5.浮遊感(2)
先で、絵の話をしたよね。その続きをもう少しだけ、我慢してくれないかな。
……すこし、重要なものだからさ。……えっ、もう、飽きたって?そうか、それならば仕方ないな。
飽きてない方だけ、もうすこしだけ付き合ってほしいな。飽きた方は、ちょっとほら、そこでトランプゲームでもしてきなよ。おすすめは、ひとり神経衰弱かな……?ふふ。たくさん、取れると良いよね。ひとりだけどさ。
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話が飛んでしまった。申し訳ない。……そう、なんだ。わたしが言いたいことがすこしだけでも掴めてきていると、嬉しいな。説明が下手くそなうえに回りくどいからきっと大変だと思う。申し訳ない。
つまり、詩や、絵には、純粋じゃない要素がしっかりと根を張って混在している、ということだよ。
……そして、このわたしが書いているエッセイモドキもその要素が含まれているのだけれど、
得てして、このわたしが書いているエッセイモドキのように、独善的になり易いものだと言える、のじゃないかな。
それは、仕方がないことだともいえるよね。……意見は、ぶれてしまうと、説得力が薄くなってしまう。だからこそ、敢えて、言えない、若しくは言わない、という選択肢を取ることも必要なことだともわたしも納得済みで思うんだ。
思想を外に表出するということは、それだけで、独善的になりがちで……そういった性質を兼ね備えている、と、いうことになると思わないだろうか。わたしは、そう思えるよ。
そして、それらの要素は、なにも悪いことじゃないだろう?そうであっても、”構わない”要素なのだと思う。
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……だから、わたしは、随分、神経質な、余計で余分な思考をしてしまっているのかもしれない。
……けれども、だからこそ、思えてしまうんだ。
詩、絵、エッセイ には、他者の要素が、作品本体にへばりつくようにつき、覆い、そして、だからこそ、怪物になりえるのだろう、って。
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それは、良い意味での素敵な怪物だ。それは、本当にそう思えるんだ。……けれど、だからこそ、最初の無我の境地は、その時のその際の一瞬の本質は、遠く遠く離れていってしまって、もう、追いかけることすらかなわない、……そんなことになってしまう、ようにも、思えてしまう。
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そこでわたしは、ふ、っと、思ったんだ。
”何もないところから始まるからこそ、そこに意味を求め、そうして、本質を遠ざける結果に至ってしまうのではないだろうか”
そんな風に。
そうして、最初の冒頭の言葉にやっと思考を戻せるね。
小説を書くというアプローチの中では、エッセイや、詩や、絵をかく、アプローチとはほんの少し違う要素で、表出を行っているからこそ、
本質が見えてくるのではないのかな。
……そんな風に。
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