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歪んだ教育

 


 ◇


「めぐみ。最近はよく笑うようになった。何かいい事があったのか」

 温かな白米と、形の崩れた目玉焼き、ワカメと豆腐の味噌汁という質素な朝食を取りながら、椎名優貴は娘に問い掛けた。白米と味噌汁の湯気で、黒縁の眼鏡は少し曇っている。


「そうかな」

 彼女は箸で目玉焼きの黄身を突きながら、笑顔で返答した。

最近、彼女は本当によく笑うようになった。以前とは違う、自然な笑顔を見せる。

父親としては嬉しい反面、少し気がかりだ。

 僕は彼女の自由を奪った。

 学校へ行く事も、友達を作る事も全て、断固として許すことはできなかった。

 勿論それは、彼女を苦しめることになるだろう。いや、もう十分に苦しめている。

 学校に行くのは、教育のために必要不可欠だ。

 だか、学校に行かせても、自らを向上させようという意志が無ければ、それ相応の結果を生むことはない。

 無駄なことに時間を割くよりも、最低限に言葉を覚えられれば、生活はできるのだ。

 その証拠に、今こうやって、僕と彼女は話し、生活をすることができている。

 しかし、僕が心配しているのは、そんな浅はかなことではない。

 学校に行くまでに、彼女に何かがあったら、大変ではないか。

 事故、誘拐。何でも考えられる。

 たったひとりの家族であり、たったひとりの大切なもの、それが彼女だ。

 危険な目に遭わせることなど、決して冒してはならない罪だ。

 なによりも危険なのは、友達などというものを作ることだ。

 同性同士、特に女の友情というものは、浅く脆く、実に愚かな関係でできている。

 嫉妬という醜い感情に駆られ、長年付き合って来た仲間も瞬時に敵と化す。協定を組み、群れたがる。何と汚い人間達なのだろう。

 異性との友情などとんでもない。

 基本的に、彼女のように17という年にもなれば、異性の目を意識するものだ。

 特に男は、女に友情という意識を持たず、すぐ恋愛に発展させたがる。

 女も恋愛に憧れたことは、一度や二度ではないだろう。

 口を開けば、恋愛の話しかしていない。彼女はこうはなって欲しくはなかった。見ず知らずの男に、汚されたくはない。だからこうやって、監禁などという歪んだ教育をすることに決めたのだ。

彼女は死んだ妻の若い頃によく似ている。

僕がこんなに彼女を心配するのは、親心だけではないのではないかと最近感じるようになった。

 

「お父さん?」

 めぐみは首を傾げながら、僕を見ていた。

「ああ、すまん。ぼうっとしていたよ」

 髪をかき分け、平然を装って言った。

「お父さん。少し、話したいことがあるの。怒らないで聞いて」

 彼女は僕の目を真っ直ぐ見ている。

 ───その先に放たれる言葉が、手にとるように想像できてしまうから恐ろしい。

「私、外に出てみたいわ。」

 予想通りの言葉に絶句する。

「お父さん。」

「───煩い。何度言ったら分かるんだ。外は危険なんだ。そんなに自ら怪我をしたいのか」

 一度口を開くと言葉が止まらなかった。

「お父さんの気持ちを考えてくれ・・・」

 どうやら僕は、相当情けない声を出していたようだ。

 このまま彼女は僕の情けなさに呆れ、心配をしてくれるだろう。死んだ妻がそうだったように。



 ◇


「僕の気持ちを考えてくれ・・・」

 父親は、いつも見せない弱々しい目をしている。

 ───いかにも、同情してほしいという目。

 ここで流されては、彼の思う壺だ。気をゆるめてはいけない。伝えたいことは、まだ残っている。

「じゃあ、私の気持ちはどうなるの?」

 彼の目から視線を逸らし、私はできるだけ小さな声で、冷たく言い放った。

「お父さんが、私を心配してくれていることは、痛いほど感じる。でも、私はもう、お父さんが思うほどに子供ではないわ」

段々と目頭が熱くなってくることが分かる。何故、涙が溢れそうなのだろう。

「私にだって、お父さんのように、お父さんからもらったあの魚たちみたいに、自由に動き回りたいわ」

 涙は堪えられなかった。きっとこの涙は、私が今まで封じてきた感情を具現化したものなのだろう。

 理不尽な監禁への怒りや、自由のない苦しみを、我慢という形で封じ込めていたのだ。

 私は、その涙を止めることなく、枯れるまで泣いた。




 ◇


 娘の涙は、久しぶりに見た。遠い昔、暗闇が怖いと言い、よく僕の部屋で2人で寝たものだ。

 次々に懐かしい記憶が蘇ってくる。

 階段で転んで大泣きする彼女をなだめるために、小さな飴玉の入った缶を買ったこともあった。

 外に出られない彼女のために、絵本を贈ったこともある。そして、あの水槽をプレゼントした。

 その記憶達は、僕の想いを後押しした。僕は、自らの使命を果たさなければならない。

「───自分が渡したもので、自らの首を締めるなど、笑えたものではないな」

 彼女に聞こえないように呟いた。

「めぐみ、どうして泣いている。さあ、部屋に戻りなさい」

 手を差し伸べながら、柔らかな声を作った。

「嫌だ。私はもうあの部屋にはいたくない」

 泣き叫ぶ彼女のその言葉を全て聞く前に、僕は彼女の頬を叩いていた。

「我儘を言うな。お前はここから出られたとしても、普通の生活を送ることなどできない。少しの望みも、外の世界に持たないほうが自分の為だ」

 叩かれたことがショックだったのだろう。彼女は遠い目をして座っている。

 僕は彼女を無理矢理立たせ、部屋に投げ入れて鍵をかけるのだった。



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