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ハロウズ  作者: にるたそ
2/6

ワルへの道

「おい!」


 息を切らしたエリーがようやく追い付いてきたのは、僕がオレンジ色の空にマーブル入りのカップケーキを見つけたころだった。


 先ほどはチーズに齧り付くユニコーンを見つけて、早くエリーが来ないものかと焦っていたが、ほんの短い間にチーズが好物の空想上の動物は、夕焼け空に泡みたいに消えてしまった。


「おい、よくも先に行ったな。ひでえよエイデン。普通さ、友達なら本当に置き去りにするか?」

 

 信じらんねえ、とエリーは足元にあった空き缶を蹴飛ばした。さすがに悪ふざけが過ぎたか、少し怒ってしまったらしい。申し訳なくなった僕は寝転がっていた廃材から体を起こして、肩をすくめてごめんと謝った。


 エリーは不機嫌そうに僕のほうをぎらりと睨みつけてから歩み寄ってきたかと思うと、いきなり首に腕を絡めてきた。


 それがプロレス技をかけるみたいにして、ぐぐっと締まる。ひやりとした肌の感触に驚いて逃れようと暴れたら、体勢を崩してしまい、そのまま二人で一緒に廃材の上にどさりと倒れこんだ。


「いてっ」

 

 と声を上げたエリーの横で僕はげほげほと咳き込む。


「僕のほうが痛いよこの暴力女! どうかしてるんじゃないの?」


「そこまで言うかよ。悪いのはお互い様だろ。これに懲りたらお前はもう自転車禁止だ」


「そっちがタバコをやめたらね」


「タバコか……なるほどな」


 エリーは小さく笑うと、指先をくいくいと動かして僕を近くに呼んだ。


 そばに行くと、軽く上体を起こしてずいと顔を近づけてきた。お互いの鼻と鼻の先がこつんとぶつかる。間近で彼女の顔を見ると、たちまち息ができなくなった。


 まるで人形みたいだったのだ。薄い唇。肌は真っ白で、クラスの女の子のようなそばかすがひとつもない。強気な光を放つ瞳はまるで水晶みたいに透明で、見ていると吸い込まれてしまいそうなほどに綺麗だった。

 

 水晶の上にある細い眉がくいと持ち上がったのはその時だった。気づいた時にはもう遅い。

 

 次の瞬間、ふうーっという息と共に、エリーのすぼめた唇の隙間から白い煙が僕の顔面を直撃した。


「うわ!」


 声を出したのが失敗だった。喉の奥にまでいがいがとした煙が入り込んできて、再びげほげほと大きく咳きが出た。目にも染みてじんわりと涙が滲んでくる。


 ああもう! エリーはたまにこうして、僕にタバコの煙を浴びせてくることがある。本当にいじわるなやつだ。人形みたいに綺麗だなんて思った自分を呪いたい。

 

 僕があえいでいる間、エリーはくっくっく、と笑っていた。


「いい案だよエイデン。考えとく」


 そんなことよりさ、と彼女は続けた。


「これを見てくれよ」


 ダメージジーンズのポケットから取り出されたのは、雑に折りたたまれた新聞記事だった。折りたたんだというより、鼻をかんだティッシュみたいに丸められたという方が近い。


「エリーが新聞? 麻薬が合法化でもされたの?」


「はは、おもしろい。いいから読んでみろって」


 押し付けられた紙切れに印字された文字に、しぶしぶ目を落とす。


 今日の号外。


 つまりついさっき僕が読み損ねた新聞を、エリーは手に入れていたのだ。


 小さな記事だった。最初は興味なんてなかったが、それを読んでいくうちに僕は興奮していった。写真もついていた。白黒でぼやけていてすごく見づらいけれど、間違いない。


 映っている場所を僕はよく知っている。


「ねえ、これって!」


「ああそうさ」


 エリーが得意げに鼻を鳴らす。


「私たちが毎日嫌になるほど目にしてる、この町が誇るべきシンボル。まあ他に自慢できるとこがないだけなんだけど、それでも何もないよりマシ。観光客も来るしな」


「そんなことは、今どうでもいいだろ! これ凄いことだよ。僕らの町にお宝が眠ってたなんて」


 体が熱い。新聞にはこう書いてあった。


『美しい菜の花で彩られたザウルガウに眠っていたのは、十三世紀に大陸を支配した男の秘密! 彼はなぜこの町に立ち寄ったのか。空白の歴史がついに紐解かれる日は近い! 出版社の方々、新しい教科書はお早めに!』


「そんなことエイデンに言われなくても知ってるって。ニュースには疎い私にだって分かる。これは世紀の発見だ。そして明日には世界中から、流行り好きな観光客がこのつまんねえ町に押し寄せてくる。その秘密とやらを見るためにな。そいつが配られた時から、町は大騒ぎだ。部屋を準備して、食材を仕入れて、看板を電飾で飾って」


「みんなお祭り気分なんだよ。仕方ないと思う、僕だって嬉しいもの」


 僕がそう言うと、エリーは目を丸くして声を荒げた。


「嬉しいだって? それマジかよエイデン」


「何がおかしいんだよ。ていうかエリー、なんか怒ってない? 置いて行ったことまだ根に持ってるの?」


 馬鹿言うな、と彼女は笑った。


「エイデンが喜ぶのは私も嬉しいよ。友達だもんな、そんなの当り前さ。けど、あいつらが舞い上がってるのが私はムカつくんだ。それとあんたが、あいつらと同じ反応をしたのが、ちょっとがっかりだっただけさ」


 すっと逸らされたエリーの視線を見て、胸が締め付けられるような気がした。


 同時に、どうしてそんなことでがっかりされなくちゃいけないんだ、と腹が立った。別に悪いことをしたわけでもないのに。そんなのどう思おうと僕の勝手じゃないか。


 君に失望される筋合いなんてないぞ!――心の中で僕は言い返した。

 

 あいつら、というのはザウルガウに住む人々のことだ。エリーはこの町が大嫌いだ。それだけじゃない、この町の住人のことも。


 いつだったか「息苦しいの?」と僕が聞いたら、「そんな優しいもんじゃない」と答えたことがある。一体どうしてそこまで嫌なのかは教えてくれないけれど、なんとなく理由は分かる。


 たぶん彼女のパパとママが原因だ。


「ねえエリー、来週なんだけど」


 でもこのままじゃ駄目だ。彼女にこの町を好きになってもらわなくちゃならない。今のままだときっといつか、この町を出て僕の知らない大きな街へ行ってしまう。


 エリーの性格にはそういう所の方が似合うから、きっとすぐに生活に馴染んでこの町でのことなんか――僕のことなんか忘れてしまうだろう。小学六年生の冴えない男の子のことなんか。


 僕なんかエリーにはふさわしくないのは分かっていても、忘れられてしまうのは嫌だった。深呼吸をしてから口を開いた。


「来週さ、もしよかったら一緒に大聖堂に行かない?」


 緊張で声が震えないようにするのが精一杯だった。


 ドラマの人気者みたいに気楽に誘いたかったのに、現実はひどいもので、まるで台本を初めて読んだ不細工な子役だ。しかもセリフを言い終わった後、汗をかいた鼻からメガネが滑り落ちるなんて誰が想像できただろう。慌ててしゃがんで地面に落ちたメガネを拾い上げる時に、涙がこぼれそうになった。

 

 格好悪い。最悪だ。もう友達でもいられなくなるかもしれない。なんでデートになんか誘ったんだ。どうせ断られるに決まっているのに――そう信じ切っていたから、エリーから最初に出た言葉を耳にしても大して悲しくはなかった。


「いや、駄目だ」


 ああ、やっぱり。今すぐにでも自転車に乗ってどこかへ消え去りたかった。エリーに二度と会わないように、ずっと遠くへ。そこでこの日の失敗を永遠に後悔して、みじめに生きていけばいいのだから。


 彼女が短くなったタバコを踏み消して腕時計を確認した時も、もう帰るからだと思った。僕のせいで気分が悪くなったからだと。


 でも違った。


「明日の夜だ」


 意味が分からなくて、一瞬黙ってしまう。エリーは不思議そうに首をかしげて肩を叩いてきた。


「おい聞いてるのか? 大聖堂には明日の夜中行く。理解したか?」


「明日のしかも夜って……あそこは五時で閉まるよ。それに展示会も来週からだって記事にあったじゃない」


 本当なら迷わず頷きたいところだが、そういうわけにもいかないというわけだ。説明を聞いてもまだ真剣な顔をするエリーを見て、僕は思わず噴き出した。


「そんなに空白の歴史が気になるの? 一日待てば見られるんだから、なにもそんなに焦らなくても。大陸を制覇した男の秘密は逃げないよ」


「逃げないねえ。果たしてそれはどうかな?」


「エリー、いいかい? 空白の歴史も、男の秘密も、足が生えた新種の生物じゃないんだ」


「へえそれは知らなかった。じゃあ一体なんなんだよ?」


 彼女はわざとらしく驚く仕草をした。それに合わせて、僕も探偵のようなポーズで少し考えてから口を開く。


「恐らく何かの遺品だろうね。それがどんなものかは分からないけど、王者の遺品っていうくらいだから――」


 ぶるりと体が震える。きっと値段のつけようのないほど価値のある物だ。そんな歴史的なものがこの町にあったなんて、なんて光栄なことだろう。


 素直に喜べないエリーが少し可哀そうに思えるけれど、どうやら彼女のワクワクした表情を見る限り、本心ではこの事態を楽しんでいるのだろう。町が盛り上がっているのが許せなくても、ビッグニュース自体はエリーにとっても嬉しいのだ。

 

 線路を列車が通過していく音が響いた。錆びた廃材が眠るだけのこの場所では、遠くの物音もよく聞こえてくる。


「なあエイデン、お前この町を出たいと思ったことあるか?」


 だからそれが小さな声でも、彼女の言葉は確かに聞き取れた。


「あるけど。でも今は思わないかな。良い所ではないけど、悪くはないからね。友達もいるし」


 友達、という部分を強調したのは、僕の気持ちを少しでも理解してほしかったからだ。僕にとって君は友達なんだ、だからどこへも行かないで。そんなセリフ、照れくさくて直接なんて言えるわけない。


 まあ、僕がどう思っていようと僕に選ぶ権利なんてないのだけれど。結局は最後に答えを決めるのはパパとママだ。


「友達か。それってもちろん私のことだよな?」


「うん……まあ」


 思わぬ質問にどぎまぎと答えると、エリーは驚いたように笑って肩を小突いてきた。


「え、本当にそうなのかよ! やめろって、照れるだろ?」


「なんだよ自分で聞いたくせに!」


 お互いの肩をぶつけ合ってひとしきり笑った後、エリーはまたタバコに火をつけた。


「いいか、これはチャンスなんだ」


「チャンスだって?」


 一瞬意味が分からなかったが、すぐに合点して続ける。


「つまりその、寂れた町ザウルガウが活気を取り戻すための?」


 けれど彼女は首を横に振った。


「そうじゃない。この町の住民を絶望させ、ついでに私らが遠くへ行くチャンス」


 またも言いたいことがいまいち伝わらないような、遠回しな言い方をエリーはした。


「つまりどういうこと?」


「いいか、人を効果的に苦しめて立ち上がる気力も奪うには、高いところから叩き落とすのが最善の方法なんだ。だからこそ、この最高に盛り上がった時期を狙う」


「なんだかすごく楽しそうな話だけど、それで僕らは晴れて地の果ての刑務所に入れるってわけ?」


「違う。この町を絶望の底に叩き落とし、私たち二人は莫大な金を手に入れて自由に暮らすんだ。大人なんかに縛られない場所でさ。なんたって王者の遺品なんだぜ、一生遊んで暮らせるさ」


 悪くない話だろ? と自慢げに両手を広げるエリーを前に、僕はしかめっ面で立ち尽くしていた。


「なんだかすごく嫌な予感がするんだけど」


「お、さすが親友。よく分かってるね」


 先ほどからエリーの鼻の先がひくひくと動いている。口の端も持ち上がり、白い歯が宝石みたいにきらきら覗いている。


「今の君の顔を見せてやりたいよ。悪党そのものなんだもの」


「ふうん、美人の悪党なんて男にモテモテだな。参った参った」


 この顔を僕は前にも何度か見たことがある。初めて見たのは、酔っ払いから財布をくすねる前。前回目にしたのは、確か鍵のかかったままの乗用車を駐車場で見つけた時か。あの日のドライブは最高だった。


「エリー、何をするつもり?」


 彼女はぺろりと唇を舐めた。


「盗むんだ。遺品とやらをさ」


 頭がくらりとした。


 絶対に止めなくてはならない。財布のときは酔っ払いがうるさかったこともあり、僕も少し乗り気だった。乗用車の時はさすがに止めたけれど、それでもエリーに協力して一緒に泥棒をした。


 でも今回はレベルが違う。見つかれば一生刑務所から出られないだろうし、もしかすると牢獄よりもずっとおぞましい場所に連れて行かれるかもしれない。


「お前も行くよな、エイデン」


 さも当然のように、そんなことをよく言えたものだ。自分のしようとしていることが分かっていないのではないか。チョコレートを万引きするのとはわけが違う。


「僕はパス」


「聞こえないなあ。決行は明日の夜だ。それまでに準備しておけよ」


「あのさエリー、常識的に考えなよ。どの国の観光ブックにも書かれてるだろ?《世界一大きな大聖堂》ってさ。中は迷路みたいに広くて、階段を上りきるのに三十分もかかるんだ。無理だよ。捕まるのがオチさ」


「大丈夫、見つからなければいいのさ」


 どうすればいいのか分からない。何を言えばエリーを説得できるんだ。まったくうんざりだよ――そんな表情をしながらも、僕の心の中は別のことを考えていた。


 エリー・グレイは最高のワルだ。なんてことを思いつくんだ。可愛くて格好よくて、それでいて勇敢だ。なんて魅力的なんだろう――でも今回だけは放っておくわけにはいかない。


 彼女はとんでもない大犯罪を犯そうとしている。もし成功なんてすれば、《世紀の大泥棒エリー・グレイと、悪党エイデン・バーグ》なんて教科書にも載ってしまうかもしれない!


「おいエイデン、なににやにやしてんだ?」


 気持ち悪い奴だな、とエリーに言われても僕は、にやつくのを我慢できなかった。今の僕は分かれ道の前で揺れ動いている。正しい道と、ワルへの道だ。

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