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炎の鎮魂歌

 

 ◇


 血みどろの父を放り出し、二階にある彼の書斎へと足を進める。扉を開けた正面奥には、大きなデスクがあり、デスクトップのパソコンが乗っている。

 机の上は綺麗に片付いていて、会社の書類が几帳面にまとめてある。その机の左端には、灰皿とライターが置いてあるようだ。

 彼が煙草を吸っていたことは、今初めて知った。高級そうなライターだ。ジッポーと言うのだろうか。私は、それを処分してしまうのは気が引けて、先刻までナイフの入っていた右のポケットに突っ込んだ。

 右側にある黒い革製のソファには、毛布が四つ折りに畳んである。ベッドを持たない彼はそこで寝ているのだろう。寝心地の悪そうな硬さだ。

 初めて入ったそこは、綺麗好きな彼を思い出させるような部屋だった。そこまで期待していたわけでもないが、何か役に立つ物はないかと探していた。余りにも殺風景で、少し残念だった。

 振り返り、入り口の扉の方の壁を見る。壁に何かが大量に、そして乱雑に貼り付けてあるようだ。彼がここまで物を乱しているのは珍しい。それが無性に気になって近づく。

「───え?」

 壁一面に、私の赤子の時から今年まで、いや、昨日の写真まで、所狭しと貼り付けられていた。

 私のありとあらゆる表情をした写真が、目の前にある。これは何かの間違いではないのかと疑ったが、私に病的なほど執着していたのだ。

 よく考えれば、彼がしそうなことだった。だからと言って、不快には代わりがなかったため、その写真たちを壁から引きちぎる。刺されていた画鋲がカランと音を立てて床に落ちた。


 何気なく目に入ったパソコンを立ち上げてみる。ロックはかかっておらず、そのまますべてのデータを見ることができそうだ。マウスを持つ手が汗ばんでいる。

写真ですら十分恐ろしいものであるのに、これ以上酷いものが出てきたらと思うと、気が気ではない。やたらとバイト数が大きいファイルをクリックする。読み込みには僅かに時間がかかった。余程大きなデータが保存されているのだろう。

 データの読み込みが完了し、液晶一般に何かが表示された。

 一つ一つに日付の書かれた、動画のようだ。約二ヶ月前から毎日更新されており、今日の日付もついていた。

 どうも中身が気になってしまい、今日の日付のついた動画を読み込む。少し時間があき、いきなり画面に映ったそれは、私の生活している白い部屋だった。私は一目で、何が起きているのかを悟った。

 監視カメラ。

 始めて見るそれは、私に大きな衝撃を与えた。あの部屋に、こんなものが仕組まれていたことなど、全く考えてはいなかった。彼に私生活を余すことなく覗かれていたと思うと、身震いした。

 写真など生ぬるいものだった。彼には、生活の全てを監視されていたのだ。

 私が気味の悪い虫に怯えていたことも、きっと彼は知っていた。知っていながら、わざとらしく振舞っていたのだ。

 画面に映るそれは、液晶を四分割されているように、四方を映し出している。

 勿論今はどの画面にも、壁や床の白さしか映ってはいないが、その画面から一向に目を離すことができないでいた。

 他の日付の動画を開けば、私の上下左右の方向から、カメラが撮影をしていた。このときの映像は、私がうさぎの人形に話しかけていたときのものだ。

 こんなところまで見られていたのかと思うと恥晒しだった。

 静かにデータの削除を行い、パソコンの電源を切る。あり得ないだろうが、これが誰かに見つかるのを防ぐためだ。こんな恥ずかしい姿を、他人に見られるほど屈辱的なことはないと思った。

 前にいた部屋には、監視カメラは取り付けられていなかったようで、成宮との出会いを知られていなかったことに、少なからず安心した。もし父がそれを知っていたとしたら、父の憎悪の対象は間違いなく将吾だっただろう。

将吾は彼が死んでいたら、私はきっと手に入れたナイフで自分を斬っていたはずだ。


不意に血塗れの父の顔が浮かび、慌ててかき消す。彼のことは早く忘れてしまいたかった。初めはそんなつもりはなかったとしても、自分が彼に手をかけたことには変わりはないのだから。

 彼の書斎の扉を静かに閉め、自分の部屋へ向かう。最後にお別れを言っておきたかったのだ。

 辿り着いた部屋は、相変わらずだった。コンクリートに塗られた白い壁は、無表情で部屋を支えている。もうこの家に思い残すことはないだろう。

 そう、私にはもう一つ、やるべきことが残っているのだ。死んだ魚たちの無念を晴らすことだ。

 彼らを殺した同じやり方で、父を殺すことが、私にできるせめてもの罪滅ぼしだった。



 ◇


 階段をゆっくりと降り、玄関へ歩く。ここに来るのは、いつか脱走したとき以来だ。変わったことといえば、冬になったため、灯油のタンクが二つ置かれていたことだ。

 玄関には靴がひとつ、揃えて置かれている。何気なく靴箱を開けるも、勿論私の靴は一足も見つからなかった。

 靴箱を閉めて、ストーブへ足す為の灯油の入った、赤いタンクを持ち上げる。考えていたよりも重く、移動させるだけで精一杯だ。プラスチック製の白い蓋を回す。灯油の独特な臭いが鼻を刺激する。

 タンクを両手で持ち、家のあらゆるところに灯油を撒いた。灯油の量はあまり多くないため、燃えやすそうなカーテンや、クローゼットの中床に撒き散らす。

 ダイニングや、キッチンにも灯油を少しずつ垂らしていく。その部屋に繋がっているリビングの、戸棚に積まれている新聞紙を手に取り、脇に挟む。幸い、新聞紙は沢山ある。全ての部屋に、灯油で濡らしたそれを置いておく。これがなくては話にならないだろう。

 一つ目のタンクが空になったため、再び玄関に向かう。撒いた灯油を踏まないように気を付ける。

 玄関に、先刻手に入れた新聞紙を置き、二つ目のタンクに手を伸ばす。

 この時には、私は極めて冷静だったと思う。冷静というより、恨みを晴らすことに熱中し、無表情になっていたのだろう。そんなことを考えながら、二階の父の書斎へ向かう。渾身の力でタンクを振りかざし、ガス臭い液体を全て流した。部屋中にその臭いが充満し、少し頭がくらくらとしたため、慌てて部屋を出る。

 タンクを片手に持ち、階段を駆け降りる。束になった新聞紙を抱え、玄関の扉を開ける。外の世界は、いやに冷たい。静寂の中に流れる空気は、あの油の臭いを吹き飛ばしてくれた。久しぶりに感じる外の風は、刺すような冷たさだ。もうすっかり冬を迎えてしまったようで、少し寂しい気分になった。

 玄関の扉の方へ向き直り、新聞紙を広げてから丸める。それを、一つを手元に残し、あとは家に広がる灯油の状態を覗き、できるだけ遠くに何個か投げる。

 そして、その丸めた新聞紙に、タンクの中に、僅かに残った灯油を垂らす。ポケットに入れていたライターを右手に掲げ、火を近づける。火が付いたそれは、燃える速度は遅いものの、確実に新聞紙を灰にしていく。手に持つ場所も僅かになった刹那、それを力一杯放り投げた。

 新聞紙の塊は、大きな炎を上げる。床を濡らす液体に襲いかかり、伝染病のように素早く広がってゆく。このまま炎が家を覆い尽くすのは、時間の問題だろう。

 私は満足し、家の扉を閉める。酸素を送り込んだ方が、より大きな炎を鑑賞することができるだろうが、他の住宅に燃え移ることだけは避けたい。

 この家の周りには、長年手をつけられていないことが丸分かりな、雑草の生い茂る庭が広がっている。無駄に大きな庭を隔て、結構の数の住宅が並んでいることを、先刻思い出したのだ。


 不意に、冷たい何かが腕に触れた。

雪。玄関の屋根の傘に遮られて、雪が降っていることなどわからなかった。そして、高さのある石段に居たためか、既に降り積もっている雪にも気がつかなかった。

 雪は、小さい頃から、家の中からでしか見たことがなかった。生で見るそれは、想像以上に冷たく、肌の熱に触れると、儚く溶けていった。私は興奮し、家の前の道路に出る。自分が裸足でいることも気にせず、積もる雪の上を走り回った。足の裏は冷たい筈なのに、それが何故か嬉しかった。

 空を見上げると、空の色を雲が、灰色に染め上げている。雨が冷え固まった白い屑が、天から降り注いでいる光景は、何とも美しいものなのだろうか。今までそれを見ることのできなかったことが、悔しく思えた。


 背後から迫る熱気に思わず振り返る。これまでここで暮らしていた家一帯が、炎に包まれている。橙の炎は波のように揺れて、世界の全てを呑み込む勢いだ。火柱が立ち、灰色の空を、僅かに黄色味を帯びたヴァーミリオンに染め上げる。真夜中であるのに、黄昏時のような明るさをしている。それを私は、綺麗という言葉でしか表現することができなかった。

 これで、父への報復は終わる。誕生日に殺してしまったことが、少し可哀想に思えた。

 私の所為で死んでしまった魚たちも、どうかこれで怒りを鎮めて欲しい。

串刺し、火炙り。あなたたちがされた惨い仕打ちも、彼へ罰として与えた。

 どうか、この炎を火葬の火だと思い、この煙を焼香だと思い、あの世へ静かに旅立っていって欲しい。


 遥遠くからこだまするサイレンの音で我に帰る。どこかの家が気付き、通報したのだろう。すぐ近くから、大きな声も聞こえる。

 ここからどうするべきかと、暫し頭を抱えるも、良い案は浮かばなかったため、ここで立ち尽くしていることを選んだ。燃え盛る炎は、既に手をつけられないほどに獰猛化している。

 人の声がやたらと増えたような気がして、周囲を見回す。野次馬が、私から少し距離を置き、家の周りを取り囲んでいる。ざわざわと重なり合う声が響き、耳を塞ぎたくなった。

 サイレンの音が近づき、やがて家の前で停車する。その刹那、車の扉が開き、何人もの消防隊が雪崩のように出てきた。大きなホースを持ち、勢いよく水を炎に当てる。

 その光景をただ、無関心が溢れ出したような表情で眺めていると、聞き慣れた声が、私の名前を叫んだ。

「めぐみ!」

 耳に突き刺さるような叫びに私は、声のした方向へ顔を向ける。

「めぐみ!」

 私を名前で呼ぶ人間は、もうこの世に彼しかいない。今まで忘れてそうになっていた、彼の、成宮将吾の顔。ひと目見ただけで、彼との出会いから最後まで、走馬灯のように頭の中に流れ、思い出していくのがわかった。忘れ去ろうとしても、忘れられなかったのだ。まさか、また会えるとは思っていなかった。

 彼の大きな腕に抱かれても、衝撃と疑問で、しばらく言葉を失っていた。彼はいろいろ私に質問をしていた気がするが、全く耳に入っていなかった。


「どうしてここに?」

 やっとの思いで出した声は、殆ど言葉になっていなかっただろう。彼の顔がとても近くにあり、取り乱してしまった。

いろいろな疑問が湧いたが、全てを聞けそうにもなく、この時は、この質問だけにしようと思った。

「どうしてって何も、僕の家はここの近くにあるからね。サイレンの音が聞こえて、家を飛び出してきたんだ。まあ、野次馬のようなものかな」

 彼は苦笑しながら言った。彼がここの近くに住んでいるとは驚きだった。遠くに感じていた時も、意外と近くに居たのか。

「でも、燃えている家の前で、女の子が血だらけで立っているものだから。───もしかしてと思って名前を呼んだら案の定、君だった」

 自分の体を見ると、全身が血飛沫で汚れている。白いワンピースも、元の色が分からなくなるくらいに赤く染まっていた。私が雪の上で走り回っていたところも、赤い足跡が点々としている。

「ここは警察と消防隊に任せて、君は救急車に乗るんだ」

 そう言い、私の体を軽々と持ち上げる。やはり彼の腕は逞しく太い。

「救急車って。私、怪我なんてしてないよ!」

 慌てて彼を止める。しかし、聞いていなかったように、私に構わず車へ乗せた。



 ◇


 気が付けば私は、薬品の臭いが漂う、大きな病院のベッドで眠っていた。

白い壁。

あの部屋を思い出し、気分が悪い。

「起きたね」

 いきなり知らない声がして、思わず飛び起きる。

「あ、そのままでいいよ」

 優しい、柔らかな声だ。私はまた、ベッドに横になる。そういえば、私はいつの間に眠っていたのだろうか。全く記憶にない。

「精神科医の、成宮聖です」

 黒縁のメガネをかけた、白衣の似合う人だった。ゆるりとしたウェーブの茶色い髪。そう、誰かの面影を思い出させるような。

「成宮さん?成宮ってまさか───」

「そう。将吾の父だよ」

 爽やか笑顔で彼は頷いた。

「君は昨日、将吾に抱かれながら救急車に乗せられていたことを覚えているかな?」

 彼は、人差指を一本立てながら尋ねる。

「はい。そこまでは記憶にあります。そこから先は、全く」

 私は彼の目を見て、正直に答える。

「無理もない。疲れが一気に襲ってきたのだろう。君は、あの後すぐに眠ってしまったんだよ」

 その言葉を聞き、私は赤面してしまった。彼に寝顔を見られたと思うと、今更だが恥ずかしかった。

「それでね、めぐみちゃん。君が眠っている間に、将吾にいろいろ教えて貰ったんだ。君のこと───そして、お父さんのこと」

 笑顔だった彼の目が、少し真剣味を帯びる。こちらを見つめながら、続けて言った。

「こんなこと聞くのはいけないことだとは分かっている。だけど、分かって欲しい。これは、君を守る為に大切なことなんだよ」

 質問に戸惑いながらも、私は彼の優しい声に安心しきっており、大きく首を縦に振った。

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