第2章『南港』
初顔合わせは大阪空港の行政代行センターだった。
指定された時間より早く着いたゆいりは、空港展望デッキで絶え間なく発着するタチャームを飽きず眺めていた。
長い翼をもつ飛行機の姿はまったくない。すべてがタチャームにとってかわられていた。飛行機のような空気力学に則った、優雅ささえ感じさせる共通のフォルムではなく、さまざまな形状のものが空をゆく。機能的なもの、装飾を施したもの、大きさもまちまちだった。が、全体としてジャンボジェットのような数百人も乗れる大型のものはなく、大きくても観光バス程度で搭乗人数も五十人以下だ。
機能的ではあったが、飛行機のような優美さを持たないと嘆く人も多い。マッチ箱、せっけん箱などと揶揄されていた。
タチャームは滑走路を必要としなかったから、好き勝手な場所から離着陸しているように見えた。しかし管制が指示を出し、きっとなにかのルールがあるに違いない。そうでなければ、事故が起きる。
午後の日差しは暖かかったが、吹きさらしの展望デッキは風がまだ冷たかった。一面ウッドデッキのあちこちに植えられた木々のようやく葉をつけだした枝先もざわざわとしなり、ゆいりはブルゾンの襟を合わせる。
平日ということもあって、オープンカフェのウエイトレスが暇そうに佇んでいる他、周囲にはゆいり以外に客はいない。
いや、ひとりいた。
デッキの端のほう――手摺に体をあずけ、音もなく飛び交うタチャームを見ている、年の頃は十三、四ぐらいの少女。短い髪のため、あどけなさの残る横顔が遠くからでもよくわかった。グレイのパーカーを着て、ジーンズの裾を折り曲げていた。
普通なら学校へ行っている時間のはずだと、ふと思ったが、学校の制服を着ているわけでなし、深くは考えない。自分には関係ないことだ。
手首をひねって時計を見る。あと一〇分。そろそろ行こう。
ゆいりはきびすを返した。ウッドデッキにヒールを鳴らしながら、屋内へと入っていった。
いつもの暖かい部屋へ入ると、受付で来訪目的を告げる。
すぐにオーパム人担当官が奥のコンソールからやって来た。例によって先日の担当官かどうか区別がつかなかった。
「待っていました。あちらへどうぞ」
指し示した先は、いつものテーブルセット。
が、そこには先客がいた。若い男だった。二十代前半か……。刈り込んだ茶髪が逆立ち、アーミージャケットが似合っている。座っていてもその上背の高さがわかった。きっと筋肉質の体をしているのだろう、格闘技かなにかやっていそうな汗くさい雰囲気を辺りに強烈に漂わせて臭いそうだった。
いかにも屈強そうで、ダイバーにはぴったりだ。大金を稼がなければならないからこの職を選んだというよりも、ほかの職業ではもてあましてしまう肉体のために、といった感じがすごくした。亜獣と闘うマッチョマン。ゆいりは、半裸で猛獣と闘う古代ローマの戦士を思い浮かべた。
「こんにちは」
声をかけて隣のイスにかけると、男はゆいりを見て目を見開いた。
「や、これはこれは……」
男は、挨拶を返すのも忘れて驚き、
「あんたも、ダイバーを?」
と信じられないようだった。彼の頭の中にはダイバーになれるような人間はアメフト選手のようなごつい男だけだという思い込みがあったに違いない。
はい、とゆいりはわざと澄ましてこたえた。
「チームメイト、ですよね? よろしく」
「こちらこそ……」
困惑を含んだ声で会釈される。
沈黙。
時計は指定時間の三分前。
担当官がやってきて、二人の真向かいの席についた。
話を始めるのかと思ったが、まだあと一人来ていない。チームを組むのは三人ではなかったのか。欠席?
そう思って、なんとなく居心地の悪い空気を感じていると――。
ドアが開いて入ってきた三人目を見て、仰天した。
ゆいりよりもずっと華奢な少女だったのだ。しかも、さっきゆいりが屋上展望デッキで見た、あの少女だった。いくらなんでも信じられない。
少女は、カウンター前で戸惑う様子もなく、まっすぐにこちらへ歩みよってきた。空いているゆいりの隣の席に当たり前のようについた。
「三人そろったので、説明を始める」
担当官がロボットのようにしゃべりだした。
「ダイブの説明の前に、紹介しておこう」
互いを簡単に紹介した。
筋肉男は、紀崎豪、二十四歳。
中学生ぐらいの少女は、神田れみる。十四歳。
そして、八坂ゆいり、二十八歳、である。
どう見ても仕事仲間といったメンツではなく、こんな構成で仕事が上手くいくのか怪しかった。
「ちょっと待ってくれ」
紀崎が担当官をさえぎった。おそらく、彼が、この三人の中で一番不安を感じているのに違いない。
「確認をしておきたいんだが、おれとチームを組むのは、この二人に間違いないんだろうな。失礼ながら、おれには非力なお姉さんと子供にしか見えないんだが」
担当官は、そんな彼の反応が理解できないかのようにさりげなくこたえた。
「なにも問題はない」
「問題ないだと?」
紀崎は声を荒げて立ち上がりかけた。が、すぐに思いとどまって着席した。
「いいだろう、つづけてくれ」
明らかに不満のある声音だ。オーパム人は地球人のどんな態度にもまったく動じない。それがわかっているから、不満があろうともここは自重したのだ。
「では説明に入る」
担当官がキーボードを操作すると、テーブル上のディスプレイに大阪の地図が表示された。
「あなたがた三人はそれぞれダイバーとしての実績がある。三人でかかれば、新種の手強い亜獣であっても対応できるだろうと思われる。しかし、いきなりでは、おそらく困難であるだろうから、まずは調整の意味で、べつの場所で亜獣と闘ってもらいたい。今回のダイブ地点はここである」
地図が拡大されていく。海岸へ移動し、そして、南港の辺りで表示が固定された。
「埋め立て地で海に近いここに、大型亜獣の出現が確認されている。地下と違って動きやすいので、訓練には最適と考えられる。危険があれば、退避できる」
大阪南港。
広大な埋め立て地だが、空き地が多い。鉄道まで通っていたが、大阪市街中心部から遠く、また船舶貨物の取り扱い量の伸び悩み、工場の海外移転など、さまざまな要因によって土地は売れなかった。
夜になれば無人の地域に海風が吹き抜けた。用事がなければ、ふらっと訪れるような場所ではなかった。
担当官は言を継ぐ。
「それと、今回は鍵を壊す必要はない。訓練のみである。報酬は鍵の破壊に成功したときほどではないが、危険が伴うため大きくは減額しない。そして、訓練が目的なので、ダイブ期間は最長の二十四時間である」
「二十四時間だと?」
紀崎がうめいた。
「二十四時間もいっしょにいなきゃならんのか?」
「それがなにか?」
担当官の態度に、なにを言っても無駄だと悟った紀崎は黙った。
「では日時を伝える。明後日、午前八時にここへ集合すること。質問はパソコンのフォームへ記述せよ。では、打ち合わせを始めよ」
担当官は席を立つ。なんともアバウトな担当官である。
残された三人は、まだ互いを知らない。そんななかで打ち合わせをやれと言われたわけである。
紀崎が席を立った。想像どおりの背丈だ。百八十センチはまちがいなくある。
「あの、紀崎くん――」
ゆいりは、自分より五つほど年下の若者を呼び止めた。
紀崎は足を止めて、半分振り返って言った。
「あんたが遭遇したっていうその新種の亜獣だが、それはおれが倒してやる。悪いが、あんたらには横で見ていてもらう。手出しするには及ばない」
「たいした自信ね」
ゆいりは鼻白んだ。
「女子供に戦さなんかできやしない。オーパムがどういう基準で人選したかはわからんが、おれにもプライドがある。じゃあな」
紀崎の広い背中が去ってゆく。部屋から出ていくまで見届けると、ゆいりは深くため息をついた。
紀崎の気持ちは理解できた。しかしダイバーとしてこれまでやってきた実績を少しも見ないで退席してしまうのはいかにも失礼だろうとも思った。
とはいえ、あの頭の硬そうな大男といっしょにチームを組んで事に当たらねばならないのだし、どういう作戦を立てて臨むかは一応考えておくべきだろう。そのためには――。
ゆいりは、傍らにすわる少女を一瞥する。さっきから一言も口をきかない。どこから見てもか弱そうな印象。やせぎすで健康そうには見えなかった。膝においた、パーカーの袖口から半分だけのぞく手の甲がろうそくのように白かった。
紀崎ではないが、ダイバーだと言われてもちょっと信じ難い。
ゆいりでさえも、亜獣との戦いでは苦労の連続だった。そのことを思い返すと、少女にはなにか自分にはない特殊な能力を持っているとしか考えられなかった。
ゆいりは肩をすくめ、
「よろしくね。あのお兄さんは帰っちゃったけど、わたしたちはわたしたちで作戦を考えましょ。れみるちゃん、って呼んでいいかな?」
神田れみるは、機械のように首をめぐらせ、ゆいりを見つめた。漂白したような色白の顔に、瞳が冷たかった。
ゆいりは少し背筋に悪寒を感じた。
「いいよ」
低く、つぶやくようにれみるは言った。
十四歳なら普通なら中学生だ。ダイバーに年齢制限はないが、中学生が簡単になれるものではない。家出なんて単純な思春期の衝動で流れてきたのとは違うだろう。むろん、最初のきっかけはそうだったかもしれないが、なにか、触れてはいけないような複雑な事情がありそうだった。
「わたしが出会った亜獣についてはもう聞いているだろうけど、それをやっつけるにはやっぱりいっせい攻撃しかないと思うの。れみるちゃんは普段どんな武器を使ってるの? ちなみにわたしはこれ」
ブルゾンの下につけたホルスターから電撃銃を抜いて、テーブルに置いた。
前回のダイブで失くしたものと同型の銃を新しく支給してもらっていた。
小さな雷を発生させ、目標にダメージを与える、オーパムの技術で作られた武器だった。莫大な電力を必要とするので、一度に使える回数には限りがあった。最大出力ならほんの十発も撃てば電池が完全に消耗する。
ダイバーには、エリア・オーサカで使用する武器の所持・携帯が認められていた。エリア・オーサカ内でしか使うことはないが、ゆいりは護身用として持ち歩いていた。人間に向かって使ったことはないが、最小出力でものびてしまうだろう。うっかり使ったら死なせてしまうほど危険な武器だが、それ故エリア・オーサカ内では心強かった。
れみるは電撃銃を見つめ、おもむろに口を開いた。
「この銃だと射程距離はせいぜい二十五メートルぐらいね。かなり接近しないと致命傷は与えられない」
ヒュー、と口笛でも鳴らしたいところだ。やはりただの中学生ではない。
「接近戦は危険だから、もっと射程距離があって、かつ、強力な武器がいるわ。申請する?」と、れみる。
「うーん。でも使いこなせるかな。かなりの重さがあると思うよ。それに、最終的には地下で闘うわけだから、爆発系の武器ではこっちまで危ない」
「考えてみるわ」
「武器も大事だけど、互いの分担も大事よ。きちんと役割を決めておかないと、亜獣を倒すどころか逆襲を食らう」
「わかった。そこは任せる」
れみるがゆいりに下駄を預けた。
ゆいりは考えた。
どう見ても二人とも非力だ。大型の武器は扱えまい。となると、同時攻撃しかないだろう。しかも一点集中で。互いに大きく距離をとらず、何かを合図にいっせい射撃。
――これしかない。
「じゃあ、れみるちゃん。こうしよう」
ゆいりは説明しだした。
あっという間に次の日はすぎて、明後日がやってきた。
新しい武器は結局申請しなかった。まずは使い慣れた武器が通用するかどうかを見極めてからでも遅くない。
午前八時。大阪空港の行政代行センターに再び顔をそろえた三人は、専用の小型タチャームに乗せられ、四秒ほどの飛行ののち、大阪湾上空へ至った。
海上でホバリング。ピタリと空中に停止し、まるで見えない島に着陸したかのように微動だにしない。
ドアが静かに開いた。ドアとわかるような機構はまったく見えず、壁の一部が唐突に四角く消滅したので、最初はびっくりしたものだった。
海面から三十メートルほどの高さ。機内に吹き込んできた強い潮風が鼻をくすぐる。
三人は長椅子から立ち上がると、開け放たれた開口部へ移動した。
ゆいりの、雨をはじくブルゾンの下には電撃銃がホルスターに納められ、ジーンズの腰には手製のホルダーが鞘に納めた刀――斬妖丸を固定していた。ウエストバッグには電撃銃の予備バッテリーの他、救急キットや携帯食が入れてあり、長時間の活動への備えも怠らなかった。
遠く、南港の建物が望める。ひときわ高いビルはWTC(ワールドトレードセンター)、そのとなりに、うずくまる猛獣のように建っているのはATC(アジア太平洋トレードセンター)と呼ばれていた建物だ。これほどはっきり見えるのに、普通に行くことができない。
目に見えない境界線を越えるには、オーパムの技術が不可欠だが、当のオーパム人はエリア・オーサカ内で活動できないとくる。それもどうにかならなかったのだろうか。オーパムなら、なんでもできそうなものなのに……。
地球人三人は、境界線に穴が開く瞬間を待った。
「さて、今日はどこに開くかな、と」
紀崎がおどけた口調で言った。迷彩服が恐ろしいほど似合っている。黒の軍用ブーツと手袋、重そうなバックパックと肩にかけた軍用小銃。野戦の兵士そのもので、いったいどこでこんな装備を手に入れたのだろう。オーパムに頼めばなんでも取り揃えてくれるだろうが、紀崎の場合、自分の趣味で集めたのに違いないと、ゆいりは想像した。
一方、れみるは対照的に、都会的なカジュアルファッション。汚れてもよさそうなジーンズと、同じくデニムの上着。走りやすそうなスニーカー。普通の中学生の私服以外のなにものでもない。危険な場所へ赴くようなスタイルには見えなかった。
眼下に黒い渦が出現した。「ゲート」と呼ばれているエリア・オーサカへの入り口である。
エリア・オーサカへの通路は特定の場所に、常にあいているわけではなかった。空間に自然発生した歪により、出現した。しかしそのエネルギーは莫大なもので、短時間しか維持できなかった。
黒い渦は、直径十五メートルほどの大きさに広がっていた。音もなく、回っている。
今では慣れたが、最初のうちはだれもが恐怖心にとらわれる。ここへ飛び込むなど、自殺に等しいような気持ちになり、本能的に後ずさりしたくなってしまう。
もしかしたらオーパム人がエリア・オーサカに入れないのは、この黒い渦に宗教的なタブーを見出しているからで、技術的な問題ではないのかもしれない。それほど黒い渦はどこまでも邪悪な気を発していた。
れみるが無造作に飛び降りた。
先をこされたと、紀崎はあわてて後を追うように飛び降りた。
その様子が大人気ないように見えて、ゆいりはふっと小さく笑うと、渦へ向かってダイブした。
渦の中に入っていたのは、ほんのわずかな時間だった。
一瞬で通り抜け、気がつくと、そこはもうエリア・オーサカの中だった。
大阪市営地下鉄・コスモスクエア駅の駅舎が眼前に建っていた。人工島の端に位置しており、近代的な駅舎の上に直接バス停が造られ、道路がつながっている。
駅前には、マンションが建ち並んでいたが、まだまだ空き地が目立った。
WTCが見えるが、そこまで普通に歩いて一〇分はかかりそうな距離。
「さて、これからどうする?」
紀崎が訊いた。
「見たところ、亜獣はいないようね」
と、ゆいりが受けた。
「見晴らしのいいところへ移動しましょ」
れみるは、言うが早いか、大きく跳躍。たちまち数十メートル彼方の空中に小さくなった。
「まるでノミだな」
感心しながらも、どこか侮った口調で紀崎は言うと、後を追う。ゆいりもつづいた。
ATCの南端、十二階建てのITM棟の屋上へ至った。ぐるりと見回す。フットサルのコートが二面、金網に囲まれていた。
ATCは埋め立て地の端に位置しており、南西側は海だ。北東に広がる島には、WTCの他、ホテルハイアットリージェンシー大阪、インテックス大阪、ミズノ本社ビル、などが見渡せた。だが亜獣の姿は見えない。
「建物の中にいるんじゃないか?」
紀崎の言ったことは、ゆいりも思っていた。
亜獣――。
その奇妙な生き物は、エリア・オーサカ内にしかいない。歪んだ空間の裂け目から現われる邪悪な獣。
エリア・オーサカは、外界と隔離された密閉空間ではない。非常に強力な力場によって歪んだ空間なのだ。そのエネルギーはエリア・オーサカを維持すると同時に、あちこちに別の宇宙へとつながる裂け目――ホールをつくっていた。エリア・オーサカとその周囲をつなぐゲートとは、外観も発生のしかたも似ているが、つながっているところはまったく別なのである。ゲートだと思ってうっかり飛び込んだら最後、どこともしれない別の世界へ行ってしまう。
ホールから侵入してくる生物の総称が「亜獣」だった。生物学的分類ではない。だから亜獣には、さまざまな形態が存在した。そして、亜獣のほとんどが攻撃的性質を備えているのは、裂け目を通過する際のストレスが原因だと、オーパムは説明していた。
「あそこに一匹、いるわ」
れみるが落ち着いた声で言った。指さす先にあるのは、インテックス大阪だった。
「なぜわかる?」
紀崎が問うたが、れみるはこたえず跳躍した。眼下のトレードセンター前駅の屋根に飛び降りると、ニュートラムの線路づたいに走っていった。
「ちっ。やりにくいやつだぜ」
紀崎は舌打ちし、同意を求めるかのようにゆいりを振り返った。これまで単独で行動してきただけに、チーム行動には慣れていない。とりわけれみるには、合わせにくい印象を、紀崎は感じているようだ。
「とりあえず行きましょう。あの子はあの年でダイバーをやってるんだから、きっとわたしたちにはない能力があるんだわ」
「おれから見れば、あんただってダイバー向きじゃないぜ。特殊な能力っての、もっているのかい?」
「いいえ」
特殊な能力と呼べるものは持ち合わせてはいない。強いて挙げれば身の軽さだが、れみると較べればそれもかすんでみえた。
二人はそろって、れみるを追うようにインテックス大阪へ。
正面玄関を前に、れみるが立っていた。
温室を思わせる玄関上の丸い屋根は、ガラスがあちこち割れて黒い穴をあけていた。左手方向のバスのロータリーには一台のバスもない。
「この中に、亜獣がいるのか?」
追いついた紀崎がれみるに訊いた。「なんでわかる?」
「においよ」
「におい……?」
紀崎はオウム返しに言った。
動物園や家畜小屋のような糞尿が染み着いた場所ならともかく、こんなところで動物のにおいがわかるものなのか?
れみるの能力は戦闘ではなく、亜獣の探知なのかもしれないと、ゆいりは思った。遠くからでも亜獣の存在がわかれば遭遇を避けつつ鍵を破壊できる。
出会い頭の戦闘も回避できる。ゆいりは梅田地下での戦いを思い返し、れみるがこれまでダイバーとして実績をあげてこられたことに合点した。
「この奥」
れみるは玄関へと入ってゆくと、あとの二人もつづく。ガラスドアは砕け散っており、靴底が破片を踏む嫌な感触を無視して進んでいくと、天井の高い吹き抜けのスペースに出た。なにも映していない古い大型ビジョンがある。
その向こうに、屋根のない中庭が薄陽に照らされていた。その前方と左右――中庭を囲むように展示場が配されている。
「あっち」
「ようし」
れみるが指さす先をめざして、紀崎が駆け出した。
そして中庭正面――六号館の前に、一匹の亜獣がいるのを発見した。
が――。
走り込んできた紀崎の足が思わず止まった。
「こんなでかいやつ、初めて見たぜ」
遅れて中庭に入ったゆいりが、自動小銃をかまえる紀崎に言った。
「わたしが見たのよりは小さいわ」
「退がっててくれ」
紀崎は小銃の狙いをつける。
亜獣は、突然の来訪者に気づいたようで、のろのろと動き出した。牛ほどの大きさで、それに似合わない細い脚が八本。胴体の前後二カ所にコブのような膨らみがあるが、そのどちらが頭かわからない。あるいは頭などではないのかもしれない。体の表面には色鮮やかな黄色やピンクや紫色の毛がびっしりと生えており、南国の鳥か熱帯魚を連想させた。
方向転換が完了すると、意外にせわしなく脚を動かして、胴体を引きずりながら近づいてきた。その動きには身の危険を感じずにはいられないものがあった。
紀崎、連射モードで自動小銃を発砲。射撃音が耳を聾し、空薬莢がコンクリートに次々と跳ねる。
弾丸が一発残らず命中する。銃弾が突き刺さるたびに亜獣は苦しそうにうごめき、その様子は吐き気をもよおしそうだった。
しかし亜獣の前進は止まらなかった。
亜獣との距離が縮まる。あと二十メートルほど。
「くそっ。なんてしぶとい」
弾丸を撃ちつくし、紀崎が空になったマガジンをとりかえる。その時間、攻撃が中断した。
いけない!
ゆいりは加勢した。
電撃銃をホルスターから抜き、さらに距離を縮める亜獣に向けて突き出す。ここまで近ければいちいち狙わなくても外す心配はない。グリップをしっかり握って引き金をひいた。
轟音とともに稲妻がほとばしり、亜獣の胴体に黒焦げた穴をつくった。煙を立ち上らせながら、横倒しになった。およそ十メートル手前。
弾倉の取り替えが終わって紀崎の銃が再び射撃できるようになったときには、亜獣は脚をひくつかせながら息絶えようとしていた。
「やるじゃねぇか」
自動小銃を下ろし、紀崎はゆいりを見やった。
「電撃銃だけじゃ倒せなかったわ。銃弾を受けて、弱っていたから倒せたのよ」
紀崎はうなずく。
「ということは、協力して倒したってことだな」
「チームを組んだ理由がわかったでしょ。一人じゃ無理なの。どんなにチームメイトが非力に見えても、ね」
「そうだ……な」
決まりが悪そうに紀崎はつぶやいた。
銃創から体液を流しつつ、すでに死んでいる亜獣からは、独特の異臭がしていた。有機物の臭いではない。エリア・オーサカにハエがいたとしても、集まってこなさそうな臭いだ。それが亜獣の臭いだった。
この臭いを、れみるは敏感にかぎわけられるのだろうか。
それを訊ねようとして、ゆいりはれみるを見たが、もう背中を向けて歩き出していて、声をかけのがしてしまった。
その後、二時間が経過したが、あれ以降、一匹の亜獣とも遭遇しない。これでは訓練にはならない。
寒風吹きすさぶATCの屋上で亜獣の姿をさがすのも飽きてきた。
ゆいりはウエストバッグから、小さな瓶を取り出す。支給された錠剤だった。食事の代わりと、エリア・オーサカ内での活動に必要な薬成分が補給できるのである。詳しいことはゆいりもよく知らなかったが、適合処置を受けた身体の能力を維持するためには欠かせないそうである。ナノマシンのエネルギー源なのだろう。
紫色の錠剤を一粒、水とともに飲み込んだとき、遠くで見張りについていた紀崎が戻ってきた。ATCの屋根の上をひょこひょこと歩いてくる。
「見つかったの?」
「いや」
紀崎はかぶり振る。重そうなバックパックを背中から降ろし、足元に置いた。
「そっちもか?」
「そう簡単に出会うものじゃないしね」
エリア・オーサカにダイブするたびにいつも多数の亜獣に襲われるわけではない。まったく亜獣の姿を見ないまま鍵の破壊に成功する場合もあった。
紀崎はすわりこみ、あちこちへこんだステンレス製の水筒に口をつけた。のどがなった。
「二十四時間だと? まったく、オーパムはなにを考えてやがるか」
ゆいりは苦笑した。
「それを言ったらキリがないわよ。わたしたちには、永久に分かりっこない」
オーパムは異星人だ。彼らを理解するには彼らと同じ脳でないと無理だろう。大多数の人々はそう思ってオーパムを理解しようとする努力を放棄していた。
「姉さん、なんであんたダイバーなんてやってる?」
水筒のキャップを丁寧にしめて、紀崎は唐突に訊いてきた。
ゆいりの笑みがひいた。
「こんな仕事、まともな人間のやるこっちゃねぇ」
「そしたら、あなたもまともな人間じゃないってことになるわね?」
「そうさ」
紀崎はあっさり認めた。そして天を仰ぐと、きりだした。
「信じられないかもしれないが、おれはこの世界の人間じゃない」
と反応を見るように区切り、
「驚いたか?」
冗談かどうかわからなかった。エリア・オーサカができて以後、どんな荒唐無稽なことでも起こり得たからだ。その確率が高いだけに、なにをばかな、と一蹴できないのが苦々しかった。
「信じてないようだな」
「信じなきゃいけない理由がないもの」
ゆいりはこたえた。言葉どおり、紀崎がこの世の人間でないとして、今の自分になんの関わりがある?
紀崎はなにが言いたいのだろう。単にからかっているだけなのか?
「そうだな」
紀崎は軽く受けた。
「信じるかどうかは勝手だ。だが、おれは元の世界へのホールが、このエリア・オーサカのどこかに開くだろうと、それを探しにここへ来ている。そのためにダイバーをやってるんだ」
「…………」
ゆいりは黙った。命知らずの男が冒険を求めてエリア・オーサカに踏み込んだ、といったほうが似合いそうだったし、そのほうが素直にうなずけた。少なくとも借金とりに追われて、などと言うよりは、夢があっていい。
ゆいりは言った。
「ここは危険なところよ。その危険を冒してでも、あなたの目的は大事なの?」
紀崎はやや間をおいてからこたえた。
「そうだな。元の世界にはすべてがある」
おそらく、一言では言い表せないさまざまな思いがあるのだろう。
「…………」
ゆいりはまた黙った。ゆずれない事情があるのは、ゆいりも同じだったから。その思いが強すぎるから、こんな危険な仕事にも耐えられる。逆に願いが叶わないなら、人生さえ無意味で、死んでしまってもかまわないとも。
「早く帰れると思う? その……元の世界に」
「それは全然わからん。帰れる前にここでくたばるかもしれん。しかし他に方法がないしな」
紀崎は少し笑う。自らの行いを嘲笑しているようだった。
そして、気配に気づいて顔を上げた。
れみるだった。
「亜獣が現れたよ」
紀崎はすっくと立ち上がる。
「どこだい?」
「あっち」
と、れみるが彼方を指さす。
「また小物じゃないだろうな」
「今度はさっきのようにはいかないよ」
「そりゃけっこう。案内してくれ」
れみるはうなずき、高く跳躍した。
ニュートラムの線路沿いに移動して、ポートタウン西駅に至った。
上空からかいま見た光景に、息をのんだ。
亜獣の群というのを初めて見た。
マンションが建ち並ぶ地域。ニュートラムの高架線路を挟んで両側に、いくつもの同型マンションがそびえている。かつては大勢の住民が暮らしていたが、今やまったくの無人である。打ち棄てられ、補修もされず徐々に朽ちていく巨大建造物は、実に寂しい。
その足元、大きくとられた広場や道路に、大型亜獣が十数頭。意志をもった群ではなく、偶然、同じ場所に出現したかのように、全体としててんでバラバラの印象。折り重なっている個体、動きの速い個体、マンションの側壁を登っている個体。形状はナマコのようで、長い脚も、明確な頭部もなく、這って動いている。一言でいうならスライムだ。RPGの雑魚キャラなら、訓練にはぴったりだろう。大きさもさっきのものより小さく、大型犬ぐらいの大きさだ。
マンションよりも高く跳躍しながらやってきた三人は地上に降り立つ。
「こいつはライフルじゃ無理だな」
紀崎は肩にかけていた自動小銃を下ろした。
「今度こそ、ちゃんと作戦を考えて挑まなきゃ」
ゆいりは、紀崎の気勢をそぐ。また先走ってしまいそうな気がして。
「わかってるさ。いくらなんでもおれだけじゃ無理だぜ」
「れみるちゃん、打ち合わせどおりにやってみましょ」
と、ゆいり。顔合わせの際、紀崎抜きで、一応作戦は考えていた。それを実行してみようというのだ。
「打ち合わせ?」
だから紀崎は知らない。
「まずは二人だけでやってみるわ。紀崎さんは援護をしてちょうだい」
「なに?」
「行くよ」
ゆいりは、戸惑う紀崎に口を差し挟ませなかった。
跳躍すると、亜獣の群へつっこんでいった。
れみるが後につづいた。デイバッグから取り出した武器は、紀崎が見たことのないものだった。ゆいりの持つ電撃銃よりも小さい、華奢なれみるが扱えそうな大きさ。
それはオーパムの技術で作られた音波銃だった。指向性の高い超音波でもって亜獣の体内を破壊する。ただし、ダメージを与えるには時間がかかった。その時間をゆいりに稼いでもらう作戦だった。
接近してくるゆいりに気づいた亜獣が振り向く。上体を大きく曲げて、方向を変えた。全身に生えている虹色に光る体毛が、動くたびに漣波のように流れた。
ゆいりが電撃銃を突き出す。およそ十五メートルまでに接近して、発射。
轟音と、一瞬の光。体を打ったその衝撃に驚いて動きが止まったところで、直後にれみるが音波銃を放った。
不快な振動から逃れようとした亜獣だったが、そのときにはすでに遅かった。ほんの数秒で内臓が潰れた。
体じゅうの穴から、赤や緑や黄色の、いろんな色の体液が流れ出した。あまり正視したくない光景だった。
二人はすでに次の目標へ移動していた。身の軽さをいかして次々と亜獣を屠っていった。
その連携の良さを見ていた紀崎は、
「ほう……」
と感嘆の声をあげた。このままでは出番はなさそうである。
が、余裕な表情で見物していると、素早い動きの亜獣が数匹でれみるに向かってきていたのが目に入った。れみるの音波銃の攻撃がかわされている。
「ちっ」
紀崎はライフルを抱くと、あわてて走り出した。
――いけない!
ゆいりは、れみるが亜獣を倒しているかどうかを、いちいち振り返って確かめていた。
紀崎に援護を頼んでいたが、放っていられるほどの信頼を得ていなかったから。
紀崎が間に合わなければ、いつでも自分が駆けつけられるように。
ゆいりは高く跳躍し、マンションの壁面を蹴って方向を変えると、れみるに向かっていく四匹の亜獣の一匹に飛びかかっていった。
れみるの動きの速さなら、よもや亜獣に手傷を負わされることはないだろうから、その点では心配なかったが、ダイブの目的は亜獣を倒すことだから逃げてばかりはいられない。
ゆいりは電撃銃を発射する。命中しない。電撃は、亜獣の体をそれてすぐそばの街灯に引き寄せられた。街灯は黒こげになった。
四匹に追われて、れみるは高くジャンプした。突進してくるのが一匹なら、まだ音波銃で応戦できたが、四匹では食い止められない。しかも意外に素早い動きだ。
そこへ銃声。れみるに近づく一匹が、クルマにはねとばされたように転がった。胴体にあいた銃創から体液が盛大に流れ出している。苦痛にもがいて体を激しく動かして。
ゆいりが、ライフルをかまえている紀崎の姿を五十メートルほど離れたところに認めたと同時に、残りの三匹が続けざまに射殺された。
ゆいりが着地するまでの間のことだった。
「大丈夫かぁ!」
紀崎が大声で呼びかけてきた。
れみるのもとへ駆け寄ったゆいりは、声が届くかどうか不安だったので、両手で大きく○を作ってみせた。
「ここを離れましょ」
ゆいりはれみるに提案した。
かなりの亜獣を退治したが、周囲にはまだ何頭かいた。
「態勢を立て直して、それからまた来ましょう。このままだと連携が取りにくい」
言いながら、ゆいりは慣れた手付きで電撃銃のバッテリーパックを交換する。さっきの戦闘でもう消耗してしまっていた。いつものダイブより長丁場になるため、普段の数倍は持ってきていて、ウエストバッグはいっぱいだった。
交換を終えて、銃身のバッテリーゲージがフルを示す。
亜獣が集まってきた。さっきのほど素早くはないが、大型亜獣ばかりがじりじりと接近してくる。こちらの出方を窺っているかのよう。タイミングをみて、やおら飛びかかってこようと――。
亜獣は別宇宙を通ってくる過程で知能を失うとされていたが、あるいはそうとばかりもいえないのかもしれない。
ゆいりとれみるは並んで銃をかまえた。
そこへ、紀崎が加勢した。銃撃の合間に、二人に向かって言う。
「援護するから、今のうちに逃げろ!」
紀崎は言うだけ言うと銃撃を再開。耳に響く連射音。ゆいりの意見を聞くつもりもない。
強力な火器は、たちまち一匹を蜂の巣にした。たしかにここは紀崎に任せたほうがいいのかもしれない。
ゆいりはれみるの手をとり、跳躍。
それを見届けて、紀崎も後退する。散らばった空薬莢を踏んで転ばないよう注意しながら。景気よく弾薬を消費したせいで、荷物もかなり軽くなっていた。
まだ生き残っている亜獣の動きを睨みながら、走り出した。
しかしその行く手に、新たな亜獣が立ちふさがった。
「うわっ」
それはヘビのように長細く、しなやかに動いた。紀崎に向かって一直線に飛びかかってきた。
発砲する間もなく直撃を受けて、ひっくり返った。起き上がろうとしたときには、すでに体に巻きついていた。
「くそっ」
悪態をつき、抜け出そうと体をよじった。が、紀崎の鍛えぬかれた筋力をもってしても、亜獣の締めつけからは逃れられなかった。
亜獣の頭部が大きくふくらみ、紀崎の頭をくわえこめるほどの口が開いた。そこにはサメのように鋭い歯がびっしりと並んでいた。
紀崎の言うとおりにその場から逃げかけていたゆいりは、紀崎がついてきているかと振り返って、それを見た。
ジャンプして、引き返した。しかし助けようにも電撃銃は使えない。上手く亜獣に命中させたとしても、そのショックで紀崎まで怪我をする。
ゆいりは腰の刀を抜く。斬妖丸の刀身がぎらりと光った。
電撃銃が使えないときのためにと今回も持ってきていた。刀身二尺は、扱えるサイズとしてゆいりが選んだものだ。
紀崎のもとへ駆けつけると、つき出ている異様に大きな頭をいきなり切り落とした。切断面から大量の体液が吹き出す。
「だいじょうぶ?」
声をかけたゆいりを瞠目して見つめる紀崎は、亜獣の体液をあびながら、巻きついていた死骸を投げ棄てた。
「たくましいナイトの登場だな。助かったぜ」
落としたライフルを拾おうとかがんだが、痛みに動けなくなる。
「くそ……これじゃ銃を持てないぜ」
「骨が折れているかもしれない」
思案している時間はなかった。他のヘビ型亜獣がゆいりに向かって飛んできたのだ。ヘビ型亜獣は退治した一匹だけではなかった。寸前で体をかわしたが、ホルスターに接触した。収めてあった電撃銃がこぼれ落ちた。乾いた音をたててコンクリートに跳ねた。
「しまった!」
あわてて拾うとしたが、ヘビ型亜獣がそれを口にくわえ込んでしまった。
「こいつめ」
とっさに斬妖丸を振り下ろす。一刀両断。体を分断されてもなおくねくねと動く亜獣からは、すぐに電撃銃を回収できない。腑を開いて探している余裕がない。
「早くこっちへ!」
れみるの声が耳に届いて、二人は振り向く。
れみるが指さす方向には、黒い渦が突然現れていた。地上三メートルほどの高さに、直径二メートルほどの、いつも見るものと比べてずい分小さい、しかし間違いなくそれとわかるゲートが。
「どうしてこれがこんなところに?」
紀崎とともにれみるのもとへ来たゆいりは叫んだ。こんな近くにあったとは気がつかなかった。突然出現したのか――。
「ここから脱出しましょう」
なんのためらいもなく、れみるが言った。
「でも、まだ時間がきていない」
オーパムが訓練として指定した時間は二十四時間だった。まだ半分も経過していない。ゆいりはそれを気にした。
「これ以上、無理よ。武器も十分じゃない。どうやって戦うの」
「……」
れみるの言うとおりだった。思わぬ苦戦でダメージを受け、任務の継続に支障がでているのはたしかだ。命まで失わないうちに脱出したほうが賢明だ。
「ちょうどいいじゃないか」
紀崎は賛成した。負傷して、武器も満足に使えない状態で戦闘を続けるのは無謀だった。意地を張るような仕事でもない。
「そうね……」
ゆいりもうなずいた。
今回は訓練なのだ。達成しなければならない目的があるわけでない。それに、通常のダイブであっても失敗することは少なくない。
「そうと決まったら」
紀崎は最初に渦へ飛び込んでいった。
ゆいりは背後を振り向き、迫ってくる亜獣を視認すると、渦へと飛び込む。
れみるが最後に通路を抜けた。
三人は、エリア・オーサカを脱出した。
ダイブしていた時間は、わずか五時間であった。