第5話 修学旅行後編
薄命物語 中学生編修学旅行後編
いつの間にか寝ていたようで、起床時間の午前7時半には目が覚めた。
押し入れに寝るとか言っていたやつは、誰かの布団で眠っていた。
「起きろ~~」
「起きてるよ~~、ムニャムニャ~~」
寝ぼけて起きてるよ~~と言っているやつもいるが、そいつ諸共、起こした。
「おはよう……」
「んん~~」
「寒!」
窓を開けて目を覚ましてみた。
-7℃。
目が覚める寒さだ。
「だ~~」
「とっとと着替えて朝食だ」
「生活指導の先生厳しいからな」
「ああ、くわばらくわばら……」
修学旅行に来てまでのお小言は勘弁である。
「間に合ったか……」
「5分前、ギリギリセーフか」
5分前行動を常に意識しろ、といつも言われているから、みんなきちんと、時間に間に合ったようだ。
「え~、それでは1組の学級委員さん、号令を」
「手を合わせてください、いただきます」
「いただきます」
という恒例の号令をして、食事を始めた。
朝食はご飯、味噌汁、漬け物、焼き鮭、海苔、というシンプルなものだった。
なんというな、これぞ日本の朝食、みたいなものだった。
朝食を終えると、部屋でスキーウェアに着替えて、バスに乗り込んだ。
バスに乗って10分程で、琴引ファミリースキー場に着いた。
入り口付近に集合し、グループ別に並んだ。
「え~、I中学の皆さん、ようこそ」
という感じで、コーチの代表者が話をして、コーチの紹介をした。
「コースの外にはくれぐれも行かないでください。それと、怪我には十分注意してください」
という言葉で締めくくった。
俺達の1‐B班には、豊田というコーチが着いた。
因みに班員にはスキー経験者は1人もいなかった。
「それでは、まず、スキー靴をスキー板に固定してください」
スキー靴の裏の雪を落として、爪先から先に板に置き、踵を強く踏みつけて靴を板に固定した。
次に、ステッキの先で、スキー靴の踵の後ろの部分を強く押して、スキー靴を板から外した。
「これを5回繰り返してください」
言われた通りに、スキー靴と板を固定したり、外したりを繰り返した。
途中、バランスを崩して倒れるやつもいたが、靴を外して立ち上がった。
「みんな飲み込みが早いね」
お世辞だな。
「それじゃ、次は止まり方」
ハの字というものだ。因みに、こけ方は、前に倒れずに、横に倒れるように、と言われた。
「爪先よりも踵の方に重心を持って行って」
足を広げるには、その方が都合がいいようだ。
「それじゃ、次は曲がる練習だ。右に曲がるときは、左足に重心を持って行き、左足に曲がるときは右足に重心を持って行く」
少し横歩きで斜面を登って滑り、お手本を見せた。
右、左と蛇行して、10m程したで止まった。
曲がるときに、スキー板同士が重なり合い、転けることもあったが、気を付ければいいだけのことで、全員うまく滑れるようになった。
「それじゃ、袖のポケットにこれを入れて」
小さな……SDカードのようなものをもらった。
「これはリフトに乗るときのICチップで、門を開くために必要です」
袖のポケットの中のICチップを門の所の読み取る部分に押し付ける(近付ける)ようだ。
「リフトでは、揺らさない、暴れない、捕まっておく、それと、ステッキの紐は腕に通しておくように」
下に落とすと大変だからだ。
「それじゃ、出発」
まず一番上に行き、そこから、左に曲がり、ゆっくり外回りをすることになった。緩やかな斜面を利用した初心者コースである。
一旦、曲がり角で止まり、全員がついてきていることを確認し、ここからリフト乗り場付近まで滑り降りるように指示をした。
ズザザ……
ブレーキをかけながらゆっくりと滑り、目的地に向かう。
「ここ、下に落ちたら大変だよな」
「レスキュー隊を呼ばないとな」
そんなことを話しているうちに、リフトの下を通り過ぎ、右折して、班員が集まっている場所へ向かう。
「よし、それじゃ、同じコースをもう一度行くよ」
今度は途中で止まらずに、一気に降りた。
ズザザザザ!
ズゴ!
「なんかこの辺深いな」
「スキー板が完全に埋もれるな」
凸凹があり、転倒しやすい場所のようで、尻餅ついた場所が踏み固められてできたようだ。
で、転倒して、凸凹が大きくなるという悪循環である。
スキー板はあまり沈まないのは、圧力が面積に反比例するからである。
画鋲が刺さるのは、逆に面積が小さいからである。
という、少し前にやっていた理科の授業を思い出しながら滑っていると、すぐに目的地についた。
因みに、今のコースはリフトが約3分、降りるのに3分程かかる。
つまり、ゆっくり蛇行して降りてきているのである。
「次は一番上まで上って、こっちのコースをまっすぐ、一気に降りてくるよ」
言ったとおり、リフトの横を一気に降りてくるのである。
途中、リフトがガクッと止まった。
転倒などで、係員が危険と判断した時に手動で停止スイッチを押すのである。
だから、手すりを握るように言われているのである。
止まった時が一番揺れるから、それも急に。
「よぉ!」
向かい側のリフトに、何故か田中が乗っていた。
「ん、リフトで降りてるのか?」
「降り損なった」
逆回りはできないようで、こんなことも起こるようだ。
「そうか、それは残念だな」
「いや、景色が良いよ」
そうか、なら景色に集中しなさい、そして人々の声は聞かないように。
特に「あの人何やっているのかしら……」という声には……
1日目は何事もなく終わった。
風呂に入り、部屋でトランプをして、思い思いに修学旅行を満喫していた。
「そういや、中里さんは、春休みに広島に引っ越すんだよな」
「いきなり、何を言い出すのか、山田よ」
「いや、実は俺、彼女とは幼なじみで、その……ずっと好きだったんだよ」
ほお~~
「こんなんでいいか?」
「上出来だ」
トランプの敗者には恋バナという罰ゲームである。
「この前の合唱コンクールでは指揮者をしていたな」
カードを切って、6つに分ける。
「1年の頃は伴奏をしていたよ」
「ピアノも弾けるのか」
「俺、ピアノ弾ける女子に惹かれるんだよな」
……
「さて、貿易を済ませて……ダイヤの3は誰だ?」
午後10時の消灯後、電池式のランタンを使って、トランプで遊んだ。
午前0時を回った頃に、眠くなり、午前8時の起床時間に目が覚めた。
「スキー実習3日目となりました。慣れた頃に怪我をしやすいから、注意してください」
という担任の話をバスで聞きながら、スキー場に向かっていた。
「まあ、油断は禁物ということだよ」
と締めくくった時に、丁度バスはスキー場に到着した。
スキー場での昼飯は3日間通してカレーライスだった。
文句はないし、食べなれているものだし、美味いし……大変都合が良い料理である。
カレーにキャベツの繊切りを突っ込む人もいた。
なるほどそういう食べ方は盲点だったな。
甲本さんも同じことをしていた。
「転勤が多いから、色々な地域の食べ方が混ざっているの」
だとか。
「ドレッシングいらないから安上がりなの」
だとか。
料理をしている人の観点で話をしている。
経験者は語るというやつだ。
「福神漬けの代わりに沢庵もするよ」
などなど、食生活は家庭それぞれのようだ。
「関西は牛肉で、関東は豚肉が多いね。私は鶏肉でも作るし、鹿肉のカレーも食べたことあるよ」
アルプスで有名なN県で食べられ、大仏や鹿で有名なN県では食べない、というより禁忌に近い。
因みに、このN県は両方とも内陸県である。
他のN県は1つは海岸線が日本一の長さで、カステラで有名。
もうひとつはコシヒカリと日本酒で有名である。
なんてことを吉田幸一は話した。
どうも、地理に詳しい吉田幸一の方が甲本さんとウマが合いそうだ。
負けるわけにはいかない。
何か吉田に勝つもの(こと)がないと甲本さんは俺と付き合ってくれないだろう。
偶然甲本さんと席が近いところに座り、カレーライスを食べているのだが、吉田幸一と甲本さんが仲良く話しているところを見ると、なんとなく、じわじわと劣等感を抱き、不安になる。
このままだと、俺は……吉田幸一に負ける。
成績でも負けていて、スポーツでは殆ど同じくらいの成績で辛うじて俺の方が上だ。
ただし、スキーについては、吉田の方が飲み込みが早く今の技量は上だった。
「それじゃ、最後に一番上から林のコースを滑りましょう」
リフトに乗り、一番最初に滑ったコースへと向かう。
リフトを降りると、女子のグループに出くわした。
目の前をどうやら甲本さんが滑っているようだ。
ゼッケンで確認するくらいの距離である。
その時、甲本さんの前を滑っていた人が転けて、甲本さんは右に避けてしまった。
すぐに左の急カーブがあるのにも関わらず……
甲本さんはブレーキをかけたが、深みにはまり、滑り、バランスを崩して、そのまま、コース外へと滑り落ちていった。
「甲本さん!」
「大丈夫か!?」
返事は帰ってこない。
標高差10mはあるだろうか、下の方に……
「埋もれている! すぐに助けないと」
「吉田、お前滑るのは俺よりうまいだろう。レスキュー隊に連絡してくれ」
「分かった」
吉田が滑っていくのを見届ける暇もなく、俺はスキー板を外して、現場に立てて目印にして、ゆっくりと斜面を下りていった。
「甲本さん、大丈夫か?」
埋もれている甲本を掘り出して、揺さぶった。
「幸一君?」
下の名前で呼んだのは見分けが付きにくいからだろう、何てことを考える暇はなく、生きていることに安堵した。
「痛いところはないか?」
「右足……捻挫かな?」
痛そうだが、本人は落ち着いている。
俺は元来た斜面を見上げたが、上るのは無理だろうとあきらめた。
吉田幸一が呼びに行っているレスキュー隊を待つことにした。
吉田幸一side
急がないと、甲本さんが危ない。
そう思い、甲本さんと真田のことをコーチに伝えに行った。
「分かった。すぐにレスキュー隊を呼ぶよ」
コーチは本部にいるレスキュー隊の所へと急いだ。
俺はすぐに担任に報告した。
「そうか、的確な判断だな。さすが吉田だ。安心しなよ~~、あとはレスキュー隊がなんとかしてくれるはずさ~~」
どうでもいいが、この担任は平和ボケしているが、これは生徒を安心させるための演技である……とは思えないが、良いところが一つある。
それは、例え一卵性双生児でも見分けられる能力だ。
この担任には、吉田幸一と真田幸一の区別がついているようだ(一年未満の付き合いにも関わらず)。
「グループに戻りなさ~~い」
「はい」
いつの間にか、ゲレンデの真ん中にレスキュー隊のスノーモービルが用意され、動き出していた。
ウー~~
という、サイレンを鳴らしながら、ゲレンデを上っていく。
現在絶賛爆走中である。
真田幸一side
「とりあえず、じっとしておこう」
「うん。捻挫だからね。助けてくれてありがとう」
非常時だが、甲本さんが一段と可愛く見えた。
「真田君は命の恩人だよ」
「いやあ、あはははは」
今更ながらに思った。
そういえば、甲本さんは俺と吉田の区別がはっきりついている、と。
一度も間違えたことがない。
まだ2年未満の付き合いなのに。
「ん? ああ、そのことなら、まず声が少し違うよ。それと、髪型、首の辺りの」
「幼なじみはさすがに間違えないけれど、他の同級生はね……」
「よく間違うよね」
俺達は笑った。
甲本さんの足の痛みが少しでも和らぐようにと願いながら……
「おーい、大丈夫か!?」
上から力強そうな男性の声が聞こえた。
タウリン1g配合ドリンクのCMに出てきそうな2人の男性がそこにいた。
「ファイト~~」
「ファーイブ」
「5つの栄養素がつまった、タウリン1g配合ドリンク」
「ファイトファイブ!」
というCMだ。
「大丈夫です。彼女は捻挫しています!」
「分かった!」
担架を持って、斜面を降りてきた。
「ここは一度あの道まで下りた方が安全だ」
下を見ると、林の向こうに道のようなものが見えた。
こんな道があったのか。
「こちら吉本、今から一つ下の道へ向かう」
「田中は後ろを持ってくれ」
「了解」
俺はレスキュー隊の邪魔にならないように、一緒に下りていった。
スノーモービルに乗るという珍しい経験をした俺は、関係者以外立ち入り禁止の道を通っていたことに気付いた。
「この門の所に出るのか」
「そうだよ」
一度スノーモービルを停めて、門を封鎖した。
「急いで医務室に行かないとな」
サイレンを鳴らしながら、スノーモービルはリフトと立体交差し、みんなが集まっているスキー場の入り口に着いた。
俺はすぐにグループに戻り、待っていた担任に報告した。
「よくやったね。もう大丈夫だよ。あとは彼らに任せればね」
俺達はバスで担任を待った。
10分位して、松葉杖をした甲本さんと、担任がやって来た。
甲本さんは一番前の担任の横の席に座った。
バスは宿へ向かって走り出した。
何かしら張り詰めた空気を醸し出していたのも束の間、栗田が喋り始め、次第に緊張の糸がぷつりと切れ、跡形もなく消えていった。
栗田はいつも騒がしいが、こういう時にはとても役立つ存在だと、実感した。
甲本さんは、幸い軽い捻挫で済んだ。
完治には2週間程かかるだろう。
宿は、3階が女子で、一階にお土産屋、宴会場、大浴場、玄関がある。
つまり、甲本さんがお土産を買うためには3階から下りて、また上るということになる。
松葉杖をついて、右足を固定している。
因みに、エレベーターを使う許可は下りたが、人混みの中で土産物を買うのは無理だろう。
足が当たってしまう。
だから、俺は甲本さんに、より多くの生徒が部屋で待機している時間帯である、風呂上がりに買うように言って、土産物屋まで付き添った。
そして、甲本さんとエレベーターで別れて、俺は部屋に戻った。
部屋では、吉田幸一達が、夜のトランプ大会の準備をしていた。
「遅かったな。ああ土産物買っていたのか」
まさか抜け駆けをしていたなんて言えないな。
「ああ、で今夜は何やるんだ?」
因みに明日の予定は午前中はスキー場でスキーをして、午後にI中学校に戻る予定だった。
俺達がスキーをしている間、栞はスキー場の教師が集まる部屋で寛いでいた。
リフトから下りて、一気にゲレンデを駆け抜ける。いや滑り降りる。
もしかしたら、人生最後のスキーになるかもしれないから、と思ったのか、一生懸命無我夢中に縦横無尽に駆け抜けていく。
もちろん安全にだが。
事故ったらどうなるかは、良く分かっているから、みんな無茶はしなかった。
昼食はいつものようにカレーライスだった。
スキーのコーチに別れと感謝の言葉を言い。俺達は、着替えてバスに乗り込んだ。
これから、7時間程バスに揺られて、I中学校まで戻るはずだったのだが……
それは、突然起こった。
俺達のバスは一番後ろの5号車で、一番前が1号車だった。
その1号車の前を走っていたトラックが雪道をスリップし、横を向いて停まったため、道を塞いでしまった。
当初、信号待ちか渋滞に巻き込まれたかのように思えたが、ある曲が流れて、流れ終わるまでの間、バスが動かないので、全員が不審に思った。
すると、バスのドアが開いて、一番前のバスの添乗員が乗り込んできて、事情を説明した。
とある怪盗の映画を見終わり、よく分からないバラエティー番組のビデオが流れて始めた。
俺は、バラエティー番組に集中できなかった。
甲本さんの心配をしていたからだ。
しかし本人はぐっすりと眠っていた。
トイレに行きたい人は、少し登った所にあるトイレに行くように言われた。
幸い甲本さんは眠っていたからトイレに行くことはなかった。
因みに、残っている組は、トランプを始めていた。
3時間程経ってから、バスは漸く動き出した。
その後暫くして、甲本さんは目を覚ました。
喉が渇いたらしく、サブバッグの中を探していたが、飲み物が尽きてしまったようだ。その様子を俺は見てしまった。
「今度の休憩時間に何か飲み物を買ってこようか?」
「あ、良いの? なら、お茶をお願い」
そう言った10分後、バスは道の駅に着いた。
道の駅で、バスのチェーンを外している間に、みんなトイレ休憩をして、その間俺は甲本さんに頼まれて、ペットボトルの緑茶を買いに行った。
因みに、班の女子は甲本さんのトイレの付き添いである。
「ありがとう、真田君」
なんか、俺達の関係が
バスは三好ICから高速道路に入った。
そのまま1時間程で宮島SAに着き、集合写真を撮った。
甲本さんは最前列の真ん中のあたりで写真に写った。
トイレ休憩とってから、バスに乗り込んだ。
それから2時間程で壇ノ浦PAに着いた。関門橋の山口県側である。
既に午後6時で、日が暮れ、夜の帳が下り始めていた。
薄暗い中、バスは関門橋を走行して、ついに九州に戻ってきた。
「それでは、クイズを始めたいと思います」
添乗員さんは、感慨に耽っている者の注意を引き寄せようと、スケッチブックを取り出した。
「今から魚の名前の漢字を出します。漢字の読みを答えてください。では第一問!」
鯉
鮭
鰯
鱈
鱚
秋刀魚
鱧
鰻
という順だった。
「そういや、鮒寿司って食べたことないな」
と言ったら、俺の回りの男子が
「フナ!」
と叫んだ。
合ってないよ。
そいつはサケだ。
コンビニのオニギリにも書かれているだろう。
「ついでに辛子明太子は何の卵を使っていますか~?」
「スケソウダラ」
「即答されるとは思いませんでした」
そりゃどうも。
「続いて、鱚」
き……す、『きす』か?
1分経過したから、流石に難しいと思ったようだ。
「ヒント、『き』から始まります」
「きんめだい(嘘)」
「違います」
「きんぎょ」
「違います」
適当に言ってるな。
「きくらげ」
そいつは魚じゃない。ついでにくらげでもない。
「きりたんぽ」
もう適当だな。
「ヒント、ちゅう……」
そのヒントはどうかと思うが。
「きす?」
自信なさげな解答だな。
「正解」
「そんな魚がいるんですか?」
まあ、知らんな。
「ん~知らないか……それじゃ、次は秋刀魚、読めるかな?」
「あきかたなうお」
「しゅうとうぎょ」
そのまんまかよ。
「違います」
「あきざかな」
刀いらねぇ、違うだろ。
「ん~ヒント、秋の魚です」
と言われても、分からんだろう。
今の若者は旬というものが分からんだろうからな。
「秋刀魚なら、サンマだよ」
甲本さんが答えた。
ああ、今まで前が見えなかったのか。
「正解」
おお、というどよめき。
「『鱧』、これは?分かるかな」
「とよさかな」
「魚へんに豊」
一人は甲本さんに漢字を教えているようだ。
「違います。難しいかな?」
「はも」
「正解」
再び甲本さん付近に注目が集まる。
「京都でよく食べられている魚かな?」
という説明を一言付け加える。
「よく知っているね。それじゃ、魚はこれが最後。『鰻』」
「まん」
「違います」
そう読むことは、読むが、名前を答える時は訓読みだな。
「どんな字?」
「うーん、魚へんに、自慢の慢の右かな?」
つくり、といふべし。
「うなぎ、だよ」
「正解、それじゃ、『蛤』魚じゃないよ」
「虫へんに合う。合体の合うだよ」
「はまぐり、だよ」
甲本さんは料理関係だと詳しいことが分かった。
添乗員さんは漢字ネタが尽きたのか、歌を歌い始めた。
その頃、バスは古賀IC付近を走行していた。
「外は暗いな……」
予定だと午後7時には学校に着いていたはずなんだが。
現在時刻午後8時。
トラックのスリップ事故の3時間遅れが響いているが、十分遅れを取り戻している方だ。
I中学校に到着したのは午後9時だった。
甲本豊さんが迎えに来ていた。車は持っていないので、徒歩で来ていた。
俺と吉田は甲本さんの荷物を持って、豊さんは甲本さんを負ぶった。
夜遅いからか、近所のみんなと一緒に下校していく。
「わざわざすまないね、真田君と吉田君」
甲本さん家の玄関まで一緒に行き、俺達は別れを告げて、家に帰る。
「俺達って、甲本さんの命の恩人だよな」
「そうなるな」
2人の幸一は間接的、直接的、という違いはあるものの、命の恩人であることには違いない。
「俺の命の恩人でもあるよな」
「そうなるな」
間接的に。
「感謝しているよ吉田」
「まあ、俺達は2人で一組みたいなものだからな」
「昔からな」
外見的にもなんとなく似ているし、幸一だし、よく一緒に扱われた。
「「じゃあな」」
吉田家は俺の家の隣。
甲本家に近いのは吉田家の方だ。
俺は家に帰って風呂に入り、忘れ物をチェックして、寝た。
次週の月曜日、甲本さんの足はまだ完治せず、体育(持久走2km)は見学していた。
みんな羨ましそうに甲本さんを見ていた。
彼女は走りたくても走れないのだ。
だから、羨ましそうに見るな。
とはいえ、持久走はあまりしたくないものだ。
きつい。
つかれる。
火曜日、特に何もなく、
水曜日やはり何もなく、
木曜日、当然の如く何もなかった。
しかし水面下で何かが確かに密かに動き始めていた。
それに気付いたのは、
「金曜日からは三連休だよ~。だから、明日は休み。それじゃ、学級委員」
という、帰りの会での担任の話での締めくくりだった。
カレンダーを確認すると、2月の第3週、第2月曜日に、その日はあった。
その日の当日。
連休中にあるものを買って(もしくは買ってもらって)、自宅で溶かして、型にはめて固めて、箱に入れてリボンやシールで飾り付けて、学校に持って行く女子もいれば、昨日スーパーで買ったものを、少し飾って持って来る女子もいれば、最初から何も持ってこない女子もいた。
なぜ女子かって?
確かに男子にもそういう日はあるが、それは1ヶ月先だ。
そう、今日はバレンタインデーだった。
朝の会が終わった後に、行動に移す人は、ほとんどがギリチョコや友チョコ(女子同士)で、本番はやはり昼休みだろう。
クラスの女子の目が、今日は一段と鋭く、しかし優しそうに、明るく、輝いて見えた。
「モテる男って辛いよなぁ?」
なんだ古田、俺に何か言い出そうだな。
後ろで吉田幸一が大きく頷いている。
あまり外見的には変わらないはずで、学力的に上のはずの吉田幸一も頷いていたのだ。
「お前もモテるだろう?」
「お前程じゃない」
「そうか?」
「そうだよ(俺はチョコをもらったことがない)、俺宛のチョコも全部お前に行くからな」
何故か知らないが、今までがそうだった。
小学生の頃だが、
「幸一君、あの、これ、受け取ってください。いつも勉強教えてくれてありがとう」
はて、俺は勉強を教えた記憶はない。
俺は遊んでばかりいたからな。
おそらく、昼休みに俺が外で遊んでいる間に、隣のクラスの吉田幸一が勉強を教えていたのだろう。
俺も幸一だから、それに気付くのが遅く、彼女は吉田幸一にチョコを渡したつもりでいて、そのまま返事を聞く前に大分県大分市に引っ越したんだなぁ。
いや、ただの感謝だったに違いない。きっとそうだ。
こんな話を吉田幸一にもきちんと話した。
その後も、同じようなことが起こり、俺がもらうチョコの内、3割は明らかに吉田幸一宛のものだった。こういうものは本人に渡さないと不成立だろうが、彼女らも勇気を振り絞って本人(と思い込んでいるソックリさん)にチョコを手渡しているのだ。
だから、ありがたく頂戴して、俺が吉田幸一に渡している。(この部分だけを見ると、俺達の関係がなんだか怪しく見えてくる)
幸いにして、見られることはなかった。
給食(今日はカレー、コーンサラダ、だった)を食べて、昼休み。
女子達の決戦の時が訪れた。
「幸一君、受け取って」
「古田君、これあげる(ギリ)」
「えっと……吉田君にもあげるね。真田君にも渡してね(ギリ)」
俺が真田幸一だなんだが。
吉田は給食当番で、今給食室に食器を返しに行っている。
「さ、真田君これ受け取ってください」
お、俺宛か。
「あ、古田君もどうぞ(ギリ)」
古田も良かったな。
義理チョコもらえて。
「吉田君、これ受け取ってください」
だから、俺は真田幸一だって。
吉田宛一つ。
「幸一君、私のチョコ受け取って」
不明一つ。
因みに、壇上では栗田がチョコをもらいまくっていた。
あいつも結構チョコ貰うんだよな。
多分義理チョコだと思われるが。
「山田君、私のチョコを受け取ってください」
山田の周りには、人集りができていた。スポーツ万能、成績優秀(吉田並)なら、モテて当然だ。
それに対して俺達は疎らだ。
教室の後ろのドアから、給食当番が戻ってきた。
「真田、俺の分は?」
「これだな。森さんからのだ。それと、どちらか分からないのが、東山さんから。多分おまえのだ」
「そうか」
相変わらず、俺達って間違われるんだな、という顔をして溜め息をつく吉田は、面倒くさいのか、すぐに教室を出て行った。
俺も、少し後をついて行くことにした。
予想通り、彼女も、俺達に付いてきた。給食室前の柱のところで俺は呼び止められた。
「幸一君!」
振り返ればそこに……
甲本栞さんがチョコを抱えて立っていた。
「あの、私、真田幸一君のことが好きです」
真田と付けたのは俺の後ろの方に、吉田幸一が歩いているからか、本人確認か。
「これを受け取ってください」
告白して、チョコか……
普通、チョコを渡して、返事を待つよな。
「あの、よろしければ、今日、私の家に来てください」
何がよろしければなのかよく分からないが、付き合ってもいいならば、私の家に来てくださいという意味か。
「それじゃ、その、失礼します」
ああ、緊張するとああなるのか。
振り返ると吉田幸一の姿はなかった。
「こっちだ」
横にいた。
「いつの間に、そこにいたんだよ」
「階段の脇を回り込んできた」
「そうかい」
俺達は体育館前の三階の渡廊下で、甲本さんのチョコを分けて食べた。
「良いのかよ、お前宛てのだろう?」
「と言いながら手を伸ばして口に入れているだろうが」
甲本栞さんのチョコは、正直、他の女子達のチョコと比べて全然味が違った。
他の女子のチョコをスーパーのチョコ菓子と例えると、甲本栞さんのチョコはチョコ専門店の一粒100円以上するチョコレートである。
ただ甘いだけでなく、程よい苦味、チョコレート以外の甘味も感じられた。
「キャラメルも使っているようだ」
「これは、抹茶か」
心がこもったチョコレートを食べて、俺達は教室に戻った。
放課後、俺達近所の友人達は一緒に下校した。
俺は帰宅後、すぐに甲本家に向かった。
「いらっしゃい」
「おじゃまします」
「いつも娘の世話をしてくれてありがとう」
豊さんはこれから仕事のようだ。
とあるレストランで働いている料理人である。
「それじゃ、行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい」
俺は栞について2階にあがった。
「ちょっと待ってて……」
栞の部屋の前で待たされた。
ドタバタという音が聞こえた。
散らかっているのか?
「どうぞ」
片付いていた。
多分制服をハンガーにかけただけだろう。
「あ、あのね。その、来てもらったのはね……」
何だか少し恥ずかしそうだ。
「皆まで言わなくていい」
「そ、そう?」
「甲本さん、俺なんかでいいのか?」
「う、うん。大好きだから。付き合いしてください」
「ああ、喜んでお付き合いするよ」
「うん、私達恋人だよね」
「そうだな」
それに……
「幸一君って呼んでも良いかな? 私のことは栞って呼んで」
「ああ、分かった。栞」
俺は栞に近付いた。
「あ、あの、キスはまだ、止めとこう……心の準備が、まだ……」
「分かった」
そういわれたら仕方がない。
「あ、あのね、実はその、呼んだのはね、チョコレートが余っちゃったの」
「え? どれくらい?」
「台所に来て」
台所は一階にある。
何で2階に行ったのだろうな。
栞は、鍋を見せた。
「いくら何でも作り過ぎだ」
「あ、うん、その、私の気持ちだよ。命の恩人だし……」
「そうかい」
しかし、この量なら、俺達二人で十分だろう。
栞は皿にチョコレートを持った。
こんなバレンタインチョコは初めてだ。
「どうぞ」
糖尿病という言葉をこの頃の俺はあまり詳しく知らなかった。
だから、夕食をあまり食べられなくなるほど、チョコレートを食べた。
そして、翌日から、俺達は恋人として、クラスメートに見られるようになった。
吉田幸一は、特に誰とも付き合うことはなかった。
森さんは、本当に感謝の気持ちだけだったようで、今は粟田と付き合っている。
「良かったな、真田」
「ああ、お前はどうなんだ、古田」
「チョコはもらったが全部義理だったみたいだな、ははは」
俺は来年もあきらめないぜ~~
と言い、教室を出て行った。
しかし、この充実した、日々は長続きしなかった。
1ヶ月後、その事実を知った。
「ごめんなさい、幸一君」
「仕方ないよ、栞」
「電話番号と住所教えるから……」
そして、栞は春休みに、広島県広島市へと引っ越していった。
最後に一つだけ約束をした。
「再会した時にファーストキスをしようね」
という、約束をして、約6年9ヶ月守り抜いた。
次回予告
「中学生の頃を思い出した」
「懐かしい夢を見た」
「しかし、夢は突然違う夢になった」
薄命物語 第6話 『圭一と文華』
「これは、昭和の話」
「なぜこんな夢を見るのだろうか」