オルガと蒲江
オルガと蒲江視点です。
木々が多い茂っている山があった。
町を覆う様にして存在するその山の麓付近には、誰も住まなくなった小さな空き家がポツンと寂しく取り残されており、人目に付くことを畏れたオルガは好都合だと言わんばかりにその空き家に忍び込み、身を隠した。
あの爆発音に気付いた人間が警察に通報したのか、オルガが女性を担ぎ飛んでいる間に遠くの方でサイレンがけたたましい音を撒き散らしながら、橙と闇の空が狭間う町に響かせていた。
オルガは先程気絶させた相手の様子を窺う。
まさか気絶だけでなく、どこか怪我をさせてしまってはいないかと心配になったからだ。
幸運なことに相手に怪我は見られず、オルガは密かに安堵の息を吐く。
……人間を殺したとあっちゃ……同族達に追われるハメになっちまうからな……今も追われてる身だってのに……。
オルガが組する一族には、実に様々な掟が存在する。
罰則も多々あり、平穏な人生を歩みたいオルガは、本当に女性に怪我等が無くて良かったと心の底から思ったのだ。
しかし、それにしても。
……子供みてぇな顔だなぁ、この女……まだ学生か?
安らかな顔で気絶している女性に視線を向けようとしていたのだが、自然とオルガの目は首筋へと移る。
首筋しか視界に入れない己の目を不審に思い、首を傾げていたのだが、オルガはそこで、ようやく気付く。
……あぁ、なる程な……。
オルガは大変、喉が渇いていた。
全速力を出して、数日で海を渡ってここまで来たのだから、それは当然のことだろう。
オルガは女性の首筋へと唇を近付け、白く艶やかな若い肌に、鋭い歯を立てた。
顎に力を入れ、上の歯を受け入れる準備をする。
力を入れ過ぎて、貫通させることがないように、慎重に慎重に首筋の肉に歯を押し進めて行く。
肌に空いた穴から滲み出てくる、生暖かい血を存分に味わう。
久々に飲む美味な血液に、オルガは妙な興奮が沸き立つのを感じた。
「ん、めぇ………」
少し飲んだ後、まだ首筋から滲み出ようとしてくる少量の血液を、舌先で舐め取る。
「んっ………」
その刺激で女性の身体は反応を示し、無意識の内だろうが、身体を捩った。
「ふぅ………」
死なない程度の量の血液を飲み終えたオルガは、女性の意識が戻るのを待った。
先程の騒動を覚えられていると、厄介な事が起こるかもしれないと危惧したオルガが、女性に口止めをする為にだ。
早く目を覚ませと、靴先で床を叩き、コツコツと一定の音を鳴らせながら待つ。
靴先の奏でる音は、オルガが気の立っている時にする癖だ。
時を刻むかのように鳴り続ける音は、意識を失っていた彼女の脳を揺さぶり、意識を覚まさせた。
●
「起きたか………」
目を覚ました彼女は、声のする方に顔を向けた。
「っ……!?」
オルガの西洋の正装姿にある種の恐怖を感じたのか、少し乾いた声で、女性は小さな悲鳴を上げた。
頭の中で出すべき言葉を選んでいるのだろう。
数秒後に女性はオルガに恐る恐る訪ねた。
「あの………あなたは、…どちら様でしょうか………?」
恐怖が抜けずに怯えているのか、声が若干震えている。
その事に気付いたオルガは、面倒臭そうに顔を顰めると、物取りでも犯罪者でもねぇから落ち着けと女性に告げた。
「俺の名前はオルガだ。銀髪の変質者がアンタを襲おうとしてたから助けてやったんだが……アンタが気絶しちまったからなぁ……だからここまで運んでやったんだ」
感謝しろと言わんばかりの乱暴な言葉だったが、女性は信じ切った様子で怯えていた顔を明るいものへ変えた。
「そうだったんですか?ありがとうございます!……すみません。怯えたりしちゃって……」
彼女を騙している罪悪感を感じなくもなかったが、今は口止めをしなければという意識の方が勝っている。
そんな事にも一々気遣ってはいられないのだ。
どうやら気絶させた時の衝撃が、彼女の記憶を曖昧にしてくれているらしい。
話が運びやすくなったとオルガは内心で喜びの声を上げた。
●
「ところで、アンタの名前は?」
そうさり気なく聞いたのは、オルガは相手の名前を利用し、その相手に催眠術を掛ける事が出来るからだ。
魔術で意識を朦朧とさせ、名前で奥底の記憶を揺さ振り動かし、そうして己の自由に思考の行き先を決めることが出来る。
しかし、それは何の魔力も術も持たない、平凡な人間相手に限りの事だが。
女性はおどおどしながらも自分の名前をオルガに告げる。
「わ、私は青井蒲江と言います」
「あおい……こもえ、か………」
……よし、じゃ早速………。
オルガは蒲江に顔を近付け、蒲江の瞳を静かに見つめた。
瞳と瞳を真っ直ぐに合わせ、瞳の奥底のを覗き込むかの様に、オルガは蒲江に問いかける。
「さっきの事は覚えているか?」
「さっ……、さっき………?」
催眠術に掛かっているのか掛かっていないのか、オルガは判断しかねた。
オルガの催眠術に掛かる者は、瞳が闇のように黒く染まっていくのに対し、蒲江には全くその兆候が見られない。
……どうゆうことだ?
訝しげな顔を見せたオルガに蒲江はそういえばと、何かを思い出した様に、
「あ、そのっ…さっきは……何だっけ?なんか騒ぎがあったような……?ないような……?」
蒲江の記憶に先程の騒ぎが刻まれていない事が分かったが、どうやら催眠術には掛かっていないらしい。
……俺の催眠が失敗した………?
術を失敗した事が無いオルガにとって、それは正に不思議の一言に尽きた。
どうやって術を回避したのか知りたいと思ったオルガは、さらに蒲江に顔を近づける。
蒲江の方と言えば、口調は悪いにしろ。美形の男に顔を近づけられ、顔を真っ赤にして瞳をあちらこちらと向けながら喋っていた。
○
佐保の友人である蒲江は、クラス内や学校の恋の話には敏感で、色々と聞いたり話したりしていたが、蒲江自身は男が大の苦手であった。
あまり男子達とは話をしない、近づかない。側にも寄らないを徹底して行って来たのだ。
変に格好いい男性の事で騒ぐのは、それを気づかせない為である。
幼い頃に、好きだった男の子に顔の造作をからかわれてから、蒲江の最大の敵は男子……男になってしまった。
しかし、蒲江の顔はそれ程酷いものではない。
むしろ可愛い部類に入るのだが、縁が大きすぎる地味な黒眼鏡に、一つ結びの単純な髪型が、その顔に似合わず、可愛さを壊してしまっただけ。
佐保の男前風な性格が気に入り、常に一緒にいるようになったのは、実は男子達とも仲良くしたいという彼女の本心の現れに近い。
しかし、こればかりはどうしようもない。
実際に男子達と話せる事は話せるのだが、男子が横にいると嫌悪感が勝り、どうしても女子の隣に行ってしまう。
つまりは、身体が拒絶していた。
蒲江にはそれが苦痛であり、将来結婚など到底無理だろうと、諦めを強要する原因でもだった。
しかし、それでは今。この現状はどうだろう?
不思議なことに蒲江は、オルガに対してそれ程嫌悪感を感じてはいなかった。
それどころか、オルガが近づいてくるのに恥ずかしがり、顔が真っ赤になってしまう。
○
「あ、の……、顔が…近すぎるんですが……」
もう互いの唇が付いてしまっても可笑しくない程に顔が近くなり過ぎ、蒲江は耐えきれずに、そうオルガに訴えた。
その声が聞こえている筈なのだが、反応が無い。
代わりに息遣いが荒くなるオルガを見て、不審に思った蒲江は、オルガの顔を真っ直ぐに見つめた。
「!?」
オルガの瞳の色が黒から赤に染まり始めていた。
現実に有り得ないその光景が信じられず、蒲江はオルガの瞳を食い入る様に見入った。
「うっぐぅ………」
呻き声がオルガの口から漏れる。
そしてそのまま、オルガの頭が蒲江の首筋の方へ滑るように落ち。先程空けた傷穴に歯を立て、また血を啜り始めた。
「えっ!ちょっ!」
自分の首筋から血が抜き取られていくのが分かり、蒲江は恐怖で身が凍る思いを実感する。
「まさか……吸血鬼!?」
蒲江の口からようやく悲鳴が出たが、その瞬間。
その口を凄まじい力で塞がれる。
「………っ、…………」
血を全部飲まれてしまうと恐怖していたが、少し血を飲まれてから、オルガの口が首筋から離れて行き、顔を見合わせる形となった。
「ゼェ……ゼェ……」
虚ろな目をして荒い息を吐くオルガの目は、もう深紅ではなく、漆黒の色に戻っていた。
口を塞いでいた手も離れていく。
蒲江は一瞬、また何かされるのではないかと、思わず身構えた。
首筋からは、チョロチョロと血が流れ出ている。
その血が、服に染み付き、小さい模様を作った。
「おい……お前…こもえ……だったか………?」
「はいっ!」
突然名前を呼ばれ、ひしひしと感じていた恐怖が吹き飛び、代わりに凄まじい程の照れが、蒲江の全身を駆け巡る。
……男の人に名前を呼ばれるなんて……何年ぶりだろ?
低い声で自分の名前を呼ばれるくすぐったさが、何処か嫌ではないのは、きっと目の前の男があまりにも人間離れしていたからだろう。
……まぁ、この人きっと……吸血鬼……?だろうけど………。
睨み付けているのかと思う程の眼力でこちらを見つめてくるオルガは、脅しつけるように蒲江に言う。
「俺と会った事を…誰にも言うな………」
「きゅ……吸血鬼?……と、会った事を?」
「そこまで分かってんなら話は早ぇ。俺はしばらくこの小屋に隠れさせてもらうが……、良いか?俺がここに居る事がバレたら、俺はめんどくせーモンを任されなくちゃならねぇんだ。お前だって、自分が嫌がってるコトを無理矢理させられたら嫌だろ?それと一緒だ。少しの同情心があんなら誰にも言うなよ………」
偉そうに言われているのにも関わらず、蒲江は無意識の内に小さく頷いていた。
○
それから首筋の傷を見る度に、蒲江は洗面所やトイレで、顔を真っ赤にしてしまう羽目になった。
こっちはラブコメ雰囲気な二人にしたい。(願望)