オルガ
オルガ視点。
力を最大限に噴出し、風の檻から出ることが出来たオルガは、ジェスの匂いを辿り、佐保の住んでいる町に近い隣町に着いていた。
風の檻は意外にも手こずり、オルガが檻を壊した際に指の爪が全て剥がれ、指先から生々しい血肉が剥き出しとなっていたが、オルガは自然治癒力が他の吸血鬼より高い為、今現在で綺麗に全ての爪が生え揃っている。
エルジュの目を盗み、逃亡するのはオルガにとっては簡単だった。
何故なら。エルジュはジェスの行方を捜すのに手間取っている。
人間と吸血鬼の間に出来た彼女は、自然治癒力も薄ければ、ましてや嗅覚などは無いに等しいのだ。
三人の中で飛び抜けているのは、魔法術の種類の多さだけ。
そんなエルジュが、ジェスとオルガを同時に探す事など不可能。
……エルジュはジェスが長に相応しいと思っているからな……俺の方が逃亡に有利って訳だ。
同世代の周囲の吸血鬼達は、エルジュが長になっても良いと考えていたのだが、エルジュはヴァンピール。
皆とは決定的に違う存在がコンプレックスの彼女は、こんな自分では、一族の皆は纏められないと思い、ジェスやオルガに頼んだのだ。
だが、二人は拒否。
そして逃亡にまで至ってしまったのだ。
エルジュは何としてもジェスを連れ戻そうと躍起になっている。
一番の長の素質がある者が抜けてしまっては、どうにもならないからだ。
……つぅーことは、だ。俺がジェスを捕まえてエルジュに差し出せば。俺が長に
なる必要はなくなるってワケだろ?
自分自身で納得が可能を脳裏に画き、オルガはそんな結論に至った。
……そうと決まればよぉ………。
オルガは吸血鬼の嗅覚を使い、ジェスの匂いを探り追う。
ジェスの逃亡から結構な時間が経ってしまったが、あまり遠くへは逃げていない様子が匂いから嗅いで取れた。
……濃い……なぁ。やっぱりまだ日本にいたか………。
どうやらジェスは、エルジュという追っ手を振り切るのに手間が掛かっているのか、まだこの国を出ていないらしく、オルガは再度の逃亡を阻止すべく、全速力でジェスの残り香を追った。
●
しかし、自由に動けるのは夜だけだ。
明るい内に行動を取ってしまうと、この異様な格好はどうしても目立ってしまう。
昼間の間だけは、あまり力が出せない。
オルガは霧の状態になって移動を開始した。
隣町に着いた頃には、結構な時間が経ってしまい、自分でも気付かぬ内に労力もかなりの物になっていた。
……ったく……、何で俺がこんなことせにゃならねーんだ………?クソッ、それもこれもあれもどれもっ……あの馬鹿ジェスが長を納得してりゃ、こんなコトにはならなかったのによぉ………っ!……ぉっ、おっ、おっ、とととと?……と?
ふと、オルガの嗅覚に嗅ぎ慣れぬ“匂い”が、ジェスの匂いと共に混じり込んできたのに気付く。
人間の匂いでは、無い。
しかし、この嗅ぎ慣れた独特の匂いには、覚えがある。
……血………この匂いは………血だっ……。
つまりは………。
ジェスでもエルジュでもない。何処かの吸血鬼が、この町にいる事をオルガの嗅覚は嗅ぎ取ったのだ。
「っつってもなぁ……別に俺には関係ねぇしな………」
吸血鬼と一括りにしても、その地とその地で血筋は全く別物となっている。
オルガ達の一族で長を決めなければならないと騒ぐのは勝手だが、他の一族はまだ長の問題は起こっていないのだ。
だったら、他の吸血鬼を巻き込んでの騒動は引き起こしたくはない。
……ったく……何だって俺らの一族の掟はイチイチ厳しいんだか………。
他の吸血鬼の匂いに興味が無くなったオルガは、ここ数日の疲れを癒す為に、自分を休ませてくれる良い寝床を探すことにした。
通常ならば、外国には親族の吸血鬼が居り、そこに宿泊等をする筈なのだが、生憎ここ日本に住んでいる親族の家は無い。
つまりは空き家や宿泊施設を探さなければならないという事だ。
「めんっどぉ……」
一言呟く。
町の人通りが少ない道を歩いていたオルガは苛々したように溜息を吐き、
「誰かの血でも吸うか」
霧から人型に戻ったオルガは、柔軟体操の動きをしながらポキポキと身体中の骨を軽快に鳴らす。
人間の誰かに血を少しだけ分けて貰おうと、通り掛かりの人間がいないかどうか、視界を巡らせた。
その時だった。
目の前に銀髪の美青年が現れたのは。
●
「お……ッ………まえッ!」
オルガが嗅ぎ付けていた吸血鬼が、目の前の“それ”だった。
しかも、その吸血鬼は一人の少女を脇に抱えている。
その少女は気絶しているのか、ピクリとも動かない。
流石にそれは吸血鬼としていかんだろうと、オルガが銀髪の吸血鬼を指差し、
「おいおい。お前、それって吸血鬼にあるまじき行為じゃねぇか?」
軽い口調でその指先を上下に振った。
すると、銀髪の美青年から無言の凄まじい殺気が漂い始め、オルガは咄嗟に警戒態勢を取る。
相手の力量と己の力量の差を察する事など、オルガにとっては簡単な事。
そこから見えてきたモノに、オルガはピリピリとした緊張を感じずにはいられなかった。
……この銀髪野郎は………俺より……強い。
それでも少女を捕まえ、血を吸おうとしているのだろうこの吸血鬼には、嫌悪感が湧き上がる。
強い者が弱い者を好きに出来るのは当然の事だ。
だが、だからと言って、自分達の存在を世に知らしめ、さらには吸血鬼は残虐行為をして当たり前という曲解を世間に与えてしまいかねない、この銀髪の吸血鬼の軽率な行為に憤怒の感情が湧き上がる。
……決めた。コイツ………殺るっ!!
警戒態勢から戦闘態勢に変わったのを見て取った銀髪の吸血鬼は、オルガを鼻で笑い、
「煩い虫だ。己の力さえも理解しえないのか?」
「ケッ!うっせーよ。テメーから俺の嫌いな奴の雰囲気が漏れだしてんだよっ!そのスカしたよぉな態度が……あいつに似てて似てて気持ち悪ィ……ッ!!」
オルガの腕を中心に、小規模な魔法陣が光り、出現した。
その光を見た銀髪は、目を細くしながら口元に手を当て、
「どうやら、そいつは結構な力の持ち主らしいな。きっと気品溢れる吸血鬼なのだろう」
「どこまで自信過剰なんだッ!?」
●
……こんな頭が沸いていそうな奴にぜってぇ負けたくねぇッ!!
オルガが魔法陣を纏わせた腕の手のひらを、己の足元の地面に叩き付けた。
すると、相手の地面から急速に成長をした植物の蔦がコンクリートをぶち抜き、銀髪の身体を貫こうと、鋭い先を腹部に突進させる。
「死ねッ……つぅか死ね!!」
オルガはそれが成功はせずとも、少しばかりは傷を与えられると確信していた。
だが、目の前の銀髪はそれを裏切り、見事に蔦の刃物の様な先を切り裂き、オルガからの攻撃を阻止したのだ。
「これはほんのばかりの“お礼”だ……」
切り裂いた蔦の切り口に指を当て、銀髪はそこに少量の魔力を注ぎ込み、
「なっ………!」
風船から空気の抜ける様な音を蔦に出させながら、枯れさせた。
「“お礼”をしたのだから……今度は俺からの贈り物をしよう」
銀髪の吸血鬼の手の平に魔法陣が浮かび上がった。
青白く輝く光の輪を纏った手を、近くにあった家の塀に勢い良く叩き付け、
「ブフッ……!?」
壁を爆発させ、大量の煙を辺り一面に巻き上げた。
「ガハッ…ゲフォ…ッ…!!」
ゲホゲホと咳き込み、何とか視界が機能してきた時には、銀髪の吸血鬼と少女の姿はなくなっていた。
「ち、っくしょ……!」
悪態を吐つき、拳を地面に叩きつけ、悔しそうに顔を歪めた。
……アイツ……クソッ、クソッ……。
己の力の無さに呆れ、情けなさが込み上げてきた所に、今度は悲鳴が舞い込んで来る。
「きゃああ!!大丈夫ですか!?」
オルガの休息は遠そうだ。
悲鳴の出所を見ると、相手はまだ子供と言えるであろう女性。
盛大に溜息が吐きたくなったが、オルガはそれよりも先に焦っていた。
……こんな所を人間に見られたら、エルジュに見つかっちまう!!
そう思ったオルガの行動は速かった。
悲鳴を出した女性の鳩尾を殴り、気絶させ、肩に担いだと思ったら、その場から逃げ去ってしまったのだ。
オルガはもう、先程の銀髪の吸血鬼を責められる立場では無くなってしまった。