三田誠伝説 〜科学世紀・最後の無宗教神話
慣れないことをしました。
二次創作の形態の一つ、ほぼ全て創作、です。
渡辺陽斗が学園長になる遥か昔の話、日本人は哲力と共にあった。始めに哲力を会得した狭野尊は神がかった全能の能力を持ち、日本全体に影響を持つ国を初めて作り上げたと言われている。後の神武天皇である。
その後哲力の使用者は少しずつ増えてゆき平安時代には貴族を中心に哲力全盛の時代となった。哲力にできることも数多くなり、人を呪い殺す、妖怪を生み出すなどの事が盛んに行われるようになった。中でも安倍晴明や両面宿儺などは優れた哲力会得者として後世に名を残す。
しかし、哲力の使用者は多くなっていっても世界に存在する哲力値の総量は変化しない為、一人一人が使うことのできる哲力の出力は落ちてゆく。
江戸時代には庶民全体が少しばかりの活力増強や体力回復等の僅かな哲力のみを使用できるような状況となった。すると哲力の正確な使用方法を知るものも僅かになり、多くの庶民は神に祈ることで奇跡が起きているのだと捉えるようになったが、それでもまだ子供たちが親の所作や精神性を真似していくうちに子供たちも意識せずに僅かな哲力を使い、代々続いていった。
明治維新が起こり日本が激動の時代となると、西洋風の生活様式が取り入れられ、だんだんと親から受け継いだ所作も守られなくなってゆく。また、多くの人に哲力が神の御技であると取られられた事で哲力の依代となった神道についても、技術革新により心の底から信じられなくなると信仰が疎かになり、次第に哲力は失われていった。こうして哲力使用者は劇的に減ってゆき、しかし人々は失われた能力など存在も知らなかったのだ。
昭和に入ると世界で哲力を使用できるのは哲山という平安時代から哲力の使用法を一子相伝して来た家の末裔、それと初代の使用者の家柄であり、神道の体現とも言える天皇家のみになった。天皇家は国民から自らへの信仰のために全哲力を使っていたので実質的に鉄山が最後の哲力使用者となる。
しかし、戦争が始まると哲山も海軍に駆り出され、戦艦陸奥に乗船中謎の爆発によって死を遂げ、戦後天皇が人間宣言をし、密かに哲力の使用を停止するとこの世界から哲力の使用者は消えたのであった。
神は死んだとニーチェが言ったのはいつの事であったか。正確にはニーチェは神の存在を否定するのが本意ではなく、近代社会においてキリスト教が支配力を失った事を指摘したのであり、ニーチェ以前から科学的に考えたらキリスト教には矛盾が多いことは分かっていた。
17世紀、宇宙を宗教の絡まない科学で説明できるようになった事に端を発する科学世紀の始まりが人々に神の存在を懐疑的にさせた。同時にフロイト、マルクスをはじめ近現代の哲学者達は神を否定しており、それが浸透した世界こそ「神は死んだ」なのである。
しかし皆様も日本に長らく住んでいると三田誠という人物の噂は耳にしたことがあるだろう。戦後という科学世紀にも関わらず超能力のような伝承が数多く存在する。
本著は三田誠伝説に関する伝承や噂、各地に残る記載を時系列順にまとめたものである。
昭和11年、ロンドン条約改訂の頃である。長野県の白馬村にある少年が誕生する。彼の出自については諸説あり、天より神に遣わされて現れたとも喫茶店の次男であったとも言われているが、最有力候補は養蚕業を営む名家の長男であったという説である。天より遣わされたという説は当然として、喫茶店の息子やその他の説では戦時である当時において記録に残らずに健康に生活することは難しく、名家の後継ぎとして育てられたのだろう。
しかしその後三田誠は山に入り、山の奥地で怪なるものと共に暮らしているうちに戦争が終結したという伝承が数多く残っている。(1958 長野伝説記 語:信濃文化保存会 他)
これについても捨て子であったとも親族が亡くなったとも言われているが、前述の通りに養蚕名家の後継ならどちらも考え難い。それどころか山に何年も籠っていたかどうかも怪しいものである。当時の人間が丈夫であったとはいえ成人前の少年が一人で暮らし続けることは不可能である。また、家の者が山で暮らすことを許すとも考え難い。
考えられるのは、怪なるものと共に暮らしたとあるが、妖怪の類ではなく実際は山中で生計を立てた一家であった事くらいであろうか。
ここまで紹介してきたが、そもそも有名人であっても出自が不明確な人も多い中でスピリチュアルな存在である三田誠の幼少期は作り話であると考えるのが自然である。以下に他の説を列挙する。
(((攻撃氏ファンの皆様、コメントどうぞお願いします。
幼少期の説コメント下さい。
内輪ネタでいいですが実在する人間を出すのはやめましょう。私や攻撃氏は出していませんよね。




