3:戦いの火蓋
夜7時。仕事を終えた私は、やたらと重い足を引きずりながら、なんとか昨日と同じ居酒屋さんにたどり着いた。ギリギリまで(ぶっちぎっちゃおっかな~)と企んでいたのだけれど…
「華蓮さ~ん。いいかげん行った方がいいですよ~。きっと、お待ちかねですよ~。」
すっかり敵方に付いてしまったひとみちゃんが、10分おきくらいに耳元に囁きに来る。うるさくてちっとも仕事がはかどらない。この裏切り者。
観念して、居酒屋さんの暖簾をくぐると、馴染みの店員さんがにこやかに寄ってきた。
「いらっしゃいませ。お連れ様、お待ちかねですよ。」
何も言ってないのに、よく分かったね…。“お連れ様”って認識されちゃってるんだ…。
昨日の今日だもん。そりゃ分かるよね…。奇しくも、昨日と同じ席に通される。テーブルごとに区切られた空間を覗くと、すでに白鳥は1人で飲んでいた。
お、今日は飲んでるんだ。…ジョッキが空になりかけてる。いつから来てたんだろ?
「ごめんね。けっこう待った?」
「1時間も待った。まあ、座れ。」
白鳥に顎で示されて、向かいに腰かける。しかし、感じ悪いな。普通「俺も来たばっかり」とか言わない? 大体、1時間も前って…よくそんなに早く仕事終わったね。
頭の中でぶつぶつ文句を呟いていると、店員さんが「ご注文は?」と伝票片手に待っていた。
「私も生で。白鳥、おかわりは? もう空くんじゃない?」
「ああ、そうだな。俺ももらうわ。」
「生2つ下さい。」と店員さんにお願いする。ふと気が付くと、テーブルには昨日、私が食べずにいった料理と同じものが並んでいた。
「頼んどいてくれたんだ。ありがと。」
「昨日、食べずに逃げたからな。」
うっ…! いきなりそこから突っ込みますか…。悪かったと思ってるわよ。だからちゃんと謝りに来たんじゃない。
「…昨日はごめん。いきなりでビックリしちゃってさ…。」
「ビックリしたからって、あの理由はないんじゃないか?」
う~~~…。相変わらず怒ってるな~。だから何回も謝ってるじゃん! この人ってこんなキャラだった? 周りの人と当たり障りなく付き合える温和な人だと思ってたけど?
謝りに来たはずだったのに、いい加減イライラしてきた。
「言い逃げしたのは悪かったけど、あれが私の本音だもん。」
あら。拗ねたのが口調に表れてしまった。いい歳して“もん”はないよね。大体、私そんなキャラじゃないし。
「本音と言われても納得いかないもん。」
ムッ!! 『“もん”返し』された。 何? 喧嘩吹っかけてんの? 本気でムカついてきた。
「昨日も言ったけど。私は、あんたと結婚はもちろん、付き合う気もありません。“白鳥華蓮”になりたくないんです。同じことを何度も言わせないでください。不愉快です。」
「“名字がダメ”とか、訳分かんない理由で断らないでください。俺の方がよっぽど不愉快です。」
き−−−−−っ!! ああ言えばこう言う!! ムカつく-----!!
ああ、いいとも。この喧嘩買った! 二度と私のことが好きなんて妄想を抱かないよう、きっちり話を付けてやる! よく聞いとけよ、この九官鳥!!
「あん…」
「お待ちどうさま〜。生2つで〜す。」
腰を浮かせて「あんた」と怒鳴りかけてたところで、店員さんが頼んでいたジョッキを持ってきてくれた。タイミングを逃したら頭に上っていた全身の血が、少し下がって来た。
そうだ。昨日も怒鳴って出て行ったんだった。ここで怒鳴りつけたら昨日の二の舞。落ち着いて、私。
あくまで冷静に諭して、白鳥の目を覚ましてあげるのよ!
「とりあえず、乾杯するか。」
白鳥が私の目の前にジョッキを差し出した。そうだね。何にか分からないけど、まずは乾杯しよう。
「乾杯」「俺たちの記念日に。」
ぐほっっっっっ!!
勝手に付け加えられた言葉に、思いっきりむせてしまった。げほっごほっと赤い顔で咳き込んでいると、向かい側から手が伸びてきて首や肩の辺りをさすってくる。
「大丈夫か?」
「だ、誰のせいよ! 大体、何の記念日なのよ!?」
「俺たちが付き合うことの。」
咳を抑え込みながらなんとか疑問を発してみたら、奴はさも当然と言わんばかりの顔で答えた。
ねえ? 今までの会話のどこで、私が付き合いを承諾したの? そんなニュアンスさえ漂わせてないよね? 完全なる拒否しかしてないよね!?
「勝手に話を進めないで!」
「進めなきゃ、お互い昨日と同じ台詞の繰り返しだろ。」
あまりの理不尽さに、やっぱり怒鳴りつけてやろうと息を吸い込んだ瞬間、見計らったように「まあ、落ち着いて聞け。」と逆に諭されてしまった。
…わかりました。まずは、白鳥の言い分から聞いて差し上げましょう。そのあと、再度きっぱりと拒否して差し上げましょう。
手ぐすね引いて待ち構えていると、白鳥は、真剣な目でまっすぐ私を見つめてポツリと言った。
「俺、本気なんだよ。」
対決ムードから一転して漂い始めたシリアスムードに心臓がビックリしてドキドキしてる。
やだ。こいつってば、顔も声も無駄にいいんだもん。本気で口説かれて喜んでいる自分もどこかにいる。こんな経験初めてだし。断るくせに、なんて自分勝手なんだろう。
「結構前から、お前にアプローチしてきたつもりだ。…見事にスルーされてきたけど。だから、はっきり気持ちを伝えることにしたんだ。」
アプローチ? いつ? どこで? …思い返してみても、心当たりがまるっきりないよ?
「映画に誘ったりしてただろ。」
頭の上にハテナマークがいっぱいの私に、ため息をつきながら白鳥がヒントをくれた。
ああ!! あった!! 何? あれって、余ったチケットを私にくれるって話じゃなかったの!? 「この映画好きか?」ってチケット持ってきたから「興味ないからいらない。」って言っちゃったよ…。
「2人で飲みに行きたいと思って誘えば、なぜか同期会になってるし。」
…それも心当たりがある。白鳥が「飲みに行こうぜ」って言うから、てっきりいつものメンバーで飲みたいんだと思っていた。だから、同期で同じ部署の、いつも幹事をやってくれる佐々木に「白鳥が飲み会したいってさ」って伝えたぐらいにして。
「やっとの思いでプロポーズまでしたってのに、お前の返事は“名字がダメ”。これじゃあ、俺がかわいそうすぎると思わないか?」
切なげに自嘲する白鳥に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ほんとだね。私、ひどすぎる。
「……すみません。」
急なプロポーズに、“何を急に血迷ってるんだ?”って思ってたけど、これまでに白鳥はちゃんと好意を示してくれてたんだ…。自分にそんな感情が向けられるなんて考えたこともなかったから、まるっきり気づかなかった。よく話を聞くことさえせず拒否ばかりして、本当に失礼だったな…。
「分かってくれたか。じゃ、付き合うってことで。」
ちょ、ちょっと待て!
「自分の態度がいかに失礼だったかは分かった。それは謝る。で、でも! いきなり付き合うことになるのはおかしいと思う。」
「付き合いもしないで、大した理由もなく断る方がおかしいだろ。」
へ? そういうもんなの? 理由がなければ付き合うもんなの??
「ちゃんと、俺と付き合ってみろよ。それでもダメなら俺も諦める。でも、俺自身をよく知りもしないで断られても引けないんだよ。納得いかない。」
…そう言われちゃうと、反論できない…。確かに、私が断ってる理由って、名字だったり、外見が良すぎることだったり、こいつの中身とは関係ないところばかりだ。
「とにかく。少しでも申し訳なく思ってんなら、しばらく俺と付き合え。」
「でも…。」
付き合ったところで、私が“白鳥華蓮”になることを受け入れられるとは思えない。
「“白鳥”がどうしても嫌なら、俺が“伊集院”になってもいいぞ。」
「それに何の意味が?」
「現状は維持できるだろ。」
その現状を打破したいの! 維持してどうすんのよ! 埒が明かない話し合いになんだか疲れてきて、ため息をついてしまった。
どう言えばいいんだろう? 何を嫌だと言えば引き下がってくれる? ただでさえ、男の人を振るなんてしたことないのに、相手は欠点らしきところが見当たらないこの男。掛けるべき言葉がまるっきり思い浮かばない。
俯いて考えていると、白鳥が「華蓮」と私を呼んだ。下の名前を呼ばれたことより、その声音の優しさに驚いて顔を上げると、白鳥が熱い視線を私に向けていた。
「とにかく俺に任せてみろよ。俺に惚れて“白鳥華蓮にして下さい”って言わせてやるよ。」
すごい自信。こいつは、今まで、ある程度自分の思った通りに全てのことを運んできたんだろうな…。
なんだろう? 自分の中に闘志みたいなものが湧き上がってくるのを感じた。私も思い通りにしてみせるってこと? そんなに簡単に人の気持ちを変えられると思ってるの?
私の名字に対するこだわりは、そんなに軽いもんじゃない。こいつはそれを覆してみせるつもりなんだよね? 面白いじゃない。自分の気持ちが変わるかどうか、私自身、興味が出てきた。
「分かったわ。とりあえず付き合ってみようじゃない。」
気が付いたらそう答えていた。それを分かっていたかのように白鳥がニヤリと笑う。
ん? もしかして読まれてた? すでに白鳥の思い通りになっちゃってない!? うわ~。マズったかも。…取り消ししちゃおうかな…。
「そうこなくちゃ。…逃げんなよ。」
すでに逃げ腰になったことも読まれてしまった…。このまま逃げるのはやっぱり悔しい。よし。分かった。受けて立ってやる! 中身を知った上で断るのなら納得がいくんでしょ? じゃあ、知った上で「結婚は考えられません」って言いきってやる!
「とことん知り尽くすまで逃げたりしないわよ。」
「よし、決まり。じゃ、あらためて乾杯な。」
「…とりあえずよろしく。」
グラスが合わさると同時にゴングの鳴り響く音が聞こえた。これからのこいつとの戦い(?)に気合を入れるべく、ビールを一気に飲み干した。
「まずは、週末空けとけよ。デートするぞ。」
「デ、デ、デート!?」
「当たり前だろ。彼氏と彼女なんだから。」
「…『彼氏(仮)』ってことでお願いします。」
なんだかうまく丸め込まれた気もするけれど、とにかく私に人生初の彼氏(仮)ができた。
驚くほどたくさんの方に読んでいただき、本当にありがとうございます。
かなりビビッておりますが、ご期待に沿えるよう頑張ってまいりますので、これからもよろしくお願いします。