破滅の言葉「お前を愛することはない」を言い切る前に呪いが解けて改心した次期侯爵が不遇のヒロインを溺愛する
婚約破棄を回避したいのは令嬢だけではない。
結婚式は恙無く終わった。
そして夜。
たとえそれが政略による結婚でも初めての夜は神聖なもの。
しかし夫である男、ティクドラスは寝室で待つ女性……セレスティナに冷ややかな視線を送っていた。
もともと威圧の強い男である。次期侯爵になることはほぼ確定しているが、自らを鍛えるために辺境で武功を上げて騎士の称号まで叙爵している。
見目もよく女性関係に困ること無く今まで暮らしてきたし、「真実の愛」を感じる相手もいる。
そんな相手と迎える二人きりの夜は息苦しくもあり、セレスティナは彼がそばに来た今でも言葉を発せずに居た。
妻となった彼女も夫の「真実の愛」の噂は耳にしていた。
手垢のついた男が夫になるなど最悪であるが、彼女は伯爵家の次女であり万が一でも離縁を申し出られたら行き場がない。嫁いだ侯爵家に根付くしかないのだ。
暗い気持ちで怯える妻の肩に手を置き、ティクドラスが告げる。
「セレスティナ嬢、俺は君を愛することは――っ」
ゴシャッ……
「おっ、がっ……ぬあぁぁぁ――っ!?」
突然落下してきたシャンデリアが彼の脳天に直撃した。
「旦那様!?」
急激に視界が闇に染まり意識が遠のくティクドラスの耳に心配そうなセレスティナの声が響いた。
……
「つ……うぅ……」
頭痛に導かれ、めんどくさそうにティクドラスがまぶたを上げた時、目に飛び込んできたのは見慣れた天井と妻の顔だった。
「良かった。お目覚めですか」
「ああ」
かなりの衝撃だったはずだが外傷はなさそうだ。頭に触れた手のひらに血がついていない。
ただティクドラスの頭の中に他者の記憶が流れ込んでいた。
予知夢の類であると彼は判断した。
セレスティナを粗末に扱う自分が廃嫡され、ろくでもない人生を送る夢。
(ありえない。だが生々しすぎて虚構だと思えない。何故自分はあんなことを……)
そこでハッとした彼は、目の前の女性を見つめる。
「は? 可愛すぎるだろ」
「え……」
ティクドラスの言葉にセレスティナは驚き、すぐに頬を赤く染める。
儚さを感じさせる表情。宝石みたいな紫色の瞳に銀色の長い髪。
どこからどう見ても美しい。
(この相手と婚約破棄……割に合わんだろう。なぜだ?)
記憶をたどる。出てきた。
セレスティナは不遇の令嬢だが物語の中核、ヒロインと呼ばれる存在。
そして自分はクズ男。そんな言葉があるのかと思いつつティクドラスの思考に馴染むのは他者の記憶が混ざり合っているせいだろう。
他者が何者かはわからないが超越的な存在であると仮定する。
「お前は、セレスティナで間違いないな?」
「は、はい」
どこか不安そうな顔だった。それでも見とれてしまうほど美しい。
窓から差し込む月の灯りに照らされたセレスティナの髪は女神のように輝いていた。
ティクドラスはもう一度彼女の生い立ちを思い出す。家でひどい目にあっていたはず。
すると凄まじい記憶の映像が頭の中に広がった。
「消すしかないな」
「っ! わ、私をですかっ」
「いや、お前の姉と父と義理の母親か」
10年ほど前にセレスティナの実母が儚くなった後に迎えた再婚相手が好き放題していること。
それに便乗して跡取りである姉がセレスティナを虐げていたこと。
姉と後妻に構わず外で女を囲うことをやめない父親……
実家の醜聞を詳細に語るティクドラスに驚きながら時々セレスティナは頷いた。
「全て事実です。でも旦那様、どこでそんな話を……」
「そうか、ずっとそうだったのか。私の婚約者は」
「もう妻ですが」
控えめなセレスティナのツッコミは受け流し、混ざった記憶を選り分けるようにティクドラスはさらに彼女に尋ねる。
「……結婚式は終わった?」
「ええ。お忘れですか」
忘れては居ない。ただの状況確認だ。
「つまり、今は初夜」
「そ、そうなりますね……」
恥じらいを見せるセレスティナを見て彼の胸が痛む。
ここで自分は彼女にひどい言葉を投げつけるはずだった。
その直前に天啓のように頭に衝撃を受けた。
実際、今でも痛む。
だがそれが良かった。解呪されたみたいに頭がスッキリしている。
目覚める前まではドス黒い瘴気をまとっているように見えたセレスティナの姿が今は正しく彼の目に映っている。
「ふむ」
「あ、あの……」
そばにいるセレスティナの両肩に手を置き、正面から見つめる。
「やっぱり可愛い。可愛すぎるぞセレスティナ!」
そう言われた瞬間、セレスティナの端正な顔が困惑に染まる。
令嬢が耳まで真っ赤になる様子を見てたまらなくなったティクドラスは思い切り彼女を抱きしめた!
「細く、しなやかで柔らかい体をしている……」
少し力を弱めるとセレスティナの口から、ほぅ……と息が漏れる。
(吐息まで清らかに聞こえる。こんな女性に婚約破棄を告げるなどありえない)
そしてもう一度抱きしめると、彼女が腕の中で小さく震えた。
「だ、だだ、旦那様!? 先程からどうされたのですかっ」
「どう、とは……」
抱かれながら自分を見つめるセレスティナに向かって首を少し傾ける。
キュッと結ばれた唇が花びらみたいでまたかわいい。
「月に一度の茶会でも、観劇でも、今まで一度もそのように……直接的なことはおっしゃられなかったじゃないですか!」
「あ!? 言わなかったのか私は」
ティクドラスはむしろ自分に驚いていた。そして思い返してみればそのとおり。理由は当時の自分にまとわりついていた令嬢と、それを許した自分のせいだった。
無礼とわかっていても、ティクドラスは頭の中で客観的にその女性とセレスティナとを比べてみた。
結果は一秒も経たないうちに出た。
「いや待て、待つんだセレスティナ。それは無理だ……どう考えても言わないのは無理がある」
「無理、でございますか?」
今度はセレスティナが小さく首を傾けた。この可愛い生き物のそばにいるだけで天国へ召されるのではないかと思いながらティクドラスは大きく息を吸い込んで告げる。
「お前みたいな淑女かつ美形、しかも頭脳明晰で文句のつけようがない令嬢に対して男が褒め称えないわけはないだろうが! ああ、今でも私は困ってるんだ。話せば話すほど言葉が足りない自分を呪い殺してしまいそうでな」
ティクドラスは力を加減しながらもギュッと彼女を抱きしめて熱弁し続ける。
セレスティナは自分が纏う薄い布地を通じて心臓の音が彼に伝わってしまうのではないかと思って身を硬くしている。
「あ、あの……私、そのような熱烈な言葉をいただくのは初めてでして」
「じゃあこれから毎日言うので覚悟するように」
ひゅっと息を呑むセレスティナの顔がちょっと面白いなとティクドラスは感じた。
(美女が困るとこういう顔になるのか。たまらん)
泉のごとく胸に込み上げてくるのは彼女への愛しさ。
そしてセレスティナが覚悟していた冷たい言葉を打ち消すために優しい声で囁く。
「今夜、私に『お前を愛することはない』と言われると思ったか?」
「え、は、はい……私は取り柄のない女ですから」
自身がなさそうに俯くセレスティナを見て、ティクドラスは首を横に振る。
「違う、それは違うだろ? セレスティナは取り柄しかない。最高だ。控えめなのに頭脳も鋭く、誰もが羨む容姿なのにそれをひけらかさない。お前以上の女がこの世にいるのか?」
「いいいっ、いますわ、きっといます、王妃様や公爵令嬢の皆様が……」
さらに熱っぽく愛を囁かれたセレスティナは口元を震わせながらを顔から煙が出そうな勢いで混乱していた。
「話にならん! 私はもうお前しか見ない、というか見る必要がないっ」
「はううぅぅ……」
セレスティナにとって予想外の展開すぎて理解が追いつかないが、とりあえず目の前の夫が自分を粗末に扱わない気がしたので少しだけ肩の力が抜けた。
「明日から、いや今すぐ覚悟を決めろセレスティナ……一生愛してやる。私は一途なのだ」
「ですが、旦那様には幼馴染で妹みたいな病弱なご令嬢がいるとお聞きしてますが」
冷水を浴びせるようなセレスティナの言葉に頭が痛む。
「ん……確かにいるな。だが安心しろ処刑する」
迷いなく言い切るティクドラスにまたもや困惑するセレスティナは、なにもそこまでしなくても……という表情をしているが口に出さないのは彼女の優しさか慎み深さなのか。
(口をパクパクさせるセレスティナもかわいいな。でも少しばかり苛烈すぎたか)
少しだけ反省して言い直す。
「いや、処刑などしなくても『病弱』なのだから勝手に消えるだろう……というか消す。セレスティナは、そんな輩のことを気にしていたのか」
コクリと頷くセレスティナの顎に指を添え、こちらを向かせる。
大きな瞳から涙が零れそうになっていた。やはり全方向で可愛い。
「本当にすまなかった。気づいてやれずに」
「旦那様……っ!」
「もう泣くな。お前は悪くない。今までの私が愚かだった。全てを許してくれとは言わんが、この先のお前との未来を約束しよう。もう語るのも面倒だな。朝まで付き合ってもらうぞ」
数秒後、ベッドの上で二人の影が重なった。
……
翌日。
ゴトッ。
「な、なな……旦那様が奥様と!?」
セレスティナを連れて館内を巡るティクドラスの姿を見た侍女長が拭いていた花瓶を落とした。
「ふははははは! 羨ましいか」
それを叱りつけるでもなくティクドラスは誇らしげに応える。
今の彼は自分の妻しか見えていない。
「あの、旦那様……恥ずかしいです」
「軽いから問題ない」
「そうではなくって!」
いわゆるお姫様抱っこである。見せびらかしているので当然のように目立つ。
「笑い方までおかしくなられて……」
随伴する執事もため息混じりで呟くがティクドラスは気にしなかった。
「仕方あるまい。美しい妻と一緒になれたのだからな!」
「さようでございますか」
そして三人は侯爵夫人の部屋の前にたどり着く。
ティクドラスはそこでセレスティナを下ろし、ノックなしで扉を思い切り開く。
中にいたのは件の女性。
「ティクドラス様! どうして昨夜はお越しにならなかったの!!」
彼に寵愛される病弱な妹みたいな幼馴染、マーブル子爵令嬢。
「邪魔だ。出ていけ」
「は?」
それは女性が今まで受けたことのない冷たい声だった。普段は彼女の願いを全て聞き入れてくれる理想の恋人だったティクドラスが今は虫でも見るような目をしていた。
「おい執事、衛兵を呼べ。この女を始末する」
「旦那様!?」
執事は慌てた。
始末という言葉には追放だけでなく当然処刑も含まれている。
「貴様、死にたくなければ今すぐ出ていけ。最後の温情だ」
(あの目、本気だわ! ティクドラスが私を殺……)
わけもわからず冷たい言葉で斬りつけられたマーブル子爵令嬢は悲鳴を上げながら館の入口に向かって駆けていく。
「旦那様、よろしかったのですか?」
「何がだ」
衛兵が来る前に夫人の部屋から飛び出していったマーブル子爵令嬢は泣きながら家族に事情を訴えるだろうがどうでもいい。文句を言うならティクドラスは彼女の子爵家ごと潰すつもりだ。
「というか自由にさせすぎたな。反省する。ここをこれからセレスティナの部屋として……いや、不浄な空気が彼女に悪影響を及ぼしてしまいそうだな。執事、どうすればいい?」
屋敷ごと建て替えるかと言い出しかねないティクドラスをたしなめるように執事は女主人部屋の改装を提案した。業者は今日のうちに呼び寄せるという。
「わ、私に贅沢な希望はありませんので……執務室に寝泊まりするのでも全然構わないといいますか」
「……お前、生家で一体どんな日々を送ってきたのだ? とにかく却下だ。贅沢してみろ」
「そんなの無理ですっ!」
「簡単に諦めるな! まあいい、とりあえず執事に相談しろ。時間をかけてセレスティナ好みの部屋にする。嫌かもしれんが当面は我慢してほしい」
こうして二人の生活が始まった。
砂糖を煮詰めたような毎日が始まる……




