四話
四話
「血?」
暗い山道を歩いていると、血の匂いがしてきた。それも少しではない。
はっきりと分かるほどの匂いだ。一体この先で何が起こっているのだ
ろうか。恭介は慎重に少しずつ前へと進んでいく。やがて誰かが倒れ
ているのが見えた。
「正平・・」
「・・恭介・・か」
右腕の部分から血を流して倒れている正平がそこにいた。正平の少し
後ろには一本の刀が落ちていた。その刀の刀身も血で真っ赤に染まって
いた。まだ意識はあるようだ。今からでも誰かを呼んでくれば助かる
かもしれない。だが正平はそれを拒否した。
「もう長くは・・もたん」
「何があったんだ?」
「・・恭介・・もうこれ以上犠牲者は出ないはずだ・・。もう何も心配
することは・・ない」
途切れ途切れで正平は語る。今夜ここであったことを。それは恭介の
想像を絶するものだった。正平は今夜ここで自らの命を懸け、戦いを
挑んだ。古くから集落の秘密と掟を守るために全力を尽くした者達に。
「・・秀二の死からだ・・。俺が・・彼らを殺そうと計画したのは・・」
最初の二、三人は楽だったと正平は言った。彼らは長の仲間だからだ。
長の孫である正平のことを疑う者は誰もいなかった。だが仲間が討たれ
たことで彼らも反撃に移った。結局全員を討つことは出来たものの正平
も傷ついた。
「だが・・間違いだった・・全ては・・彼らが正しかった・・」
「正平?」
「・・恭介・・に・・げろ・・も・・う・・おし・・ま・・い・・だ」
恭介は正平の名を何度か口にした。だが正平が返事をすることはな
かった。一体正平は何が言いたかったのだろうか。逃げろ、もうお終い
だ。正平が途切れ途切れに口にした言葉からはとても切羽詰っている
状況が窺える。正平が秀二を殺した連中を倒しそれで終わったのでは
ないのか。気になるのは正平が彼らが正しかったと言ったことだ。
『・・恭介、もう時間は少ないわ・・』
「時間?」
『また悲劇は繰り返されるのよ・・』
声は一方的に語り続けた。悲劇は繰り返される。またたくさんの犠牲
者が出る。そしてしばらく経てばそれは終わりを告げ、一部を除き皆
がその恐怖を忘れる。そんなことを繰り返していた。何が始まるとい
うのだろうか。恭介は正平の遺体と共に山を降りていく。そして長の
家へと向かった。長は起きていた。もう真夜中だというのに。まるで
今夜何が起こるかをはじめから知っていたかのようだ。
「・・恭介よ・・私を許してくれとは言わん・・だが今から語ることは
全て事実だ・・どうか聞いてくれ」
長は語り出した。この集落と掟の秘密を。この集落が出来たのはそん
なに昔ではないらしい。今から半世紀ほど前のことのようだ。ここに
集落が出来たのには一つの理由があった。
「生贄のためだよ・・古くから災いをもたらす化け物の・・な」
「生贄?」
「その化け物は生贄を出せば他の者には手を出さないと言ったそうだ」
そして国は仕方なく、数十世帯をこの地に移り住ませた。事実は全
て伏せて。そして悲劇は起きた。人々は何も知らず日々を過ごして
いた。だがある日突然集落の中で次々と人が消えていった。何の前
触れもなく。集落は混乱し、人々はここから出て行くしかないと決
断した。そしてこの集落から人々が姿を消すと、化け物は暴れ出し
た。
「化け物は・・人を喰うことで生きているらしい・・。それも大人だけ
だ。二十歳未満には被害は昔から出ていない・・」
やがて集落の一部の人は自分達さえ我慢すれば大勢の人間が助かる
と考え出した。そこで生まれたのがあの掟だ。生贄がこの集落にい
る限り化け物が暴れ出すことはない。結局は一部の人間が犠牲にな
るしかない。だがもちろん反対者は出た。そこで当時の長は集落か
ら出て行こうとする者を全て死に至らしめた。それで人々に恐怖を
与え、ここから出る事のないようにしたのだ。そして化け物は十年
ごとに人々の大半を喰らっていった。
「まさか・・今年が・・」
「そう。・・今年は前に生贄が喰われてから丁度十年だ」
悲劇は繰り返される。長もそう言った。もう誰も止めることは出来
ないと。一度始まってしまえば後は時が経つのを待つしかない。
山の中に眠る化け物が満足するまで。恭介は長の家を後にした。
このまま何も出来ずにただ悲劇が終わるのを待つしかないのか。
『・・一つだけ方法はあるわ』
「・・教えてくれ・・一体なにをすれば止めれる?」
『・・南側の山の中に小屋があるはず。・・そこにまずは行きな
さい』
恭介は声の指示通りに動いた。幸い、小屋はすぐに見つかった。
正平が倒れていた地点から少し登った所に小屋はあった。その
小屋の中に恭介は入る。その小屋の中には鎖で完全に封じられ
ている棺桶があった。そこに何が入っているのかは容易に想像
出来る。この集落を長い間苦しめてきた化け物だろう。
『・・封印を解きなさい・・。それでこの集落は救われる』
「・・集落の外はどうなる?」
『もうそんなもの・・ないのよ』
恭介は耳を疑う。集落の外が無い。それはどういうことなのだ
ろうか。恭介の目の前に突然鏡のようなものが現れた。そこに
写し出された光景は荒れ果てた大地だった。とても人が住める
ような環境とは思えない。他の生物が生きているかどうかも疑
問だ。
『これが・・この山の向こうの世界・・』
「・・ばかな・・化け物は生贄だけで満足してたはずじゃ・・」
『あの長は全てを知らないわ。・・以前集落の人間がここを出た
時に化け物はこの集落以外の人間を全て抹消したのよ』
化け物とこの集落の人々との間に交された約束。それはこの
集落に生きる全ての人間が化け物の生贄となること。その約
束は一度破られた。化け物はその際にその代償として他の地
域の人間を一人残らず滅ぼしたという。恭介は戸惑っていた。
鏡の向こうに広がる世界は悲惨なものであった。確かに外が
あのような状況であれば、解放しても構わないだろう。だが
何かおかしいのだ。何かが引っかかる。何かが腑に落ちない。
何かが矛盾している。あまりにも不自然すぎる。
『何を躊躇うの?躊躇う必要なんて・・』
「・・おかしいんだ・・」
『おかしい?』
「化け物がここに封印されているのなら・・長が言っていたような
ことは起こるはずが無い・・」
恭介は声に聞いた。何者だと。この声の正体は犠牲者でもなけ
ればこの集落の人間でもない。最初かに恭介を利用していただ
けであり、この集落を助けるつもりなどなかった。恭介は小屋
の床に散らばっていた一本の棒を手にする。それで鏡を打ち破
る。
「これも全て幻のはずだ。・・お前は一体・・」
『もう隠しても無駄ってことね・・』
恭介は身構えた。小屋が白い光に包まれ、そして恭介の前に白
い塊が現れる。それが声の正体であろうか。恭介はその塊を睨
んでいた。今なら分かる。これこそが全ての元凶だと・・