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世間知らずの姫

 

───むかしむかしあるところに、裕福な国のお姫様がいました。

 お姫様はずっとお部屋で遊んでいて、欲しいものを望めば次の日には、リボンのかけてあるプレゼント箱が積まれています。


 お姫様は、それはそれは大事に育てられ、外の世界をまだ見たことがありませんでした。

 足りないものなどなにひとつない魔法の城にお姫様は満足していました。


 しかしある日、満ち足りた生活に飽き飽きしたお姫様は、門番の目を掻い潜って、初めて外の世界に出たのでした。

 王様や王女様に見つからないように遠くへいこうと決め、走っていると、ちょうど白い馬に乗った男の人に声を掛けられました。


「君はどうしてそんなに急いで走っているのかい?」

「お家から逃げてきたの。もうあのお家の生活にうんざりしたの」

「それなら僕の家にきなよ」

「いいの?」

「もちろんだよ。この馬に乗って」


 ふたりは馬に乗り、草原を走りました。

 色とりどりの綺麗な花や小鳥にお姫様は思わず見とれていました。


「私、今まで外に出たことがなかったの。外の世界はこんなに綺麗なもので溢れているのね。

 外の世界なんて、部屋の窓から見える塀がきくらいだわ」

「それは悲しいね。こんな綺麗な風景を見たことがないなんて、もったいないよ」


 男の子は、お姫様をかわいそうに思いました。

 お姫様は、男の子を羨ましく思いました。


「僕が君に美しい景色をプレゼントしてあげる」

「嬉しいわ。プレゼントなんて、望んだものしかもらったことがなかったから」


 馬から降り、ふたりで丘の上に座りました。そこから見た夕日は、今まで貰ったプレゼントよりも綺麗で、お姫様は涙を流しました。


 その後ふたりは両親の反対を押し切り結婚し、貧乏ながらも幸せに暮らしたのでした。───



 ◇


 

「こんな夢のような話が起こるのなら、どんなに幸せなのだろう。」


 椎名めぐみはもう何百回も開いた絵本を閉じ、窓から外を覗きながら呟いた。

 外の木陰で雀が鳴いている。窓は縦に長く、天井から床まで伸びており、西に位置している。

 従って朝は、太陽は見ることができず、明るい光が窓に差し込むことでしか朝を感じることはできないのだ。

 今日は久しぶりの雲一つない快晴。


 私はあの絵本の姫ように、まだ外の世界をみた事がなかった。

 父親である椎名優貴は彼女を産まれてから一度も外に出したことがない。

 正直父親が憎いが、育ての親であるという事は事実で、感謝の念の方が強かった。


 私の部屋には、小さなガラス張りの水槽が置いてある。友達代わりとして、優貴がこの水槽を与えてくれた。

 鮮やかな色をした魚たちが、七色のビー玉が沈んだ四角の中で、自由に泳いでいる。


 ───この魚たちみたいに好きな事をして生きたい。


 水槽を覗く度にその感情が高まる。しかし自由を望んでも、無謀なことだと分かっている。試しにドアノブを回したが、外側から鍵が掛かっている。予想通りの展開に苦笑するほかなかった。

 水槽と縦長の大きな窓があるだけの小さい箱で朝と夜を繰り返すだけの毎日。

 まるで私は、ただ座っていることしかできない人形みたいな存在だ。

 また太陽が死に、月が生まれた。

 雲で月が隠れ始めるとこの部屋は

 暗闇になる。

 暗闇は小さい頃から苦手だ。自分の存在すら不安定で見えなくなる。

 出来るだけ早く夜から逃げる為には、瞼を必死に閉じるしかなかった。



 ◇


 小鳥のさえずりがこだまし、

 東から昇る日のぬくもりが部屋を包み込む。

 朝日の暖かな熱は小さい頃から好きだ。全てを抱擁してくれるような暖かみを噛みしめた。


 優貴は朝食を作っているのだろうか、甘い香りがほのかに漂ってくる。

 まだ目覚めきっていない身体を無理やり起こし、ベッドから降りる。

 白地に桃色の小花柄の布団カバーで、純白のレースのシーツで天蓋のついたベッドだ。

 ベッドの隣に置かれた小さな衣装タンスを開け、散々迷った挙句、お気に入りの白い丸襟の七分袖のブラウスと、赤いワンピースを手に取る。


 ブラウスの袖に右手を通しながら、優貴との生活を回想していた。

 私と彼が2人で暮らし始めたのは5歳の時からだった。12年前に母親が病気でこの世を去ってからだった。

 母親は重い病気で、殆ど会うことはできず、母親の記憶がない。

 親不孝者だと自覚をしているが、愛されてるという実感はなかった。


 母親が死んでから、父親は家事と仕事を両立している。

 朝早くに出かけ、夜が明ける頃に帰ってくる。

 私はひとりで過ごす時間のほうが多く本音は寂しいが、心配や迷惑は決して掛けてはいけないと思い、一度も言葉や態度に表したことはなかった。



 ◇


 この部屋は、白いペンキで乱雑に塗られたコンクリート製の壁に、窓がくり抜かれているだけの簡単な作りをしている。

 家具と呼べるものは数えるほどの数しかない。

 ベッドや、晴れ着や外着が収納されることはない、寝巻きと部屋着、下着しか入っていない白い猫足タンス、白いカバーがかかったソファ、そして小さな水槽だけだ。

 あまり身動きを取らない為、生活に困らない。約5畳といったところだ。

 トイレや食事、風呂の時間だけは部屋から出ることができた。

 しかしいつもが見張りがある為に、勝手なことはできなかった。


 父親が廊下を歩く足音で我に帰る。数回の軽いノックと名前を呼ぶ声に返事をし、約12時間ぶりに鍵が開けられた。

 彼がリビングのドアを開けて、テーブルにつかせる。運ばれてきた皿には、メープルシロップが溢れんばかりにかかった二段重ねのホットケーキに、生クリームが添えらている。

 笑顔でホットケーキを頬張る娘の姿を見て彼は更に笑顔になった。

 私は、朝食をあっという間に平らげた。二人で顔を洗い、歯を磨き、風呂に入る。

 夜は彼の帰りが遅いため、風呂はいつも朝に入っている。この年になってまだ父親と風呂に入っているのは少し恥ずかしい気もするが、背中をたくさんの泡で丁寧に流して貰うのが好きだ。

 風呂から上がり、スーツに着替える彼を見ながら髪を乾かした。髪が乾き終わる頃には彼の身支度も整い、私を部屋に連れていく。

 彼は、別れを惜しむように私の頬に触れ、ドアに鍵を掛けた。


 またひとりの時間がはじまった。いつものように水槽に顔をはりつけ覗いた。

 幾多のビー玉が光を受け反射し、虹色に輝く。魚がそれを浴びて、動く宝石のように見える。

 手持ち無沙汰な朝や昼は、時間を忘れてこの七色の宝箱を覗き続けた。



 ◇


 水槽から顔を離したのは、真っ赤に燃える夕焼け空が紫の雲に呑まれてゆく直前だった。

 美しい真紅の炎を見逃したことを少し後悔しながら、太陽を見送った。紫の雲が真っ暗な闇に溶け出し、一寸の光も途切れた。

 片手に乗るくらいの燭台に蝋を立て、マッチで火をつけた。ゆらゆら揺れる火と、後ろにできる影をぼんやり見つめる。

 不意にお腹が鳴り、久しぶりに空腹を感じた。可愛らしい、つがいの小鳥が描かれてある缶を取り出し、蓋を回して中身を無造作に掌へ乗せた。

 いろんな色の飴玉から、先刻見逃した夕陽に似た、橙色をしたものを選び、口に投げ入れ、残りは缶に戻しタンスにしまった。

 今日は少し夜が好きになれそうだ。ひとりで過ごす夜は毎度のように辛いが、夜空に輝く星々で、寂しさは少し紛れた。

 眠りに落ちる秒読みのところに、優貴の帰りを知らせる音が鳴る。玄関を開き、閉める音。音を立てないように気遣いながら私の部屋に向かう足音。静かに鍵穴に鍵を差し、ゆっくり回しドアノブに手を掛けた。

「おやすみ」

 この声を意識の端で聞き、私は眠りに落ちた。



 ◇


 目を焼き焦がすかのような強烈な光線で目を覚ました。身体中に汗が吹き出している。

 この前までの暖かな気温が嘘のように、じりじりと部屋は加熱している。

 全身に不快にまとわり付く汗をレースのハンカチで拭き、窓の外を見た。

 ここ最近は、雨音が恋しくなるくらいに、良く晴れている。



 ───足音が近づいてくる。父が呼びにきたのだ。


 いつも通り時間は進み、ひとりになる。今日は久しぶりに水槽を覗かない事にした。

 昨日の夕焼けの事もあり、時間の巡りで変化する空の表情を楽しんでみたくなったからだ。


 窓を塗り潰す水色。 柔らかくたなびく白い綿菓子。

 窓から空は果てしなく遠い。

 空までの距離を誤魔化すように目を閉じる。

 初夏の生ぬるい風が雲を運び、日を存分に浴びた若い木々が擦れ合い、木の葉が旅立ちの旋律を奏でる。

 目を瞑りながら見る景色は、今まで感じることのできなかった、清々しい開放感に似ていた。

 片目からゆっくり瞳を開き、白い部屋を見渡す。

 夢からは早めに覚めなければいけない。現実に目を向けることに、恐怖しか残らないからだ。

 目を閉じていたせいか、視界がぼやけて、光彩にフィルターがかかっているようで、色が無い。

 一度立ち上がり、再びソファに腰を下ろす。

 首を軽く回して伸びをする。

 どの角度から見ても景色は静止している。

 今の生活が現実である限り、叶いもしない幻想を愛で、無慈悲なほどに変化のない生活を永遠と繰り返さなければならないのだろう。


 顔を起こすと、太陽が目の前で見ていた。

 現実を悲観する私を笑っているように思えた。

 今まで物思いに耽り、忘れて感じなかった気温を思い出し、妙に気分が落ち着かなかった。


 ここは西日が直射する位置にある部屋だ。夏は毎年この西日に悩まされる。

 太陽が真正面という位置からすると、もうすぐ3時といったところか。

 窓に日が当たる。コンクリートでできた壁は熱を逃がすことはできず閉じこもる。

 触れることすら躊躇うくらいの猛暑だ。


 窓といっても、明かり取りを目的としてあるだけの、嵌め殺し窓だ。

 ガラスをじわじわと炙り、異常なほどの蒸し暑さを放ち続けている。


 ───太陽も飽きないのだろうか。


 沸騰した窓から目を離し、腕で汗を拭う。

 白いタンスからハンカチを取り出し、乱雑に全身を拭いた。

 べたべたとした感覚が取れず、やけに気分が悪い。

 不快な感覚から意識を逸らすために、仮眠をとることにした。


 目が覚めたのは、太陽が山の稜線に沿って傾き始めているところだった。

 急いでベッドから飛び起き、背伸びをして空を見つめる。

 傾く太陽に白い霧がかかり、橙はぼやけている。

 日没を見るのには耐久力が必要だった。ただ空を見つめ続けていても、太陽はびくとも動かないのだ。

 しかし、少し目を離すと、太陽の面影すら消えてしまう。

 (今日こそは)

 息を吐き、瞬きをしながら橙を眺める。

 傾いたまま静止して見える太陽も、注意深く観察をすると、少しずつだが動きを見せ始めているようだ。

 太陽は白い霧のベールを纏い、ついに凛々しく聳える山に身を預けた。

 日が暮れてしばらくしたものの、全くといって眠気を感じなかった。

 できれば暗闇とはあまり目を合わせたくないものだ。しかしいつまでも起きているわけにはいかない。暗順応が働き、暗闇に慣れた目を、精一杯の力で無理矢理閉じた。




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