18:アレは大忙し
「へぇ~、じゃあ、アレとは会ってないんですか~?」
「アレが忙しいみたいでね。でも、この週末会わなかっただけだよ。電話はマメに来てるし。」
「アレが華蓮さんに会うのを我慢するって~、よっぽど仕事が詰まってるんですかね~?」
私とひとみちゃんのいつものお昼休み。今日の話題は察しがついてると思うけど私と白鳥のネタだ。いつもなら、周りには人気がないのに、今日は派遣さんの3人娘がなぜかいる。コンビニでおにぎりを買ってきたようだ。お給料日の前日だから金欠かしら?
なので“白鳥”の名前は封印。失礼ながら“アレ”扱いだ。一応、小声で話してるつもりでも、私の声量を侮ってはいけない。念には念を入れないと。
「う~ん……。 ハッキリとは言わないけど、思ったより“副業”が忙しいみたい。」
“副業”とは、新人さんの教育のことだ。
白鳥が我が家に来た週末の次の日から、設計に新人さんが入った。その初日の月曜深夜12時、やたらと疲労の色をにじませた声で白鳥から電話が掛かってきた。
「夜中に悪いな。起きてたか?」
「うん。今日はまだ寝てなかったからいいよ。それにしても、ずいぶん遅い帰りだね。」
「……教育係があんなに大変だとは思わなかった……。」
聞けば、今年の新人さんは、CADがほとんど使えないらしい。就業時間のほとんどが操作説明に取られてしまったようだ。
「CADを教えるだけならまだいいんだけど、他にも色々な……。」
そう言ってため息を吐く白鳥を気の毒に思った。新人さんを定時に上がらせてから自分の仕事を片づけてるのだろう。本当に大変だと思う。気の毒に思った私は、白鳥にとある提案をした。
「平日は頑張んなよ。週末になったらご飯でも作ってあげるから。」
「本当か!?」
正直、白鳥を招くと、またいつ理性スイッチが切れてしまうのか心配なんだけど。でも、休みの日ぐらい栄養の付くものを食べさせてあげたいと思ったのだ。
「じゃあ、何とか金曜までに仕事終わらせるから、絶対、絶対、ご飯作ってくれよ!」
“絶対”を2回繰り返すところが微笑ましい。「分かった。約束ね。」と言うとすっかり元気を取り戻したようだった。
それからも、ほぼ毎日白鳥から遅い時間に電話があった。日々、声に覇気がなくなっていく。そして、とうとう金曜日にこの世の終わりみたいな声の電話が来た。
「週末、まるっきり休みが取れなくなった……。残念だけど、華蓮のところへ行くのは諦める。」
“残念だけど”の部分の力の入りようがハンパじゃない。よほどのことだと思われる。
「それはいいけどさ。だ、大丈夫なの? ただでさえ残業続きなのに……」
「体は大丈夫だ。」
体はって? 精神的にはダメってこと?
「一樹、何があったの? 相談くらい乗るよ?」
「いや、自分で何とかするから。ありがとな。」
ってことは“何とか”しなくちゃいけない出来事があるってことだ。白鳥は仕事が出来ると評判だ。その白鳥をここまで追い込む出来事とは何だろう?
「それより、来週末からはゴールデンウィークだろ。華蓮は実家に帰るのか?」
なおも探ろうとする私の気配を察したように、白鳥は別の話題を振ってきた。
「う~ん……。電車で1時間くらいだから、わざわざ混んでる時に帰らないかな。どうせ、実家は夫婦そろってラブラブ旅行にでも行くんだろうし。」
「そうか。なら、俺との時間が取れるな。良し! 来週こそケリつけるから、一緒に出掛けようぜ!」
「休めるの?」
「今度こそ休む! ゴールデンな一週間にするぞ!!」
「わ、分かった。予定、空けとくよ。」
と言っても、どうせ予定なんか入りっこないんだけど。それにしても、ゴールデンな一週間ってどんなんだろ?
うちの会社は5月の1日と2日も休日となっている。忙しくて出勤する人もいるけれど、休める人は9連休が可能だ。そこで休めなかった人は代休を取る形になる。
行きたいところ、私も考えておいた方がいいかなぁ……。
「……さん、華蓮さ~ん! 聞いてます~?」
ハッ! いけないいけない。気持ちがゴールデンウィークにトリップしてしまった。
「ごめん。考え事しちゃってた。で? 何の話だっけ?」
「設計部に入った新しい女の人のことですよ~。」
もともと小声だった声をさらに潜める。
「女の人?」
今年、設計部に配属された新人さんは3人いたはず。営業部にも挨拶に来てたけど、女の人なんていたかしら?
「それが、実はもう1人入ってたんです~。どうやら、副社長の娘さんらしですよ~。」
「副社長の娘さん?」
「そうなんです~。その娘さんは、重役室に挨拶に行っていたので、部署回りはしてないんですよ~。」
「え!? それ、おかしくない?」
挨拶をするなら、これから直接関わっていく各部署の方を優先するべきじゃないかしら? 重役さんへの挨拶はそれとは別に行くべきだと思うけれど。
「それって、副社長の娘さんの話ですよね?」
珍しく派遣さんたちが会話に加わってきた。“アレ”から話題が逸れたので、いつのまにか普通のトーンで話してしまっていたらしい。私たちの話は筒抜けだったようだ。
「あの人、研修も受けずにいきなり先週から本社に現れたらしいですよ。しかも、来るなり「私、この人に教えてもらいます」とか言って、白鳥さんを指名したとか。」
「図々しいよね~。」
「社食でもべったり隣キープしてさ~。」
「白鳥さんも迷惑だよね。四六時中付きまとわれて。」
そうか。白鳥が担当している新人さんは女の人なんだ。何で言わなかったんだろ。毎日電話で話してるのにさ。水臭いじゃない。
挨拶に来ていたのが男の人ばかりだったから、あの中の誰かを教えてるのだとばかり思っていた。それにしても指名って……そんな制度あるの? コネならなんでも許されちゃうのかしら。あらやだ。なんだかイライラするわ。
「しかも、卒業したのはお嬢様短大の文学科だって。設計の基礎なんて1つも知らないらしいよ。」
なるほど。それは白鳥も大変なはずだ。CADの使い方どころか、機械工学の基礎すら学んでない新人さんが相手とは。しかも、理系ですらなく文系。
うちの会社は企業で使用する工場用の機械を製作販売している。だから、設計部に入るのは大学で機械工学を学んでいた人がほとんどだ。
「副社長、娘さんのこと溺愛してるんだって。だから、手元に置いておきたくて自分の会社に入れたらしいんだけど。娘さんが「私、クリエイティブな仕事がしたいわ」なんて言ったもんだから、それじゃあ設計に、ってことになったみたい。」
「おとなしく、副社長の秘書でもやってろって感じだよね~。」
「……みなさん、すごい情報網ですね。どうしてそんなことまでご存じなの?」
派遣さんたちの剣幕にビビッて、私が敬語を使ってしまった。だって、額に青筋が浮かんでるんだもの。
「人事部の柏木さんから聞いたんですよ。」
「柏木さん、ご立腹だったよね~。白鳥さんは“不可侵条約”が結ばれてるのにって。」
不可侵条約って……。おそらく、社内の女性とは付き合わないというスタンスを崩さない白鳥に、誰かが抜け駆けしないように牽制し合った結果、そんな条約が結ばれていたのだろう。
人事の柏木さんって、私より1つ下の色っぽい美人さんだよね。あの人も白鳥狙ってたんだ。副社長の娘さんといい、やっぱりモテるんだな~。
それにしても、その娘さんって自由人? 研修には出ないし、部署への挨拶には来ないし、教育係は逆指名するし。おまけにランチの間も白鳥の隣にいるって、すごく勝手な振る舞いな気がする。ああ、またイライラしてきたわ。
派遣さん3人娘は、なおも文句を言いながらポーチを持って立ち去った。お化粧直しに行くのだろう。お昼休みも残り少ない。私も歯磨きに行かなくちゃ!
立ち上がろうとすると、ひとみちゃんに呼び止められた。
「華蓮さ~ん。明日はお弁当じゃなく、社食にしませんか~?」
「ん? お母さん、お留守なの?」
ひとみちゃんのお弁当はお母様が作ってくれている。家賃のために作っている私の節約弁当と違って、いつもカラフルだしデザート付き。うらやましい……。
「敵情視察ですよ~。」
寒っ! ニヤッと笑ったひとみちゃんから冷気が!
「て、敵って?」
分かっているけど念のため聞いてみよう。
「副社長の娘さん観察ですよ~。」
……やっぱり。うん。思った通りだ。
そして、もう1つ分かっているのは、この提案を拒否する権利は私にはないらしいということだ。ひとみちゃん、意外と押しが強いから。
その日の夜、時計が11時を大きく回った頃、携帯電話の着信音が鳴り響いた。白鳥定期便だ。正直に言うと、私はいつもはこのくらいの時間に寝るようにしている。朝はお弁当作りと朝当番があるから早起きなのだ。
でも、ここ最近は白鳥からの「仕事が終わった」の声を聞かないと眠れなくなってしまっている。
「もしもし、華蓮? 起きてたか?」
「起きてたよ。お疲れ様。今日も遅いね。」
「そうだなぁ。今週はもう少しマシだと思ってたんだけどな……。」
「……新人さん、どう? 少しは覚えてくれた?」
「ん? ま、ぼちぼち……じゃないな。ぼちっとも覚えてないかも。」
進歩してないの!? だって、今日は火曜だから、出勤して正味7日間は経過したよね。
「毎日定時まで指導してるんじゃないの?」
白鳥の業務を滞らせてマンツーマンの指導をみっちり毎日8時間受けておいて進歩がないってどういうこと?
「ああ、まあ、そうなんだけど……」
なんだ。歯切れの悪い返事だな。
やっぱり気になる。その自由人のお嬢様とやらがどんな人物なのか。
「それはそうと。華蓮、蕎麦は好きか?」
「大好き!!」
なぜ急にお蕎麦? と思うより早く返事が口から出ていた。
お蕎麦大好き。夏はざる蕎麦、冬はたぬき蕎麦。あ、お蕎麦屋さんの天ぷらも捨てがたい~。
「そうか、良かった。じゃあ、ゴールデンウィークにはとびきりうまいそばを食いに行こうか。」
「行きます!!」
お嬢様の話題をはぐらかされたことにも気づかず、お蕎麦の約束を取り付けた私は、電話の後、幸せな眠りについたのだった。
更新が滞ってしまい、申し訳ありませんでした。新キャラの設定にずいぶん迷ってしまいました。
結局、お嬢様を登場させてみたのですが、今回は噂のみでしたね。次回ご本人登場です。




