、アンネマリーに兄から聞いたプレゼントをそのまま渡したのも本当だ。

 だが、そんな理由ではない。

 私は、知らなかっただけだ。



「まさか何を贈っていいかわからなかったとでもいうの?」


 そんな私の言い訳すら、彼女は見通す。


「いくら自分が知らないからといっても、使用人にベーレント伯爵家へ訊きに行かせたらすぐに分かることでしょうに」

 そんなわずかな手間すら、惜しんだというの?


 本当に、心の成長を忘れてしまったのね、あなた。

 と彼女は哀れむように言う。



「わ、たしは…」

 私は、私は、私は。

 彼女になんと言いたいのだろう。

 何も言葉が出てこない。


 この国の言葉も、隣国の言葉も、遠い島国の言葉も、古語ですら話せる私が。

 何も、言葉が出てこない。




「いいこと教えてあげる」


 私、あなたのこと、嫌いなの。


 だって、妻を他の女に見立てて行為をする男なんて、気持ち悪いじゃない?

 


 私の初恋の人は、確かにそう言った。







「な、んでそれを…」


 そうこぼすと、マリアは今度こそ笑顔を消した。


「あら、本当にそうだったの?つくづく気持ち悪いわね、あなた」


 どうやら、自分は鎌をかけられたらしい。

 そして、一番知られたくなかったことを、一番知られたくなかった人に暴かれた。



「貴族令嬢としてそれなりに覚悟のあったはずのアンネマリーが自分を見失ったのだと聞いて、よほどのことがあったのだろうとは思っていたけれど」


 言葉を区切り、すうっと目を細める。


「本気でもう私にもアンネマリーにも近寄らないでほしいわ」


 そうだ。彼女は思考力に長けている。そんなこと、自分は重々承知していたはずではないか。


 鍵はいくつもあった。

 そのような状況において、彼女にとって結論わたしのつみを導くことは、そう難しいことではなかったのだろう。






 それにしても、と彼女は私から目をそらす。


「嫌だわ。そんな下衆な結論を導けてしまう自分が本当に嫌」


 憂鬱そうに、ため息をつく。

 あなたが単純すぎるのが悪いのよ、と。


「単純?」

「ええ。とても」


 私が知ってるあなたの根幹(こと)、教えてあげる。

 彼女の赤い唇はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「あなたは自分のことが一番好きなのよ」

 だから、勝手に自分と同一視していた私を好きになっただけ。


「あなたと私が似ていると思われていただなんて、想像するだけで吐き気がするけれど」

と、吐き捨てるように言う。


「そんな…」


 そんなことない。

 だって、彼女は、自分とは違って社交的で華やかで。

 そして、博識で頭の回転が早かった。


 そう。

 自分と同格と、考えるほどに。


 そう。

 無意識のうちに、自分と比較していた。



「あなたが大好きで愛してるのは、あなた自身でしょ?ギルバート」


 あなたすっごく自尊心が高いもの。






 呆然としている私を置き去りにして、「けど、それはいいと思うわ私」と彼女は明るく続ける。


「だって、それって人間として当然じゃない?私もそうだもの」

 その点では確かに私とあなた、似てるかもね。


 彼女は笑みを絶やさない。


「けどね、あなたは気づいていなかったけれど、あなたと私はまるで違うところがあるの」


 私は、自分が大好きだから、大好きな自分が大好きな人たちにも幸せでいてほしい。

 だから、大好きな自分も、ときには大好きな人たちのために犠牲にするわ。


 けれど。


「あなたは、自分が大好きだから、自分の思い通りにならないことは受け入れられない」


 大好きな自分の思い通りにならなくて、自己憐憫に浸るのは自由だけれど、周りを巻き込むのはやめてくれない?

 あなた、無駄に影響力あるのだから、と。


 そう、言い放った。




「あら?顔色が悪いわ。どうしたの?」


「どうしたもなにも…」

 そんなことを言われて、動揺しない人間が果たしているのか。


「あなた、今度は私が言ったことを鵜呑みにするのね?」


 彼女は、呆れ切った顔をもう隠さない。

 

「鵜呑み?」


「そうでしょう?所詮、私があなたに告げたことだって、幼少期しか交流もなく、今は公式の場でしか会わない私が、私の主観でもって勝手に分析したこと」

 自分のことを一番よく知っているのは自分なのだから、少しは抗いなさいな、と。



 だが、抗うことなどできようはずもない。

 だって、彼女がいったことは真実だ。




 私は私が一番好きだった。


 誰よりも知識に秀でている自負があった。

 誰よりも研究で兄に貢献している自信があった。


 そんな自分に、満足していた。



 だから、大好きな自分の罪悪感を埋めるために、アンネマリーに謝罪をして、そうして自分の心を安らかにすることしか考えていなかったのだ。



 ことこの場に及んでなお、アンネマリーのことを本当に考えることなく。

 あまつさえ、考えるふりをして。

 過去の自分を行いを悔いるばかりで、それをどうにか許してもらおうとするばかりで。

 そして、これから先、どうしたいかは考えていなかった。


 謝りさえすれば、それを受け入れてもらいさえすれば、今まで心地よかったあの場所が戻ってくると、そう思っていた。




 自己分析なんてしたことがない。

 自分の心を成長させようと思ったことなどない。

 自己よりも他に分析したい事象がたくさんあったし、自分の心など置き去りにしても、新しい事柄は発見できたから。




「そう。だから、そうなっちゃったのね」

 かわいそうに。身分が高すぎるのに、諌めるほどの価値もないから、誰も指摘しなかったのね。


 マリアは心底哀れむようにそういった。

 けれど、本当に自分のことを哀れんでいるようには到底思えなかった。


 それは、三日月型に歪んだ、その瞳のせいかもしれないし、含んだ毒を隠さない、その言葉のせいかもしれない。






 彼女は私に興味を失ったかのように視線をそらすと、テーブルの上に目を落とした。


「ほら、お菓子でも食べて落ち着きなさいな。あなたの好きな味よ」


 そういって勧められたクッキーをそのまま口に運ぶ。

 ハーブが混ぜられた、その味は、私には香りが強すぎた。


「随分、香りが強いクッキーだな…」

 思わず、文句じみた言葉が口をついてでる。



「でも好きでしょう?」

 だってディオンが好きだもの。


 いつかの私と同じ台詞が、その唇から愉快そうに発せられた。




 硬直する私に対し、マリアはあくまで自然体だった。


「もう一ついいこと教えてあげる」

 私が昔、あなたに優しくしてあげたのは、あなたがディオンに似ていたからよ?



「…え?」

「どんなにつまらなくても、あなたの話に付き合ってあげたのは、あなたの顔がディオンに似ているからって言っているの」


 よかったわね。ディオンの弟で。

 彼女はそういって、艶然と笑う。



 彼女が見ているのは、私ではなく、私の兄で。

 私自身のことなど、何一つ見ていなかったのだと、そう言う。





 呆然としている私を見て、マリアは再びため息をついた。


「なーんて嘘よ。あなたとディオンが似ているわけないじゃない」

 もしそうなら私、ディオンと結婚していないわ。と続ける。



 嘘だと、今更言われても。

 先ほどの言葉は、確かに私の胸に刺さった。


 そして、その言葉でもって、彼女が伝えようとしたことが、嫌でもわかってしまって。

 その言葉以上に、私を苛んだ。






「お礼をいってね?ギルバート」


「アンネマリーの気持ちが、ほんの少しは味わえたでしょ?」

 まあ、比較にもならないでしょうけど。


 マリアは慈愛に満ちた笑みを浮かべる。



 愚者は経験に学び、賢者は先人の知恵に学ぶ。

「あなたみたいな愚者は、実際に経験しないと学べないものね?」



 ほんと、私に感謝してほしいわ、と彼女が浮かべた笑みは。

 確かに、かつて私が愛したものだった。





 彼女のいう通り。


 マリアにそこまでしてもらって、はじめて、自分の仕出かしたことを客観視し()始めた自分は、紛れもなく愚者だった。



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