表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/11

私が彼女を失うまでー回顧録 中

 予想に反して、アンネマリーとの結婚生活は、私が思い描いていたような穏やかなものだった。

 

 彼女は女主人として優秀で、屋敷全体が明るくなったようだった。

 それは、屋敷自体が暖かな色合いで飾られるようになったからかもしれないし、使用人たちの表情が前より明るくなったからかもしれない。


 彼女は、社交面でも私を補ってくれた。

 社交が苦手な私に対して、幼少期より父に鍛えられたアンネマリーは社交上手だった。


 私が人混みに気分を害し、席を外しても、一人できちんと対応してくれる。

 ウェスティン公爵の名前を守ってくれた。



「今、帰った」


 家に帰れば、彼女が玄関で笑顔で出迎えてくれる。

 どんなに遅くなっても、いつも私の帰る時間まで起きて待っていてくれる。


「おかえりなさい、ギルバート様」


 そう、言うために。






 私は、現状に満足していたし、彼女に感謝もしていた。


 だが、夜は。

 私は、相変わらず彼女を「マリア」と呼んでいた。


 いつも穏やかな彼女は、いつ怒るのか。


 いつ、泣くのか。


 どうしても知りたかった。







「グロック子爵が、マリアの周りを嗅ぎ回っているらしい」

 深刻な顔の兄上に呼び出されたのは、そんな結婚生活を始めて一つ季節が変わった頃だった。


「グロック子爵…?義姉上が令嬢時代にしつこく言い寄っていた男ですか?」



 ベッドの中で、アンネマリーをマリアと呼び始めてから、私はマリアを義姉上と呼ぶようになっていた。

 マリア、と呼ぶとアンネマリーの顔が浮かぶから。



「ああ。てっきり諦めたのだと思っていたのだけどね…」

 兄はうんざりした様子を隠そうともしなかった。


「さっさと処罰してしまえばいいでしょう?」

「そういうわけにはいかない。彼は、マリアのことを手当たり次第聞いて回っているだけで、直接害を成したわけではないからね」


 これから害をなす可能性は十分にあるが。


「それで?なぜ私を?」

「お前にも、気をつけてもらおうと思って」

「…どういうことです?」


 その話と、自分がどう結びつくかわからない。


「グロック子爵に、それほど大それたことができるとは思っていない」

 あれは、マリアに上気せ、自身の職務を忘れた、いずれ消えるただの男だから。


 だが。


「王妃のことを手当たり次第に聞きまわるという無様さを見せているにもかかわらず、その彼に接触した上位貴族がいるんだ」


 ベルマン侯爵。


 そう、兄は言った。







 ベルマン侯爵、という名前はよく知っている。

 私にしては珍しく、個人的に、だ。


 私が、薬草研究に熱中していたとき、総括役を引き受けてくれたのが彼だった。


 共に探求し、成果に一喜一憂した。



「たしかに、彼は野心的な人物ではありますが…」


 私は研究成果を出すことに熱中したが、彼は研究成果をどう生かすかに熱中した。

 彼がいなければ、私の研究が役立つようになるには、数年遅くなっていただろう。


 だが、それと同時に彼は自分の利益を何より優先した。

 ただの野草から、薬草へと認識を改められたそれ、モローネ草は、今や彼の領地の特産物となっている。



「お前と仕事をしたことで、彼は、お前を王にしたくなったみたいだよ」

「…は?」


 彼が、私を?


「そんな馬鹿な」


 王としてふさわしいのは、兄を置いて他にいない。


 たしかに彼は、私の研究成果に驚嘆し、盛大に賞賛してくれた。


 だが、それだけだ。


「まあ、あくまで可能性の話だ。だが、彼がお前に接触する可能性がある」

 くれぐれも、気をつけなさい。


 どんなに考えても、私を王にする、という考えは理解し難かったが、兄がそこまで言うのなら、気をつけたほうがよいのだろうと思った。



「アンネマリーの警護も増やしたほうがいいね。怖がらせるだろうから、詳しいことは伝えられないけど」

「?彼は、私を王位につけたいのでしょう?ならば、私の妻であるアンネマリーの安全は保障するのでは?」

「そうだといいけどね…。まあ、何を考えているかわからない相手だ。気をつけるに越したことはないよ」


「…わかりました」





 退室してすぐに立ち寄ったのは、騎士団長室。

 護衛はあくまで一時的に増やすだけのため、兄の許可を得て騎士を借りることになったのだ。


「騎士団長、我が邸宅に騎士を数名派遣してほしいのだが…もちろん兄の許可は得ている」


「これはウェスティン公爵。かしこまりました、明日から毎日交代で5名派遣するということでよろしいですか?」

「助かる…だが、いいのか?そんな即決して」


 いくら、国王の許しがあるとはいえ、騎士団員にも他の仕事がある。5名の派遣をすぐに決めてしまうほど、人員に余裕はないはずだ。

 だが、団長は朗らかに笑った。


「いいのです。あなたは、我々騎士団、近衛兵たちの恩人ですから」

「恩人…?」


 恩を売れるようなことをした覚えは、一切ないが。


「あなたは自覚がないかもしれませんが…。あなたが見つけてくださったモローネ草のおかげで、これまでは助からなかった怪我も、治療することができました」


 モローネ草。

 強力な鎮痛作用を持つその草は、抽出することによって、飲めば鎮痛作用を、患部に振りかければ血液を固めやすくする。


 件のベルマン侯爵と共同研究して見出したその草は、職務中に大きな怪我をした騎士たちに対して、多大な成果をあげた。

 あげたのは知っていたが、まさかこんなに感謝されることとは。


 研究したとき、私は自分の探究心を満たすことしか考えてなかった。

 だが、その結果、救われた人間がいたのだ。


「…気にすることはない。私は、私のやりたいことをやっただけだ」

「そうですか」


 それでは、明日より、派遣しますね。

 と、最後まで笑顔の騎士団長に送り出された。






 私のやっていることで、喜んでくれる人がいたのか。


 婚約時代、アンネマリーに直接プレゼントを渡したことはなかったが、プレゼントを渡した彼女は喜んでくれたのだろうか。


 ようやく、そう思った。





「帰った」

「お帰りなさいませ、ギルバート様」


 今日も笑顔でアンネマリーが迎える。

 その胸に、ガーベラの花束を押し付けた。


 結婚式のとき、彼女が今もなお好きだと知ったガーベラ。

 バラよりも、喜んでくれるだろうか。


「まあ…!ありがとうございます」


 花束をぎゅっと抱きしめ、アンネマリーはさらに笑顔を浮かべる。


「お前はバラよりもガーベラが好きだろう?」


「どちらも好きですが…」

 どちらかといえば…バラかもしれません。

 もちろん、ガーベラも好きです。ありがとうございます。


 そう、言われた。


 なんだ、やっぱり大人になって好みは変わったんじゃないか。


 慣れないことは、するものではなかった。







「近衛騎士が襲撃された」


「まさか…ベルマン侯爵に?」

「おそらくね。だが、当然、ベルマン侯爵直属の部下ではなく、切り捨て用の傭兵だったから、なんの証拠もない」

「それで近衛騎士は?」

「相手の人数も少なかったし、ほとんど怪我はないよ。ただ…」


 近衛兵たちは、職務中ではなく、詰所で襲われたのだという。


「油断している隙を狙おうとしたのかもしれないが…」


 だが、当然詰所の方が人数が多い。不可解だ。


「不可解なのはそれだけじゃない。傭兵たちは、近衛兵を倒すことよりも、より多くの近衛騎士に傷をつけることを優先したようだ」


 傷をつける…毒でも使ったのだろうか。

 しかし、その問いに兄は首を振る。


「毒は検出されなかったし、剣による外傷以外に傷を負ったものはいない」


 本番へのシミュレーションとみるべきだろうか…。

 どちらにせよ、油断しない方が良いだろう。



「こんなことがあったのに…舞踏会は例年通り開催するのですか?」

「するさ、もちろん。我が国の伝統的行事だ。近衛騎士が多少怪我を負ったところで中止にできない」


 ベルマン侯爵の脅威も、公にできない今、開催しないわけにもいかなかった。


「舞踏会の時は、お前にも会場の警護について助けてもらおうと思っている」

「…私も?」

「ああ。事情を知っているものはごく少数に限られているからね、お前も貴重な戦力だ。…とはいえ、お前にはすでに助けられているのだけど」


 訝しげな顔をしている私を、兄は笑う。


「モローネ草だ。あの薬草のおかげで、今回負傷した近衛騎士たちも、来週の舞踏会までに復帰できそうだ」

 あの薬草の抽出に携わったのが、怪我の原因であるベルマン侯爵、というのは皮肉だがね。


 兄はそういって、今度は悲しげに笑った。








「今日の舞踏会、私はずっとあなたのそばにはいられない」

 王家主催の舞踏会当日。

 そう、アンネマリーに告げたのは、何か起こりそうだという予感めいたものがあったからかもしれない。


「はい」

 彼女は静かに頷く。


 いつも、一人で残しておきながら、自分はなにを今更言っているのか。

 らしくない自分の行為に気まずい思いをしていたが、ちょうど近衛騎士が兄の命を受けて、私を呼びに来た。


 助かった。


 私はアンネマリーを振り返ることなく、兄の元へ向かった。







「きゃああっ」


 暴漢の侵入を告げたのは、近衛騎士の注意を呼びかける声ではなく、どこぞの令嬢の悲鳴だった。

 会場は、すぐにパニックになる。

 

 舞踏会に参加している貴族たちは当然、武装などはしていない。


「外の近衛騎士は何をしていた!早くとりおさえろ!」


 兄上の怒号が響く。



「お前!誰に剣を向けているんだ!」

「お前こそ!近衛騎士の服を着ているが見覚えがない!やつらの仲間か!」

「な、何を言っているんだ…?昨日も一緒に飯を食っただろ…!」

「嘘だ!」


「お前、この非常事態に何を寝ぼけているんだ…!早く起きろ、斬られるぞ」

「悪い…目が、開けられないほどの、眠、気で…無理だ…」


 暴漢は何人も侵入してきた。

 だが、決して近衛騎士たちに抑えられない人数ではない。

 

 それなのに、肝心の近衛騎士たちの様子がどうにもおかしい。



「陛下、近衛騎士が総崩れです…!」

「なぜだ…!何に混乱している…」


 いつも冷静沈着な兄が焦りの表情をのぞかせる。


「近衛騎士はダメだ。騎士団を呼びに行かせろ!」


 兄はマリアを引き寄せ、正気を保っている近衛騎士たちに指示を飛ばし、貴族たちに避難するよう呼びかける。


 私は何の役にも立てない。

 それならば、せめて盾ぐらいにはなろうと、兄とマリアの側を近衛騎士たちとともに固める。

 ベルマン侯爵が私を王位につけたいのなら、私を殺しはしないだろうから。

 

 だが、当のマリアが、訝しげな顔をした。

「ギルバート、あなたアンネマリーはどうしたの?」


「彼女は…多分、大丈夫だ」

 私が殺されないように、彼女もきっと無事だろう。


 私の妻なのだから。


 そう言いつつ、アンネマリーを探して会場に目をやると。



 当の彼女と、目があった。



 アンネマリーは毒々しい、真っ赤な花が咲いたドレスを着て、じっと私を見つめ、切なげに手を伸ばす。

 彼女が涙を浮かべているのを見て、私はすぐさま目を逸らした。




 たしかに、私はその表情が見たかったはずなのに。

 彼女に最低の行いをしてまで、見たかったはずなのに。




 見た瞬間、己の胸が軋む音を聞き。

 そんな彼女を見ることに耐えられなくなった。




 私は、なにを考えていたのだろう。

 幼き頃、私を無邪気に慕ってくれた彼女に、あのような表情をさせたいと思うなど。


 あのような、全てを諦めたような悲しい表情を見てみたいなど。







「アンネマリー!」


 そう、叫んだのは、マリアだったか。



 崩れ落ちるアンネマリーを見て、初めて気づいた。

 彼女が今日来ていたドレスに、華美な装飾もなければ、濃淡の移り変わりなどもなかった。


 なぜ、気づかなかったのだろう。

 あれはーー。



「早く!医者を呼べ!」


 呆然と立ち尽くした私は、その兄上の怒号を、どこか遠くに感じた。


モローネ草は創作です。

筆者に医療や薬の知識はないので、そこは大目に見てください。。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ