私が彼女を失うまでー回顧録 下
「ギルバート、お前に1ヶ月の謹慎を命じる」
「…アンネマリーの件ですか」
あの後。
アンネマリーが倒れてすぐ、騎士団が駆けつけ、事態は収束に向かった。
その場で暴漢を率いていたのは、グロック子爵。
彼はその場で捕らえられ、現在も牢の中で聴取が行われている。
ー私は、マリアを救いに来たんだ…!なぜそれがわからない!
そんな、わけのわからないことをわめき散らし続け、目的も、黒幕も話そうとしないらしい。
「いや、モローネ草の件だ」
「モローネ草…?」
今回の一件で怪我をした者たちの治療にも使われたという、あの草が、どうしたというのだろう。
「先ほど、様子がおかしかった近衛騎士たちが正気を取り戻してな」
その結果。
「モローネ草に、副作用が見つかった」
「副作用…?」
「ああ、濃度の高い抽出液を大量に摂取すると、強い幻覚作用や睡眠作用を引き起こすらしい」
強い、幻覚作用。そして睡眠作用。
もしや、暴漢たちが外にいた近衛騎士を突破したのは。
近衛騎士たちの様子がおかしかったのは。
そうだ。と兄は重苦しく頷く。
「舞踏会襲撃前、詰所で襲われた近衛騎士たちは怪我こそ浅かったが、痛みが続いていたらしくてね。痛みに効くといわれて渡されたそうだ」
日頃から、慣れ親しんでいるその薬液を。
彼らは何の迷いもなく口にしたのだろう。
何せ、それを開発した人間に、渡されたのだから。
「彼らの証言と、ベルマン侯爵邸から見つかった高濃度の抽出液が決め手になって、彼も捕らえたよ」
ベルマン侯爵は、モローネ草をどのように医療に役立てるか、その模索の中で、高濃度の抽出液を摂取したときの副作用に気づいたらしい。
「『副作用がでた者は、その前後の記憶も飛ぶか、そのまま廃人になるかと思ったが…あの草も使えないな』…そう、言っていたそうだ」
兄上はそういったが、全てを教えてくれたわけではないだろう。
きっと彼は、正しくはこう言ったはずだ。
ーあの草も使えないな、あの第二王子と同様に、と。
「私であれば、自分が裏から操れるだろうと思ったのですね」
研究馬鹿で、政に興味のない王子。
研究成果だけ出させて、あとはお飾りにしておけば良い。
だから、アンネマリーもどうでもよかったのだろう。
「…アンネマリーは、宰相の娘だからね。彼女が側にいたのでは、自分が実権を握れないと思ったんだろう」
ああ、それで兄上は、アンネマリーにも警護を、といったのか。
本当に、私はなにもわかっていなかった。
モローネ草は適量を用いれば、非常に有効な薬草だ。
そのため、今後も使われ続けるという。
ただし、用量を厳重に管理した上で。
私の処分については紛糾したらしい。
貴重な発見をしたことに間違いはないのだし、開発者に罪はない、とする声と。
開発者であれば、それがもたらす害についても責任を負うべきだ、とする声と。
どちらの声も多すぎて、起こった出来事が大きすぎて。
両者の間をとった結果が、謹慎、だった。
だが、これは兄上の思いやりだ。
まだ目が覚めないアンネマリーの側にいるようにと。
あれから3日経ったが、アンネマリーは目が覚めない。
毎日メイドたちが丁寧に身体を拭き、少しずつ水を飲ませ、喉につまらないよう、流動食を与える。
それでも確実に、彼女は痩せ細っていった。
脇腹を刺した傷は、深かったが、出血量は少なかった。
そして、刺されてまもなく処置できたこともあって、一命をとりとめた。
だが、目が覚めない。
逆に私は、眠れなかった。
夜に一人でいると、アンネマリーの泣きそうな顔を思い出す。
なんでもいい、無表情でもいいから、違う表情を見たくて。
夜は寝ているアンネマリーの側で過ごした。
私の罪の一端に、最初に気づいたのは、彼女の姉、リリアナだった。
毎日メイドが活けるバラを見て、不審に思ったらしい。
なぜ、こんな匂いの強い花を、ベッドの側に活けるのかと。
「そういうことだったのね…」
宰相の娘にふさわしく、決して外では自分の本心を見せないように教育されているであろう彼女が、不快感も露わに言った。
「ハイデン伯爵夫人。そういうこと、とは…」
「アンネマリーのことよ。最近どうも様子がおかしいと思っていたの。あなたが王妃様を尊敬していたのは知っていたけれど、彼女と結婚できないからって、まさかアンネマリーを身代わりにしていたなんて」
「身代わりになど…」
「してるわ!婚約時代、王妃様の好きなものをそのままアンネマリーに与えていたのでしょう?」
まめに贈り物をしている。
そんな話だけ聞いて、大切にされていると勘違いしていた私が馬鹿だったわ、と言い捨てる。
彼女もまた、妹のアンネマリー同様に、社交界の中心人物だ。
私がアンネマリーに贈ったものを聞いて、王妃マリアの趣味嗜好に似すぎていることに気づいたのだろう。
「私は、そんなつもりは…」
私は、無知だったから。
だから、先人の知恵にすがっただけだ。
「あなた、研究することは大好きなのに、人の心には無関心なのね。相手の気持ちをわかろうとする努力もしないおぼっちゃま。あなたにアンネマリーは相応しくなかったわ」
あの子は、誰よりも人の気持ちに敏感で。
それでいて、貴族らしく、決して表には出さないから。
「ごめんなさい公爵さま。未だ目覚めぬ妹の代わりに謝ります」
そして、私の無礼な言動も。
無表情に言い捨てて、それ以降、リリアナは決して私と顔を合わせようとはしなかった。
それからさらに3日経った、夕方のこと。
彼女の瞼が、震えた。
「アンネマリー」
そう呼びかけると、まだ半分夢のなかにいるようなぼんやりした表情でこちらを見てくる。
ああ、彼女は、泣いていない。
「よかった…」
それは、どちらの意味だったで発したのだったか。
「一時はどうなることかと…。目を覚ましてくれて本当によかった…」
ずっと触れられなかった、彼女の手を、思わずぎゅっと握る。
握った後に、怖くなった。
彼女は、私を許さないかもしれない。
己の探究心を満たしたいがためにマリアと呼び続けた私を。
命の危機に瀕したあのとき、目を逸らした私を。
君の心を、考えなかった私を。
「まだ熱があるな。すぐに医者を呼ぼう」
何かを言われる前に、急いでメイドに指示し、
「あの暴動のなか、君のそばを離れて本当に申し訳なかった。何か必要なものがあればなんでも手配しよう。なにがほしい、アンネマリー?」
そう、謝罪めいたことを伝える。
我ながら最低な言葉だ。
まるで、物を与えるから許してくれとでもいっているよう。
けれど、私が彼女にできることはそれくらいしかない。
アンネマリーが首をかしげたのをみて、どきりとした。
「とくに…なにも…。それよりもひどいわ、旦那様。私の名前を忘れてしまったとでもいうの?」
「…え?」
罵倒されるのは覚悟していた。
だが、その返答は全く予期していなかった。
「もう…。死んでしまったアンネマリーが恋しいのはわかるけれど…冗談にしても面白くないわ。私はマリアでしょう?早く名前を呼んで」
そう、無邪気に請われ。
呼吸が止まった。
すぐに、医師が診察してくれた。
いくつか質問していたが、半分以上認識できない。
わかったのは、彼女が自分をマリアだと思っていること。
それでいて、私の記憶を保持していること。
そして、私は謝罪をすることさえも許されなかったということ。
「アンネマリー!」
医師と入れ違いに、リリアナと、彼女たちの兄レイモンドが入ってくる。
リリアナが頻繁に来ているのは知っていたが、レイモンドも運良く訪れていたのだろう。
「リリー!お兄様まで!」
アンネマリーは、兄姉の顔をみて、ほっとしたような表情を浮かべる。
医師の診察で、だいぶ不安そうな表情をしていたから、安心したのだろう。
「アンネ、これお見舞いよ。ガーベラ。あなた好きでしょ?」
いや、彼女が好きな花は、ガーベラよりもバラだ。
以前に、確かにそう言った。
現に今もそう言った。
だが、リリアナとレイモンドの顔色が一気に悪くなる。
その後も彼らはアンネマリーの好きな色や嗜好を確認し。
最終的に。
「私は、マリアよ。忘れたの?」
彼女が苛立ったようにそう言うのを聞いて、凍りついた。
ああ、私の罪が暴かれた。
彼女以外の人間が固まる中で、一番最初に冷静になったのは、レイモンドだった。
「…お前をここには置いておけない。家に帰るぞ」
アンネマリーは不安そうな顔をしていたが、兄にそう言われ、素直に頷いた。
そんな。待ってくれ。
「待ってくれ!」
私はまだ、きちんと彼女に謝っていないんだ…!
「全部、お前のせいだろう…!」
レイモンドが怒声をあげる。
「お前が妹を蔑ろにするから…マリアの身代わりにするから…!恥を知れ」
そんなつもりはなかった。
婚約者には贈り物を渡しておけばよかったはずだ。
私が抱いていたのは紛れもなくアンネマリーで、マリアを重ねたこともなかった。
だが、私は紛れもなく恥知らずな人間だった。
それ以上、なにも言うことができず、私はただただアンネマリーを見送った。
それから2週間。
毎日伯爵邸に通ったが、レイモンドは「離婚させる」との一点張りで、アンネマリーに会わせてくれることはなかった。
意外にも、レイモンドよりも早く折れたのは、父であるベーレント伯爵の方だった。
「ベーレント伯爵、私に、チャンスをいただき、ありがとうございます」
「チャンス…?なんのことですかな?」
アンネマリーに会いたい気持ちを抑え、まずは伯爵に挨拶をする。
彼は、いつもと変わらず、にこやかに応対してくれたかに見えた。
「私は、チャンスなど、与えた覚えはありませんよ?」
「え…」
その目が、一切笑っていないことに、私は気づいていなかったのだ。
「謹慎されている身で、毎日うちに来られても迷惑なのですよ」
それに。
「公爵でしたら、うちの娘に一目会えば、満足して離婚に応じてくれるかと思いまして」
娘に会って、自分の気持ちが満足したら、さっさと離婚に応じてくれるでしょう?
そう、嘲笑われた。
「アンネマリー」
久しぶりに会った彼女は、幾分か元の状態を取り戻したように見えた。
あくまで、身体的には。
「お久しぶりです、公爵さま」
「公爵…?」
「?兄から聞いておりませんか?私、公爵さまと離婚することになったと聞いたのですけれど」
だからもう、旦那様とは呼べないかなと。
そう、残酷な言葉を紡ぐ。
「き、みは…離婚したいのか…?」
私はまだ、君に許しを乞うていないのに。
「いいえ?けど、傷がついてしまいましたし、子も望めるかどうか…」
「…っ、そんなことは、関係ない!」
思わず大きな声を出して、彼女を驚かせてしまった。
「そう、ですか…?」
「…あ、ああ…」
「わかりました、では、父と兄の許可がでたら、邸に戻りますね」
ただ、名前は間違えないでください。
「私は、マリアです。ウェスティン公爵さま」
「ああ…」
そう、答えるしかなかった。
「マリー」
「こんにちは、ウェスティン公爵さま」
「…っ、ああ…」
今日も、ベーレント伯爵邸を訪れる。
レイモンドにも、ベーレント伯爵にもいい顔はされないが、通わなければ眠れないのだ。
泣きそうなアンネマリーの顔が頭から離れなくて。
自分をマリアと主張する彼女と、彼女をアンネマリーと呼びたい周囲の要望の妥協策で、彼女の愛称は「マリー」になった。
「マリー、今日はこれを持ってきたんだ。付けてくれるか?」
差し出したのは、ほんのりブルーの入ったワントップのネックレス。
花はガーベラ。
ドレスはブルーのドレス。
お菓子は甘酸っぱいもの。
あのとき、リリアナとレイモンドがアンネマリーに確認した彼女の好きなもの。
もう、忘れない。
そう思って、贈り物は、かつての彼女が愛したものを持参した。
彼女が戻る、きっかけになるかと。
「昔、君が小さい頃は一緒に湖の前に座って、読書をするのが大好きで…。湖を見ながら、『みずうみに日の光があたるときれいだわ!おもちかえりしたい!』と言ってね…湖は持ち帰れないから、代わりに、これを」
「私がそんなことを…」
医師の診察によると、彼女の中では、アンネマリーという少女は、思春期を迎え、私と会わなくなってすぐに、亡くなってしまった、ということになっているのらしい。
そうであるのなら、彼女の中で亡くなってしまった年齢より前の出来事に基づいた贈り物であれば、彼女の心に触れられるかもしれない。
「…ごめんなさい。ロマンチックな話だけどなんにも思い出せない」
しばし考え込んだ彼女は、申し訳なさ気に私にいった。
彼女は、何一つ悪くないのに。
「いや、いいんだ。これは私への罰だから」
本当にすまない、アンネマリー。
「ウェスティン公爵さま、あのね」
「うん?」
「私の名前は、マリア。好きなものはバラ、明るい色のドレス、甘いお菓子なの」
ああ、そうか。
私はもう、アンネマリーに謝ることはできないのか。
「今度は、覚えてね」
私の罪など、何も覚えていないはずなのに。
無邪気に発せられた言葉に、胸がえぐられた。
アンネマリーにたいして、愛はない。
けれど、情はある。
アンネマリーを見舞ったのも、最初は彼女を傷つけ、泣かせたことを謝らなければならないという義務感で。
だが次第にそれは焦燥感に変わり。
そしてその後は喪失感になった。
最終的に残ったこの気持ちがなんなのか、わからないまま、今日も伯爵邸を訪れる。
「こんにちは、マリー」
「こんにちは、公爵さま」
マリーはとても幸せそうに日々を送っている。
だが、私はアンネマリーを、あの無邪気に私を慕ってくれた少女を不幸にした。
ー誰かの生涯を不幸にしたとき、お前もその重荷に潰されるだろうよ。
ああ、兄上。あの時の言葉の意味が、ようやく今わかったよ。
「わたしが消えた日」ギルバート視点は一旦終了。
次から、その後の話となります。